高知駅前にやってきたのは、1958年製の真っ赤な603。子供の頃からよく見てました。今のように車両広告が流行る以前の小学生の頃も、電化製品の広告がされていたような記憶があります。
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11/24 8:15
高知駅前にやってきたのは、1958年製の真っ赤な603。子供の頃からよく見てました。今のように車両広告が流行る以前の小学生の頃も、電化製品の広告がされていたような記憶があります。
真っ赤なのは、コカ・コーラの広告だからでした😆
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11/24 8:15
真っ赤なのは、コカ・コーラの広告だからでした😆
603号の車内前面。この右側の一番前の席に、子供の頃によく座っていました。
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11/24 8:17
603号の車内前面。この右側の一番前の席に、子供の頃によく座っていました。
600型の初期の車両に見られるドアのプレスの形が懐かしいのでした。
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11/24 8:25
600型の初期の車両に見られるドアのプレスの形が懐かしいのでした。
という訳で、今日は「梅の辻」で降りました。
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11/24 8:30
という訳で、今日は「梅の辻」で降りました。
実は梅ノ辻は母校(高校)の最寄りの電停なのですね…。校舎は流石に建て替えられています、そして、学校のすぐ先の信号のあたりに筆山の登り口の一つがあったはずです。
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11/24 8:33
実は梅ノ辻は母校(高校)の最寄りの電停なのですね…。校舎は流石に建て替えられています、そして、学校のすぐ先の信号のあたりに筆山の登り口の一つがあったはずです。
ありました。高校の頃、学校内で合宿していて、ここに肝試しに来たとかいう、変な思い出もあります😱。途中に、坂本竜馬のおじいさんの墓などあったりします。江戸時代の年号が刻まれている墓石もたくさんありました。整理されている場所や、藪化している区画も点在します。地元から出たり、家系が絶えたり、事情はいろいろだと思います。
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ありました。高校の頃、学校内で合宿していて、ここに肝試しに来たとかいう、変な思い出もあります😱。途中に、坂本竜馬のおじいさんの墓などあったりします。江戸時代の年号が刻まれている墓石もたくさんありました。整理されている場所や、藪化している区画も点在します。地元から出たり、家系が絶えたり、事情はいろいろだと思います。
林床にはツワブキが咲いていました。ツワブキは冬の季語らしいですね。
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11/24 8:39
林床にはツワブキが咲いていました。ツワブキは冬の季語らしいですね。
登り口から山頂付近まで、お墓はずっと続きました。古い墓石の中のある森を徘徊するような感じです。そして、ずっと薄暗い墓地の中を抜けてると、明るい展望台付近に出てきました。
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11/24 8:50
登り口から山頂付近まで、お墓はずっと続きました。古い墓石の中のある森を徘徊するような感じです。そして、ずっと薄暗い墓地の中を抜けてると、明るい展望台付近に出てきました。
展望台からの長めです。浦戸湾の北部が見えています。
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11/24 8:53
展望台からの長めです。浦戸湾の北部が見えています。
これから行く南嶺の方向です。まだ遠く感じます。
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11/24 8:54
これから行く南嶺の方向です。まだ遠く感じます。
筆山山頂の標柱と三角点。
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11/24 8:58
筆山山頂の標柱と三角点。
筆山山頂の園地の全景です。
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11/24 8:58
筆山山頂の園地の全景です。
ひとまず、山頂から急な階段を反対側に降りていきます。今日もこの階段を駆けあがって、トレーニングしている方がいらっしゃいましたが、ここは高校の部活で、うさぎ跳びで上がったりしました。今では考えられません😱
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11/24 9:01
ひとまず、山頂から急な階段を反対側に降りていきます。今日もこの階段を駆けあがって、トレーニングしている方がいらっしゃいましたが、ここは高校の部活で、うさぎ跳びで上がったりしました。今では考えられません😱
