(10月1日)東京駅を13:40に発って新幹線と在来線を乗り継ぎ15:54に上越線の「小出」に着いた。ここから只見線に乗るのだが「上り只見方面」の列車は1日にたった5本しか運行していない。
0
10/1 15:56
(10月1日)東京駅を13:40に発って新幹線と在来線を乗り継ぎ15:54に上越線の「小出」に着いた。ここから只見線に乗るのだが「上り只見方面」の列車は1日にたった5本しか運行していない。
(16:57) 只見線の「大白川」駅に着いた。無人駅である。駅には民宿の「大雲沢ヒュッテ」のご主人が待っておられた。
0
10/1 16:57
(16:57) 只見線の「大白川」駅に着いた。無人駅である。駅には民宿の「大雲沢ヒュッテ」のご主人が待っておられた。
駅から民宿までは車で約10分の距離。2人で1部屋/1泊2食付きで7,000円/人とえらく安い。
0
10/1 17:35
駅から民宿までは車で約10分の距離。2人で1部屋/1泊2食付きで7,000円/人とえらく安い。
夕食は食べきれないほどのオカズが並び、けんちん汁も美味しかった。この日は我々2人の老人組の他、翌日浅草岳に登る5人の熟年グループがいた。
0
10/1 18:00
夕食は食べきれないほどのオカズが並び、けんちん汁も美味しかった。この日は我々2人の老人組の他、翌日浅草岳に登る5人の熟年グループがいた。
(10月2日)朝4時半に民宿の奥様の運転で出発、吉ヶ平に5時半に着いた。彼女は若い時に競技スキーをやっておられたせいか車の運転が上手で、ジグザグの狭い山道でも安心して乗っておれた。長距離なのに7,000円の送迎料で送って頂いたのは有り難かった。
0
10/2 5:33
(10月2日)朝4時半に民宿の奥様の運転で出発、吉ヶ平に5時半に着いた。彼女は若い時に競技スキーをやっておられたせいか車の運転が上手で、ジグザグの狭い山道でも安心して乗っておれた。長距離なのに7,000円の送迎料で送って頂いたのは有り難かった。
吉ヶ平には廃校になった後リフォームされた小学校の校舎があった。今では林間学校の宿泊施設となっているようだ。この施設の中には一般人も利用できる清潔なトイレがあった。ここで民宿で作ってもらった朝食のオニギリとオカズを食べる。2個のオニギリは年寄りには多すぎて1個は行動食として持って行く事にした。
0
10/2 5:39
吉ヶ平には廃校になった後リフォームされた小学校の校舎があった。今では林間学校の宿泊施設となっているようだ。この施設の中には一般人も利用できる清潔なトイレがあった。ここで民宿で作ってもらった朝食のオニギリとオカズを食べる。2個のオニギリは年寄りには多すぎて1個は行動食として持って行く事にした。
(6:16)(標高405m) 登山開始。この吉ヶ平登山口には登山届用のポストがあり、事前に用意していた登山計画書を投函する。1泊2日のテント泊の装備を詰めた各自のリュックサックの重さは9kg程度である。
0
10/2 6:16
(6:16)(標高405m) 登山開始。この吉ヶ平登山口には登山届用のポストがあり、事前に用意していた登山計画書を投函する。1泊2日のテント泊の装備を詰めた各自のリュックサックの重さは9kg程度である。
すぐ守門川の橋を渡る。橋の袂には「椿尾根から先、県道鞍掛八木向線は崩落のため、通り抜けできません。」との看板があった。
0
10/2 6:19
すぐ守門川の橋を渡る。橋の袂には「椿尾根から先、県道鞍掛八木向線は崩落のため、通り抜けできません。」との看板があった。
先ずは広い緩やかな勾配の道を歩く。
0
10/2 6:27
先ずは広い緩やかな勾配の道を歩く。
700m歩いたら「馬場跡」の石碑があり、「雨生池・番屋山」との分岐点に来た。我々は回り道をする余裕が無く、八十里越の道を取る。
0
10/2 6:34
700m歩いたら「馬場跡」の石碑があり、「雨生池・番屋山」との分岐点に来た。我々は回り道をする余裕が無く、八十里越の道を取る。
「八十里越」と「八十里・天保古道 緩やか、少し遠回り・椿尾根」の分岐点があった。「天保古道」とはどんな道か帰宅後ヤマテンの「みんなの足跡」を見たら地図上のP574の近くを巻く道のようだ。
0
10/2 6:59
「八十里越」と「八十里・天保古道 緩やか、少し遠回り・椿尾根」の分岐点があった。「天保古道」とはどんな道か帰宅後ヤマテンの「みんなの足跡」を見たら地図上のP574の近くを巻く道のようだ。
我々は「八十里越」の道を行く。
0
10/2 7:06
我々は「八十里越」の道を行く。
このコースは至るところ小沢があり水には困らないが、ここが最初の給水場所である。備え付けのコップを使って飲んだが冷たく美味しい水であった。
0
10/2 7:09
このコースは至るところ小沢があり水には困らないが、ここが最初の給水場所である。備え付けのコップを使って飲んだが冷たく美味しい水であった。
「十八坂」と言う看板があった。普通こういう番号があるとジグザグに18回曲がって登る道を想像するが、そのような曲がり角は無く、この名前はどこから来たのだろう?
