鎌倉駅9:00に出発して宝戒寺のハギを見学してみる。ハギは、咲き終わってわずかに白、紫の花が少し残っているだけである。
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10/23 9:21
鎌倉駅9:00に出発して宝戒寺のハギを見学してみる。ハギは、咲き終わってわずかに白、紫の花が少し残っているだけである。
鎌倉宮へのお宮通り入口手前を右折して田楽辻の道へ入る。田楽辻の道の案内板に従い右折して釈迦堂口切通の工事具合を眺めて見る。
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10/23 9:58
鎌倉宮へのお宮通り入口手前を右折して田楽辻の道へ入る。田楽辻の道の案内板に従い右折して釈迦堂口切通の工事具合を眺めて見る。
釈迦堂口切通へ行く途中の道の様子である。釈迦堂口切通は、工事のフェンスがあり中へは入れない。
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10/23 9:51
釈迦堂口切通へ行く途中の道の様子である。釈迦堂口切通は、工事のフェンスがあり中へは入れない。
工事中フェンスの隙間から釈迦堂口切通を撮る。来た道を引き返し、田楽辻の道へ戻る。
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10/23 9:45
工事中フェンスの隙間から釈迦堂口切通を撮る。来た道を引き返し、田楽辻の道へ戻る。
道の途中の民家の庭に黒猫がいたので撮って見る。鎌倉の路地では、猫をたくさん見かける。
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10/23 9:53
道の途中の民家の庭に黒猫がいたので撮って見る。鎌倉の路地では、猫をたくさん見かける。
案内標に従って衣張山へ登る細い道へ入る。ジグザグした急な坂道を登って行く。まだ、紅葉には早く木々は緑である。山道の途中に夫婦の道祖神が飾られている。
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10/23 10:12
案内標に従って衣張山へ登る細い道へ入る。ジグザグした急な坂道を登って行く。まだ、紅葉には早く木々は緑である。山道の途中に夫婦の道祖神が飾られている。
衣張山頂上手前の道である。藪は、まだ緑色である。
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10/23 10:26
衣張山頂上手前の道である。藪は、まだ緑色である。
衣張山は、標高120mの丘のような山である。一汗かくと頂上の少し広場になった場所へ出る。逗子、大船など見晴しが効く場所である。
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10/23 10:16
衣張山は、標高120mの丘のような山である。一汗かくと頂上の少し広場になった場所へ出る。逗子、大船など見晴しが効く場所である。
お地蔵さんが、飾られている。隣に日向ぼこをしていた猫がいた。お腹が空いていたらしくすり寄ってきて餌をねだるのでむすび、パンを少し上げる。
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10/23 10:19
お地蔵さんが、飾られている。隣に日向ぼこをしていた猫がいた。お腹が空いていたらしくすり寄ってきて餌をねだるのでむすび、パンを少し上げる。
頂上から逗子方面を眺めた景色である。秋晴れの良い天気だあるが少しもやっている。ここから富士山が、見えるようである。あいにく今日は見ることができなかった。
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10/23 10:20
頂上から逗子方面を眺めた景色である。秋晴れの良い天気だあるが少しもやっている。ここから富士山が、見えるようである。あいにく今日は見ることができなかった。
アザミが、道端に薄いピンクの花を咲かせている。
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10/23 10:30
アザミが、道端に薄いピンクの花を咲かせている。
逗子鎌倉ハイランドの住宅脇に富士山が良く見える場所がある。富士山の姿は、拝むことができなかった。
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10/23 10:45
逗子鎌倉ハイランドの住宅脇に富士山が良く見える場所がある。富士山の姿は、拝むことができなかった。
住宅地脇の緑地を通ってまんだら堂、名越切通へ行く道へ入る。途中の道脇に優しいお顔のお地蔵様が建っていた。
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10/23 10:49
住宅地脇の緑地を通ってまんだら堂、名越切通へ行く道へ入る。途中の道脇に優しいお顔のお地蔵様が建っていた。
細い砂岩のような山道を進んでゆくとお花畠の大切岸手前の広場へ出る。
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10/23 11:07
細い砂岩のような山道を進んでゆくとお花畠の大切岸手前の広場へ出る。
大切岸は、山城などで敵の侵入を防ぐ人工的な崖のことで、お猿畠の大切岸は、長さ800m以上に渡って高さ3~10mにもなる切り立った崖が尾根に沿って続いている。
