論鶴羽山《関西百名山》



- GPS
- 04:05
- 距離
- 7.9km
- 登り
- 480m
- 下り
- 480m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
その他周辺情報 | 南あわじ市神代のさんゆ〜館\600 |
写真
感想
12月最初の週末、名残の紅葉が山端を染めていた。快晴の下、名神高速道路から阪神高速を経て明石海峡を渡った。論鶴羽山は南あわじ市、淡路島の南海岸部にある。洲本ICを下り、登山口の論鶴羽ダムに達した。ダムの傍らの駐車場は既にほぼ満車だったが辛うじて止めることができた。論鶴羽ダムの堰堤を渡るとダムサイドの切り立った斜面にコンクリートの階段があった。これが論鶴羽古道の裏参道入口でいきなり急登が始まった。ダムの傍らには“曾我十郎の担い石”と伝わる大岩が2つ置かれている。案内板には仇討の大願成就を願って論鶴羽神社に日参し満願の日、「境内の2つの大岩を担って山が下りられるか試されよ」とのお告げに従い持って下りた岩とされている。曾我十郎祐成は仇の工藤祐経を富士の裾野で討ったという平安時代末期の人。
コンクリートの階段から始まる登山道は岩混じりの急登だ。今日体験参加の岡野さんは初登山で新品の登山靴で歩き始めた。今日のミッションは「丁石の位置を地図に記入する」で最初の丁石は1丁≒109m毎にある筈だが一部は失われているものもあるようだ。稜線に乗り上がる前に最初の丁石“廿七丁”の石仏を発見した。樹林帯の中で地図への書き込みはなかなか困難だが稜線までのほぼ半分の位置ではないかと記入した。
稜線に乗り上がると牛内ダムへの道が分岐した。誰かが「内」の字に悪戯し「肉」にしてしまい「牛内」が「牛肉」に化けてしまったのには一寸笑えた! 論鶴羽山への裏参道を進むがどうも地形図と違う。山と渓谷社の登山ガイド地図には裏参道は牛内ダムの上流の谷筋を行くことになっているが稜線道が続き谷筋にある筈の神倉神社(かんのくらじんじゃ)も稜線に現れた。どうもガイド地図が誤っているようだ。
神社の案内板には創建は神代、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊耶那美命(いざなみのみこと)が乗った鶴が此処の大樹に羽を休めたと場所とされ、地元住人の神倉講によって神社を管理してきたが高齢化で平成6年に解散し論鶴羽神社管理に移ったとあった。稜線道が続き、廿二丁石仏が現れると、地図の誤りは決定的で地形図への記入は困難を極めた。論鶴羽ダムに流れ込む大きな谷を巻きこむように張り出す尾根の先端に顕著な分岐点があった。指導標は論鶴羽山と論鶴羽ダムの方向のみを示し裏参道をそのまま進んだ。やはり稜線道は続いている。十五丁目から丁石は連続して確認でき九丁まで来たがその後は全く見ることはなかった。ミッション2は「P572を特定する」で山頂域の西端にある標高点だが地形図の点線道を外れ巻道になっていた。左手を見上げあの辺りかと想像するが稜線に乗り上がり前方に電波塔が現れ振り返るとP572らしき膨らみが確認できた。
論鶴羽山(608m)山頂は1等三角点「論鶴羽山」があり展望良く大鳴門橋や淡路島の山々、紀伊水道の海を見ることができた。論鶴羽神社の御旅所になっており、神輿を乗せる台座が設置されていた。山頂は風が通って寒いので東側の風の防げるところで昼食を取った。昼食後はミッション3:「兜布丸山(かぶとやま525m)を山座同定」を行った。樹林が邪魔するので神輿の台座に乗って北北西にコンパスを合わせるとP535に隠れるように左肩に顔を見せる兜布丸山を同定することができた。
論鶴羽神社の奥之院篠山神社に立寄ると石の祠がガラス扉のある覆堂の中にあり工事中の寺院か或いは中尊寺の金色堂のようだった。石仏の並ぶ曲がり角を右に折れると“山ぼうしの広場”で平和祈念塔があった。振り返ると論鶴羽山が望めた。論鶴羽神社は伊弉諾尊を主神とし、その御子速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのをのみこと)を祀っている。縁起によると2000年前開化天皇の御代、イザナギ、イザナミの夫婦神が鶴の羽根に乗って遊ぶのを狩人が羽を射た。後を追うと山頂のカヤの大樹の梢で『われはイザナギ、イザナミである。国家安全・五穀豊饒成就を守るため、この山に留るなり、これよりは諭鶴羽権現と号す』と唱えた。狩人は、涙を流し前非を悔い、その罪を謝し一社を建て庄司太夫と号し一生神に仕えたという。
神社境内から南方には海に浮かぶ沼島(ぬしま)を望むことができた。記紀によると伊弉諾命、伊耶那美命が天沼矛(あめのぬぼこ)をもって青海原をかきまわし、鉾の先から滴る潮が固まったのが“おのころ島”で二神は其処に降り立ち契られ国産みを行われた。諸説紛々であるが“おのころ神社”がある沼島がおのころ島であるとする説があるようだ。因みに二神の国産みで最初に作られたのが淡路島とされている。
灘集落に下る車道を暫く進み裏参道の稜線の北側を巻く道に入った。地形図通り進むと古道のような整備は行われず、指導標は一切なかった。石ころがゴロゴロし歩き易くはないがアップダウンもなくハイキング離れしてバリエーション気分を味わえた。予想通り登るときに見つけた顕著な分岐が正にこの道の入り口だった。此処からは登りに歩いた道を辿り論鶴羽ダムに帰着した。
今日の立ち寄り湯は“さんゆー館で論鶴羽ダムから国道へ出るまでにあった。露天風呂が二つあるゆったりした施設だった。入浴料600円、途中明石大橋の袂、淡路SAで休憩し流れ解散となった。
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