0
10/2 7:14
「十八坂」と言う看板があった。普通こういう番号があるとジグザグに18回曲がって登る道を想像するが、そのような曲がり角は無く、この名前はどこから来たのだろう?
「八十里 明治新道 緩やか、少し遠回り・椿尾根」と書かれた分岐点があった。この場所は先ほどの「天保古道」の合流点であろう。
0
10/2 7:23
「八十里 明治新道 緩やか、少し遠回り・椿尾根」と書かれた分岐点があった。この場所は先ほどの「天保古道」の合流点であろう。
「馬繋場」に来た。昔旅人で賑わった街道の頃、ここで馬を繋ぎ止めて水を飲ませ、自分は茶店で一服したのかも知れない。
0
10/2 7:29
「馬繋場」に来た。昔旅人で賑わった街道の頃、ここで馬を繋ぎ止めて水を飲ませ、自分は茶店で一服したのかも知れない。
(7:44)(標高735m) 「椿尾根」の石碑があった。地図で見ると「番屋山」から派生した尾根の窪みにあたる。
0
10/2 7:44
(7:44)(標高735m) 「椿尾根」の石碑があった。地図で見ると「番屋山」から派生した尾根の窪みにあたる。
この石碑から数m行くと番屋山に登る分岐点があった。
0
10/2 8:05
この石碑から数m行くと番屋山に登る分岐点があった。
この辺りから左側が山、右側が谷のトラバース道となり、それが番屋峠まで続いた。所々左から小沢が出てきて、深くえぐれている場所を越えるので設置してあるトラロープの助けを借りて慎重に渡る。
0
10/2 8:08
この辺りから左側が山、右側が谷のトラバース道となり、それが番屋峠まで続いた。所々左から小沢が出てきて、深くえぐれている場所を越えるので設置してあるトラロープの助けを借りて慎重に渡る。
所々急傾斜の斜面に細い道が付けられているので足を踏み外さないように慎重に進む。
0
10/2 8:11
所々急傾斜の斜面に細い道が付けられているので足を踏み外さないように慎重に進む。
小沢を越えて対岸に渡る時に濡れて滑りそうな一枚岩を登らねばならぬ時は設置してあるトラロープは非常に有り難い。
0
10/2 8:41
小沢を越えて対岸に渡る時に濡れて滑りそうな一枚岩を登らねばならぬ時は設置してあるトラロープは非常に有り難い。
祠があり、古い硬貨が供えられていた。
0
10/2 9:09
祠があり、古い硬貨が供えられていた。
(9:27)(標高895m) 「番屋乗越」着。
0
10/2 9:51
(9:27)(標高895m) 「番屋乗越」着。
この山旅に出発する前は天気が不安定で、最悪の場合雨での登山もあるかと心配していたが、幸いにも今日は快晴で少し暑いくらいである。急ぐ旅でもなく30分以上休む。
0
10/2 9:29
この山旅に出発する前は天気が不安定で、最悪の場合雨での登山もあるかと心配していたが、幸いにも今日は快晴で少し暑いくらいである。急ぐ旅でもなく30分以上休む。
番屋峠からは右手が山、左手が沢のトラバース道となる。しばらくは気持ちの良い道であった。
0
10/2 10:04
番屋峠からは右手が山、左手が沢のトラバース道となる。しばらくは気持ちの良い道であった。
遠くには建設中の国道が見える。えらく高い橋がかかっている。
0
10/2 10:17
遠くには建設中の国道が見える。えらく高い橋がかかっている。
所々は急傾斜に作られたトラバース道を行く。トラロープは鎖と違ってかなり緩んでいて実際落ちた時にどの程度頼りになるか分からないが、それでも心理的には気休めになる。
0
10/2 10:32
所々は急傾斜に作られたトラバース道を行く。トラロープは鎖と違ってかなり緩んでいて実際落ちた時にどの程度頼りになるか分からないが、それでも心理的には気休めになる。
このように広い道が出てくると緊張がほぐれる。
0
10/2 11:23
