< 北陸道もしくは東海北陸道からのアクセス >
小矢部JCTから、能越道(一部有料)に入り、七尾城山インターで降ります。福岡SAにある料金所はETC.非対応なので、現金が必要です(普通車200円)。北陸新幹線と3kmほど併走していますので、脇見運転にご注意を。
0
< 北陸道もしくは東海北陸道からのアクセス >
小矢部JCTから、能越道(一部有料)に入り、七尾城山インターで降ります。福岡SAにある料金所はETC.非対応なので、現金が必要です(普通車200円)。北陸新幹線と3kmほど併走していますので、脇見運転にご注意を。
< インターからすぐ近くです >
七尾城山インターで降り、交差点を左折。次の信号の交差点「城山」に駐車場があります。資料館近くの駐車場も利用出来ます。
0
< インターからすぐ近くです >
七尾城山インターで降り、交差点を左折。次の信号の交差点「城山」に駐車場があります。資料館近くの駐車場も利用出来ます。
< 登城道(登山道) >
車で県道177号「城山線」からアクセスする場合は、城山口から七尾城址の駐車場まで、約3.7km、10分ほどで到着します。駐車場から本丸跡まで、歩いて5分です。
1
< 登城道(登山道) >
車で県道177号「城山線」からアクセスする場合は、城山口から七尾城址の駐車場まで、約3.7km、10分ほどで到着します。駐車場から本丸跡まで、歩いて5分です。
< 登城道の前半 >
1
< 登城道の前半 >
< 登城道の後半 >
2
< 登城道の後半 >
< 登城(登山)グラフ >
総歩行距離:約6.5km、累積標高差(+):約440m(標高差約260m)、所要時間:2時間36分。〜城山口から本丸までは、片道約2.4kmです。寄り道なしで、本丸までの往復ならば、約1時間30分で済みます。
2
< 登城(登山)グラフ >
総歩行距離:約6.5km、累積標高差(+):約440m(標高差約260m)、所要時間:2時間36分。〜城山口から本丸までは、片道約2.4kmです。寄り道なしで、本丸までの往復ならば、約1時間30分で済みます。
< 「日本百名城」の一つです >
「五大山城」かつ「五大山岳城」にも選ばれている「七尾城址」のある城山に登りました。
1
11/10 12:45
< 「日本百名城」の一つです >
「五大山城」かつ「五大山岳城」にも選ばれている「七尾城址」のある城山に登りました。
< 「城山口」の駐車場 >
県道177号「城山線」と市道矢田郷81号線の交差点「城山」の角にある駐車場です。この交差点付近は、通称「城山口」と呼ばれています。
1
11/10 12:47
< 「城山口」の駐車場 >
県道177号「城山線」と市道矢田郷81号線の交差点「城山」の角にある駐車場です。この交差点付近は、通称「城山口」と呼ばれています。
< 交差点「城山」 >
市道矢田郷81号線と県道177号城山線の交点です。この先まっすぐ、3.7kmで七尾城址です。
0
11/10 12:46
< 交差点「城山」 >
市道矢田郷81号線と県道177号城山線の交点です。この先まっすぐ、3.7kmで七尾城址です。
< 展望台まで5.5kmです >
城山採草地(山の上の原っぱ)の奥に、展望台があります。
0
11/10 12:42
< 展望台まで5.5kmです >
城山採草地(山の上の原っぱ)の奥に、展望台があります。
< まず、左手の資料館に向かいます >
右に進めば、大手道(登山道)に入ります。
0
11/10 10:12
< まず、左手の資料館に向かいます >
右に進めば、大手道(登山道)に入ります。
< 登山道(登城道)の入口にあります >
資料館付近を散策してから、山登りしました。
0
11/10 12:40
< 登山道(登城道)の入口にあります >
資料館付近を散策してから、山登りしました。
< 七尾城史資料館 >
〜の入口です。庭先に茶室があります。画面の右手の小屋です。また、隣の敷地(画面の左手)に懐古館があります。
0
11/10 10:12
< 七尾城史資料館 >
〜の入口です。庭先に茶室があります。画面の右手の小屋です。また、隣の敷地(画面の左手)に懐古館があります。
< 臨時の休館? >
月曜が定休日です。今日は火曜なのに、休みのようです。休みを知らずに、訪れた人々が、この日はたぶん10人位おりました。
0
