林道沿いの休憩舎跡地に駐車して、対面の纏のリス君の辺りから取り付きます。
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4/6 9:44
林道沿いの休憩舎跡地に駐車して、対面の纏のリス君の辺りから取り付きます。
てっきり太田部峠だと思ったら、その手前の鞍部でした。でも道があったのでそのまま下りました。
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4/6 9:53
てっきり太田部峠だと思ったら、その手前の鞍部でした。でも道があったのでそのまま下りました。
山肌をトラバースする道のようです。塚山が見えています。
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4/6 10:05
山肌をトラバースする道のようです。塚山が見えています。
この辺りで想定していた太田部峠からの道に合流。
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4/6 10:17
この辺りで想定していた太田部峠からの道に合流。
堀切の様な尾根道
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4/6 10:27
堀切の様な尾根道
尾根上で、石祠バラバラ事件に遭遇、このぐらいの大きさでも石の屋根って結構重いですね。
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4/6 10:29
尾根上で、石祠バラバラ事件に遭遇、このぐらいの大きさでも石の屋根って結構重いですね。
「昭和三年一月改造/新井邦次」
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4/6 10:34
「昭和三年一月改造/新井邦次」
これから向かう塚山と竹ノ芽山。一旦、太田部集落まで下って登り返します。
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4/6 10:35
これから向かう塚山と竹ノ芽山。一旦、太田部集落まで下って登り返します。
ちょっと藪が煩くなります。獣除けネットや錯綜する作業路にちょっと難儀しました。
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4/6 10:38
ちょっと藪が煩くなります。獣除けネットや錯綜する作業路にちょっと難儀しました。
権田橋の所に出て、集落に入ります。
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4/6 11:20
権田橋の所に出て、集落に入ります。
菜の花の石垣。ドーハンを探せ!にしてみました。
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4/6 11:41
菜の花の石垣。ドーハンを探せ!にしてみました。
寺跡のような気がします。対面は下って来た太田部峠方面。
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4/6 11:47
寺跡のような気がします。対面は下って来た太田部峠方面。
林道に交差する所に「塚山古墳群」入口の標柱。
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4/6 12:14
林道に交差する所に「塚山古墳群」入口の標柱。
いくつかこんもりした所がありましたが、古墳かどうかは確証は持てない感じ。
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4/6 12:35
いくつかこんもりした所がありましたが、古墳かどうかは確証は持てない感じ。
頂上部が掘られた(盗掘跡?)所もいくつかありましたが…
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4/6 12:38
頂上部が掘られた(盗掘跡?)所もいくつかありましたが…
小屋跡かな?
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4/6 12:40
小屋跡かな?
お目当ての石塚(磐座)はこちらのようですね。
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4/6 12:48
お目当ての石塚(磐座)はこちらのようですね。
調査前に一寸腹ごしらえします。
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4/6 12:52
調査前に一寸腹ごしらえします。
磐座の少し下方に、神域の入口の両脇に石燈籠がありました。左側の燈籠、倒壊しています。
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4/6 13:04
磐座の少し下方に、神域の入口の両脇に石燈籠がありました。左側の燈籠、倒壊しています。
こちらは右側の燈籠、さらにその先に
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こちらは右側の燈籠、さらにその先に
自然の仕業でしょうか?さらにかなり離れた所に、
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4/6 13:04
自然の仕業でしょうか?さらにかなり離れた所に、
火袋がありました。ここまで転がってきたのかなぁ。
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4/6 13:05
火袋がありました。ここまで転がってきたのかなぁ。
左の物から見ていきます。竿の正面は「御神燈」
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左の物から見ていきます。竿の正面は「御神燈」