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10/23 10:57
大切岸は、山城などで敵の侵入を防ぐ人工的な崖のことで、お猿畠の大切岸は、長さ800m以上に渡って高さ3~10mにもなる切り立った崖が尾根に沿って続いている。
鎌倉時代前期の防衛遺構と言われてきたが、発掘調査の結果、石切場の跡だということが確認されたようである。
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10/23 11:03
鎌倉時代前期の防衛遺構と言われてきたが、発掘調査の結果、石切場の跡だということが確認されたようである。
14~15世紀の鎌倉では建物基礎、溝の護岸、井戸枠など周辺の山から石材が切りだされて用いられた。ここで大規模の石切が行われたのもその頃が中心と考えられている。
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10/23 11:07
14~15世紀の鎌倉では建物基礎、溝の護岸、井戸枠など周辺の山から石材が切りだされて用いられた。ここで大規模の石切が行われたのもその頃が中心と考えられている。
大切岸手前の広場に植えて有った木でやがて葉っぱが赤く色づくであろう。
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10/23 10:58
大切岸手前の広場に植えて有った木でやがて葉っぱが赤く色づくであろう。
大切岸手前の広場から見えた法性寺の奥の院山王権現にある五輪塔などの景色である。
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10/23 10:58
大切岸手前の広場から見えた法性寺の奥の院山王権現にある五輪塔などの景色である。
まんだら堂へ行く途中にあった二つの石廟で鎌倉市指定文化財のようである。
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10/23 11:09
まんだら堂へ行く途中にあった二つの石廟で鎌倉市指定文化財のようである。
もう一つは、やや小さい石廟である。
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10/23 11:09
もう一つは、やや小さい石廟である。
この付近は、案内標が良く整備されている。ここで道が三つに分かれている。大切岸は、通ってきた道でこれからまんだら堂、名越切通方面へ進む。
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10/23 11:15
この付近は、案内標が良く整備されている。ここで道が三つに分かれている。大切岸は、通ってきた道でこれからまんだら堂、名越切通方面へ進む。
まんだら堂やぐら群へ案内する指導標である。今の時期は、一部発掘・整備・調査中で土、日しか開放されていない。
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10/23 12:08
まんだら堂やぐら群へ案内する指導標である。今の時期は、一部発掘・整備・調査中で土、日しか開放されていない。
階段の上がった場所にまんだら堂やぐら群はある。まんだら堂の外側は金網で囲まれている。この先に入口があり、公開は逗子市が管理している。
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10/23 12:07
階段の上がった場所にまんだら堂やぐら群はある。まんだら堂の外側は金網で囲まれている。この先に入口があり、公開は逗子市が管理している。
まんだら堂やぐら群の説明板である。
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10/23 11:19
まんだら堂やぐら群の説明板である。
やぐらとは、崖に四角い横穴を掘り、主に内部に石塔を建てるなどして納骨・供養する昔の施設である。
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10/23 11:19
やぐらとは、崖に四角い横穴を掘り、主に内部に石塔を建てるなどして納骨・供養する昔の施設である。
13世紀後半から16世紀ころまで使われ、鎌倉、鎌倉に縁の深い寺院、地域などに分布する特殊な遺構である。
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10/23 11:19
13世紀後半から16世紀ころまで使われ、鎌倉、鎌倉に縁の深い寺院、地域などに分布する特殊な遺構である。
まんだら堂やぐら群は、2m四方程度の小規模のものを中心に150穴以上が確認されていてたいへん貴重なものであると説明されている。
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10/23 11:22
まんだら堂やぐら群は、2m四方程度の小規模のものを中心に150穴以上が確認されていてたいへん貴重なものであると説明されている。
平場の遺構に関する説明でここにその当時に建物があり、この付近のやぐらの葬送・供養が行われていたようである。
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10/23 11:30
平場の遺構に関する説明でここにその当時に建物があり、この付近のやぐらの葬送・供養が行われていたようである。