11/10 10:09
< 臨時の休館? >
月曜が定休日です。今日は火曜なのに、休みのようです。休みを知らずに、訪れた人々が、この日はたぶん10人位おりました。
< 樋爪家の茶室 >
資料館の庭先にあります。
1
11/10 10:10
< 樋爪家の茶室 >
資料館の庭先にあります。
< 日本最小の茶室 >
0
11/10 10:10
< 日本最小の茶室 >
< 体の大きい人は入室できない? >
1
11/10 10:10
< 体の大きい人は入室できない? >
< 懐古館「飯田家」 >
休館でした。静かです、苔むした茅葺き屋根の風情が、漂っています。
1
11/10 10:16
< 懐古館「飯田家」 >
休館でした。静かです、苔むした茅葺き屋根の風情が、漂っています。
< 「来てくれて、あんやと」 >
石川県観光PRマスコットキャラクター「ひゃくまんさん」の幟旗だけが、出迎えてくれました。
0
11/10 10:16
< 「来てくれて、あんやと」 >
石川県観光PRマスコットキャラクター「ひゃくまんさん」の幟旗だけが、出迎えてくれました。
< ここを150mほど進むと >
道が左にカーブしています。曲がり角の辺りからが、「大手道」になります。
1
11/10 10:13
< ここを150mほど進むと >
道が左にカーブしています。曲がり角の辺りからが、「大手道」になります。
< 実は、ここから赤坂口までの >
0.9kmを車で乗り付けることも可能です(路上駐車)。
0
11/10 10:14
< 実は、ここから赤坂口までの >
0.9kmを車で乗り付けることも可能です(路上駐車)。
< 天気の良ければ、展望台も >
と考えましたが、あいにくの曇り空。展望台には上がりませんでした。
2015年11月10日 10:14撮影
0
11/10 10:14
< 天気の良ければ、展望台も >
と考えましたが、あいにくの曇り空。展望台には上がりませんでした。
< 「大手道」に進みます >
個人所有の牛舎のある所で、左に入ります。〜戦国時代の一時期、能登国の守護所が、七尾城内に置かれていました。町人達も、お役所に用があるときは、この「大手道」から登城していたのでしょう。
0
11/10 10:20
< 「大手道」に進みます >
個人所有の牛舎のある所で、左に入ります。〜戦国時代の一時期、能登国の守護所が、七尾城内に置かれていました。町人達も、お役所に用があるときは、この「大手道」から登城していたのでしょう。
< 角を左に曲がり、すぐ右の小径にはいります >
ここ「城山」はイノシシの出没地帯です。
0
11/10 10:20
< 角を左に曲がり、すぐ右の小径にはいります >
ここ「城山」はイノシシの出没地帯です。
< 2軒の民家の間を通り抜けます >
両側にある、ナンテンとツバキがきれいです。両家様の庭木です。
1
11/10 10:20
< 2軒の民家の間を通り抜けます >
両側にある、ナンテンとツバキがきれいです。両家様の庭木です。
< 「門の高」 >
「大手門」があった場所です。〜お城があった頃(戦国時代)の登城路は4本あったと推定されています。大手道、大石谷(大谷川)道、木落川(蹴落川)道、大門道〜です。
2
11/10 10:23
< 「門の高」 >
「大手門」があった場所です。〜お城があった頃(戦国時代)の登城路は4本あったと推定されています。大手道、大石谷(大谷川)道、木落川(蹴落川)道、大門道〜です。
< カラタチバナ(唐橘) >
サクラソウ科ヤブコウジ属。名の由来は、花がカラタチの花に似ていることから。別名をヒャクリョウ(百両)と言います。おめでたい木の一つです。
0
11/10 10:24
< カラタチバナ(唐橘) >
サクラソウ科ヤブコウジ属。名の由来は、花がカラタチの花に似ていることから。別名をヒャクリョウ(百両)と言います。おめでたい木の一つです。
< 能越自動車道が開通しました >
「能越道」は、小矢部市から七尾市までの自動車専用道路です。七尾市までは、昨年、開通したばかりです。将来、「のと里山海道」と連結されます。
0
11/10 10:25
< 能越自動車道が開通しました >
「能越道」は、小矢部市から七尾市までの自動車専用道路です。七尾市までは、昨年、開通したばかりです。将来、「のと里山海道」と連結されます。
< 「能越道」の下を通ります >