車道で筆山に上がると、ここに出ます。ここから鷲尾山への縦走路が始まります。見ての通り、ずっと墓地が続いていますが、このあたりは新しい墓が多いと思います。
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11/24 9:04
車道で筆山に上がると、ここに出ます。ここから鷲尾山への縦走路が始まります。見ての通り、ずっと墓地が続いていますが、このあたりは新しい墓が多いと思います。
古くからの高知の名家の墓所が多いです。
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11/24 9:05
古くからの高知の名家の墓所が多いです。
皿ヶ峰の登り口です。巻いて通る道もありますが、今日は当然登ります。
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11/24 9:11
皿ヶ峰の登り口です。巻いて通る道もありますが、今日は当然登ります。
登ってくると広がる展望。筆山と高知市の中心部です。
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11/24 9:17
登ってくると広がる展望。筆山と高知市の中心部です。
皿ヶ峰の山頂に着きました。
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11/24 9:18
皿ヶ峰の山頂に着きました。
山頂直下にも墓石がありますが、浦戸湾と市街を見おろす場所にお墓があります。そういえば、うちの墓も高知市内ではないですが、やはり海を見下ろす丘の上にあります。
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11/24 9:19
山頂直下にも墓石がありますが、浦戸湾と市街を見おろす場所にお墓があります。そういえば、うちの墓も高知市内ではないですが、やはり海を見下ろす丘の上にあります。
これから行く、鷲尾山に向けての稜線です。尾根上にさらに点々と墓石が見えます。途中に頭を出している大きな建物は、稜線に建てられた、新設の私立中高の校舎です。
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11/24 9:28
これから行く、鷲尾山に向けての稜線です。尾根上にさらに点々と墓石が見えます。途中に頭を出している大きな建物は、稜線に建てられた、新設の私立中高の校舎です。
巻道と合流して先に進みます。
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11/24 9:30
巻道と合流して先に進みます。
こんな感じで、コースの脇にも墓石が点在します。
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11/24 9:31
こんな感じで、コースの脇にも墓石が点在します。
この看板はなんだろう…
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11/24 9:38
この看板はなんだろう…
森の中を抜けて車道と交差すると、高校の施設の一部が現れます。寮…かな?道はこの建物の横を通りますが、校舎本体はコースからは見えないですね。
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11/24 9:50
森の中を抜けて車道と交差すると、高校の施設の一部が現れます。寮…かな?道はこの建物の横を通りますが、校舎本体はコースからは見えないですね。
顕著な峠である、吉野越えまでやってきました。ここから鷲尾山への登りが始まります。途中までは、急坂と普通の坂道の二つのコースに分かれています。
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11/24 9:59
顕著な峠である、吉野越えまでやってきました。ここから鷲尾山への登りが始まります。途中までは、急坂と普通の坂道の二つのコースに分かれています。
だいぶ登ったところで、宇津野山方面への巻道の分岐。
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11/24 10:12
だいぶ登ったところで、宇津野山方面への巻道の分岐。
そして、宇津野山への稜線の分岐。これを過ぎれば鷲尾山山頂もすぐ近く。
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11/24 10:17
そして、宇津野山への稜線の分岐。これを過ぎれば鷲尾山山頂もすぐ近く。
鷲尾山山頂につきました。2人くらいいらっしゃいました。
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11/24 10:24
鷲尾山山頂につきました。2人くらいいらっしゃいました。
ツリガネニンジンの一種だと思いますが、山頂付近にたくさん咲いていました。
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11/24 10:23
ツリガネニンジンの一種だと思いますが、山頂付近にたくさん咲いていました。
山頂にあるかつての防空施設の一部ですね。聴音壕というらしいです。ここからは浦戸湾の入り口と太平洋が見渡せるので、防衛の要所ではありますね。