まだ、発掘調査が行われている付近のやぐらである。やぐらは、4層くらいで構成されていたようである。
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10/23 11:32
まだ、発掘調査が行われている付近のやぐらである。やぐらは、4層くらいで構成されていたようである。
やぐらの中の多数の五輪塔が納められていて、幻想的である。
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10/23 11:57
やぐらの中の多数の五輪塔が納められていて、幻想的である。
火葬場跡の説明板である。この70cm下に岩盤を掘った二つの穴が発見されている。穴の内側が黒く焦げていて、遺体を火葬した場所ではないかと説明している。
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10/23 11:57
火葬場跡の説明板である。この70cm下に岩盤を掘った二つの穴が発見されている。穴の内側が黒く焦げていて、遺体を火葬した場所ではないかと説明している。
まんだら堂を出て少し進んだ場所に名越切通がある。鎌倉時代に尾根を掘り割って造られた道である。
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10/23 12:02
まんだら堂を出て少し進んだ場所に名越切通がある。鎌倉時代に尾根を掘り割って造られた道である。
名越切通は、鎌倉七口の一つで、昔に鎌倉と三浦半島方面を結ぶ陸路として重要な役割を果たしてきた。
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10/23 12:02
名越切通は、鎌倉七口の一つで、昔に鎌倉と三浦半島方面を結ぶ陸路として重要な役割を果たしてきた。
名越切通は、道の両側から崖が狭く迫ってきており敵が鎌倉を一気に攻め込むことができないように作られているという。
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10/23 12:04
名越切通は、道の両側から崖が狭く迫ってきており敵が鎌倉を一気に攻め込むことができないように作られているという。
亀が丘団地口から大町口の間に大小3つの切通しがある。
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10/23 12:04
亀が丘団地口から大町口の間に大小3つの切通しがある。
ここは、まんだら堂の入口付近の第二切通口付近?である。
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10/23 12:05
ここは、まんだら堂の入口付近の第二切通口付近?である。
まんだら堂、名越切通の見学を終えて元来た道を戻り、これから行く法性寺へ下る道へ進む。
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10/23 12:07
まんだら堂、名越切通の見学を終えて元来た道を戻り、これから行く法性寺へ下る道へ進む。
木立ちの道の右に細い下る道があり案内にしたがって坂道を下って行く。
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10/23 12:10
木立ちの道の右に細い下る道があり案内にしたがって坂道を下って行く。
法性寺の墓地脇へ出る道がある。ここにも大切岸のような崖が現れる。またここから見学してきたお猿畠の大切岸を眺めることができる。
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10/23 12:18
法性寺の墓地脇へ出る道がある。ここにも大切岸のような崖が現れる。またここから見学してきたお猿畠の大切岸を眺めることができる。
法性寺の墓地上に高い場所に奥の院の山王大権現の五輪塔が木の間から見える。
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10/23 12:23
法性寺の墓地上に高い場所に奥の院の山王大権現の五輪塔が木の間から見える。
他宗を激しく非難したことで知られる日蓮は、文応元年(1260年)鎌倉の松葉ヶ谷にあった小庵を念仏宗徒たちに襲撃される。そのときに突如白い猿が現れて、日蓮をある山にあった洞窟に導いてくれ、難を逃れたという。法性寺は、その日蓮とゆかりがある日蓮宗の寺である。
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10/23 12:24
他宗を激しく非難したことで知られる日蓮は、文応元年(1260年)鎌倉の松葉ヶ谷にあった小庵を念仏宗徒たちに襲撃される。そのときに突如白い猿が現れて、日蓮をある山にあった洞窟に導いてくれ、難を逃れたという。法性寺は、その日蓮とゆかりがある日蓮宗の寺である。
正面のお堂は祖師堂(そしどう:各宗寺院で、祖師を祀った堂)で、このお堂の左にある洞窟で日蓮は、修業したと伝えられている。
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10/23 12:38
正面のお堂は祖師堂(そしどう:各宗寺院で、祖師を祀った堂)で、このお堂の左にある洞窟で日蓮は、修業したと伝えられている。
法性寺の奥の院のこの鳥居をくぐり、階段を登った先に山王大権現がある。