このように広い道が出てくると緊張がほぐれる。
(11:35)(標高680m) 大きな沢に出たので高清水沢に着いたかと思ったらその手前の沢(ブナ沢)であった。地図で見るとこちらの沢の方が高清水沢より深くて明瞭な沢である。
0
10/2 11:30
(11:35)(標高680m) 大きな沢に出たので高清水沢に着いたかと思ったらその手前の沢(ブナ沢)であった。地図で見るとこちらの沢の方が高清水沢より深くて明瞭な沢である。
(11:58)(標高730m) 高清水沢。幸い水量が少ないので足を濡らさずに渡れた。
0
10/2 11:58
(11:58)(標高730m) 高清水沢。幸い水量が少ないので足を濡らさずに渡れた。
森の中の道は日射量が少ないので雑草は殆ど生えていないが、頭上に木が無い場所だと日射量は強いので雑草がすごい。しかし、どなたかボランティアの方々のおかげで近頃除草がなされたらしく、道の部分は支障なく歩く事が出来た。
0
10/2 12:24
森の中の道は日射量が少ないので雑草は殆ど生えていないが、頭上に木が無い場所だと日射量は強いので雑草がすごい。しかし、どなたかボランティアの方々のおかげで近頃除草がなされたらしく、道の部分は支障なく歩く事が出来た。
高清水沢を越えると地形が緩やかになるのでトラバース道の緊張もなくなる。「唐沢小屋跡」に着いた。昔の旅人もここでゆっくりと休んだのだろう。
0
10/2 12:28
高清水沢を越えると地形が緩やかになるのでトラバース道の緊張もなくなる。「唐沢小屋跡」に着いた。昔の旅人もここでゆっくりと休んだのだろう。
「空堀」という石碑があった。昔はこの辺に山城が有ったのかな?鞍掛峠まであと2.7kmの地点。
0
10/2 12:33
「空堀」という石碑があった。昔はこの辺に山城が有ったのかな?鞍掛峠まであと2.7kmの地点。
「殿様清水」の石碑。
0
10/2 13:01
「殿様清水」の石碑。
地図上で崖マークが書かれている辺りから少し登り傾斜が強くなり、トラバース道も狭く緊張する場所が多くなって来た。
0
10/2 13:29
地図上で崖マークが書かれている辺りから少し登り傾斜が強くなり、トラバース道も狭く緊張する場所が多くなって来た。
この旅には一応熊鈴を持って来たが、チリンチリンとやかましいので使用を止め、その代わり見通しの悪い場所では必ず笛や口笛を吹く事にしていた。道路上に熊の多量の糞を見ると笛を吹く回数が増える。
0
10/2 13:33
この旅には一応熊鈴を持って来たが、チリンチリンとやかましいので使用を止め、その代わり見通しの悪い場所では必ず笛や口笛を吹く事にしていた。道路上に熊の多量の糞を見ると笛を吹く回数が増える。
(14:16)(標高965m) ようやく鞍掛峠に着いた。テント持参で急ぐ旅でもなく、時々長時間休みながらゆっくりと歩いて来た為、予定していた到着時刻より大幅に遅れてしまったが問題は無い。
0
10/2 14:16
(14:16)(標高965m) ようやく鞍掛峠に着いた。テント持参で急ぐ旅でもなく、時々長時間休みながらゆっくりと歩いて来た為、予定していた到着時刻より大幅に遅れてしまったが問題は無い。
ここでテントを張ろうかと思ったが、すぐ近くにある小沢は水が枯れているのでもう少し歩いて適当な水場と広場がある所まで行こうと言う事になった。鞍掛峠からの道は広くなだらかな下りとなっていて緊張する所は無い。
0
10/2 14:20
ここでテントを張ろうかと思ったが、すぐ近くにある小沢は水が枯れているのでもう少し歩いて適当な水場と広場がある所まで行こうと言う事になった。鞍掛峠からの道は広くなだらかな下りとなっていて緊張する所は無い。
(14:53)(標高941m) 鞍掛峠から700mくらい歩いたら水が出ている小沢があったのでその少し手前の道の広くなった場所にテントを張る事にした。沢の水量は多くはなかったが数分ほどで2Lのプラティパスを2本満タンに出来た。