竿右面「萬延二年酉三月十五日(1861) 別當千手院 兼帯 常正院 宥儀建立之」 『秩父廃寺録』によれば千手院、常正院どちらも太田部にあった寺のようです。
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竿右面「萬延二年酉三月十五日(1861) 別當千手院 兼帯 常正院 宥儀建立之」 『秩父廃寺録』によれば千手院、常正院どちらも太田部にあった寺のようです。
台石正面「小指□治郎 上井恒蔵 同久兵エ <材木>山内一統 庄屋富吉 <*遠州水久保>三浦善兵エ <上吉田村>高之助 <生利村>黒田久四郎」 *遠州水窪のことでしょうか。
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台石正面「小指□治郎 上井恒蔵 同久兵エ <材木>山内一統 庄屋富吉 <*遠州水久保>三浦善兵エ <上吉田村>高之助 <生利村>黒田久四郎」 *遠州水窪のことでしょうか。
台石右面「<小平>茂木(紋)太 <同>同庄馬 <同>新井勝之烝 <同村>同四方七 <同村>黒田久四郎 <麻生>黒沢学之助 <石間>高岸儀助 <日尾>和田子之作」
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台石右面「<小平>茂木(紋)太 <同>同庄馬 <同>新井勝之烝 <同村>同四方七 <同村>黒田久四郎 <麻生>黒沢学之助 <石間>高岸儀助 <日尾>和田子之作」
台石左面「<小平村>小林栄助 同弥吉 同林平 菅野啓造 黒沢半平 茂木□之助 新井晴之烝 <柏木村>荒井利右エ門」
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台石左面「<小平村>小林栄助 同弥吉 同林平 菅野啓造 黒沢半平 茂木□之助 新井晴之烝 <柏木村>荒井利右エ門」
台石背面「太田部嘉 同兵蔵 同辰次郎」太田部さんという方がおられたのですね。
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4/6 13:35
台石背面「太田部嘉 同兵蔵 同辰次郎」太田部さんという方がおられたのですね。
左の倒れ落ちた燈籠の竿、正面は「御神燈」、左に「別當千手院 當村中」左の物より若干新しいように思います。
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4/6 13:39
左の倒れ落ちた燈籠の竿、正面は「御神燈」、左に「別當千手院 當村中」左の物より若干新しいように思います。
台石の
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台石の
正面「<□□>新井重太夫 同治作 同(爲助) 同綱吉 同有甫 同徳左エ門 同豊吉 本田勘十郎」
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正面「<□□>新井重太夫 同治作 同(爲助) 同綱吉 同有甫 同徳左エ門 同豊吉 本田勘十郎」
右面「<小平村>新井武左エ門 同隆吉 同宇吉 同定右エ門 <柏木村>同善治郎 同国五郎 同市兵エ」
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右面「<小平村>新井武左エ門 同隆吉 同宇吉 同定右エ門 <柏木村>同善治郎 同国五郎 同市兵エ」
左面「<當所>上井幸助 同嘉右エ門 同錦助 新井籐八 同徳太郎 同竹蔵 同(勇)吉 山田嘉吉」
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4/6 13:45
左面「<當所>上井幸助 同嘉右エ門 同錦助 新井籐八 同徳太郎 同竹蔵 同(勇)吉 山田嘉吉」
背面にはお二人の銘「新井満五郎 黒沢友吉」もしかしたら石工さん?だとしたら間違いなく三重郎の関係者、と妄想が広がります。
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4/6 13:46
背面にはお二人の銘「新井満五郎 黒沢友吉」もしかしたら石工さん?だとしたら間違いなく三重郎の関係者、と妄想が広がります。
一応、こんな感じで整えました。力石的トレーニングでした(笑)
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4/6 13:54
一応、こんな感じで整えました。力石的トレーニングでした(笑)
磐座方面に近づくと、右に燈籠の台石。左は台石に竿「奉納御宝前」と宝珠が残っています。
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磐座方面に近づくと、右に燈籠の台石。左は台石に竿「奉納御宝前」と宝珠が残っています。
そしてお宮でもあったであろう二段の石積。塚山(大塚)神社跡ですね。
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そしてお宮でもあったであろう二段の石積。塚山(大塚)神社跡ですね。
その背後の磐座
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その背後の磐座
回り込んでみると、上部に石祠があるようです。
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4/6 13:57
回り込んでみると、上部に石祠があるようです。
「大家神社/日本武尊安鎮」等と記された新しめな御札がありました。
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「大家神社/日本武尊安鎮」等と記された新しめな御札がありました。
祠背面には「持主 宮本内匠」
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祠背面には「持主 宮本内匠」
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トーフ岩のような感じです。
