坂城神社の裏手が登山口、いろいろ案内があります。
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5/12 6:57
坂城神社の裏手が登山口、いろいろ案内があります。
とても有難い案内マップ
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5/12 6:58
とても有難い案内マップ
麓からも良く見えた岩場、基部に石祠があります。
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5/12 7:10
麓からも良く見えた岩場、基部に石祠があります。
「嘉永三年五月日(1860)再建 春日久五郎」
5
5/12 7:11
「嘉永三年五月日(1860)再建 春日久五郎」
岩場も辿れるようなので行ってみます。
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5/12 7:17
岩場も辿れるようなので行ってみます。
とても長めが良いです。千曲川と蓼科山。
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5/12 7:19
とても長めが良いです。千曲川と蓼科山。
鷹岩、たしかに麓から見た時、鷹が止まっているように見えました。
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5/12 7:19
鷹岩、たしかに麓から見た時、鷹が止まっているように見えました。
エ−ッ!こんなとこ登るの?大丈夫かな?一応、新しめの方を使わせてもらいました。
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5/12 7:20
エ−ッ!こんなとこ登るの?大丈夫かな?一応、新しめの方を使わせてもらいました。
蓼と鷹の睨みあい
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5/12 7:22
蓼と鷹の睨みあい
こんなの聞いてないよゥ―!心の準備もできないまま、けっこうな岩稜歩きが続きます。
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5/12 7:24
こんなの聞いてないよゥ―!心の準備もできないまま、けっこうな岩稜歩きが続きます。
一番怖かった箇所の振り返り。麓からもビビっている姿が丸見えだったことでしょう(笑)
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5/12 7:27
一番怖かった箇所の振り返り。麓からもビビっている姿が丸見えだったことでしょう(笑)
まだまだ「ファイト、一発!」と自分で自分を鼓舞します。
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5/12 7:28
まだまだ「ファイト、一発!」と自分で自分を鼓舞します。
飯綱山にとうちゃこして一安心。と思ったら
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5/12 7:32
飯綱山にとうちゃこして一安心。と思ったら
姫岩。もうお腹一杯なので右に巻きました。
9
5/12 7:33
姫岩。もうお腹一杯なので右に巻きました。
ほどなく一般コースと合流。この後は松林のジグザグ急登です。秋には入山禁止になるようです。
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5/12 7:36
ほどなく一般コースと合流。この後は松林のジグザグ急登です。秋には入山禁止になるようです。
姫城(葛尾城の出城)分岐。次があるかどうかわからないので、行ってみます。この先、急下降で折角稼いだ標高が御破算になりました(笑)
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5/12 7:51
姫城(葛尾城の出城)分岐。次があるかどうかわからないので、行ってみます。この先、急下降で折角稼いだ標高が御破算になりました(笑)
比丘尼石(姫様の悲話伝説があるらしい)分岐、反対側には坂城神社への道があります。
2
5/12 8:01
比丘尼石(姫様の悲話伝説があるらしい)分岐、反対側には坂城神社への道があります。
急坂が終わり、平坦地形になりました。
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5/12 8:02
急坂が終わり、平坦地形になりました。
ここが「馬場」の郭でしょうか。土塁的ものもありました。
2
5/12 8:03
ここが「馬場」の郭でしょうか。土塁的ものもありました。
その西側下方には腰廓、
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5/12 8:04
その西側下方には腰廓、
そらにその下にも段築されているようです。
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5/12 8:05
そらにその下にも段築されているようです。
レンゲ?
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5/12 8:07
レンゲ?
竪堀のトラバース。枯葉が滑って一瞬冷っとしました。
5
5/12 8:10
竪堀のトラバース。枯葉が滑って一瞬冷っとしました。
適当な所で主郭に這い上がると、倒木でこんな状態になっていました。
3
5/12 8:17
適当な所で主郭に這い上がると、倒木でこんな状態になっていました。
主郭の先(南側)の堀切。
4
5/12 8:18
主郭の先(南側)の堀切。
その先は郭になっていましたが、その向こうは再び急傾斜地で千曲川に落ちます。左(東)に踏み跡があるように見えました。
3
5/12 8:19
その先は郭になっていましたが、その向こうは再び急傾斜地で千曲川に落ちます。左(東)に踏み跡があるように見えました。
君の名は?
