燕岳 37年前のドタ靴 〜ノスタルジアと心にあるもの〜
- GPS
- 08:00
- 距離
- 9.0km
- 登り
- 1,363m
- 下り
- 1,365m
天候 | 子槍どころか、孫槍の笑顔までが見えている、好天気。 湿度が少なく、快適な、ツバメ日和でした。 |
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過去天気図(気象庁) | 2015年05月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
・・・心にあるもの 心にあるものは、「未知への憧れ」 私のような、慣れない者は、愛おしい人達に、触れようとしても、 そんな勇気や、表現力が足りなくて、格好がつかないのです。 それでも、使わなくなった道具は、心の傷になっていて、 恥でも、拙くても、温めておいた気持ちに、声をかけました。 17歳には、17歳の夢があり、54歳には54歳の、ほんとが、見えます。 |
その他周辺情報 | ごあいさつ・・・? ヤマレコは、本来、山のレコード(記録)ですが、これは、ちょっと、ラブレターです。 かなーり、恥ズイので、他の人には、内緒ということで、お願いします。 そしてぇ・・・嘘つきを反省して、ヤマレコの皆様の、さらなる飛躍を、お祈りしまーす。 えっと・・・それから、それからっと? うっっ、そんなもん、みっ見たくないでぇっと、春なので、ぜひっ、お楽しみ下さい。 そして、少しだけ、優しい気持ちになれば、好いですね・・・・・・・・燕岳・LOVE |
写真
感想
・・・大切なドタ靴
昔、大阪の梅田に「 好 日 山 荘 」という、山道具がありました。
何方にも始まりは、必ずあると思うのですが、私の最初は、37年前のこと、友達に借りて、軽い気持ちで見ていた、「山と渓谷」という、雑誌でした。
その雑誌の特集記事には、山靴にアイゼンを付けて、ベルグラに覆われた雪稜を、登攀している男達が、描かれていて、とても真似は出来ないと、知りながらも、そのカッコのよさに憧れてしまい、高1の冬と次ぎの夏休みに、親父が勤めていた、阿倍野の郵便局でアルバイトをしたのです。
そして、お金を握り、その店を訪ねたのは、バイトの最後の帰りでした。
季節は、まだ夏の終わりで、夕方でも周りが明るくて、中の様子が伺えず、少し不安なまま、扉を開けたことを、覚えています。
そして、ここからは、とても古くて、二度とはない、私の大切な景色ですが、その時、店に入って直ぐに、3・4人の常連の人達と、2人の店員さんを見ました。
皆で、談笑をしていたようですが、私が入ると、アウェイとまでは、いかなくても、「場違いな子供が、冷やかしで、入って来て・・・」と、なんとなく、不審者を見下すような、いやな視線を浴びせてきたのです。
しかし、目をそらして、彼らを見ないようにしながら、奥に進み、途中を曲がって、窓の近くの靴棚まで行きました。
そして、綺麗な山靴が、飾られていた、棚の上ではなく、その下の土間に置かれていた、「好日山荘オリジナルシューズ」と書かれた、たぶん、その時に見た山靴では、3番目位に、安かった物を指差して、「この靴を、合わせて欲しいのですが・・・」と声をかけたのです。
すると一瞬、その場の空気が、変わったような気がして、そんなには、大柄でなくても、いかにも精悍で、ガチンコな、山男の店員さんが、近づきながら、「君は、いつも、どんな山をしているのだ・・・」と、私を睨みつけ、まるで、叱るように訊いてきます。
それで、まだ金剛山しか、山を登れなかった私では、山靴は駄目なのだと思い・・・声を詰まらせながらも、咄嗟に「大峰山です」と、嘘をつきました。
たわいもなく、大変に恥ずかしいことですが、当時の体育会系では、先輩の「言葉」は絶対、今のショップ店員さんとは、威厳も責任感も怖さも、何もかもが、別物の世界でした。
たぶん、「それならまだ、キャラバンシューズで、十分や・・・」と、諭されるものだと、半分くらいは、諦める気持ちになっていたと思います。
しかし、返してくれた答えは、「大峰山であれば、山靴が必要、これで良いのなら、型採りするので、奥に行きなさい・・・」という返事でした。
それを聞いて、安堵したのは、嘘をついた私ではなくて、後ろで見ていた、他のお客さん達です。
その1人が大声で「お金があったら、あれを買うのになー」と、言いながら、満面の笑顔を私に向けて、棚の上に飾られていた、イタリア製かドイツ製の、30万円以上もする山靴を、指差しています。そして、その一言で、すでに仲間であったかのような、和やかな雰囲気にはなったのですが、その時の私には、とてもジョークに返す力は無く、早くその場を離れようと、挨拶もしないで、そのまま、奥の部屋へ逃げました。