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トーフ岩のような感じです。
少し登った所の岩場にも石祠が祀られていました。
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少し登った所の岩場にも石祠が祀られていました。
yamadanukiさんのレコによると、こちらが「小天狗」、先程の磐座のものが「大天狗」の祠ということです。
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yamadanukiさんのレコによると、こちらが「小天狗」、先程の磐座のものが「大天狗」の祠ということです。
「昭和五年七月十五日」
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「昭和五年七月十五日」
「大塚吉五郎建之」
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4/6 14:13
「大塚吉五郎建之」
♪懐かしいいたみだわ〜
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♪懐かしいいたみだわ〜
午後、あるいは夕方には晴れるかと期待していましたが、結局、御荷鉾山はお顔を見せませんでした。
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4/6 14:19
午後、あるいは夕方には晴れるかと期待していましたが、結局、御荷鉾山はお顔を見せませんでした。
塚山の急登
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塚山の急登
塚山とうちゃこ!
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塚山とうちゃこ!
「塚山」953.87 m三等三角点
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「塚山」953.87 m三等三角点
次の目標は竹ノ芽山です。
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次の目標は竹ノ芽山です。
直登できます。
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直登できます。
作業小屋跡のような石積が点在していました。
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作業小屋跡のような石積が点在していました。
そしてアンテナ施設の横を通り、山頂です。
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4/6 15:11
そしてアンテナ施設の横を通り、山頂です。
竹ノ芽山978m
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竹ノ芽山978m
城峯山はかろうじて山頂まで見えていましたが、少しガスっている感じでした。
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城峯山はかろうじて山頂まで見えていましたが、少しガスっている感じでした。
三ッ山方面、全然赤くない!馬酔木の白い花がやたら目立っていました。
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三ッ山方面、全然赤くない!馬酔木の白い花がやたら目立っていました。
ヒカゲツツジはちらほら。
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4/6 15:42
ヒカゲツツジはちらほら。
少しピンクの入ったお花
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4/6 15:42
少しピンクの入ったお花
さもありなんですね。
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4/6 15:43
さもありなんですね。
せっかちちゃんは幾つかさいていましたが、ほとんどがまだ蕾。
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4/6 15:46
せっかちちゃんは幾つかさいていましたが、ほとんどがまだ蕾。
毘沙門とヒトツバナ
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4/6 15:48
毘沙門とヒトツバナ
けっこうな岩場です。
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4/6 15:49
けっこうな岩場です。
ここからの奥秩父の展望がお気に入りなのですが、本日はこんな感じ。
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4/6 15:51
ここからの奥秩父の展望がお気に入りなのですが、本日はこんな感じ。
先週の観音山も何とか見える程度でした。
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4/6 15:52
先週の観音山も何とか見える程度でした。
お花が咲いていると、それに気を取られないように気をつけなければいけませんが、本日はその必要なし。
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4/6 15:55
お花が咲いていると、それに気を取られないように気をつけなければいけませんが、本日はその必要なし。
一応、アカヤシオ越しの塚山(苦しい!)
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4/6 15:57
一応、アカヤシオ越しの塚山(苦しい!)