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5/12 8:20
君の名は?
主郭に戻って「姫城跡646m」(矢場佐間山)
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5/12 8:23
主郭に戻って「姫城跡646m」(矢場佐間山)
主郭北側の堀切、結構な切岸になっています。
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5/12 8:25
主郭北側の堀切、結構な切岸になっています。
借金を返済して分岐に戻りました。次は本城の葛尾城攻め(笑)ですゥ。
3
5/12 8:45
借金を返済して分岐に戻りました。次は本城の葛尾城攻め(笑)ですゥ。
3郭に上がった所、窪地(堀切)の先が2郭でしょうか。
3
5/12 8:50
3郭に上がった所、窪地(堀切)の先が2郭でしょうか。
その隅っこに「葛尾」804.99 m四等三角点
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5/12 8:50
その隅っこに「葛尾」804.99 m四等三角点
主郭の切岸前にも堀切があったようです。左は磯部方面への下山路になっているようです。
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5/12 8:52
主郭の切岸前にも堀切があったようです。左は磯部方面への下山路になっているようです。
山頂の東屋にあった縄張図
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5/12 8:54
山頂の東屋にあった縄張図
山頂からの眺め。左は太郎山の山稜。蓼科山、八ヶ岳の裾野がなだらかに見えますね。
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5/12 8:58
山頂からの眺め。左は太郎山の山稜。蓼科山、八ヶ岳の裾野がなだらかに見えますね。
右から太郎山、大峯山、大道山だと思います。
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5/12 9:00
右から太郎山、大峯山、大道山だと思います。
山頂部の神社。手前の石燈籠一対と手水鉢は昭和十年、中之條村の方、その先の石燈籠一対は昭和十三年、陸軍航空兵大尉の方の寄進。
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5/12 9:00
山頂部の神社。手前の石燈籠一対と手水鉢は昭和十年、中之條村の方、その先の石燈籠一対は昭和十三年、陸軍航空兵大尉の方の寄進。
葛尾城跡805m、村上氏城館跡。村上義清は2度にわたって武田信玄の侵攻を退けたが、屋代氏などの寝返りで、長尾景虎(上杉謙信)を頼って越後へ敗走、
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5/12 9:01
葛尾城跡805m、村上氏城館跡。村上義清は2度にわたって武田信玄の侵攻を退けたが、屋代氏などの寝返りで、長尾景虎(上杉謙信)を頼って越後へ敗走、
これによりあの川中島の戦いが始まったそう。燈籠にあった信濃村上氏の家紋。
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5/12 9:04
これによりあの川中島の戦いが始まったそう。燈籠にあった信濃村上氏の家紋。
村上神社の石祠「干時明治十八年三月再建」、村上氏の氏神、または義清公本人を祀ったものでしょうか。
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5/12 9:05
村上神社の石祠「干時明治十八年三月再建」、村上氏の氏神、または義清公本人を祀ったものでしょうか。
主郭から下ると、まずは二重の堀切、
4
5/12 9:07
主郭から下ると、まずは二重の堀切、
さらに堀切が
3
5/12 9:08
さらに堀切が
次々に
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5/12 9:10
次々に
現れます。
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5/12 9:11
現れます。
ここにも
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5/12 9:12
ここにも
自然地形を利用した感じのとても高度差のある堀切
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5/12 9:12
自然地形を利用した感じのとても高度差のある堀切
まだまだあります。
2
5/12 9:14
まだまだあります。
そして尾根上に突如、石積が出現!櫓跡という話もありますが、あまり年代感はないようにもみえました・
5
5/12 9:15
そして尾根上に突如、石積が出現!櫓跡という話もありますが、あまり年代感はないようにもみえました・
あれが噂の電話BOXかな。陰の松の分岐あたりです。
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5/12 9:17
あれが噂の電話BOXかな。陰の松の分岐あたりです。
分岐から少し下って陰の松の石碑、あの後方に松に木があったらしい。
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5/12 9:21
分岐から少し下って陰の松の石碑、あの後方に松に木があったらしい。
陰の松の由来。明治中期以降は「野山」と称され草刈りや農耕の休憩地になったそうです。今も簡単な休憩舎と女子WCがあります。桜清水はみつかりませんでした。
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5/12 9:21
陰の松の由来。明治中期以降は「野山」と称され草刈りや農耕の休憩地になったそうです。今も簡単な休憩舎と女子WCがあります。桜清水はみつかりませんでした。
夫婦木の根元に大山祇神の石祠、一部剥落していますが「(明治二十)一年/✖月二十八日」とあるようです。
