寅卯山、寅卯神社の後、那珂川町の御前岩に来ました。この辺りを通る時は、必ず立ち寄る所です。
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12/9 10:42
寅卯山、寅卯神社の後、那珂川町の御前岩に来ました。この辺りを通る時は、必ず立ち寄る所です。
腰巻岩越しに御前岩を見る。光圀の下知で岩を隠したそうです。
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12/9 10:43
腰巻岩越しに御前岩を見る。光圀の下知で岩を隠したそうです。
奇岩御前岩の説明板。「天下の奇岩じゃ!」と言う一方で「かかるものを衆目にさらしてはよろしからず」と竹を植えさせたとまります。その先は、興味があればお読みくださいませ・
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12/9 10:44
奇岩御前岩の説明板。「天下の奇岩じゃ!」と言う一方で「かかるものを衆目にさらしてはよろしからず」と竹を植えさせたとまります。その先は、興味があればお読みくださいませ・
武茂(むも)川をはさんで腰巻竹と御前岩。
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12/9 10:45
武茂(むも)川をはさんで腰巻竹と御前岩。
お願いだそうです。
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12/9 10:45
お願いだそうです。
そして御前岩です。
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12/9 10:46
そして御前岩です。
岩の上に祠があるそうなので行ってみます。これは初めてです。御前岩橋を渡って対岸へ、
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12/9 10:51
岩の上に祠があるそうなので行ってみます。これは初めてです。御前岩橋を渡って対岸へ、
橋を渡ってすぐ右手の道へ。
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12/9 10:52
橋を渡ってすぐ右手の道へ。
赤鳥居が見えますが、笹藪が凄い、しかも露で濡れていました。夏場だったら遠慮したい所ですが、強行突破しました(笑)。
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12/9 10:53
赤鳥居が見えますが、笹藪が凄い、しかも露で濡れていました。夏場だったら遠慮したい所ですが、強行突破しました(笑)。
何やら祠がありました。
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12/9 10:55
何やら祠がありました。
さらにその先に幟が見えます。
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12/9 10:55
さらにその先に幟が見えます。
御前岩の上方に来ました。
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12/9 10:56
御前岩の上方に来ました。
そして岩姫大明神の祠がありました。
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12/9 10:57
そして岩姫大明神の祠がありました。
ネットで見かけたお方もご健在のようです。
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12/9 10:58
ネットで見かけたお方もご健在のようです。
対岸の周遊路に戻って。
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12/9 11:06
対岸の周遊路に戻って。
少し早めですが、お昼の食べそびれるパターンが多いので、食べられる時に食しておきます。御前岩と竹をモチーフにしたデザインですね。
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12/9 11:06
少し早めですが、お昼の食べそびれるパターンが多いので、食べられる時に食しておきます。御前岩と竹をモチーフにしたデザインですね。
川を眺めながら、「八溝そば」さるそばミニかき揚げ丼(1180円)をいただきました。猪や鰻はまだしもフグまでいただけるようです。
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12/9 11:19
川を眺めながら、「八溝そば」さるそばミニかき揚げ丼(1180円)をいただきました。猪や鰻はまだしもフグまでいただけるようです。
お土産にはリアルな珍菓や授かりセットなるものがございます。この後は、女体山へ向かいます。
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12/9 11:45
お土産にはリアルな珍菓や授かりセットなるものがございます。この後は、女体山へ向かいます。
「荒沢入口」女体山の案内もあります。
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12/9 11:57
「荒沢入口」女体山の案内もあります。
女体山周辺案内図。お不動様があるようです。
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12/9 11:57
女体山周辺案内図。お不動様があるようです。
桜山公園下、女体山入口付近にある「荒沢の石川雀」の伝説。金鉱脈があり、その採掘落盤事故にまつわる話。唯一助かった人は山の神の教え「御飯に汁をかけて食べない」を守ったから、という事です。
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12/9 12:12
桜山公園下、女体山入口付近にある「荒沢の石川雀」の伝説。金鉱脈があり、その採掘落盤事故にまつわる話。唯一助かった人は山の神の教え「御飯に汁をかけて食べない」を守ったから、という事です。
桜山公園。こちらを登るのが現在の登山道ですが、前に歩いているので、今回は荒沢集落からの破線道を辿る予定、まずは車道を下ります。
