初詣はこちらになりました。いつも秩父からの行き帰りにWCをお借りしている古尾谷八幡神社(川越市古谷本郷1408)。
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初詣はこちらになりました。いつも秩父からの行き帰りにWCをお借りしている古尾谷八幡神社(川越市古谷本郷1408)。
「古谷」9.17 m三等三角点があります。
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「古谷」9.17 m三等三角点があります。
境内社の御嶽神社、三島神社に参拝。
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境内社の御嶽神社、三島神社に参拝。
榛名神社・三峯神社にも参拝します。
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榛名神社・三峯神社にも参拝します。
初富士です。田園地帯から丹沢から奥多摩奥武蔵、西上州方面までよく見えました。
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初富士です。田園地帯から丹沢から奥多摩奥武蔵、西上州方面までよく見えました。
VANさんのチャイムが鳴ったので、何事かと思ったらこれでした。最近の車は軽でも至れり尽くせりですね。
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VANさんのチャイムが鳴ったので、何事かと思ったらこれでした。最近の車は軽でも至れり尽くせりですね。
途中、こちらの御嶽塚にも参拝です。鷲宮大明神(東松山市今泉278)、氏子の方々が初詣の準備をされていました。
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途中、こちらの御嶽塚にも参拝です。鷲宮大明神(東松山市今泉278)、氏子の方々が初詣の準備をされていました。
御嶽三座神
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御嶽三座神
普寛行者もいらっしゃいます。
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普寛行者もいらっしゃいます。
所変わって寄居町の高根山藤源院正龍寺。花園城主藤田正行が高嶺山に筥根権現を祀り、寺を創立。藤田氏の菩提寺、北条氏邦の帰依を受ける。
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所変わって寄居町の高根山藤源院正龍寺。花園城主藤田正行が高嶺山に筥根権現を祀り、寺を創立。藤田氏の菩提寺、北条氏邦の帰依を受ける。
「八大龍王」も祀られているそう。辰年の新年早々良いめぐり合わせです。
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「八大龍王」も祀られているそう。辰年の新年早々良いめぐり合わせです。
藤田康邦は花園城と周辺の藤田郷を支配し、関東管領山内上杉家の重臣として活躍。北条氏が北関東進出する中で、氏邦を養子に迎える。
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藤田康邦は花園城と周辺の藤田郷を支配し、関東管領山内上杉家の重臣として活躍。北条氏が北関東進出する中で、氏邦を養子に迎える。
氏邦は藤田の娘大福御前を妻とし、天神山城から(長尾景春が築城した)鉢形城を改修し北関東支配の拠点とする。小田原征伐の際、開城後は前田利家預かりとなり能登七尾で晩年を過ごす。
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氏邦は藤田の娘大福御前を妻とし、天神山城から(長尾景春が築城した)鉢形城を改修し北関東支配の拠点とする。小田原征伐の際、開城後は前田利家預かりとなり能登七尾で晩年を過ごす。
藤田康邦夫妻の墓。西福御前は藤田と同じ山之内上杉家の配下、滝山城主大石氏の出身とのことです。両夫妻の墓所は墓苑の高台にあります。
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藤田康邦夫妻の墓。西福御前は藤田と同じ山之内上杉家の配下、滝山城主大石氏の出身とのことです。両夫妻の墓所は墓苑の高台にあります。
そこからの眺め。関東では平穏な元日になりましたが、氏邦が晩年を過ごした七尾など石川県周辺は大地震と津波等の甚大な被害がありました。
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そこからの眺め。関東では平穏な元日になりましたが、氏邦が晩年を過ごした七尾など石川県周辺は大地震と津波等の甚大な被害がありました。
大福御前自刃の地。前田利家を総大将とする豊臣軍に、鉢形城は一か月に及ぶ籠城で対抗。攻め手の先鋒隊長だった藤田信吉は大福御前の実弟。
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大福御前自刃の地。前田利家を総大将とする豊臣軍に、鉢形城は一か月に及ぶ籠城で対抗。攻め手の先鋒隊長だった藤田信吉は大福御前の実弟。
姉の願いを受け和睦開城に応じたという。結果的に大福御前は多くの家臣の命を救うこととなった。その後剃髪して正龍寺に入り、普門品読経の千日満願の日に自刃したという。
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姉の願いを受け和睦開城に応じたという。結果的に大福御前は多くの家臣の命を救うこととなった。その後剃髪して正龍寺に入り、普門品読経の千日満願の日に自刃したという。
それではここからスタートです。
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それではここからスタートです。
藤田善導寺。こちらも藤田氏の菩提寺。花園城主藤田康邦、鉢形城主北条氏邦の帰依を受け繫栄したが、小田原征伐の際に破壊され衰退。家康入府後復興される。
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藤田善導寺。こちらも藤田氏の菩提寺。花園城主藤田康邦、鉢形城主北条氏邦の帰依を受け繫栄したが、小田原征伐の際に破壊され衰退。家康入府後復興される。
秩父鉄道沿線の路に、
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秩父鉄道沿線の路に、
花園城の入口。御朱印や縄張図が用意されていました。
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花園城の入口。御朱印や縄張図が用意されていました。
諏訪神社。ここを経由していくみたいです。