0
10/2 14:58
(14:53)(標高941m) 鞍掛峠から700mくらい歩いたら水が出ている小沢があったのでその少し手前の道の広くなった場所にテントを張る事にした。沢の水量は多くはなかったが数分ほどで2Lのプラティパスを2本満タンに出来た。
道は広葉樹の葉っぱが何層にも積もっていて外でガスコンロを使うために周りの落ち葉を取り除こうとして掘ると土壌になりかかった落ち葉が現れ、なかなか硬い地面が出てこなかった。
0
10/2 15:37
道は広葉樹の葉っぱが何層にも積もっていて外でガスコンロを使うために周りの落ち葉を取り除こうとして掘ると土壌になりかかった落ち葉が現れ、なかなか硬い地面が出てこなかった。
外でゆっくりと夕食用のお湯を沸かしているとポツリと雨が降り出した。未だ16時頃だが外はかなり暗くなっている。これから雨が本格的に来そうだと急いで外にあった物を全てテントの中に移した。
0
10/2 16:01
外でゆっくりと夕食用のお湯を沸かしているとポツリと雨が降り出した。未だ16時頃だが外はかなり暗くなっている。これから雨が本格的に来そうだと急いで外にあった物を全てテントの中に移した。
16時半頃には雨が本格的になってきた。今までずっと晴れの中を歩けた事に感謝する。Mさんは料理の達人で今日の夕飯はトルティーアという大きな餃子の皮のような物に数種類の炒めた野菜を乗せ、チーズをかけて溶かしたタコス料理である。この写真では容器と敷物はイマイチだが、味は一流のレストラン並みの美味しさであった。
0
10/2 17:37
16時半頃には雨が本格的になってきた。今までずっと晴れの中を歩けた事に感謝する。Mさんは料理の達人で今日の夕飯はトルティーアという大きな餃子の皮のような物に数種類の炒めた野菜を乗せ、チーズをかけて溶かしたタコス料理である。この写真では容器と敷物はイマイチだが、味は一流のレストラン並みの美味しさであった。
(10月3日)昨夜の雨は1時かなり強く降ったが午前2時半頃には止んだ。テントの下は落ち葉が厚く積もっているので雨水を通してくれ、テント・シートが水に濡れる事はなかった。3時半に起き、各自朝食(私はフリーズドライのお粥とコンビニオニギリ)を食べ、水気をタップリ含んだテントを畳んで(5:46)に出発。トラバース道は所々狭くなる。
0
10/3 5:48
(10月3日)昨夜の雨は1時かなり強く降ったが午前2時半頃には止んだ。テントの下は落ち葉が厚く積もっているので雨水を通してくれ、テント・シートが水に濡れる事はなかった。3時半に起き、各自朝食(私はフリーズドライのお粥とコンビニオニギリ)を食べ、水気をタップリ含んだテントを畳んで(5:46)に出発。トラバース道は所々狭くなる。
国土地理院の地図で尾根が南に突き出ている突端に「小松横手」の石碑があった。
0
10/3 5:54
国土地理院の地図で尾根が南に突き出ている突端に「小松横手」の石碑があった。
下界は見事な雲海である。
0
10/3 5:56
下界は見事な雲海である。
「小松横手」を過ぎて少し歩くと又斜面は緩み、道も幅が広くなった。今まで沢に橋がかかっている場所は無かったが、ここには石垣を築いて橋が架けられたような跡があった。
0
10/3 6:16
「小松横手」を過ぎて少し歩くと又斜面は緩み、道も幅が広くなった。今まで沢に橋がかかっている場所は無かったが、ここには石垣を築いて橋が架けられたような跡があった。
(6:29)(標高910m) 道の右側に田代平に行く分岐点があった。これまで私がヤマレコで見た数件の記録では田代平にはこの地点から往復するログしか見た事が無かったが、同行のMさんのスマホ地図には湿原を反時計回りに半周するコースが記録されていたのでそちらに行く事にする。
