ときがわ町:観音山〜正法寺から四国霊場八十八ヶ所巡拝碑周回〜ムラサキツツジ満開のころ


- GPS
- 01:36
- 距離
- 2.1km
- 登り
- 186m
- 下り
- 186m
コースタイム
天候 | 快晴:無風 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
正法寺裏側から始まる[四国八十八ヶ所登山道]は、狭いつづら折りで、ほとんど人が歩いていないため、枯れ枝や落ち葉も多く滑落注意。一部ルートが分りにくいところありました。霊山院方面から降りるルートでは、正法寺直前に道が崩落したようなところがありました。 |
写真
感想
♣正法寺と観音山
Nima さんの2023年12月09日レポ「ときがわ町どんぐり山〜観音山そして四国八十八巡り-今年最後の紅葉🍁狩り」https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-6259813.html で、観音山に四国八十八巡りというものがあることを知りました。どこかと見てみると、正法寺(しょうぼうじ)という禅寺のところでした。
「これは?」と感じたのは、「四国八十八巡り」という情報でした。正法寺は、二、三度訪れたことがあり、そのすぐ近くに、こんな面白そうなところがあるなんて、知りませんでした。急にワクワクして、その現場を、私も歩いてみたくなっていたところ、正法寺の閑栖和尚のお話を聞ける機会があり、その後に、観音山の八十八巡りへの登り口を教えていただきました。
山の話から逸れますが、正法寺の閑栖和尚は91歳、小柄ですが俊敏でものすごく元気なお方でした。そのお話振りは、落語家のよう。抹香臭い話は皆無、次から次へと話題がぞろぞろ……「S」の付く話題まで出てきます。思わず引き込まれ、あっと言う間に3時間超。昼にかかってしまい、寺庭様には昼食のご迷惑をかけてしまいました。感謝。
こうして時間が15時に迫りました。山歩きでは危険なタイミングではありましたが、ご案内いただいた正法寺の裏側の階段からの道順を辿り、閑栖和尚にはコロナ禍で巡拝路の清掃が疎かになっていて、危険かもしれないというご忠告を頂きましたが、我がままなわくわく感(私エゴイストですねぇ)に負けて、登ってきました。
ヤマレコ地図では、サクッと周回できるルートがあるので、遅速な私でも、小一時間もあれば、戻ってこられると、やや山を舐めました。結果として、無事に下山できましたので、閑栖和尚にはご心配をかけましたが、正法寺の釈迦如来や観音山の諸精霊が見守ってくれたお蔭だと思います。ありがとうございます。
♣妄想暴走
じつは、この日、ときがわ町の正法寺に行くにあたり、1か月ほど前に北鎌倉を散策したとき訪れた、建長寺の鬼門方位奥の小高い山(勝上嶽)にある、半僧坊大権現の絵姿が描かれた半紙が気に入っていただいてきました。とても可愛い天狗さん的絵姿です。毎日ちょこっとお祈りをします。
何か願い事をするときは「オンナンノウチリチリソワカ」?(で合ってるかな?)とお唱えします。この日の朝も、半僧坊大権現に、正法寺と八十八ヶ所に無事行ってこれるよう、お手配を頼みました。
ひょっとしたら、とてもスムーズに運んだので、私のお願いごとを半僧坊さんが叶えてくれたのではないかと、独り妄想しています。
というのは、鎌倉半僧坊は臨済宗の大本山建長寺の鎮守です。
巌殿山正法寺も、建長寺に引けをとらないほどの歴史がある、臨済宗妙心寺派の寺院です。共に禅宗ですから……、半僧坊さんも、やりやすいのではないかと……(私は、こういう妄想をしょっちゅうしています。ほんとうにありえるのだと思いこんでいるのです。昨年8月の早池峰山の下山では、頭から転落したあとに、早池峰神社で座敷童子をリアルに見てしまったし……妄想暴走)。