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諏訪神社。ここを経由していくみたいです。
何とこちらにも木曽御嶽山が祀られているようです。
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何とこちらにも木曽御嶽山が祀られているようです。
登拝碑(明治三十七年、講元柴崎仙左衛門、當所平賀才次郎)と昭和50年代の石碑。
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登拝碑(明治三十七年、講元柴崎仙左衛門、當所平賀才次郎)と昭和50年代の石碑。
諏訪神社拝殿の天井絵。
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諏訪神社拝殿の天井絵。
拝殿の左手に御嶽塚がありました。
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拝殿の左手に御嶽塚がありました。
昭和30年代、50年代、平成と比較的新しい石碑が並んでいます。
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昭和30年代、50年代、平成と比較的新しい石碑が並んでいます。
「八大龍王」(昭和31年、先達正宝大森竹吉)
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「八大龍王」(昭和31年、先達正宝大森竹吉)
「七鬼神」(昭和31年、先達正宝大森竹吉)、こちらはお初ですね。疫病、流行り病退散の願掛けでしょうか。
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「七鬼神」(昭和31年、先達正宝大森竹吉)、こちらはお初ですね。疫病、流行り病退散の願掛けでしょうか。
塚の中央に立つ「御嶽山大神 八海山大神/三笠山大神」塔
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塚の中央に立つ「御嶽山大神 八海山大神/三笠山大神」塔
背面には「昭和六年十月吉日建之 寄附者一同 先達権大講義田島啓三郎 元宿講々元先達設楽市五郎」
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背面には「昭和六年十月吉日建之 寄附者一同 先達権大講義田島啓三郎 元宿講々元先達設楽市五郎」
社殿右手の稲荷社の裏から登城します。
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社殿右手の稲荷社の裏から登城します。
こちらの竪堀が登路になっています。隣にはもう一本竪堀があります。藤田系城郭の特徴とのこと。
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こちらの竪堀が登路になっています。隣にはもう一本竪堀があります。藤田系城郭の特徴とのこと。
登って来た道(竪堀)の振り返り。
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登って来た道(竪堀)の振り返り。
左手の腰郭
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左手の腰郭
右手の腰郭のは石積がありました。
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右手の腰郭のは石積がありました。
登路の竪堀は郭2に突き当たり、右にクランクして、
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登路の竪堀は郭2に突き当たり、右にクランクして、
その先でさらに右にクランクします。桝形虎口でしょうか。そしてそれが、
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その先でさらに右にクランクします。桝形虎口でしょうか。そしてそれが、
郭2(左)と郭3の堀切3になっています。
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郭2(左)と郭3の堀切3になっています。
その際は急斜面。
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その際は急斜面。
郭3に上がりました。
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郭3に上がりました。
郭3(右)と東郭の堀切2。こちらも南に桝形を経て竪堀になります。
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郭3(右)と東郭の堀切2。こちらも南に桝形を経て竪堀になります。
東郭には少々笹藪、
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東郭には少々笹藪、
堀切1は結構な高度感があります。
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堀切1は結構な高度感があります。
堀切1、右が東郭。
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堀切1、右が東郭。
その先は平坦な尾根。
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その先は平坦な尾根。
善導寺の上、地形図破線の峠まで来ました。戻ります。*少林寺からの帰りに北側からこの道に出ようと思いましたが、取付点が消失しているようでした。
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善導寺の上、地形図破線の峠まで来ました。戻ります。*少林寺からの帰りに北側からこの道に出ようと思いましたが、取付点が消失しているようでした。
堀切1
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堀切1
堀切1
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堀切1
東郭
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東郭
東郭の腰郭
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東郭の腰郭
堀切2
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堀切2
堀切3
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堀切3
堀切3
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堀切3