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5/12 9:25
夫婦木の根元に大山祇神の石祠、一部剥落していますが「(明治二十)一年/✖月二十八日」とあるようです。
次は盗人窪へ向かいます。
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5/12 9:35
次は盗人窪へ向かいます。
ここ?ちょっと期待が大きすぎたようです(笑)
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5/12 9:38
ここ?ちょっと期待が大きすぎたようです(笑)
そして五里ヶ峰1094.4mとうちゃこ!40K走るというトレランと地元に詳しいペアの方がいらっしゃいました。
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5/12 10:09
そして五里ヶ峰1094.4mとうちゃこ!40K走るというトレランと地元に詳しいペアの方がいらっしゃいました。
お向かいのは昨年歩いた大林山(左)〜八頭山〜冠着山
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5/12 10:11
お向かいのは昨年歩いた大林山(左)〜八頭山〜冠着山
冠着の尖がり頭の向こうに御槍様の尖がりが見えます。
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5/12 10:11
冠着の尖がり頭の向こうに御槍様の尖がりが見えます。
槍穂の遠景と秀麗な冠着山。荒砥城跡下の寺院の建物も見えます。
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5/12 10:13
槍穂の遠景と秀麗な冠着山。荒砥城跡下の寺院の建物も見えます。
帯状の雲でリフレクションのように見える白馬連峰
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5/12 10:13
帯状の雲でリフレクションのように見える白馬連峰
終盤のイカリやさん
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5/12 10:18
終盤のイカリやさん
舞っているような感じ
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5/12 10:18
舞っているような感じ
勘助道、この辺りはチゴさんもたくさん咲いていました。
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5/12 10:31
勘助道、この辺りはチゴさんもたくさん咲いていました。
商売池口の鞍部から
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5/12 10:35
商売池口の鞍部から
登り返して天狗山971mの峰、山名板の類はありませんでした。
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5/12 10:41
登り返して天狗山971mの峰、山名板の類はありませんでした。
そして超地味な北山942mの峰(同じく山名板は無し)ですが、実はこちらが本日最初の目的地なのです。知らなければ見過ごしてしまいそうな少し離れた所に、
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5/12 10:54
そして超地味な北山942mの峰(同じく山名板は無し)ですが、実はこちらが本日最初の目的地なのです。知らなければ見過ごしてしまいそうな少し離れた所に、
御嶽が祀られているのです。“あにねこさん”の『登山日誌』で知りました。何だか井戸端会議でもしている様に並んでおります。
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5/12 11:07
御嶽が祀られているのです。“あにねこさん”の『登山日誌』で知りました。何だか井戸端会議でもしている様に並んでおります。
右から、三十六童子
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5/12 11:08
右から、三十六童子
八大童子
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5/12 11:08
八大童子
そして「御嶽大神 御三柱社」の石祠、
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5/12 11:08
そして「御嶽大神 御三柱社」の石祠、
「昭和五年四月吉日 戸倉講建之」とありました。銘はあるのはこの祠のみ。
4
5/12 11:08
「昭和五年四月吉日 戸倉講建之」とありました。銘はあるのはこの祠のみ。
四天王神ときて、
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5/12 11:09
四天王神ときて、
どうやら座王権現ではなく、童子の親分である不動明王像のようですね。石鑿の跡でシンプルに火焔を表現しているようです。
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5/12 11:10
どうやら座王権現ではなく、童子の親分である不動明王像のようですね。石鑿の跡でシンプルに火焔を表現しているようです。
確かにパッと見では衣冠装束姿かのように見えますね。それにしてもファニーなお不動様です。縦走を再開します。
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5/12 11:10
確かにパッと見では衣冠装束姿かのように見えますね。それにしてもファニーなお不動様です。縦走を再開します。
次のピークは長生山875m。近くに石祠があったようですがこちらは見逃しました。
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5/12 11:22
次のピークは長生山875m。近くに石祠があったようですがこちらは見逃しました。
皆様のレコで見かけたことはありのですが?
