梅雨の晴れ間に大山へ
- GPS
- 05:32
- 距離
- 7.6km
- 登り
- 962m
- 下り
- 953m
コースタイム
9:43 登山口(大山寺橋側)
9:59 一合目
10:12 二合目
10:24 三合目
10:35 四合目
10:44 五合目
10:57 六合目避難小屋 10:59
11:10 七合目
11:33 八合目
11:42 九合目
11:51 弥山頂上
12:43 お昼休憩後下山開始
12:55 石室方面との分岐
13:10 石室
13:19 分岐
13:52 六合目避難小屋 13:55
14:06 行者コースの分岐
14:28 元谷へでる
14:35 行者登山口分岐
14:47 元谷・下宝珠越分岐
14:49 大神山神社奥の院 14:55
15:14 南光河原駐車場
天候 | 晴れ時々薄曇り(ガス)のち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
9時半過ぎで、平日なのに、すでに満車近く… キャンプ場の駐車場には、空きがあるように見えました。 離れますが、駐車場はほかにもあるから、大丈夫かと… |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険はないですが、階段石段、砂利ゴロゴロ…。 気を付けて歩きましょう… |
その他周辺情報 | トイレは、駐車場にあります。 頂上の小屋にもありますが、決まりを守って、自然に優しく利用しましょう… |
写真
感想
当初の天気予報が、かなり改善してたので、久々に大山に。
着いた当初は、ガスっていて、霞んでいたけれど、頂上にしばらくいたら、
霞んでいるものの、弓ヶ浜もきれいに見えて結構感動!
下りに、久々に石室方面を歩いたけど、
大山の上の木道ぐるりの道は、天空の道のよう。
かなり気持ちよかったです(^^
帰り道で、ガスの晴れた大山を見て、少し前にいた場所が見えた時に、
何気に、かなり感動しました。
山陰地方出身の私にとって、大山って、なんだか、特別な存在だなって。
標高は、2000mもないけど、中国地方では、一番高い山だから、
その存在感と、姿の美しさ…
やっぱ、いい山ですね。
余談ですが、地元の人は、伯耆大山とはあまり言わないかな。
普通に、『大山』です。
伯耆大山とヤマレコで書いている人を見ると、
地元の人じゃないんだなって思います(^^;
実は、今回、大山に来て、確かめたかったことが一つあって…
昔々・・・、小学校の遠足で大山に来た時に、
今の夏山登山道でないところを登った記憶があって…
何度も大山に来ていても、それがどこだかわからなくて…
春に、吉和冠で出会った方に、
『舛水高原の所から、以前は、正面登山道というのがあった』と聞いたので、
廃道になった、その道が見れないかなって思ったのですが…
頂上について、その先の広場でご飯食べたという、遠足の記憶。
途中の登山道で、森の中、細めの道を横移動したという記憶。
今回、改めて、大山の頂上の風景を見てみるも、その記憶に合致する場所はなく…
お弁当を食べた、あの広場ってどこだったんだろう??
今みたいに木道はない時期だから、頂上前の木道の広場が、その広場だったのかな?
記憶だと、夏山登山道とは反対方面から頂上に着いて、
その後、白い砂地の広場に行ったという記憶が…。
下りで、ダイセンキャラボクの木の間に、深く切れ込んだ道があって、
その道を歩いた。自分よりはるか上にあるダイセンキャラボクの木。
この道は、たぶん、今の木道の下。
だから、下りは、夏山登山道を下ったんだと…
石室方面を久々に歩き、舛水高原からの道を探してみるけど、結局わからなかった。
ちなみに、ヤマレコのルート図を手書き入力する時に、
いろんな人の軌跡が見れるのだけど、その中にある、舛水高原から登った軌跡だと、
ほぼ直登。横移動はなさそう…
とりあえず、結果的には、全く何もわからなかったけど、
改めて、ゆっくりと山頂付近を歩いてみて、
天空に続く木道がとてもいい感じだったので、かなり満足の大山でした(^^
ちいさいころの記憶をたどっての登山 いいですね
旧正面道は前半の森の中で数回ジグザグを切って最後は西に大きくトラバース気味に行き小さな堰堤を越えてから上方向に向かっていくイメージです。
森林限界を越え小灌木帯を過ぎると岩尾根を数メートルのジグザグを繰り返して急登りして行きます。台地の入口はあそこ。以前は小屋から少し下がった北壁側に砂の広場が有ったようです
最近は大山もメジャーになってきて「ダイセン」の認知度も上がってきて嬉しいことです。ヤマレコに「大山」でレコがあがっているのは13山有るようです。
ダイセン以外はおおやまと呼ぶようです。
特に丹沢山系の大山(おおやま)はレコ数4500以上でダイセンのレコ数1800件余りと増えた今日でも半分になりません。レコ始めた当初は紛らわしくてそれ以来「伯耆大山」と表記しています。伯耆国の宣伝も兼ねた郷土愛もちょっこし
私が知りたかったことを、全部教えていただいて、ありがとうございます!
記憶の登山道は、やっぱり、この正面登山道だったのですね。
遥か昔のことなので、全体の道中なんて全然思い出せないのですが、
怖かった木々の中の細い横移動の道と、頂上の白い広場の景色だけを、
今でも、かなり鮮明に思い出すんですよ。
あれはいったいどこだったのか、と、ずっと思っていました。
吉和冠で出会った方が、舛水高原側には、通行禁止の看板はないけど、
登山道の頂上側には通行禁止と出ていると言われていて、
舛水高原側に看板が出ていたのは、あの池の所だけだったので、
あそこかなって思ったのですが、やっぱり、あの池の道ということなのですね?
池の先の上の方に、ちょっとした裸地が見えました。あの先に道は続くのですかねぇ??
そして、白い広場もあったんですね!
今見ても、そんな広場はないので、違う山の記憶だったのかな?って思ったりしていました。
今は、もう、植生が復活して、緑のエリアの中なのですね。
なんだか、とても、すっきりしました
廃道なので、歩くことができないのが、残念です
伯耆国の宣伝、いいですね(^^
私は、小さいころから、ずっと、大山だったので、やっぱり、ここは『大山』かなって(^^;
他に同じ名前の山があるとしても、あくまでも、唯一無二の『大山』だと思うのですよね。
私の、ちょっとした、小さなこだわりです(^^;
でも、名前がどうであれ、誇れる山であることには変わりありません(^^
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