堀切3、その下方で右にクランクしています。
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堀切3、その下方で右にクランクしています。
郭2の腰郭から
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郭2の腰郭から
斜面を上ると、
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斜面を上ると、
郭2です。
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郭2です。
郭2西方の石積。
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郭2西方の石積。
北側の眺め
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北側の眺め
堀切4。左が郭2、右が本郭です。
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堀切4。左が郭2、右が本郭です。
本郭には土塁がありました。
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本郭には土塁がありました。
本郭の西に
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本郭の西に
花園城跡碑。思いがけない立派さに驚きです。
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花園城跡碑。思いがけない立派さに驚きです。
堀切5。その先に腰郭が見えます・
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堀切5。その先に腰郭が見えます・
城跡見学コースはこの堀切を左に下山するようです。
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城跡見学コースはこの堀切を左に下山するようです。
堀切5からの本郭、高度差がありますね。
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堀切5からの本郭、高度差がありますね。
その先尾根筋を西から西北方面に下り、
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その先尾根筋を西から西北方面に下り、
最後は竪堀のような所を下りました。
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最後は竪堀のような所を下りました。
花園山北を取り巻くような沢に降りました。
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花園山北を取り巻くような沢に降りました。
広い平場に出ました。花園城址、堪能しました。ここは勉強になりますね。
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広い平場に出ました。花園城址、堪能しました。ここは勉強になりますね。
次は花園御嶽に向かいましたが、参道の途中に出てしまったので、いったん入口まで下ります。
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次は花園御嶽に向かいましたが、参道の途中に出てしまったので、いったん入口まで下ります。
入口の鳥居を過ぎて、何かあるかな?と思ってここまで戻りました。「道守護」(昭和二年四月九日)がありました。
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入口の鳥居を過ぎて、何かあるかな?と思ってここまで戻りました。「道守護」(昭和二年四月九日)がありました。
再び鳥居まで戻って仕切り直しです。お正月用に新調された紙垂が強風に煽られています。
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再び鳥居まで戻って仕切り直しです。お正月用に新調された紙垂が強風に煽られています。
参道の落ち葉も綺麗にお掃除されていました。
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参道の落ち葉も綺麗にお掃除されていました。
?な石碑(大正十五年四月建、1926)、願主銘の方々から御嶽関連であることは間違いないでしょう。
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?な石碑(大正十五年四月建、1926)、願主銘の方々から御嶽関連であることは間違いないでしょう。
山頂部への入口には石鳥居がありました。傍らの石碑には、多数の寄附者芳名と、
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山頂部への入口には石鳥居がありました。傍らの石碑には、多数の寄附者芳名と、
「昭和十二年四月竣工 二代目大先達馬場武則 脇先達吉田義市 世話人大沢喜三郎/石工影山兄弟 鳥居工清水藤太郎 竹洲書」
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「昭和十二年四月竣工 二代目大先達馬場武則 脇先達吉田義市 世話人大沢喜三郎/石工影山兄弟 鳥居工清水藤太郎 竹洲書」
鳥居の先は土橋があり、その両側は空堀になっています。
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鳥居の先は土橋があり、その両側は空堀になっています。
登り口の両脇にはなぜかお狐さん。
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登り口の両脇にはなぜかお狐さん。
あまり見かけない独特なフォルムです。
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あまり見かけない独特なフォルムです。
子狐ちゃんがケンケンのような舌なめずりをしています(笑)。
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子狐ちゃんがケンケンのような舌なめずりをしています(笑)。
「御嶽山五十年記念碑 竹峰 設楽武五郎書」「昭和九年四月九日建之」二代目先達馬場武則、世話人に大沢喜三郎などの銘、
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「御嶽山五十年記念碑 竹峰 設楽武五郎書」「昭和九年四月九日建之」二代目先達馬場武則、世話人に大沢喜三郎などの銘、
一番左に「石工 影山勢司」ちなみに50年前は明治17年(1884)。