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11/24 10:24
山頂にあるかつての防空施設の一部ですね。聴音壕というらしいです。ここからは浦戸湾の入り口と太平洋が見渡せるので、防衛の要所ではありますね。
山頂から見る浦戸湾の入口。入口の両側の、桂浜と種を結ぶ浦戸大橋が見えています。
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11/24 10:24
山頂から見る浦戸湾の入口。入口の両側の、桂浜と種を結ぶ浦戸大橋が見えています。
これからいく烏帽子山。60m下って120m登ります。
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11/24 10:27
これからいく烏帽子山。60m下って120m登ります。
烏帽子山に向かい、下りきると鷲尾トンネル入り口への分岐のある鞍部に着きます。ここから登りに入りますが、中間部にかなりの急登があります。
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11/24 10:34
烏帽子山に向かい、下りきると鷲尾トンネル入り口への分岐のある鞍部に着きます。ここから登りに入りますが、中間部にかなりの急登があります。
登りついた烏帽子山山頂部
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11/24 10:54
登りついた烏帽子山山頂部
一帯は神社になっていて、
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11/24 10:55
一帯は神社になっていて、
神社の脇に山頂標識と三角点がありました。
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11/24 10:55
神社の脇に山頂標識と三角点がありました。
あまり展望は無く、せいぜいこの程度でした。
ここは、逆から来た場合、山頂直下に電波塔がある為、車道が通じています。
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11/24 10:57
あまり展望は無く、せいぜいこの程度でした。
ここは、逆から来た場合、山頂直下に電波塔がある為、車道が通じています。
この鷲尾山と烏帽子山の間に、一か所小さなピークがあって、ベンチのある展望台がありました。海の向こうに、幾重にも重なる高知県東部の海岸段丘が見えています。
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11/24 11:10
この鷲尾山と烏帽子山の間に、一か所小さなピークがあって、ベンチのある展望台がありました。海の向こうに、幾重にも重なる高知県東部の海岸段丘が見えています。
再び鷲尾山に戻ってきました。桂浜と浦戸大橋をアップで。
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11/24 11:27
再び鷲尾山に戻ってきました。桂浜と浦戸大橋をアップで。
さて、鷲尾山を辞して宇津野山に向かいます。元の道を戻り、さらに稜線を進むと、筆山方面からの巻道に合流しました。
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11/24 11:44
さて、鷲尾山を辞して宇津野山に向かいます。元の道を戻り、さらに稜線を進むと、筆山方面からの巻道に合流しました。
ここからは、南側はこのような常緑広葉樹の森になります。南側は四国電力の私有地でしょうか…。北側は植林地です。
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11/24 11:53
ここからは、南側はこのような常緑広葉樹の森になります。南側は四国電力の私有地でしょうか…。北側は植林地です。
宇津野山の最高点あたりには鉄塔がありました。この稜線にそって、鉄塔がずっと続いています。この縦走路は鉄塔巡視路にもなっていますね。
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11/24 12:02
宇津野山の最高点あたりには鉄塔がありました。この稜線にそって、鉄塔がずっと続いています。この縦走路は鉄塔巡視路にもなっていますね。
鉄塔の先が三角点のある宇津野山の山頂でした。山道の一部という感じで、展望はありません。
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11/24 12:04
鉄塔の先が三角点のある宇津野山の山頂でした。山道の一部という感じで、展望はありません。
ここから先もずうっ〜とこんな常緑樹の道が続きます。もし土地を放置して人間の手を離れれば、日本の南岸の平野部は、基本的にこういう森になるのでしょうね。
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11/24 12:21
ここから先もずうっ〜とこんな常緑樹の道が続きます。もし土地を放置して人間の手を離れれば、日本の南岸の平野部は、基本的にこういう森になるのでしょうね。
だいぶ標高も下がってきたところで、展望がありました。北側の高知市街です。夜景がきれいかも…。
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11/24 12:22