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5/12 11:34
皆様のレコで見かけたことはありのですが?
プレートの文字は消えてしまっていますが護兵山785mかな。
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5/12 11:37
プレートの文字は消えてしまっていますが護兵山785mかな。
こちらがあにねこさんお薦めの山ノ神ですね。大正十五年植林記念とあります。気になって後ろのピークにも行ってみましたが、何も無しでした。
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5/12 11:47
こちらがあにねこさんお薦めの山ノ神ですね。大正十五年植林記念とあります。気になって後ろのピークにも行ってみましたが、何も無しでした。
林道北山線の車道に出て宮坂峠626mです。ヒルクライムのコースになっているようです。
2
5/12 12:03
林道北山線の車道に出て宮坂峠626mです。ヒルクライムのコースになっているようです。
すぐに後半の山道に入ります。
3
5/12 12:05
すぐに後半の山道に入ります。
単調な下りもヤマツツジのお陰で華やかな山道になっています。
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5/12 12:18
単調な下りもヤマツツジのお陰で華やかな山道になっています。
何もないと思ったらこんな所に「大月峰」
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5/12 12:27
何もないと思ったらこんな所に「大月峰」
そして「大岩」640.96 m三等三角点
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5/12 12:36
そして「大岩」640.96 m三等三角点
これは大変!ドーハン君が恐竜の餌食になっています!
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5/12 12:39
これは大変!ドーハン君が恐竜の餌食になっています!
歩いてきた峰々、市街地の屏風のようです。
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5/12 12:40
歩いてきた峰々、市街地の屏風のようです。
いつの間にか冠着山の頭が丸くなっていますよ!
4
5/12 12:41
いつの間にか冠着山の頭が丸くなっていますよ!
ここもピーク名があるようですが、山名板は無し。
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5/12 12:43
ここもピーク名があるようですが、山名板は無し。
謎の石積が現れ、
4
5/12 12:53
謎の石積が現れ、
千曲市街を見下ろす、展望の良い所、
4
5/12 12:59
千曲市街を見下ろす、展望の良い所、
この辺りが『登山日誌』にあった「赤んざれ」ですね。
5
5/12 13:00
この辺りが『登山日誌』にあった「赤んざれ」ですね。
有明山とうちゃこです。右の小石には「有明山神」
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5/12 13:09
有明山とうちゃこです。右の小石には「有明山神」
「有明山」651.79 m四等三角点
5
5/12 13:10
「有明山」651.79 m四等三角点
少し下って有明山将軍塚古墳、前方後円墳のようです。空模様が怪しかったので森将軍塚古墳はカットしました。
5
5/12 13:21
少し下って有明山将軍塚古墳、前方後円墳のようです。空模様が怪しかったので森将軍塚古墳はカットしました。
林道に降りて本日最後の一重山を見上げます。本来は有間山と尾根続きだったようですが、削られたようです。ニセアカシアの香りが漂っています。
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5/12 13:41
林道に降りて本日最後の一重山を見上げます。本来は有間山と尾根続きだったようですが、削られたようです。ニセアカシアの香りが漂っています。
最後の一枚だったパンフをいただき、散策アップを参考に屋代城を裏から攻めたいと思います(笑)
4
5/12 13:42
最後の一枚だったパンフをいただき、散策アップを参考に屋代城を裏から攻めたいと思います(笑)
標高の割に結構な急登で屋代城主郭に。
4
5/12 13:50
標高の割に結構な急登で屋代城主郭に。
一重山458m、麓からはわからない草原上の山頂です。
6
5/12 13:51
一重山458m、麓からはわからない草原上の山頂です。
主郭西側にある堀切A、竪堀ですね。
3
5/12 13:52
主郭西側にある堀切A、竪堀ですね。
村上氏の代官だった屋代氏が築城、その屋代正国が武田勢に寝返り、村上義清は越後へ敗走。川中島の戦いの発端がこの山脈上で展開していたのですね。
5
5/12 13:52
村上氏の代官だった屋代氏が築城、その屋代正国が武田勢に寝返り、村上義清は越後へ敗走。川中島の戦いの発端がこの山脈上で展開していたのですね。