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一番左に「石工 影山勢司」ちなみに50年前は明治17年(1884)。
開心霊神碑の背面「開祖渡邊辨次郎霊 大正九年九月四日建之(1920)末野樋春講」
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開心霊神碑の背面「開祖渡邊辨次郎霊 大正九年九月四日建之(1920)末野樋春講」
山頂部左側の石碑群。
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山頂部左側の石碑群。
一心霊神「明治十八年四月九日(1885) 小峯定吉 大沢喜三郎」
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一心霊神「明治十八年四月九日(1885) 小峯定吉 大沢喜三郎」
<〇三>普寛霊神「明治十八年酉四月九日(1885)建之 吉田才次郎 大沢惣八」
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<〇三>普寛霊神「明治十八年酉四月九日(1885)建之 吉田才次郎 大沢惣八」
右側の石碑群。まずは金剛神社「明治三十年三月十七日(1897)大里郡折原村大字秋山 佐藤近治郎立」
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右側の石碑群。まずは金剛神社「明治三十年三月十七日(1897)大里郡折原村大字秋山 佐藤近治郎立」
弘法大師「昭和二年二月吉日 朝香重男建」
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弘法大師「昭和二年二月吉日 朝香重男建」
長崎大神「大正十三年一月吉日(1924) 朝香重男建」
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長崎大神「大正十三年一月吉日(1924) 朝香重男建」
青龍波羅伊門大神「明治十九年四月吉日(1886) 浅見伊三郎」*祓戸大神のことでしょうか?近くの寄居保田原に波羅伊門神社があるみたいです、
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青龍波羅伊門大神「明治十九年四月吉日(1886) 浅見伊三郎」*祓戸大神のことでしょうか?近くの寄居保田原に波羅伊門神社があるみたいです、
覚明霊神碑が2基並んでいます。左「鈴木モセ/<欠>十八年十月」右「明治廿一年九月日(1888)吉田助次郎建」
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覚明霊神碑が2基並んでいます。左「鈴木モセ/<欠>十八年十月」右「明治廿一年九月日(1888)吉田助次郎建」
立派な䗝影山大神がありました。「明治二十一年三月吉日 願主小峯定吉 渡辺辨次郎」
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立派な䗝影山大神がありました。「明治二十一年三月吉日 願主小峯定吉 渡辺辨次郎」
大江大権現「明治廿八年四月十二日(1895) 吉田喜作(建之)」
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大江大権現「明治廿八年四月十二日(1895) 吉田喜作(建之)」
摩利支尊天「明治十八年酉四月九日(1885)建之」
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摩利支尊天「明治十八年酉四月九日(1885)建之」
武尊山大神「明治二十三年寅中秋(1890) 岩田福太郎建之」
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武尊山大神「明治二十三年寅中秋(1890) 岩田福太郎建之」
日本武尊「明治廿三年八月廿八日 岩田福太郎建之」
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日本武尊「明治廿三年八月廿八日 岩田福太郎建之」
高尾山飯縄大権現「大正十二年(1923) 岩田儀二郎建之」、半僧坊大権現「設楽竹五郎」、猿田彦大神「明治廿六年 亖月吉日(1893)」、庚申塔
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高尾山飯縄大権現「大正十二年(1923) 岩田儀二郎建之」、半僧坊大権現「設楽竹五郎」、猿田彦大神「明治廿六年 亖月吉日(1893)」、庚申塔
祠かな。
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祠かな。
國柱大神「紀元二千六百年 昭和十六年十二月」、東郷平八郎大神、乃木希典大神。御時勢ですかね。
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國柱大神「紀元二千六百年 昭和十六年十二月」、東郷平八郎大神、乃木希典大神。御時勢ですかね。
八海山から右手の石造物、左から
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八海山から右手の石造物、左から
両神山 二柱神社「昭和二十年四月九日」
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両神山 二柱神社「昭和二十年四月九日」
八幡大神「昭和十八年一月吉日建之 岩田氏世話人講社一同」
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八幡大神「昭和十八年一月吉日建之 岩田氏世話人講社一同」
夛賀神社「明治十八年 亖月九日(1885)大澤徳太郎」
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夛賀神社「明治十八年 亖月九日(1885)大澤徳太郎」
妙見尊神「村内講中 明治十八年 亖月九日(1885)大澤徳太郎」
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妙見尊神「村内講中 明治十八年 亖月九日(1885)大澤徳太郎」
かわいい御嶽山大神
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かわいい御嶽山大神
三笠山左手の石造物、左から
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三笠山左手の石造物、左から
意波羅大神「明治廿三年秋 願主岩田福太郎」
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意波羅大神「明治廿三年秋 願主岩田福太郎」