因みに、ときがわ町の正法寺の所在地は、埼玉県比企郡ときがわ町大字西平849です。埼玉県には、正法寺が近くにもう一寺あります。板東第十番岩殿観音正法寺(埼玉県東松山市岩殿1229)です。物見山のところにあるその正法寺は、真言宗の寺院です。観音霊場が共にあるのはなぜなのか? じつは深い関係が両寺にはあるようですが……。
♣霊山院と正法寺のミニ歴史(間違い注意)
それはさておき、ときがわ町の正法寺は、都幾山の麓にあります。そこから上に数百メートルほど登った都幾山の中腹に、栄朝(寶治元年1247年寂)が慈光寺の塔頭として建久8年(1197)創建した「霊山院(りょうぜんいん)」という関東で一番古い禅寺があります。正法寺はその後(12??年)に、最初にその末寺として創建されたと伝えられています。その当時は、天台宗だったか、さらに真言宗でもあったようです。その縁で、いま東側にある観音山の八十八霊場への登り口に、弘法大師像が祀られたお堂があり、またすぐ近くには、北向きの大日如来像もあります。しかし鎌倉時代、おそらく本山の霊山院が臨済宗になって以降、一、二度火災もあったようですが、臨済宗の正法寺としていまに至っているようです。その歴史的経緯についての私の理解には、間違いがあることをお断りしますが、とまれ、いまの正法寺はかつての霊山院の末寺となってからの歴史を受け継いでいることに変わりはないと思います。
因みに、霊山院の末寺は、正法寺の次には新柵山中腹の全長寺(1240年)、弓立山の麓の皎円寺(1242年)があり、ともに臨済宗妙心寺派(明治5年から)です。
♣四国八十八ヶ所巡拝路とムラサキツツジ(ミツバツツジ)
都幾山の南面の連なりにあるピークが、観音山です。登ってみて、低山ですが、けっこう険しい岩山でした。四国八十八ヶ所巡拝ができる石碑が、狭い急斜面にほどよい(数メートル)間隔で建てられているのは、山の木々と混じって違和感がありません。じつに自然で、よくもこんなところに建立したものだと、先人の想いと信仰心の強さに、心静まる感がありました。
観音山のルートの入り口は、正法寺の裏側にありますが、弘法大師像が安置された小さなお堂の横に、こんな縁起が書かれておりました。
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四国霊場巡拝碑略記
明治三十三年(一八九七)、当山三十三世宗晋願主、発起人当所大島庄三郎、大島勝五郎、峰岸茂三郎、内田國吉、内田喜その五名、更に賛助者一二一名により造立されたものである。この山は観音山とし呼ばれる険しい岩山であるが、八十八の碑は当山の貴重な遺産である。四月には実生(みしょう)の三つ葉つつじが全山を覆ってくれる。碑は多くの方々の巡拝をお待ちしている。合掌
当山三十五世隆元誌
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これは、先程お話を聞かせていただき、順路の入り口をご案内くださった、閑栖和尚が認めたものでした。ありがとうございます。
巡拝路は、少し急でとにかく狭い道でした。かなり険しい斜面に数メートル間隔で巡拝碑には、大日如来〜〜番のように番号が振られているようでした。その巡拝碑の大きさは、高さ数十センチから1メートル数十センチほど。木曽御嶽山には、巨大な人霊碑がドドドンズラリと壮観ですが、そのような威圧感はなく、親しみやすい、自然の山に溶け込んでいるような親和性がありました。そんな巡礼碑が、小刻みにつづら折りで上に上にと続いていました。しかし、人が滅多に歩かないコースのようで、枯れ枝や落ち葉が散乱して、狭いので道を踏み外したら滑落リスクがあります。ストックを持ってきてよかったです。
かなり荒れているルートでしたが、この季節、至るところで、ピンクなのかパープルなのかツツジの花の華やぎが、心地よい風にほのかに香るようにちらちらと視界に入り、楽しめました。