0
10/3 6:29
(6:29)(標高910m) 道の右側に田代平に行く分岐点があった。これまで私がヤマレコで見た数件の記録では田代平にはこの地点から往復するログしか見た事が無かったが、同行のMさんのスマホ地図には湿原を反時計回りに半周するコースが記録されていたのでそちらに行く事にする。
一般登山道から標高差30mほど下ると湿原に着いた。かなり朽ちて泥の中に埋没しかかっている木道を南西方向に行くと急に南東に折れ曲がった地点があった。
0
10/3 6:37
一般登山道から標高差30mほど下ると湿原に着いた。かなり朽ちて泥の中に埋没しかかっている木道を南西方向に行くと急に南東に折れ曲がった地点があった。
木道の木材部は残っていない部分も多かったが、その木材を止めていた大きなボルトは健在であり、それが道のほうぼうに突き出ているので躓かないように歩かねばならない。
0
10/3 6:41
木道の木材部は残っていない部分も多かったが、その木材を止めていた大きなボルトは健在であり、それが道のほうぼうに突き出ているので躓かないように歩かねばならない。
(6:49)(標高917m) しばらく行くと再び再び登山道にでた。ここは広場になっており、すぐ近くに水が汲めるような小沢があり、見事なテント場であった。昨日ここまで来る事が出来たら良かったのだが。
0
10/3 6:49
(6:49)(標高917m) しばらく行くと再び再び登山道にでた。ここは広場になっており、すぐ近くに水が汲めるような小沢があり、見事なテント場であった。昨日ここまで来る事が出来たら良かったのだが。
テント場の横の水場は昨日の水場より水量が少な目なので数日間雨が降らなければ使えなくなるかも知れない。ドコモ携帯電話が使えるかチェックしたら微かに1本立っていた。
0
10/3 6:50
テント場の横の水場は昨日の水場より水量が少な目なので数日間雨が降らなければ使えなくなるかも知れない。ドコモ携帯電話が使えるかチェックしたら微かに1本立っていた。
しばらく大白川林道の広い道と付いたり離れたりが続く。離れる場所には林道と区別するロープが張られている。
0
10/3 7:23
しばらく大白川林道の広い道と付いたり離れたりが続く。離れる場所には林道と区別するロープが張られている。
地図上でP846.4の場所にブルーシートに覆われた場所が出てきた。遺跡の発掘現場を保存しているような情景である。もしかしたらここに八十里越の遺跡があるのかも知れない。
0
10/3 7:53
地図上でP846.4の場所にブルーシートに覆われた場所が出てきた。遺跡の発掘現場を保存しているような情景である。もしかしたらここに八十里越の遺跡があるのかも知れない。
(7:54)(標高858m) 「八十里峠」に着いた。峠と言っても登り下りの境となるピークを越えるのでは無く、道の左右にある尾根のコルを越えるような場所である。
0
10/3 7:54
(7:54)(標高858m) 「八十里峠」に着いた。峠と言っても登り下りの境となるピークを越えるのでは無く、道の左右にある尾根のコルを越えるような場所である。
道の両側にそれぞれ1個ずつ石碑があり、その内の1個には「八十里峠 木ノ根峠」、他方には「木ノ根茶屋」と書いてあった。
0
10/3 7:55
道の両側にそれぞれ1個ずつ石碑があり、その内の1個には「八十里峠 木ノ根峠」、他方には「木ノ根茶屋」と書いてあった。
ここから道は右手に山、左手に谷となるトラバース道となる。地形が緩くなっているので道幅は広い。
0
10/3 8:05
ここから道は右手に山、左手に谷となるトラバース道となる。地形が緩くなっているので道幅は広い。