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10/23 12:38
法性寺の奥の院のこの鳥居をくぐり、階段を登った先に山王大権現がある。
山王大権現の五輪塔である。
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10/23 12:26
山王大権現の五輪塔である。
山王大権現にあった小さな祠である。ここの小高い広場から、四方が見渡せる。
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10/23 12:26
山王大権現にあった小さな祠である。ここの小高い広場から、四方が見渡せる。
遠くにお猿畠の大切岸の全容を見ることができる。
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10/23 12:27
遠くにお猿畠の大切岸の全容を見ることができる。
まんだら堂の近くに建っている洋館である。
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10/23 12:29
まんだら堂の近くに建っている洋館である。
法性寺の奥の院を下ってきた坂道階段脇に赤ん坊を抱いた白猿の石像がある。襲撃された日蓮を助けた白猿にちなんでいるのだろう。
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10/23 12:40
法性寺の奥の院を下ってきた坂道階段脇に赤ん坊を抱いた白猿の石像がある。襲撃された日蓮を助けた白猿にちなんでいるのだろう。
法性寺は、本堂に人が住んでいるようである。本堂は、住宅を兼ねたちょっと立派な普通の家のようで上の奥の院の方がお寺らしい雰囲気がする。
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10/23 12:43
法性寺は、本堂に人が住んでいるようである。本堂は、住宅を兼ねたちょっと立派な普通の家のようで上の奥の院の方がお寺らしい雰囲気がする。
法性寺から名越切通しへ行ける案内板である。
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10/23 12:44
法性寺から名越切通しへ行ける案内板である。
古くて立派な山門の扁額(へんがく)には「猿畠山」の文字がある。そして扁額の左右に白い猿がいて、扁額を抱えるようにしている。
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10/23 12:48
古くて立派な山門の扁額(へんがく)には「猿畠山」の文字がある。そして扁額の左右に白い猿がいて、扁額を抱えるようにしている。
山門の脇に青空に渋柿がなっている。このすぐ前をJR横須賀線が走っていて山門を出てすぐ右手に踏切がある。
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10/23 12:49
山門の脇に青空に渋柿がなっている。このすぐ前をJR横須賀線が走っていて山門を出てすぐ右手に踏切がある。
横須賀線の踏切沿いを歩いて岩殿観音寺へ行く。岩殿観音寺へ通じる道の入口に大きな石の案内柱が立っている。道なりに進むと赤い幟旗の立つ参道の入口に至る。岩殿観音寺は、坂東三十三観音の一つである。
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10/23 13:01
横須賀線の踏切沿いを歩いて岩殿観音寺へ行く。岩殿観音寺へ通じる道の入口に大きな石の案内柱が立っている。道なりに進むと赤い幟旗の立つ参道の入口に至る。岩殿観音寺は、坂東三十三観音の一つである。
参道は、両側にアジサイと和歌の石碑がある。今の秋の時期は、きれいなボケの花が咲いていた。
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10/23 13:03
参道は、両側にアジサイと和歌の石碑がある。今の秋の時期は、きれいなボケの花が咲いていた。
岩殿観音寺の縁起を説明した碑である。
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10/23 13:38
岩殿観音寺の縁起を説明した碑である。
岩殿観音寺の古めかしい山門である。千社札ベタベタっぷり貼ってある。二番札所で一番は、鎌倉の杉本寺である。
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10/23 13:04
岩殿観音寺の古めかしい山門である。千社札ベタベタっぷり貼ってある。二番札所で一番は、鎌倉の杉本寺である。
山門から参道を眺めて見る。長い参道の先に山門がありその先に本堂へ登る長い階段が続く。
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10/23 13:06
山門から参道を眺めて見る。長い参道の先に山門がありその先に本堂へ登る長い階段が続く。
山門の先に休憩所がありその奥は、納経所と綺麗なお庭がある。
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10/23 13:09
山門の先に休憩所がありその奥は、納経所と綺麗なお庭がある。
庭で咲いていた赤い小さな実を付けたニシキギの木である。
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10/23 13:10