因みに、正法寺のツツジは、一般的には「ミツバツツジ」かもしれませんが、より「ムラサキツツジ」と言う方が正しいということを、寺庭さまから教えられたように思います。花に疎い私ですが、午後、15時を回ってましたが、陽射しは煌々と輝き、最良の季節、最良の日に歩けたことの幸せを、分かち合いたい気分になれました(なっちゃって、半妄想をまたやっちまいました)。
これから季節はどんどん芽吹き新緑が広がっていきます。そうなると、このルートでは、道の見分けがつけにくいところが出てきそうです。今回でも、ルートを辿ってある巡拝碑に突き当たりましたが、さてその先にルートが見つかりません。裏側に無理矢理登って、小枝をかき分け、どこかに道はないものか捜してみましたが、見つかりません。ヤマレコのアプリを開き、地図を確認すると、数メートル手前に右に折れる道があるはずでした。
「あっ」ありました。迷い子にならなくてひと安心です。そこには、順路の目印がほしいですね。
こうして一つ一つ、ゆっくりと写真をとりながら登って行くと、トラロープと岩場が現れ、少し登ったところが標高253mの観音山の頂上でした。垂直の石碑には、「金刀比羅大神」と彫られていて、かっこいいです。そしてこの頂上が、四国八十八ヶ所巡拝碑の到達点でした。この先は、少し下りとなり、都幾山への道となります。そしてここで、ムラサキツツジともお別れです。
それにしても、こんな険しい岩山に、よくもこんなにたくさんの巡拝碑を建てたものです。明治時代の造営ですが、このルートは、眺望もよくハラハラドキドキ感も楽しめて、巡拝碑をコンパクトに楽しめ、心が清まるすばらしい山道でした。せっかくの霊場八十八ヶ所巡拝碑ルート、登らないなんてもったいないです。ぜひたくさんの人に登っていただきたいと思いました。必ずストック持参で……安全のために……。
♣霊山院から正法寺へのルート
観音山頂上から少し下ると、そこは都幾山の領域に入り、歩きやすい低山の山道の登りとなります。そしてすぐに、どんぐり山への尾根道に合流しました。
合流地点に案内板がありましたが、倒れていて直してほしいです。
左に折れて、霊山院の方向に上がっていくと、やがて「正法寺」と書かれた案内板が目につき、それに従って左に下って行きました。これぞまさに、「Uターン」です。
歩きやすい道でした。が、やがて急なガレ場が出てきました。ここはストックがないと危ないです。後で調べてみると、水平140mで65mの高低差があります。勾配46%、25度です。ザレの急登なので下りは足場注意です。
そしてようやく正法寺が見えてくるところ、ルートが分からなくなりました。道が少し崩落したかのようで、慎重に降ります。すぐそこに見えているので不安はありませんでしたが……。
正法寺に降りてきました。これで正法寺から観音山の四国八十八ヶ所巡拝碑を巡って戻ったことになます。このミニ周回ルートは、標高差もそこそこで距離も短いので、小一時間ほどですが、初心者には、観音山か少し荒れているのでちょっときついですね。しかし、慣れている登山者には、観音山の四国八十八ヶ所巡拝碑ルートは、スリルも眺望もある、とても愉しいコースです。みんなが歩けば、ルートはずっと歩きやすくなると思いました。
♣大日如来(北向き)と不動明王雨濡岩
正法寺周辺には、すぐ近くに観光スボットが二つあります。
一つが大日如来の石像です。
南側の道を西に向かって登っていきます。しばらく行くと、案内がありました。左に小山に分け入って行くと、すぐに眼前に巨岩が上にズドンと聳えているのが見え、そこに、高さ数十センチほどの、素朴な大日如来の石像が安置されていました。
特徴は、何と北向きです。ほぼ真北に向いて、巨岩を背にしていました。なぜ北向きなのか? 前々回、私はこの観音山の南に聳える新柵山(あらざくさん)に登って降りて、椚平にある大日様を捜してみつけました。
縦の割れ目の巨岩の隙間に安置されたその大日如来の石像は、高さ20センチくらいの可愛らしいものでしたが、北向きだったのです。なぜ北を向いて設置さているのでしょうか? 大日如来は、北向きに設置するのが原則なのでしょうか?