しかしながら右からの小沢がほぼ30mおきに出てきて、幅は狭いが深くえぐれている沢もあるので、その都度トラロープのお世話になりながら沢床に下り、対岸の道に戻らねばならない。
0
10/3 8:17
しかしながら右からの小沢がほぼ30mおきに出てきて、幅は狭いが深くえぐれている沢もあるので、その都度トラロープのお世話になりながら沢床に下り、対岸の道に戻らねばならない。
(8:59)(標高825m) 地図上でP822.2の近くの尾根の突端に来たら陽がさして明るく輝いていて祠が祀ってあった。朝から曇りだったが時々陽がさすようになった。頭上に木が無いと少々暑い。
0
10/3 8:59
(8:59)(標高825m) 地図上でP822.2の近くの尾根の突端に来たら陽がさして明るく輝いていて祠が祀ってあった。朝から曇りだったが時々陽がさすようになった。頭上に木が無いと少々暑い。
(10:19)(標高715m) 右から大きな沢が入って来た。ここがこの山旅のフィナーレとなるナコウ(ナコ?)沢である。
0
10/3 10:19
(10:19)(標高715m) 右から大きな沢が入って来た。ここがこの山旅のフィナーレとなるナコウ(ナコ?)沢である。
大雨が降って水量が多いと渡渉が難しいと聞いていたが、今回は幸いにも水量が少なくて簡単に渡れた。
0
10/3 10:20
大雨が降って水量が多いと渡渉が難しいと聞いていたが、今回は幸いにも水量が少なくて簡単に渡れた。
この後は一箇所だけ注意すべき場所があったが、他はルンルン気分で落ち葉の絨毯の上を歩く事が出来た。
0
10/3 10:26
この後は一箇所だけ注意すべき場所があったが、他はルンルン気分で落ち葉の絨毯の上を歩く事が出来た。
国道の工事現場が直ぐ近くのような看板が出てきた。
0
10/3 11:17
国道の工事現場が直ぐ近くのような看板が出てきた。
いよいよ国道である。
0
10/3 11:19
いよいよ国道である。
(11:19)(標高535m) やっと国道289号線に着いた。この辺りの地名は「大麻平」と言うらしい。帰宅後ネットで調べると国道の完成時期は2026年秋から27年夏頃との事。あの高い高い橋を見るだけでも大工事であるのが分かる。
0
10/3 11:19
(11:19)(標高535m) やっと国道289号線に着いた。この辺りの地名は「大麻平」と言うらしい。帰宅後ネットで調べると国道の完成時期は2026年秋から27年夏頃との事。あの高い高い橋を見るだけでも大工事であるのが分かる。
工事中の車両が駐車している。これから1時間程この国道を歩かねばならない。後ろから2,3台車が通り過ぎたが、若い時と違ってヒッチを頼む気力はなかった。
0
10/3 11:42
工事中の車両が駐車している。これから1時間程この国道を歩かねばならない。後ろから2,3台車が通り過ぎたが、若い時と違ってヒッチを頼む気力はなかった。
これまでのヤマレコのログを見るといずれもこの辺りの軌跡は一直線なのでGPS器具の感度が悪くてデータが飛んだのかと思ったが、道はまさしく一本の長い直線道であった。地図上では道は殆ど水平の筈が実際は20mほどの上りである。この辺りでドコモ携帯は3本の通話圏内の標識が立っていた。
0
10/3 12:12
これまでのヤマレコのログを見るといずれもこの辺りの軌跡は一直線なのでGPS器具の感度が悪くてデータが飛んだのかと思ったが、道はまさしく一本の長い直線道であった。地図上では道は殆ど水平の筈が実際は20mほどの上りである。この辺りでドコモ携帯は3本の通話圏内の標識が立っていた。
早速只見駅近くのタクシー会社に電話して入叶津登山口までの迎えを頼む。最初車の手配が難しいと渋っていたが、何とかお願いして来てもらえる事になった。地図上で崖のマークが着いている国道289号線の道路沿いに延々と雪崩用のシェルターが設置されていた。もうこの辺は通話圏外になった。