だいぶ標高も下がってきたところで、展望がありました。北側の高知市街です。夜景がきれいかも…。
宇津野峠を通過。しっかりした踏み跡が交差する峠でした。
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11/24 12:25
宇津野峠を通過。しっかりした踏み跡が交差する峠でした。
石仏と鉄塔地点。ここから観音寺というところにも下れるようです。
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11/24 12:29
石仏と鉄塔地点。ここから観音寺というところにも下れるようです。
ずっと変わらず照葉樹の森が続く中で、光を受けて輝く林床のツワブキ。
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11/24 12:35
ずっと変わらず照葉樹の森が続く中で、光を受けて輝く林床のツワブキ。
このあたりは、ツワブキが多いと思いました。
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11/24 12:43
このあたりは、ツワブキが多いと思いました。
だんだん着地点の海が近づいてきます。
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11/24 13:05
だんだん着地点の海が近づいてきます。
もうすぐ海です。このあたりから山腹を直線的にトラバースしていく道にはいりました。
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11/24 13:08
もうすぐ海です。このあたりから山腹を直線的にトラバースしていく道にはいりました。
大海津見神社に到着。
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11/24 13:12
大海津見神社に到着。
参道を下って下山しました。目の前は堤防です。
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11/24 13:16
参道を下って下山しました。目の前は堤防です。
その堤防に登ると海。ヤマレコが標高は2メートルです。と語りました。あまり聴かないですね(笑)。
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11/24 13:17
その堤防に登ると海。ヤマレコが標高は2メートルです。と語りました。あまり聴かないですね(笑)。
あとは海沿いの道を歩いてきます。あの港の一番奥のあたりに電停があるはず。
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11/24 13:19
あとは海沿いの道を歩いてきます。あの港の一番奥のあたりに電停があるはず。
桟橋通五丁目の電停に着きました。やってきたのは804号で、元山陽電気軌道の車両で、1959年製。1971年に土佐電鉄にやってきました。小学生の頃で、新しい電車が来たことはよく覚えています。
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11/24 13:39
桟橋通五丁目の電停に着きました。やってきたのは804号で、元山陽電気軌道の車両で、1959年製。1971年に土佐電鉄にやってきました。小学生の頃で、新しい電車が来たことはよく覚えています。
804の車内で、ちょうど添乗教育?をやっていました。この電車ではりまや橋まで帰りました。
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11/24 13:40
804の車内で、ちょうど添乗教育?をやっていました。この電車ではりまや橋まで帰りました。
思い出を追いかけるハイキングが伝わります😄
ナイトハイクでも夜景がキレイそうです🌃
うちの地域は中途半端に不自由ない田舎で地元から出ない人が大半なので故郷という感覚がありません😅
身内に囲まれた中でずっと生活してるので根性もないとおもいます😓
はい、素敵な所だと思います。ナイトハイクもちょっとやってみたいですね。この町なので、都会のような光までは無さそうですが(笑)。
とはいいつつ、久しぶりに帰ってきてウロウロしているのですが、街の中心は外観はあまり変わってなくて、中身がいろいろと入れ替わった感じです。人口も減っているので、街は現状維持。だから懐かしいものがそのままだったりするのですが…。郊外にはイオンとかができているみたいなので、外に広がったのかな…。
問題は、ずっと不義理をしていたので、人間関係がすっかりなくなっていることですね。短い滞在なのでいいのですが、そのあたりが寂しい感じです。
故郷は、どこであっても同じだと思いますが、いったん遠くに出ていかないと故郷にならないかもですね。「故郷は遠きにありて思うもの」らしいです…。これはまさに室生犀星が帰郷した折に作られた詩ということで、なんとなく複雑な心情もわかるような気がしました。
そのあたりは、出るもよし、出ないのも良しで、同じ時間を過ごしているので、充実度は変わらないのだろうなと思ったりで、出てしまえば失うものも多く、ずっと故郷で暮らしている人が羨ましく感じたりもします。
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