山城への登城気分が、少しそがれるかもしれません。中山間地です。のんびり歩けば、気分が良くなります。
0
11/10 10:25
< 「能越道」の下を通ります >
山城への登城気分が、少しそがれるかもしれません。中山間地です。のんびり歩けば、気分が良くなります。
< ご利益のあるお地蔵さん >
「立石のお地蔵」さんです。虫歯が治るそうです。
0
11/10 10:26
< ご利益のあるお地蔵さん >
「立石のお地蔵」さんです。虫歯が治るそうです。
< 治りませんでした >
私の場合は、20年間、歯医者さんに通い続けています。お地蔵さんも判ってらっしゃいます。「簡単になおしてしまうと、誰も、拝みに来なくなる?」
0
11/10 10:26
< 治りませんでした >
私の場合は、20年間、歯医者さんに通い続けています。お地蔵さんも判ってらっしゃいます。「簡単になおしてしまうと、誰も、拝みに来なくなる?」
< 振り返りました >
悪口言ってご免なさい〜
0
11/10 10:27
< 振り返りました >
悪口言ってご免なさい〜
< 白い花のカンツバキ(寒椿) >
ツバキ科ツバキ属 。大手道の脇の畑に植えられています。
0
11/10 10:34
< 白い花のカンツバキ(寒椿) >
ツバキ科ツバキ属 。大手道の脇の畑に植えられています。
< 秋の内から咲き始めます >
カンツバキ(寒椿)は、ツバキ(椿)とサザンカ(山茶花) の交雑種です。
2
11/10 10:34
< 秋の内から咲き始めます >
カンツバキ(寒椿)は、ツバキ(椿)とサザンカ(山茶花) の交雑種です。
< 分かれ道です >
突き当たりの竹林も城下町の跡地です。
0
11/10 10:35
< 分かれ道です >
突き当たりの竹林も城下町の跡地です。
< 高屋敷跡 >
能登畠山氏の重臣達の屋敷群があったらしいです。大手道は、ここを、右に進みます。
1
11/10 10:35
< 高屋敷跡 >
能登畠山氏の重臣達の屋敷群があったらしいです。大手道は、ここを、右に進みます。
< 車道に出てきました >
歩いてきた「大手道」を振り返りました。向こうから来て、左折します(写真の右手方向に進みます)。
0
11/10 10:36
< 車道に出てきました >
歩いてきた「大手道」を振り返りました。向こうから来て、左折します(写真の右手方向に進みます)。
< すぐに、また脇道が出ていますが >
まっすぐ、100mほど進むと、赤坂口に着きます。
0
11/10 10:38
< すぐに、また脇道が出ていますが >
まっすぐ、100mほど進むと、赤坂口に着きます。
< 赤坂口です >
正面の林道を進むと「蔵屋敷跡」があります。
0
11/10 10:40
< 赤坂口です >
正面の林道を進むと「蔵屋敷跡」があります。
< 赤坂口からは登山 >
ここから、登山道が始まります。距離は長くありません。本丸跡まで、1.5km。
0
11/10 10:40
< 赤坂口からは登山 >
ここから、登山道が始まります。距離は長くありません。本丸跡まで、1.5km。
< 妙圀寺跡 >
現在の妙圀寺は、七尾市小島町にある「山の寺寺院群」の一角を占めています。
0
11/10 10:41
< 妙圀寺跡 >
現在の妙圀寺は、七尾市小島町にある「山の寺寺院群」の一角を占めています。
< 歴史の道の石柱と顕彰碑 >
0
11/10 10:41
< 歴史の道の石柱と顕彰碑 >
< 「小田吉之丈」の顕彰碑 >
0
11/10 10:41
< 「小田吉之丈」の顕彰碑 >
< 翁を顕彰 >
「小田吉之丈」公は、七尾城址が「国の史跡」となる基を築かれた方です。
2015年11月10日 10:42撮影
0
11/10 10:42
< 翁を顕彰 >
「小田吉之丈」公は、七尾城址が「国の史跡」となる基を築かれた方です。
< 「歴史の道」を登る >
0
11/10 10:42
< 「歴史の道」を登る >
< 小学生達も「城山」を守っています >
0
11/10 12:24
< 小学生達も「城山」を守っています >
< 木を探そう >
子供達も、木がわかる?でも、高木になると、高いとことの葉枝をよく観察出来ません。私も、名札が付けられたという42種類の全部は判りません。子供達よ「まあ、お互い頑張りましょう」
1
11/10 12:24