0
10/3 12:51
早速只見駅近くのタクシー会社に電話して入叶津登山口までの迎えを頼む。最初車の手配が難しいと渋っていたが、何とかお願いして来てもらえる事になった。地図上で崖のマークが着いている国道289号線の道路沿いに延々と雪崩用のシェルターが設置されていた。もうこの辺は通話圏外になった。
国道289号線の建設関係車両しか通行が許されないゲートがあった。ここから先は一般車両も来る事ができる。
0
10/3 13:00
国道289号線の建設関係車両しか通行が許されないゲートがあった。ここから先は一般車両も来る事ができる。
(13:06)(標高466m) ゲートから300mほど歩くと入叶津登山口があり、ここから浅草岳に登れるようになっている。ここはバッチリと通話圏内となっていて、もう一度タクシー会社に電話して来てもらう事を確認する事が出来た。
0
10/3 13:06
(13:06)(標高466m) ゲートから300mほど歩くと入叶津登山口があり、ここから浅草岳に登れるようになっている。ここはバッチリと通話圏内となっていて、もう一度タクシー会社に電話して来てもらう事を確認する事が出来た。
タクシーは思っていたよりも早く来てくれ、(13:26)只見駅近くの「只見保養センターひとっぷろまち湯」に着いた(タクシー代は3,010円)。入浴料は500円。平日で未だ太陽が高いせいか男風呂の利用者は我々のみであった。
0
10/3 14:45
タクシーは思っていたよりも早く来てくれ、(13:26)只見駅近くの「只見保養センターひとっぷろまち湯」に着いた(タクシー代は3,010円)。入浴料は500円。平日で未だ太陽が高いせいか男風呂の利用者は我々のみであった。
道中泥濘を歩いて登山靴、スパッツ、靴下、ズボンの下部がかなり泥だらけになっていて、お風呂屋さんに申し訳無いと思いつつ入室し長袖シャツを脱ぐと、左腕の内側にダニの頭部が食い込んで下半身が飛び出していた。無理して取り出すのを止めて帰宅翌日皮膚科に行き、取り出してもらって抗生物質をもらった。
0
10/3 14:25
道中泥濘を歩いて登山靴、スパッツ、靴下、ズボンの下部がかなり泥だらけになっていて、お風呂屋さんに申し訳無いと思いつつ入室し長袖シャツを脱ぐと、左腕の内側にダニの頭部が食い込んで下半身が飛び出していた。無理して取り出すのを止めて帰宅翌日皮膚科に行き、取り出してもらって抗生物質をもらった。
(15:56) 風呂にゆっくり浸かり、待合室で休んだ後、只見駅に行った。食事をしようとしたが時間が中途半端で営業している食堂も無く、近くのコンビニでコーヒーを買って山の行動食を食べた。
0
10/3 15:56
(15:56) 風呂にゆっくり浸かり、待合室で休んだ後、只見駅に行った。食事をしようとしたが時間が中途半端で営業している食堂も無く、近くのコンビニでコーヒーを買って山の行動食を食べた。
JR只見線は2011年の新潟・福島豪雨で甚大な被害を受け、11年間不通となっていたが、2022年10月1日に全線運転が再開されたとの事で、駅構内には地元の人の鉄道愛が溢れた展示物があった。
0
10/3 16:17
JR只見線は2011年の新潟・福島豪雨で甚大な被害を受け、11年間不通となっていたが、2022年10月1日に全線運転が再開されたとの事で、駅構内には地元の人の鉄道愛が溢れた展示物があった。
小出行きの列車がやって来た。(16:31) 出発。小出を経由して浦佐に行き、新幹線で(20:12)に東京に戻った。
0
10/3 16:21
小出行きの列車がやって来た。(16:31) 出発。小出を経由して浦佐に行き、新幹線で(20:12)に東京に戻った。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する