そんな疑問を覚えつつ、分け道から戻り、少しだけ西に行くと、「不動明王〜〜」という案内がありました。
「これは行ってみなければ……」
好奇心がくつぐられます。するとまた、案内が目につきました。そこには、美しいミツバツツジが満開でした。その下をくぐり、谷間になっているせせらぎを左に見て道を北に進むと、左側が垂直の巨大な岩が聳え、右に小さな祠があっタ「不動明王」の社でした。お不動様の御真言を何度か唱えました。道は、堰堤があって行き止まりです。堰堤ができる前には、ここにお滝場があったと聞いたような気がします。
ところで堰堤から流れ出る水流のせせらぎは、圧倒的な巨岩が垂直に聳える壮観でした。確かに巨岩は、しんなりと濡れて、ひんやりと心地よい波動が満ちているかのようです。パワースポットそのものです。
♣反省
この季節、ちょうどこの快晴の日、登山開始が15時近くになってしまい、山を舐めてはいけないことを承知で、未知の八十八ヶ所巡拝碑の模擬お遍路ルートを探ることができました。無事に下山できたとき、偶然か、閑栖和尚様が散歩から戻られ、私のまだ生きている姿を確認され、安心されたご様子でした。ご心配をおかけしましたこと、お詫びいたします。正法寺の仏陀諸尊諸精霊に感謝します。見守ってくださり、ありがとうございました。
因みに「閑栖」は「かんせい」と読み、隠居した禅僧のことです。
それから正法寺には、ときがわ町デマンドタクシーの停留所がありますので、電話予約等で500円で利用できます(予約には、事前登録が必要です)。
ともかく、四国八十八ヶ所巡拝碑のある観音山ルート、なかなかの心踊る山行コースでした。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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感想欄に私のレコがきっかけと書かれていたのでコメントさせて頂きました!私はたまたま偶然見つけたのですが、都幾川で「四国八十八巡り」が出来るなんて中々面白いですよね😄!
都幾川は慈光寺さんを始め、大変歴史のある土地柄なので eikoboさんのように歴史に精通されているとさらに趣が異なるのでしょうが、私はまだ勉強不足なので実のところその凄さがよく分かっていません。その辺は私の山友さんの godohanさんが非常に詳しいので人任せにしてしまっていますぅ😅💦
都幾川の界隈は大抵歩いていますが、ここの「大日如来様」と「お不動様」はまだお目にかかれていませんので後日行かせて頂きたいと思っております。詳しいご情報大変助かります!
それにしても、ご住職のお話を3時間超も拝聴できるとは中々貴重なご経験でしたね。まだ私はご住職とはお目にかかれていないので、次回お邪魔する時にはご挨拶出来ればと思います😄
出立は遅くなってしまいましたが、お怪我も無く無事に歩けて何よりでした。大変お疲れ様でした。
それでは〜😊
またこの度は、Nimaさんの山行ルボで知ることができた、八十八ヶ所巡りのお蔭で、貴重な山歩きができました。
それからもう一つ、Nimaさんのルポの書き方は、とてもわかりやすくしかも適切な情報が盛られていて、とても参考になります。文章表現も上手ですね。それも参考にさせていただいております。
ところで正法寺でお話をお聞きしたのは、現在の住職様ではなく、引退された前のご住職様です。お名前は、児玉隆元様で、禅宗の呼び方で、引退された方を、「閑栖」(かんせい)というそうです。ルポでは、閑栖和尚とさせていただきました。因みに、禅宗なりの言い方ですが、住職の奥さんのことを「寺庭」(じてい)と呼ぶそうです。
この日、お話をいただいたのは閑栖和尚で、91歳という年齢が信じられないほどの元気で話し好きな方でした。
お話が始まると、止まりません。話題が豊富で説教臭いものはありません。落語家さんのようでした。気さくな方なので、どなたでもお話をいただけると思います。
また、花見等のたくさんの情報、ありがとうございます。いろいろと参考にさせていただきますので、今後ともよろしくお願いいたします。
なお、私は、74歳のジジイで、登山を始めて数年です。低山でも遅速で苦労をしています。どうかご指導ください。
Nimaさんはウクレレがお得意なんですね。優しい音色と調べには癒されました。ありがとうございます。
これからの、ますますのご活躍、期待をしております。感謝
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