主郭に残る石垣
5
5/12 13:54
主郭に残る石垣
一段下がった所が2郭
3
5/12 13:55
一段下がった所が2郭
2郭の切岸は結構な高低差、直下に堀切Bと武者返しの土塁、その先が3郭。
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5/12 13:59
2郭の切岸は結構な高低差、直下に堀切Bと武者返しの土塁、その先が3郭。
堀切Bに下りた所
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5/12 14:01
堀切Bに下りた所
ボケちゃいましたが、3郭から土塁、2郭を見上げます。これを攻め上がるのは大変ですね。
5
5/12 14:01
ボケちゃいましたが、3郭から土塁、2郭を見上げます。これを攻め上がるのは大変ですね。
4郭
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5/12 14:03
4郭
堀切Cを経て
3
5/12 14:03
堀切Cを経て
5郭は緩やかな傾斜地であまり郭っぽく見えません。
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5/12 14:04
5郭は緩やかな傾斜地であまり郭っぽく見えません。
堀切D
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5/12 14:05
堀切D
6郭
3
5/12 14:06
6郭
堀切Eの先は柵があって左に巻きます。
3
5/12 14:07
堀切Eの先は柵があって左に巻きます。
ラバー素材の階段を下ると
3
5/12 14:08
ラバー素材の階段を下ると
土砂採掘跡の平坦地、ここも尾根が削られたようです。
2
5/12 14:08
土砂採掘跡の平坦地、ここも尾根が削られたようです。
あの階段を上ると尾根が復活します。
2
5/12 14:09
あの階段を上ると尾根が復活します。
そこが7郭、
2
5/12 14:12
そこが7郭、
御嶽神社古墳と御神木の三本柏。ここが本日の最大目的地。昭和55年まで御嶽神社があったそうです。
4
5/12 14:12
御嶽神社古墳と御神木の三本柏。ここが本日の最大目的地。昭和55年まで御嶽神社があったそうです。
西側の竪堀Fがあります。
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5/12 14:12
西側の竪堀Fがあります。
付近を探すと瓦、石造物の欠片とこの台石がありました!
4
5/12 14:15
付近を探すと瓦、石造物の欠片とこの台石がありました!
さらに先程の竪堀に吸い込まれるように、何やら枯葉に埋っていました。枯葉を除けると石祠の屋根でした!
3
5/12 14:15
さらに先程の竪堀に吸い込まれるように、何やら枯葉に埋っていました。枯葉を除けると石祠の屋根でした!
一人でもギリ動かせる重さだったので、何とか救出させていただきました。
3
5/12 14:18
一人でもギリ動かせる重さだったので、何とか救出させていただきました。
恐らく御嶽のものでしょう。
3
5/12 14:19
恐らく御嶽のものでしょう。
そして「御嶽神社旧蹟地」の石碑。oyarisamaさんに情報をいただきました。こちらにあった神社が諸般の事情でこの先に遷座されたそうでうす。
3
5/12 14:21
そして「御嶽神社旧蹟地」の石碑。oyarisamaさんに情報をいただきました。こちらにあった神社が諸般の事情でこの先に遷座されたそうでうす。
あにねこさんの写真にもあった石灯籠、笠は傍らに落ちていましたが、これはどうにもなりません。
3
5/12 14:22
あにねこさんの写真にもあった石灯籠、笠は傍らに落ちていましたが、これはどうにもなりません。
「安政三辰七月十七日(1856)」
2
5/12 14:23
「安政三辰七月十七日(1856)」
堀切Gの先は、
2
5/12 14:24
堀切Gの先は、
8郭、こちらのあまり郭っぽくありませんが、
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5/12 14:25
8郭、こちらのあまり郭っぽくありませんが、
またまた石祠の屋根が落ちていました。
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5/12 14:25
またまた石祠の屋根が落ちていました。
堀切Hの先には、左手の高台に忠魂碑、右手下に
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5/12 14:27
堀切Hの先には、左手の高台に忠魂碑、右手下に
完全体の石祠が御座いました。「一重山 渡辺清重」の願主銘、
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5/12 14:28
完全体の石祠が御座いました。「一重山 渡辺清重」の願主銘、
「文政十一戊午年(1828)」
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5/12 14:29
「文政十一戊午年(1828)」
「3月二十八日」紀年銘もありました!