「大己貴命 少彦名命 村中安全 馬場武(憲)」「明治十九年九月九日」
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「大己貴命 少彦名命 村中安全 馬場武(憲)」「明治十九年九月九日」
天手長男命「信徒中発起人 吉田才次郎 渡邊栄三郎 大澤喜三郎 今井伝太郎」
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天手長男命「信徒中発起人 吉田才次郎 渡邊栄三郎 大澤喜三郎 今井伝太郎」
日野大神、背面に
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日野大神、背面に
「<樋、ヤマ三>明治十八年九月九日(1885) 大社長中講義馬場武憲建之
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「<樋、ヤマ三>明治十八年九月九日(1885) 大社長中講義馬場武憲建之
石寄附影山四郎平(兵衛) 信斑羂貌畄款絽饗疾亶小原古平兵衛門人 影山喜三郎真件 」
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石寄附影山四郎平(兵衛) 信斑羂貌畄款絽饗疾亶小原古平兵衛門人 影山喜三郎真件 」
そして山頂部中央に鎮座する三座神。
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そして山頂部中央に鎮座する三座神。
右に八海山大神「明治十八年四月九日(1885)再建 発起渡邊辨次郎 石寄附浅見伊三郎」
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右に八海山大神「明治十八年四月九日(1885)再建 発起渡邊辨次郎 石寄附浅見伊三郎」
八海山です。
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八海山です。
左は三笠山大神「明治十八年四月九日再建 大澤喜三郎」
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左は三笠山大神「明治十八年四月九日再建 大澤喜三郎」
三笠山です。
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三笠山です。
中央には御嶽山大神
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中央には御嶽山大神
そして御嶽山いただきました。
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そして御嶽山いただきました。
「<ヤマ三 樋>明治十八酉年四月九日再建 発起人吉田才次郎 石寄附浅見伊三郎」
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「<ヤマ三 樋>明治十八酉年四月九日再建 発起人吉田才次郎 石寄附浅見伊三郎」
以上、本郭には石造物がいっぱい。続いて花園御嶽城址見学の部です。
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以上、本郭には石造物がいっぱい。続いて花園御嶽城址見学の部です。
本郭北側に腰郭があるみたいなので降りてみます。
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本郭北側に腰郭があるみたいなので降りてみます。
陣見山方面だったかな。
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陣見山方面だったかな。
腰郭
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腰郭
横堀。左が本郭の斜面です。
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横堀。左が本郭の斜面です。
本郭を取り囲んでいます。
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本郭を取り囲んでいます。
さらに続きます。
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1/1 14:00
さらに続きます。
南側の腰郭
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1/1 14:00
南側の腰郭
再び横堀になって鳥居の所の土橋に突き当たります。
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再び横堀になって鳥居の所の土橋に突き当たります。
土橋を越えて進むと北側の竪堀になりました。
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土橋を越えて進むと北側の竪堀になりました。
トラバースして降りた地点に戻り、
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1/1 14:06
トラバースして降りた地点に戻り、
本郭に登り返しました。
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1/1 14:08
本郭に登り返しました。
石段を下りて鳥居をくぐって先に進むと二の郭。急傾斜を降りて羅漢山方面へ。
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石段を下りて鳥居をくぐって先に進むと二の郭。急傾斜を降りて羅漢山方面へ。
円良田湖方面分岐
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円良田湖方面分岐
山に向かって左側が五百羅漢エリア、右側が千体荒神エリアになっているようです。天保3年(1832)24代大純万明和尚が地元から中山道深谷宿から江戸まで6年間浄財を集めて成し遂げたとあります。
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山に向かって左側が五百羅漢エリア、右側が千体荒神エリアになっているようです。天保3年(1832)24代大純万明和尚が地元から中山道深谷宿から江戸まで6年間浄財を集めて成し遂げたとあります。
こちらが現存960余りの千体荒神碑の並ぶ参道。今回はパス。
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こちらが現存960余りの千体荒神碑の並ぶ参道。今回はパス。
殆どが文字塔ですが、時々「千躰三宝荒神王」像があるようです。
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殆どが文字塔ですが、時々「千躰三宝荒神王」像があるようです。