< 木を探そう >
子供達も、木がわかる?でも、高木になると、高いとことの葉枝をよく観察出来ません。私も、名札が付けられたという42種類の全部は判りません。子供達よ「まあ、お互い頑張りましょう」
< 「長坂」 >
普通の登山道です。
0
11/10 10:47
< 「長坂」 >
普通の登山道です。
< ほれほど長くありません >
大手道の内、赤坂口から大手口(桜馬場の西側にあった門)までの経路を「長坂」といいます。
2015年11月10日 10:47撮影
0
11/10 10:47
< ほれほど長くありません >
大手道の内、赤坂口から大手口(桜馬場の西側にあった門)までの経路を「長坂」といいます。
< ひょろ長い木が2本 >
背の高いナナカマドとネジキです。ナナカマド(七竈、バラ科ナナカマド属)は、同属のタカネナナカマド(高嶺七竃)や、ウラジロナナカマド(裏白七竃)と比べて、かなり背が伸びます。
0
11/10 10:49
< ひょろ長い木が2本 >
背の高いナナカマドとネジキです。ナナカマド(七竈、バラ科ナナカマド属)は、同属のタカネナナカマド(高嶺七竃)や、ウラジロナナカマド(裏白七竃)と比べて、かなり背が伸びます。
< 落葉の道を歩きます >
0
11/10 10:53
< 落葉の道を歩きます >
< 中間地点です >
北の方の視界が開けています。七尾市街、七尾湾(南湾)、能登島です。
2
11/10 10:54
< 中間地点です >
北の方の視界が開けています。七尾市街、七尾湾(南湾)、能登島です。
< 時鐘跡 >
右手の土手を上がった所に時鐘がありました。
0
11/10 10:56
< 時鐘跡 >
右手の土手を上がった所に時鐘がありました。
< 本丸まで0.8km >
私は、途中、寄り道しながら進みますので、本丸まで後、1.5kmくらい歩くかな。
1
11/10 10:56
< 本丸まで0.8km >
私は、途中、寄り道しながら進みますので、本丸まで後、1.5kmくらい歩くかな。
< アズキナシ(小豆梨) >
バラ科ナナカマド属。同属のナナカマドと同様に、紅葉がきれいです。(小豆梨)の名の由来は果実が梨の似て、アズキのように小さいことから。
2
11/10 10:57
< アズキナシ(小豆梨) >
バラ科ナナカマド属。同属のナナカマドと同様に、紅葉がきれいです。(小豆梨)の名の由来は果実が梨の似て、アズキのように小さいことから。
< 七曲り >
よく似た地名で、新宿に「七曲坂」があるようですが、『太陽にほえろ!』の「七曲署」は、七曲坂の下あたりにあったのかな?
0
11/10 10:57
< 七曲り >
よく似た地名で、新宿に「七曲坂」があるようですが、『太陽にほえろ!』の「七曲署」は、七曲坂の下あたりにあったのかな?
< 七回も曲がっていない? >
道のくねくねを数えても、5〜6個しかありません。
2015年11月10日 10:58撮影
0
11/10 10:58
< 七回も曲がっていない? >
道のくねくねを数えても、5〜6個しかありません。
< 1つ目の曲り >
ここ七尾の地名も、城山の尾根が7個あるので、七つ尾根〜七尾になったとされています。しかし、いくら地図を眺めても、7つも尾根(※)があるように見えません。(※:松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾〜と尾根の名前が7つ残されていますが、それぞれが、特定されているわけではありません)
0
11/10 10:59
< 1つ目の曲り >
ここ七尾の地名も、城山の尾根が7個あるので、七つ尾根〜七尾になったとされています。しかし、いくら地図を眺めても、7つも尾根(※)があるように見えません。(※:松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾〜と尾根の名前が7つ残されていますが、それぞれが、特定されているわけではありません)
< オオモミジ(大紅葉) >
ムクロジ科カエデ属。「大紅葉の紅葉(モミジ)」
1
11/10 10:58
< オオモミジ(大紅葉) >
ムクロジ科カエデ属。「大紅葉の紅葉(モミジ)」
< 「アズキナシ」と「オオモミジ」の競演 >
1
11/10 10:58
< 「アズキナシ」と「オオモミジ」の競演 >
< ウラジロガシ(裏白樫)の樹皮 >