その、奥の部屋とは、商品の仕分けや、保管をする為の、バックヤードのことで、広さは、10帖位だと、記憶しています。
照明は明るくて、大きな机があり、商品箱が沢山ありました。
しばらくは待たされて、しょんぼりしていたのですが、気持ちが落ち着くと、其処から見えている、店の中を見つめていたのです。
大阪は地方都市ですが、当時は大変活気があり、梅田の歩道橋の正面という、一等地に在る、山荘風の建物は、木の温もりや上品な皮革の香りがする、一流のお店でした。
そして、今ほど、物が溢れてはいない時代に、海外からも精魂込めて集められた、本物のランタンやコッフェルなどが、所狭しと飾られていた店内は、それまでの経験にはなかった、未来への希望と、まだ見ていない山岳への、憧れの夢を、見させるような、キラキラと輝くものが、いっぱい詰まった、宝石箱のようでした。
たとえ社会人であっても、冷やかしでは入りにくい、その場所で、まわりに大人のいない、少ししかお金を持たない私が、予期せずに、出会えた美しい景色は、何年たっても、忘れることのできない、私のノスタルジアです。
その後、しばらく待たされて、先ほどの店員さんが来ると、棚の引き出しから、2センチ位の厚さのある靴底の木型を、3種類持ってきて、私の足を乗せていきます、その中から寸法の合う1組を残して、他は片付け、また別の、薄い木型を持ってきて、足との隙間に、何枚かを挟んでいきます。
手際良く、並べ終えると、木型の上に足を乗せたまま、今度は、ノートに採寸した足と足型の寸法を書き込みながら、まだ、若かった私に、老婆心からなのか、山での歩き方や、靴の履き方など、基本中の基本のような話をしてくれました。
私は座らされながらも、直立不動で、その話を聞かしていただき、彼の一挙手一投足を、見逃すまいと、精一杯見つめていましたが、そんな贅沢な時間は、瞬く間に終わり、9万円程を支払って店を出た時には、すっかり日が暮れていました。
そして、興奮冷めやらぬまま、都会の夕景に浮かぶ、この宝石箱の前を、しばらくは離れることが、出来なかったことも思い出します。
山靴が出来上がったのは、それから3週間後の事、約束したとおりに、友達と大峰山に登ってから、山靴と一緒に店を訪ねて、足に出来た豆や水ぶくれを、店員さんに見せると、「指に出来た豆は、下山時の履き方や、歩き方も悪い・・・」と、叱っていただき、踵のところは合わせ直してもらいました。
それから暫くして、好日山荘にはゴタゴタが続きます、たまにしか行けなかったのですが、いつの間にか、店員さんも消えていて、最後には倒産しました。
今あるのは、当時、テレビなどでも報道されていた、「コージツ」さんが受け継いで、発展したものと、聞いています。とても、センスの良い、山道具屋さんになりましたね、流石です。
そして、山靴も道具も、素晴らしく進化したのですが、残念なことに私は、せっかくの山靴を履かずに、普通の運動靴で、一人歩きをするくらいの事しか、出来ませんでした。
そして、一昨年のことですが、シニアへの登山口で、昔の憧れから52歳にして、何か新しいことをしてみようと考え、最初は少し怖かったのですが、岩登りを通じて、沢山の勉強ができる、とても経験豊富な山岳会に入会しています。
この山岳会は、私が想像していたものとは違い、頑張っている若い人達はもちろんの事、年上の方々も、最新のウエアーに身を包み、颯爽と歩かれていて、また、広報をしている女性も、本当に親切で、大変気遣いがあり、とても居心地の良い場所です。
私もその覚悟で入会させていただいたので、今後もがんばって、彼等彼女達と、一緒に、山を歩こうと、心を決めています。
その為に、十数年ぶりに持ち出した、古くて重い、時代遅れの道具ですが、また一人で、のんびりと歩くことがあるまでは、使わずに大切にしまっておくことにします。
・・・でもそれは、私の勝手ではなく。
「忙しいのを言い訳にせず、もっと仲間を大切にしなさい・・・」と、大きな声で、励ましてくれる、この山靴に、背中を押されているからです。
武庫勤労者山岳会 山行部 所属
らぴゅた・ろぼっと
素敵です。大変に感動致しました(i_i)。
またお話くださいますかしら。
宜しくお願い致します。
※チロルにお願いしたい。
ネタもお金もありません。
チロル?と一瞬おもいましたが、そういえば、ありましたね。
恐ろしい・・・・とんでもないです。
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