庭で咲いていた赤い小さな実を付けたニシキギの木である。
白と赤のシュウメイギクが、花を咲かせていた。
2
10/23 13:11
白と赤のシュウメイギクが、花を咲かせていた。
納経所の入口で御朱帳、御朱印の押印、各種資料の入手ができるようである。
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10/23 13:14
納経所の入口で御朱帳、御朱印の押印、各種資料の入手ができるようである。
爪掘地蔵尊と記録されていた珍しいお地蔵さんである。
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10/23 13:24
爪掘地蔵尊と記録されていた珍しいお地蔵さんである。
本堂の階段上から山門を眺めると長い階段があり登るのに一汗かく。
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10/23 13:25
本堂の階段上から山門を眺めると長い階段があり登るのに一汗かく。
本堂脇の景色である。裏山へ通じている道もあるが門が閉じていて行けないようである。
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10/23 13:28
本堂脇の景色である。裏山へ通じている道もあるが門が閉じていて行けないようである。
本堂の上からは逗子の街並みと海を見渡すことが出来まする。
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10/23 13:33
本堂の上からは逗子の街並みと海を見渡すことが出来まする。
岩殿観音寺の見学後は、JR横須賀線の踏切を渡って京急逗子駅の近くにある延命寺へ寄る。その後、田越川へ出て田越橋を渡り川沿いを歩いて逗子海岸へ出る。
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10/23 14:12
岩殿観音寺の見学後は、JR横須賀線の踏切を渡って京急逗子駅の近くにある延命寺へ寄る。その後、田越川へ出て田越橋を渡り川沿いを歩いて逗子海岸へ出る。
途中にあった六代御前の墓と大ケヤキの木を見学する。ケヤキは、高さ8m、幹回り500cmで保存木として指定されている。
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10/23 14:36
途中にあった六代御前の墓と大ケヤキの木を見学する。ケヤキは、高さ8m、幹回り500cmで保存木として指定されている。
六代御前の墓近くに掲げられていた伝説を説明する板である。平維盛の嫡男が平家滅亡の時処刑されそうになったのを文覚上人に助けられたが、再び捉えられて処刑されたと記録している。
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10/23 14:42
六代御前の墓近くに掲げられていた伝説を説明する板である。平維盛の嫡男が平家滅亡の時処刑されそうになったのを文覚上人に助けられたが、再び捉えられて処刑されたと記録している。
諸橋交差点を右折して湘南道路の橋を渡る。その先が逗子海岸である。
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10/23 14:52
諸橋交差点を右折して湘南道路の橋を渡る。その先が逗子海岸である。
逗子海岸は、石原慎太郎の太陽の季節の文学碑が建っている。広い砂浜が小坪辺りまで広がっている。
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10/23 14:55
逗子海岸は、石原慎太郎の太陽の季節の文学碑が建っている。広い砂浜が小坪辺りまで広がっている。
遠くに江の島が、薄っすら海に浮かんで見える。ここから富士山が、見えダイヤモンド富士が見えるようである。この日は、生憎富士山を見ることができなかった。
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10/23 14:59
遠くに江の島が、薄っすら海に浮かんで見える。ここから富士山が、見えダイヤモンド富士が見えるようである。この日は、生憎富士山を見ることができなかった。
夏は、逗子海水浴場として都心、横浜、鎌倉などから多くの海水浴客でにぎわうようである。
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10/23 15:04
夏は、逗子海水浴場として都心、横浜、鎌倉などから多くの海水浴客でにぎわうようである。
秋の海でたくさんの人が、ウインドウ・サーフィン、ビーチバレーなどを楽しんでいた。
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10/23 15:05
秋の海でたくさんの人が、ウインドウ・サーフィン、ビーチバレーなどを楽しんでいた。
太陽の光を受けた海がキラキラ光って平和な光景である。このあと京急ビーチセンタ前から逗子駅へ戻る。
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10/23 15:18
太陽の光を受けた海がキラキラ光って平和な光景である。このあと京急ビーチセンタ前から逗子駅へ戻る。
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