《筑摩山地》里山辺から 出峰(いでみね)
- GPS
- 07:11
- 距離
- 17.2km
- 登り
- 1,011m
- 下り
- 1,009m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年12月の天気図 |
アクセス | 家から徒歩 |
コース状況/ 危険箇所等 |
夏道や案内なし |
写真
装備
個人装備 |
地下足袋
防寒具
カッパ
シュラフカバー
小マット
水筒
その他沢個人基本装備(ナイフや灯り地図磁石)
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共同装備 |
ツエルト
ノコ
焚き火セット
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感想
家の窓から東の正面に見える、出峰(いでみね)は、美ヶ原の支尾根の肩のような所だが、ここからは山に見える。朝ご飯のあと、あんまり天気もよくて常念も白く雪を乗せて輝いているし、作っておいた計画を出してきて地下足袋を履く。自宅から歩いて日帰りできる射程内だ。麓まで2時間、上り2時間、下り1.5時間、帰宅に2時間。
先月、この山の中腹にあった祠を、車道が裏側から付いている山頂に引っ越ししたニュースを市民タイムスで読んだのもきっかけで、行ってみる。
薄川の河岸段丘が作る美ヶ原の三城までの地域は日当たりのよい傾斜地を棚状にした集落が連なり、歩いていくととても心が弾む。農家に特化した敷地の配置や傾斜地を利用した段々石段や石垣、古い土蔵門。水を巧みに引き込んだ民家など、古来の暮らしの名残を眺めるだけで楽しい。道祖神やお宮も集落ごとに必ずある。坂道で振り向くと常念が白く輝いている。
坂の上の集落を遠回りして回ったりして、出峰の麓の原集落へ。白菜を収穫している人に遠く挨拶して、適当なところから尾根に取り付く。獣害柵を越えてズ-ランドに突撃。登山道はないが、地形図と、見た目で、多分この尾根を登れば間違いないだろう。尾根末端は傾斜が強いうっすら積雪の斜面だが、尾根型につくと、巨大な溝がボンボン掘られている。登山道?ではなさそうだ。こんなに削れるほど人が登る山じゃない。山城?この山には手持ちの資料では特に無かったはず。
上りはただ登るだけだ。植生は松とカラマツ、ときどきミズナラやクヌギやホオノキ。地下足袋が濡れて、シャビシャビ雪が冷たい。木綿の五本指ソックスだし。
山頂には祠があった。手作りの鳥居もあり、四囲には榊の植木もあった。雪のない日当たりの良い落ち葉の上に腰をおろし、地下足袋を脱いで冷たく濡れた足先を腿とふくらはぎに左右交代で挟んで回復する。かりんとうや柿の種を捕食。山頂は展望なし。裏側からは滑走路みたいな立派な道が伸びてきている。
引き返してだいたい同じ経路で降りる。巨大な溝の謎は深まるばかりだ。山麓に降りて農地にいた人に話しかけたら、わかった。昔木材を下ろすのに馬を引かせて下ろした跡で「ドビキ(土引き)」というらしい。なるほど。祠の元の場所を聞いたが、地形図では指し示せず。「行程半分ちょっとくらいの平らな所」で昔は御柱祭りもやったのでその跡があるとのこと。朝、場所をよく聞いてから登ればよかったな。道らしい道は整備されていない、もう登れる人も減ったのだ。その人は76歳。子供の頃からここの人で水力小規模発電で、このあたりは松本よりも先に電気が使えたという話をしてくれた。そのあと話したばあちゃんは、若いときはよくきのこをとりに登った話をしてくれた。里山辺まで歩くと行ったら、「下りだで楽だわ」といった。やったことある人は驚かない。
左岸側の鉢伏山につながる高遠山が、冬至近い低い太陽を隠す。この河岸段丘は冬はツラいな。南向きの右岸側でさえ午後二時台に日陰になる。左岸の集落はこの時期終日、日が射さないのかもしれない。日陰は寒いので段丘の一番上の段の道を帰る。こんなに高いところに集落のある理由がわかった。でもこの帰路はまるでネパールのトレッキングを思い出す。
海岸寺や天満宮は平安時代から、徳雲寺は室町時代から続く古刹で、このあたりは近世都市石川数正期の松本城下町あたりよりも古くから人が住んでいる。この同じ景観を眺めながら。見下ろす松本平は斜陽が差し込み、遠景の安曇山脈は雪雲の中だ。美しい景観。見とれているのは私一人だけだ。
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