山頂部に戻って、石燈籠。「奉献 光巖寺檀家中」
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山頂部に戻って、石燈籠。「奉献 光巖寺檀家中」
「天保二卯年四月(1831) 大純代」
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「天保二卯年四月(1831) 大純代」
羅漢山山頂に安置された釈迦三尊像とそれを取り囲むように十六羅漢像が配されています。
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羅漢山山頂に安置された釈迦三尊像とそれを取り囲むように十六羅漢像が配されています。
お釈迦様と右に文殊菩薩、左に普賢菩薩。
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お釈迦様と右に文殊菩薩、左に普賢菩薩。
釈迦如来坐像。思ったよりも大きいです。低山とはいえ運び上げるのは相当大変だったでしょうね。
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釈迦如来坐像。思ったよりも大きいです。低山とはいえ運び上げるのは相当大変だったでしょうね。
敷茄子には獅子像。彩色が少し残っています。
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敷茄子には獅子像。彩色が少し残っています。
お釈迦様の御尊顔。
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お釈迦様の御尊顔。
「十七才 義智」石工銘のようです。
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「十七才 義智」石工銘のようです。
「施主 江戸青山 渡邊庄㔫エ門」
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「施主 江戸青山 渡邊庄㔫エ門」
「惟時天保二卯年四月十五日(1831) 當山廿四世 大純代造栄」
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「惟時天保二卯年四月十五日(1831) 當山廿四世 大純代造栄」
「石工棟梁 中山道吹上村 新井宇之助(春智)」
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「石工棟梁 中山道吹上村 新井宇之助(春智)」
獅子像
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獅子像
その獅子に乗る文殊菩薩像
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その獅子に乗る文殊菩薩像
文珠様のお顔。
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文珠様のお顔。
背面に「羽生村 関口粂吉置虎作之」
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背面に「羽生村 関口粂吉置虎作之」
台石「江戸赤坂新店 <爲菩提>施主相模屋幸七」
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台石「江戸赤坂新店 <爲菩提>施主相模屋幸七」
一方、象に乗る普賢菩薩像
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一方、象に乗る普賢菩薩像
無限菩薩様のお顔
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無限菩薩様のお顔
牙や鼻先が折れているようです。
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牙や鼻先が折れているようです。
「吹上宿新井熊太郎義智 十七歳之時作之」
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「吹上宿新井熊太郎義智 十七歳之時作之」
台石「越後産人<爲菩提>施主本鏡尼」
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台石「越後産人<爲菩提>施主本鏡尼」
十六羅漢像
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十六羅漢像
十六羅漢像
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十六羅漢像
羅漢の中に聖観音立像「施主江戸麹町 寅屋久兵衛」
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羅漢の中に聖観音立像「施主江戸麹町 寅屋久兵衛」
十六羅漢像
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十六羅漢像
十六羅漢像
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十六羅漢像
十六羅漢像
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十六羅漢像
十六羅漢像
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十六羅漢像
ここから五百羅漢エリア。
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ここから五百羅漢エリア。
日向ぼっこ
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日向ぼっこ
嫌な事は聞きたくないですね。
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嫌な事は聞きたくないですね。
参道に行列ができています。
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参道に行列ができています。
生きる
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生きる
正平ちゃん?
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正平ちゃん?
話のタネ、面白いですね。
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話のタネ、面白いですね。
♪スシ食いねエ!
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♪スシ食いねエ!