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5/12 14:29
「3月二十八日」紀年銘もありました!
どうやら胴は逆になっているようです。御嶽の祠だと嬉しいですが、いろいろな点で違う可能性が高いです。
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5/12 14:30
どうやら胴は逆になっているようです。御嶽の祠だと嬉しいですが、いろいろな点で違う可能性が高いです。
何れにしても一重山にある「一重山」銘のある江戸期の祠は重要ですね!と思うのは私だけ?パンフ等には何の記載もありません。
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5/12 14:32
何れにしても一重山にある「一重山」銘のある江戸期の祠は重要ですね!と思うのは私だけ?パンフ等には何の記載もありません。
9郭は主郭以来の広々とした所で神社の社地になっているようです。簡単な休憩舎があります。
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5/12 14:32
9郭は主郭以来の広々とした所で神社の社地になっているようです。簡単な休憩舎があります。
矢代神社。屋代地区から出征し、殉じた100余名が祀られているそうです。後方に忠魂碑、前方に従軍記念碑。
3
5/12 14:32
矢代神社。屋代地区から出征し、殉じた100余名が祀られているそうです。後方に忠魂碑、前方に従軍記念碑。
旗立石には「皇太子殿下御降誕記念/昭和九年参月 屋代店員徒弟愛友會」とありました。<皇太子は現在の上皇、誕生日は昭和八年十二月二十三日>
3
5/12 14:36
旗立石には「皇太子殿下御降誕記念/昭和九年参月 屋代店員徒弟愛友會」とありました。<皇太子は現在の上皇、誕生日は昭和八年十二月二十三日>
展望も良い所です。
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5/12 14:41
展望も良い所です。
東屋の手前に堀切I、その先の10郭は墓地になっています。
2
5/12 14:42
東屋の手前に堀切I、その先の10郭は墓地になっています。
堀切Jを過ぎると、
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5/12 14:46
堀切Jを過ぎると、
遷座された御嶽神社が御座いました。
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5/12 14:47
遷座された御嶽神社が御座いました。
鳥居の額「御嶽神社」
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5/12 14:48
鳥居の額「御嶽神社」
傍らに降ろされた石祠(無銘)などが集積されています。
4
5/12 14:51
傍らに降ろされた石祠(無銘)などが集積されています。
その中に神像もありました!後者は明らかに八海山提頭羅神王像なので前者は三笠山刀利天像だと思います。
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5/12 14:53
その中に神像もありました!後者は明らかに八海山提頭羅神王像なので前者は三笠山刀利天像だと思います。
八海山の御尊顔、まさか神像にまで出逢えるとは思ってもいませんでした。嬉しいサプライズです!
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5/12 14:53
八海山の御尊顔、まさか神像にまで出逢えるとは思ってもいませんでした。嬉しいサプライズです!