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12/9 12:13
桜山公園。こちらを登るのが現在の登山道ですが、前に歩いているので、今回は荒沢集落からの破線道を辿る予定、まずは車道を下ります。
近くにそれっぽい石があったのでよく見ると、やはり馬頭観世音(明治三十二年、1899)でした。
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12/9 12:14
近くにそれっぽい石があったのでよく見ると、やはり馬頭観世音(明治三十二年、1899)でした。
捨て猫が多いのかな。この看板がたくさんありました。
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12/9 12:17
捨て猫が多いのかな。この看板がたくさんありました。
首無地蔵
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12/9 12:18
首無地蔵
左かすかに男体山、あちらの女体山(女峰)も見えます。中央やや右は高原山だと思います。
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12/9 12:22
左かすかに男体山、あちらの女体山(女峰)も見えます。中央やや右は高原山だと思います。
此方から入りましたが、新しいお宅の直近を通過するようで、ちょっと避けるように歩いたら、
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12/9 12:22
此方から入りましたが、新しいお宅の直近を通過するようで、ちょっと避けるように歩いたら、
見事にハマりました(笑)。
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12/9 12:27
見事にハマりました(笑)。
これが予定の道だと思いますが、
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12/9 12:34
これが予定の道だと思いますが、
相当藪ってます。ほどなく
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12/9 12:37
相当藪ってます。ほどなく
女体山409m山頂にとうちゃこしちゃった。
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12/9 12:41
女体山409m山頂にとうちゃこしちゃった。
「女体山」409.29 m三等三角点
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12/9 12:42
「女体山」409.29 m三等三角点
神社マークのある方向へ向かうと、まずは新しめの祠がありました。先代の屋根が落ちています。
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12/9 12:46
神社マークのある方向へ向かうと、まずは新しめの祠がありました。先代の屋根が落ちています。
その先に、もう一つ木祠と覆屋が見えました。
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12/9 12:47
その先に、もう一つ木祠と覆屋が見えました。
中を覗いてみると、こちらが女体山神社(正式名称は不明みたい)、
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12/9 12:48
中を覗いてみると、こちらが女体山神社(正式名称は不明みたい)、
お隣は雰囲気は稲荷社ですが。
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12/9 12:49
お隣は雰囲気は稲荷社ですが。
裏手に周ってみると、これは御神体の御岩でしょうか?
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12/9 12:49
裏手に周ってみると、これは御神体の御岩でしょうか?
石燈籠両基の笠が残っています。
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12/9 12:51
石燈籠両基の笠が残っています。
参道があるようなので降りてみます。何やらあるようです。
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12/9 12:51
参道があるようなので降りてみます。何やらあるようです。
これはビックリ!石造の仁王様がいらっしゃいました。小石まじりなので一瞬コンクリ?と思いましたが、こういう石材なのかな。
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12/9 12:53
これはビックリ!石造の仁王様がいらっしゃいました。小石まじりなので一瞬コンクリ?と思いましたが、こういう石材なのかな。
後のネット調べでもこの仁王像についての情報は乏しく、さすが『偏平足』さんのブログには掲載されていました「石仏701女体山(栃木)仁王」が、やはり無銘のようでした。
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12/9 12:54
後のネット調べでもこの仁王像についての情報は乏しく、さすが『偏平足』さんのブログには掲載されていました「石仏701女体山(栃木)仁王」が、やはり無銘のようでした。
仁王門の下に鳥居がありました。
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12/9 12:59
仁王門の下に鳥居がありました。
その傍らに気になる石があったので、少し綺麗にしてみると、明らかに石柱のようです。
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12/9 12:59
その傍らに気になる石があったので、少し綺麗にしてみると、明らかに石柱のようです。
さらに参道の反対側を調べたら、やはりありました。先代の鳥居か?石燈籠か?
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12/9 13:05
さらに参道の反対側を調べたら、やはりありました。先代の鳥居か?石燈籠か?