駿河屋では過重労働なのかな。
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駿河屋では過重労働なのかな。
お目当ての龍はここにいました。下り龍。昇り龍も何処かにあるのかな?
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お目当ての龍はここにいました。下り龍。昇り龍も何処かにあるのかな?
良い龍像だと思ったら「足立郡 中山道
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良い龍像だと思ったら「足立郡 中山道
吹上新井宇之(助)」どうやらこの龍像は頂上のお釈迦様と同じ石工さんによるものですね。
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吹上新井宇之(助)」どうやらこの龍像は頂上のお釈迦様と同じ石工さんによるものですね。
「天保三壬辰歳三月二十(1832)」
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「天保三壬辰歳三月二十(1832)」
これが乃木大将の父が寄進した三宝大荒神碑のようです。
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これが乃木大将の父が寄進した三宝大荒神碑のようです。
千体荒神の参道は次回にいたしましょう。
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千体荒神の参道は次回にいたしましょう。
青石板碑と五百羅漢像。
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青石板碑と五百羅漢像。
こちらは如意輪観音様「<カケ>待供養 享保十七壬子祀(1732)武反座郡末野村下宿善女十八人」
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こちらは如意輪観音様「<カケ>待供養 享保十七壬子祀(1732)武反座郡末野村下宿善女十八人」
下山して少林寺
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下山して少林寺
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花園山を見上げる。
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花園山を見上げる。
参道の傍らには「不許入葷酒山門(嘉永元年、1848)」
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参道の傍らには「不許入葷酒山門(嘉永元年、1848)」
花薗城跡の北側の登り口がここにありました。
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花薗城跡の北側の登り口がここにありました。
善導寺上の峠に行く入口がわからずに、その先の作業路から入りました」。
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善導寺上の峠に行く入口がわからずに、その先の作業路から入りました」。
沢筋を登ります。
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沢筋を登ります。
途中で左岸の尾根に乗り、
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途中で左岸の尾根に乗り、
高根山に至る道に出ました。時間がないので下山方向へ。
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高根山に至る道に出ました。時間がないので下山方向へ。
途中、シュートカットを企み藪道へ。
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途中、シュートカットを企み藪道へ。
結局、作業道を右往左往することとなり、
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結局、作業道を右往左往することとなり、
作業路のどん詰まりから斜面を下り、
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作業路のどん詰まりから斜面を下り、
沢筋を行くと
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沢筋を行くと
道形が現れ、
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道形が現れ、
安心の道に出ました。
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安心の道に出ました。
すると、朝の氏邦公らの墓所の所に出ました。
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すると、朝の氏邦公らの墓所の所に出ました。
本尊にお礼してゴールです。
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本尊にお礼してゴールです。
またまた、激遅コメントで失礼します。
先日、「秩父路の石佛」という本を見ていたところ、少林寺五百羅漢群というのが出てきて、godohanさんが歩いているかなと検索したら、このレコがヒットしました。で、びっくり。今年の元旦のレコを見逃していたことに気づきました。なんという失態。偶然にも検索してみてよかったです。
元旦から、すごく充実でしたね。富士山がこんなにきれいに大きく見える。VANさんは、012345を出す。これは縁起が良すぎ、新年から最高のスタートでしたね。
神社に、御嶽塚に、城址、石造物いっぱいの本郭、釈迦三尊像に十六羅漢像から五百羅漢、そして干支の龍。千躰荒神碑をパスしても、げっぷが出る程の石分補給で、真剣に見ていると相当疲れそうですね。特に、文殊菩薩と普賢菩薩がいいなぁと思いました。
いつか拝見しに伺おうと思います✨
その様な本があるんですね。おかげでレコを見つけてもらってありがたいです!
花園御嶽はこれほどと思わずホントげっぷ状態でしたが、今でもきれいにされていて気持ちよかったです。釈迦三尊は少し草ぼうぼうでしたが、銘もあったので読んで見ました。お山としてはお気楽なので、石分補給がなければ(笑)、お隣の鐘撞堂山(このあたりでは大人気のお山です)とセットにすれば、歩きごたえもあると思います。
最後は日没ギリにもなってしまい、元旦から何やってんだろう的な山行になってしまいましたが、私的には楽しい?お山初めとなりました。コメントありがとうございました。 godohan
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