最前は比較的新しい霊神碑、「正榮講 大先達柳沢正利 先達滝沢富雄」等とありました。
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5/12 14:54
最前は比較的新しい霊神碑、「正榮講 大先達柳沢正利 先達滝沢富雄」等とありました。
先程の石祠の台石にあった銘を確認し忘れたので戻りました。
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5/12 14:57
先程の石祠の台石にあった銘を確認し忘れたので戻りました。
「石工 稲荷山 加賀井 傳右エ門」地元の石工さんのようですね。
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5/12 14:59
「石工 稲荷山 加賀井 傳右エ門」地元の石工さんのようですね。
これは御嶽以前の廻国塔「奉納大乗妙典日本廻國供養 宝暦七年丁丑十月吉日(1757) 當駅 神津氏」
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5/12 15:05
これは御嶽以前の廻国塔「奉納大乗妙典日本廻國供養 宝暦七年丁丑十月吉日(1757) 當駅 神津氏」
11郭は墓地、そして最終12郭には成田不動尊
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5/12 15:07
11郭は墓地、そして最終12郭には成田不動尊
集積された石造物、なかなか個性的なものもあるようです。
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5/12 15:08
集積された石造物、なかなか個性的なものもあるようです。
日月二鶏二猿の古そうな庚申塔だと思ったら、
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5/12 15:09
日月二鶏二猿の古そうな庚申塔だと思ったら、
やはり「元禄十七年申ノ三月廿一日(1704)」
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5/12 15:09
やはり「元禄十七年申ノ三月廿一日(1704)」
オネエっぽい聖観音様(天明四甲辰年、1784)
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5/12 15:10
オネエっぽい聖観音様(天明四甲辰年、1784)
かわいい馬頭観音「享和三亥年八月五日(1803)」と
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5/12 15:11
かわいい馬頭観音「享和三亥年八月五日(1803)」と
三面の馬頭観音かな。
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5/12 15:11
三面の馬頭観音かな。
左の庚申塔「安政七庚申年三月二十六日(1860)」
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5/12 15:14
左の庚申塔「安政七庚申年三月二十六日(1860)」
成田山不動尊入口が下山口です。
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5/12 15:16
成田山不動尊入口が下山口です。
山ん堂の鼻取り地蔵さん
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5/12 15:18
山ん堂の鼻取り地蔵さん
屋代駅でゴールです。
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5/12 15:36
屋代駅でゴールです。
しなの鉄道の切符とご褒美コーラ
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5/12 15:46
しなの鉄道の切符とご褒美コーラ
赤い電車と一重山
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5/12 16:05
赤い電車と一重山
しな鉄の車窓から、冠着山かな。
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5/12 16:06
しな鉄の車窓から、冠着山かな。
同じく、歩いてきた峰々
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5/12 16:07
同じく、歩いてきた峰々
坂城駅ホームより、大道山を望む。麓に御嶽神社、山頂に御嶽三座神の像があります。
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5/12 16:18
坂城駅ホームより、大道山を望む。麓に御嶽神社、山頂に御嶽三座神の像があります。
坂城神社まで戻って来ました。
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5/12 16:35
坂城神社まで戻って来ました。
こちらの狛犬さんは同じ歳の昭和三十八年。その向こうに今朝の鷹岩が見えます。
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5/12 16:36
こちらの狛犬さんは同じ歳の昭和三十八年。その向こうに今朝の鷹岩が見えます。
石燈籠は「天保十三壬寅年卯月中寅日(1842)大宮司 小宮山越後清興」
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5/12 16:37
石燈籠は「天保十三壬寅年卯月中寅日(1842)大宮司 小宮山越後清興」
天和二年(1682)の狛犬さんがあるそうです。
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5/12 16:37
天和二年(1682)の狛犬さんがあるそうです。
覆屋で守られているようです。やはり独特な狛犬さんですね。
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5/12 16:38
覆屋で守られているようです。やはり独特な狛犬さんですね。
阿像
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5/12 16:39
阿像
吽像
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5/12 16:39
吽像
これが巻毛ですかねぇ?
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5/12 16:39
これが巻毛ですかねぇ?