紀年銘もありました。「大正十(五)」(1926)かな。石材が先の仁王像と同じ感じだったので、仁王像も同じ年代かもしれません。
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12/9 13:06
紀年銘もありました。「大正十(五)」(1926)かな。石材が先の仁王像と同じ感じだったので、仁王像も同じ年代かもしれません。
旗柱もありました。麓でお聞きした所、今も祭礼が行われているそうです。ただし、祝詞、直会は麓で行い、山頂の社はお掃除に行く程度だそうです。
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12/9 13:13
旗柱もありました。麓でお聞きした所、今も祭礼が行われているそうです。ただし、祝詞、直会は麓で行い、山頂の社はお掃除に行く程度だそうです。
その助郷集落に降りてきました。
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12/9 13:18
その助郷集落に降りてきました。
立派な案内板がありました。
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12/9 13:26
立派な案内板がありました。
棚田みたいです。
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12/9 13:29
棚田みたいです。
馬頭観音かと思ったら、旧「馬頭町」の石杭でした(笑)。
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12/9 13:35
馬頭観音かと思ったら、旧「馬頭町」の石杭でした(笑)。
麓から女体山方面を望む。
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12/9 13:36
麓から女体山方面を望む。
擁壁の上に祠が見えたので行ってみます。
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12/9 13:42
擁壁の上に祠が見えたので行ってみます。
四連の木祠がありましたが、神様はすでに不在のようでした。さらに、上方に
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12/9 13:43
四連の木祠がありましたが、神様はすでに不在のようでした。さらに、上方に
東堂山(満福寺)のようです。『偏平足』さんによれば福島県小野町の東堂山満福寺から勧請されたとのことです。左手の道を登ると、
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12/9 13:44
東堂山(満福寺)のようです。『偏平足』さんによれば福島県小野町の東堂山満福寺から勧請されたとのことです。左手の道を登ると、
見覚えのある道に合流しました。水道施設脇を通る登山道です。
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12/9 13:45
見覚えのある道に合流しました。水道施設脇を通る登山道です。
桜を見渡すように石碑が建っています。
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12/9 13:47
桜を見渡すように石碑が建っています。
「御即位記念樹 大正四年十一月十日(1915)荒澤坪中」
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12/9 13:48
「御即位記念樹 大正四年十一月十日(1915)荒澤坪中」
大正天皇即位記念樹碑について。ここで一旦ゴールです。
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12/9 13:49
大正天皇即位記念樹碑について。ここで一旦ゴールです。
女体山の霊水に移動。
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12/9 14:00
女体山の霊水に移動。
珈琲用にお水を頂きました。ここから歩いて、
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12/9 14:01
珈琲用にお水を頂きました。ここから歩いて、
雨降神社不動明王に向かいます。
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12/9 14:04
雨降神社不動明王に向かいます。
すぐにとうちゃこ。
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12/9 14:05
すぐにとうちゃこ。
石造の不動明王立像が安置されています。
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12/9 14:06
石造の不動明王立像が安置されています。
熊野社でしょうか。「熊野山」参拝碑(大正三年、1914)。駐車地に戻って、陰陽山に向かいます。
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12/9 14:07
熊野社でしょうか。「熊野山」参拝碑(大正三年、1914)。駐車地に戻って、陰陽山に向かいます。
その道中、小田野城、檜沢城と興味深い山城跡があるようです。
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12/9 14:58
その道中、小田野城、檜沢城と興味深い山城跡があるようです。
その入り口にきれいな紅葉がありました。今回は時間がないのでパスしましたが、機会があれば訪ねてみたい所です。
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12/9 15:00
その入り口にきれいな紅葉がありました。今回は時間がないのでパスしましたが、機会があれば訪ねてみたい所です。
陰陽山森林公園(常陸大宮市山方5061)に着きました。
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12/9 15:19
陰陽山森林公園(常陸大宮市山方5061)に着きました。
車道もありますが、せっかくなので石段を昇ります。
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12/9 15:23
車道もありますが、せっかくなので石段を昇ります。
石段(大正十二年、1923)の寄付者は「山方村山方宿」のお方。
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12/9 15:24
石段(大正十二年、1923)の寄付者は「山方村山方宿」のお方。
ここは最上部の駐車場のようですが、開放される時もあるのかな。
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12/9 15:29
ここは最上部の駐車場のようですが、開放される時もあるのかな。
案内板
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12/9 15:29
案内板
さらに石段があるようです。
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12/9 15:30
さらに石段があるようです。
今にも話しかけてきそうな大きめのお地蔵様。お背中に、
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12/9 15:31
今にも話しかけてきそうな大きめのお地蔵様。お背中に、
「寛保三星舎癸亥三月吉日(1743)」
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12/9 15:32
「寛保三星舎癸亥三月吉日(1743)」
石鳥居の右手には、鷺森稲荷神社と石燈籠(昭和五年)。
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12/9 15:37
石鳥居の右手には、鷺森稲荷神社と石燈籠(昭和五年)。
石鳥居の左手には、
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12/9 15:37
石鳥居の左手には、
不動明王立像がありました。「文政十亥三月吉日(1827)」
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12/9 15:38
不動明王立像がありました。「文政十亥三月吉日(1827)」