アカヤシオは残念でしたが、今日は石分でお腹一杯になったので満足です。
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4/6 15:59
アカヤシオは残念でしたが、今日は石分でお腹一杯になったので満足です。
馬酔木のお花が♪たわわ、たわわ、たわわ、です。
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4/6 16:07
馬酔木のお花が♪たわわ、たわわ、たわわ、です。
鞍掛山850m、通過点です。
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4/6 16:14
鞍掛山850m、通過点です。
新しい林道ですが、予想通りの結果です。こんなこと百も承知で作ったのでしょうから、税金に余裕があるんですね。
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4/6 16:43
新しい林道ですが、予想通りの結果です。こんなこと百も承知で作ったのでしょうから、税金に余裕があるんですね。
意外にタフな登り返し。
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4/6 16:48
意外にタフな登り返し。
もっと平坦な尾根だと思っていたら、意外にアップダウンがあります。
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4/6 17:03
もっと平坦な尾根だと思っていたら、意外にアップダウンがあります。
そして、「幕岩」855.26 m三等三角点
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4/6 17:08
そして、「幕岩」855.26 m三等三角点
塚山越しの御荷鉾さん
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4/6 17:09
塚山越しの御荷鉾さん
雨降山は上まで見えていましたが、斜面が無残になってますね。
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4/6 17:09
雨降山は上まで見えていましたが、斜面が無残になってますね。
最後は少し藪が煩くなって、
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4/6 17:17
最後は少し藪が煩くなって、
ここが本当の太田部峠のようです。
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4/6 17:26
ここが本当の太田部峠のようです。
こちらから林道に降りました。「オリコの森」とやらの看板がありました。
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4/6 17:30
こちらから林道に降りました。「オリコの森」とやらの看板がありました。
駐車地に戻ってゴールです。
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4/6 17:36
駐車地に戻ってゴールです。
今年は例年にくらべ大分遅れているようですね。加えて標高や日当たり等一寸した加減でまた違ってくるみたいなので、見頃を見極めるのが難しいですね。また、近々訪ねてみたいと思います。それでは。 godohan
太田部塚山を周回されたのですね。出発点は違いますが私が3年前に歩いたルートとほぼ同じなので懐かしく拝見させていただきました。
太田部峠道の下りではやはり獣除けネットやヤブに苦労されたようですね。石祠バラバラ事件では復元作業お疲れ様でした。3年前の私のレコを見直したらおそらく同じ石祠の健全な状態の写真を載っけてたのでその後被害に遭ったようですね。クマさんの仕業でしょうか。
古墳群奥の神社跡、磐座の場所はやはりいいですね。写真見るだけでもあの独特の雰囲気が伝わってきます。
三ツ山のアカヤシオは今ひとつのようでちょっと残念でした。やはり全体的に花期が遅れているようですね。
またこのルートを歩いてみたくなりました。
ありがとうございました😊
その時のこたっきーさんのレコであの磐座の存在を知り、やっと訪ねることができました。ホント独特な雰囲気で神威を感ぜられる所でした。これからはまたキビシイ?時季になるので、紅葉から冬枯れの季節に再訪したい所です。
一方、古墳の方はチョット何が何だかわからない感じで、穴のあいたようなコンモリが古墳何でしょうか?何故こんな山深い所にあるのかもちょっと不思議です。一般的に古墳と言うと、権力の誇示という側面もあると習いましたが、それ程の人が生活する集落(クニ)が近くにあったのでしょうかねえ。それとも単に共同墓地的なものだったのでしょうか。古墳に御詳しいこたっきーさんの見解をお聞きできれば幸いですぅ。アカヤシオはまた行ってみます!それでは。 godohan
あとは私の完全なる妄想ですが、近くに阿久原牧があったように太田部にも大和政権に関わる馬牧があってそれを支配管理する官僚的な人物もいたのではないか、その方々が没後にあの磐座近くに祀られたのではないか、と思ったりしてます。謎は謎のままですがですがこうした妄想は楽しいですね(^^)
ここでまさかあの阿久原牧と繋がるとは!古墳もわざわざ山奥に造ったのではなく、あの磐座があってこそ、その近くに葬ることで神に近い象徴になるというお話、妙に納得できてストンと落ちました。辺境の東国の地と遠い大和との繋がりは俄かにはイメージできませんが、こういったことを基礎として色々と妄想するとホント面白いですね。本当にありがとうございました、また何かと教えてくださいませ。それでは。 godohan
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