社殿右手に甲子塔がありました。当神社は信州の出雲御社を標榜しているようですが、だったらもう少し待遇を良くしてあげて欲しいものです。
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5/12 16:42
社殿右手に甲子塔がありました。当神社は信州の出雲御社を標榜しているようですが、だったらもう少し待遇を良くしてあげて欲しいものです。
「蚕国大神」の石祠がありました!「明治八年乙亥十月(廿)一日(1875)」
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5/12 16:44
「蚕国大神」の石祠がありました!「明治八年乙亥十月(廿)一日(1875)」
新旧の古峯神社石祠、「古峯講」現役のようです・
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5/12 16:45
新旧の古峯神社石祠、「古峯講」現役のようです・
中嶋豊さんの案内マップ✨方向音痴の私は地図を見るときもストレスですが、この方の山歩き地図はすごいと惚れ込んで、登りもしないでくせに、本を一冊持ってます(一応、里山編にしましたが😅)。
麓からよく見えたという岩場の祠、あんなところまで登ったんだ😨と思ったら、その先が、更にすごいことになってましたね。心身共にお疲れさまでした。
途中、雪山が見えるのはきれいでいいですね。
北山の不動明王、素朴でいいです。
一重山にある一重山の祠は、やっぱり大事だと思います。残っていて欲しいです。なくなったら、わからなくなってしまいます
遷座された御嶽神社にスプレーで一重山とかかれたのを見て、他の文字でなかっただけよかったのか↘︎と思いましたが、その直後、御神像が出てきて、テンションあがりました✨八海山の御尊顔、猛々しいですね。
成田不動尊の石造物にやけに白いものがあるのは、塗られたものなんでしょうか。ほんと、個性的ですね。高崎の白衣観音みたいな方もいらっしゃいますね。
山ん堂の鼻取り地蔵さん、いいお話しですが、日照りには土井に放り込まれるとは、激務です💧
電車で、歩いたところを見ながら帰るのは感慨深くていいですね。大道山の御嶽神像、どんなだったかとレコ見返させていただきました。そうそう、凄かったですね。久々に中嶋豊さんの地図もひっぱり出して大道山をみてみました。
坂城神社から見える鷹石、下から見てあんなところを人がよじ登っていたらビビリますね💧古い狛犬さんも個性的。手塚治虫のひょうたんつぎ(キャラの名前がわからず検索しました)を思い出してしまいました。
城攻めも、お花もあって、盛りだくさん。楽しませていただきました✨お蕎麦だけ残念でしたね🤭
中島さんのマップお持ちなんですね!私の信州の書店で探したのですが、一時中断している(信毎で堕している物)とのことでした。再開したかなぁ。
北山のお不動さんは座王権現という情報だったなので、私も初めは一見して浮彫の座王権現は初めてかも?と思ってよく見てみたら不動尊でした。いずれにせよとても愛嬌がありますよね。
一重山の石祠は他の物より一段凝ったもので、願主、石工銘もあり御嶽ではないかもしれませんが、ホントあそこに相応しいものなので大事にして欲しいですね。
神社のスプレーや庚申塔や石仏の色塗りは私も複雑な気持ちでした。白衣観音はまさに高崎のレプリカだと思います。鼻取り地蔵さんは縁日には見られるみたいなので、機会があれば拝見したいものです。そうそう坂城神社の古い狛犬さんはまさにアニメチックでした(笑)
今回は2つの御嶽、3つの城跡、その他諸々で何時にもましてだらだら長いレコになっていまいましたが、いつものように細かい所までチェックいただき本当にありがとうございます。不得手なPC作業頑張った甲斐がありました。それでは。 godohan
お忙しいところ、丁寧な返信をいただき、ありがとうございます。
中嶋寛さんの「信州山歩き地図」私はかなり昔に買ったのですが、今は普通に買えますよ。先日、あらためて見ると、買ったときには気にも止めなかった霊神碑などが描かれているのを見て、お〜!と思いました。それは登ったらもっと楽しいのでしょうが、見ているだけでも楽しいです。中嶋さんの本で「いざ!登る 信州の山城」という本も出ています。中身を見たことないのですが、今回の看板の案内図もこちらの本から出ているのではないかなぁと思いました。山城攻めをしているgodohanさんには、こちらもおすすめではないかと思います。私は、ぐるんぐるんの方向音痴なのでかえって助かる感じですが、地図を読むのに慣れている方は上が北ではないところで、違和感を感じて、もしかしたら受け入れにくい場合があるかもしれませんが、先日の案内の看板を見て有り難かったから、大丈夫だと思います。
情報ありがとうございます。こんど探してみます! godohan
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