逆ハの字の眉が印象的。
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12/9 15:38
逆ハの字の眉が印象的。
大山祇命。「明治四十四年十一月六日(1911) 発起人 陰陽山境外林買人山方村舟生入一商店 木村猛三 東茨城郡飯冨村元山 鈴木(亥)之吉 久慈郡佐都村 萩谷留吉 入一代理人 岡田萬吉 」
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12/9 15:41
大山祇命。「明治四十四年十一月六日(1911) 発起人 陰陽山境外林買人山方村舟生入一商店 木村猛三 東茨城郡飯冨村元山 鈴木(亥)之吉 久慈郡佐都村 萩谷留吉 入一代理人 岡田萬吉 」
「陰陽山」
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12/9 15:42
「陰陽山」
さらに長い階段が待ってました。
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12/9 15:43
さらに長い階段が待ってました。
遥拝所のようです。
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12/9 15:44
遥拝所のようです。
さらに石段と、
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12/9 15:45
さらに石段と、
山道。なかなか手ごわい。
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12/9 15:47
山道。なかなか手ごわい。
神社が見えました。
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12/9 15:47
神社が見えました。
まさに「この紋所が目に入らぬか!」なのです。
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12/9 15:48
まさに「この紋所が目に入らぬか!」なのです。
そしてお久しぶりの狛犬さん。よくウナギ〇に似ているとか言われますが、
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12/9 15:49
そしてお久しぶりの狛犬さん。よくウナギ〇に似ているとか言われますが、
貔貅(ヒキュウ)と言う伝説の霊獣。こちらは朝鮮北部高麗地方で狩りに使われた犬をモデルにしているそうです。
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12/9 15:49
貔貅(ヒキュウ)と言う伝説の霊獣。こちらは朝鮮北部高麗地方で狩りに使われた犬をモデルにしているそうです。
もちろん日本で唯一の狛犬ですが、あろうことに先代の物は盗難にあってしまったそう。
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12/9 15:50
もちろん日本で唯一の狛犬ですが、あろうことに先代の物は盗難にあってしまったそう。
現在の物はその奉納者子孫と氏子が相談して、平成四年に修復されたそうです。
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12/9 15:50
現在の物はその奉納者子孫と氏子が相談して、平成四年に修復されたそうです。
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12/9 15:51
陰陽神社本殿。徳川光圀が創建を思い立ち、元禄四年(1691)に社殿が完成。当時は陰陽大権現と称したそう。現本殿は文政期の物。
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12/9 15:52
陰陽神社本殿。徳川光圀が創建を思い立ち、元禄四年(1691)に社殿が完成。当時は陰陽大権現と称したそう。現本殿は文政期の物。
二つ巨石を望見した光圀は登山の上ご覧になり、非常に感動して「陰陽石」と名付け、神社創建を思い立ったという。
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12/9 15:54
二つ巨石を望見した光圀は登山の上ご覧になり、非常に感動して「陰陽石」と名付け、神社創建を思い立ったという。
黄門様をいたく感動させた陰陽石は惜しくも東日本大震災で崩壊してしまいました。
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12/9 15:54
黄門様をいたく感動させた陰陽石は惜しくも東日本大震災で崩壊してしまいました。
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12/9 15:55
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12/9 15:55
さて山頂(展望台)へ向かいましょう。
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12/9 15:58
さて山頂(展望台)へ向かいましょう。
残念ながら落陽は木々に阻まれていました。
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12/9 16:00
残念ながら落陽は木々に阻まれていました。
陰陽山233m山頂からの眺め。わずか200mそこそことは思えない景色。
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12/9 16:00
陰陽山233m山頂からの眺め。わずか200mそこそことは思えない景色。
ここで「女体山の霊水で淹れた珈琲を陰陽山頂でいただく」ミッションです。いろいろ忘れ物してしまいました。
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12/9 16:09
ここで「女体山の霊水で淹れた珈琲を陰陽山頂でいただく」ミッションです。いろいろ忘れ物してしまいました。
カップも忘れちゃいました。
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12/9 16:11
カップも忘れちゃいました。
久慈男体山と思われます。
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12/9 16:14
久慈男体山と思われます。
沈む夕陽は拝めませんでしたが、茜雲は見られました。
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12/9 16:15
沈む夕陽は拝めませんでしたが、茜雲は見られました。
この時期のこの時刻でも全然寒くありません。しばしハープタイム。
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12/9 16:17
この時期のこの時刻でも全然寒くありません。しばしハープタイム。
地上の星も随分灯ってきたのでそろそろ下山しましょう。
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12/9 16:38
地上の星も随分灯ってきたのでそろそろ下山しましょう。
どちらのお山でしょうか。
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12/9 16:40
どちらのお山でしょうか。
下山後は直近の鉱泉で日帰り入浴(500円)。久しぶりにこの提灯を見た気がする。
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12/9 17:11
下山後は直近の鉱泉で日帰り入浴(500円)。久しぶりにこの提灯を見た気がする。
残り紅葉がライトアップされて、なかなかの紅葉風呂が堪能できました。
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12/9 17:30
残り紅葉がライトアップされて、なかなかの紅葉風呂が堪能できました。
湯の澤鉱泉。ひっそりした隠れ宿といった感じでした。本来なのゆっくり泊まりたいものですが、この後常磐道で帰京しました。
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12/9 18:13
湯の澤鉱泉。ひっそりした隠れ宿といった感じでした。本来なのゆっくり泊まりたいものですが、この後常磐道で帰京しました。
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