ブナ科コナラ属。
0
11/10 11:00
< ウラジロガシ(裏白樫)の樹皮 >
ブナ科コナラ属。
< ウラジロガシ(裏白樫)の樹形 >
葉っぱの裏が、白いから(裏白樫)と呼ばれているみたいですが、高い樹なので、葉っぱに手が届きませんでした。
0
11/10 11:00
< ウラジロガシ(裏白樫)の樹形 >
葉っぱの裏が、白いから(裏白樫)と呼ばれているみたいですが、高い樹なので、葉っぱに手が届きませんでした。
< 番所 >
土手の裏に、広地がありますが、何も残されていません。
0
11/10 11:00
< 番所 >
土手の裏に、広地がありますが、何も残されていません。
< 番所 >
いまで言うなら、警備員の詰所ですね。
2015年11月10日 11:00撮影
0
11/10 11:00
< 番所 >
いまで言うなら、警備員の詰所ですね。
< ここを左に進みます >
城址を時計回りに、巡った方が、景色が良いです。左に進み、本丸〜二の丸〜三の丸と巡り、ここに戻ってきます。本来の大手道(長坂)は、右に進み、三の丸、二の丸、桜馬場、本丸の順に登城します。
0
11/10 11:04
< ここを左に進みます >
城址を時計回りに、巡った方が、景色が良いです。左に進み、本丸〜二の丸〜三の丸と巡り、ここに戻ってきます。本来の大手道(長坂)は、右に進み、三の丸、二の丸、桜馬場、本丸の順に登城します。
< この分かれ道に案内図があります >
同じ物が、パンフレットにありましたので、コピーしました。立体的に描かれたマップになっています。
2015年11月10日 11:04撮影
2
11/10 11:04
< この分かれ道に案内図があります >
同じ物が、パンフレットにありましたので、コピーしました。立体的に描かれたマップになっています。
< 沓掛場 >
沓掛場とは、馬を休ませる(繋いでおく)場所のことです。「沓」は、馬のくつの事です。当時、日本には、蹄鉄がなく、木の皮などで作った「馬の沓」を履かせていました。
0
11/10 11:05
< 沓掛場 >
沓掛場とは、馬を休ませる(繋いでおく)場所のことです。「沓」は、馬のくつの事です。当時、日本には、蹄鉄がなく、木の皮などで作った「馬の沓」を履かせていました。
< 以前は小屋があったようです >
「沓(くつ)」は、本来「足踏む」〜歩く様子を表す字でした。「沓」の字が、いつのまにか、革でできたくつ(靴)と同じ意味になりました。
0
11/10 11:05
< 以前は小屋があったようです >
「沓(くつ)」は、本来「足踏む」〜歩く様子を表す字でした。「沓」の字が、いつのまにか、革でできたくつ(靴)と同じ意味になりました。
< 古い瓦ですが、昭和時代の物です >
「沓掛」は、馬の背の荷物を降ろし、「沓(馬ぐつ)」を脱がせ、そのくつ(沓)を、木の枝などに掛けたので〜(沓掛)と呼ばれるようになりました。現代でも「沓掛」という地名が、全国に残されています。
0
11/10 11:05
< 古い瓦ですが、昭和時代の物です >
「沓掛」は、馬の背の荷物を降ろし、「沓(馬ぐつ)」を脱がせ、そのくつ(沓)を、木の枝などに掛けたので〜(沓掛)と呼ばれるようになりました。現代でも「沓掛」という地名が、全国に残されています。
< 沓掛場からの眺望 >
この辺りから本丸までは、北側(七尾南湾周囲)の眺望が開けています。後で通る「安寧寺跡」付近のみ、西側(七尾南湾〜西湾)を眺めることが出来ます。
1
11/10 11:06
< 沓掛場からの眺望 >
この辺りから本丸までは、北側(七尾南湾周囲)の眺望が開けています。後で通る「安寧寺跡」付近のみ、西側(七尾南湾〜西湾)を眺めることが出来ます。
< 沓掛場を出て振り返りました >
右手が、沓掛場です。左側から上がってきました。
0
11/10 11:06
< 沓掛場を出て振り返りました >
右手が、沓掛場です。左側から上がってきました。
< すぐに、右の脇道 >
右に曲がると、安寧寺跡があり、その途中の階段を上ると、三の丸です。
0
11/10 11:07
< すぐに、右の脇道 >
右に曲がると、安寧寺跡があり、その途中の階段を上ると、三の丸です。
< ここは、直進し、本丸に向かいます >
0
11/10 11:07
< ここは、直進し、本丸に向かいます >
< 城山が紅葉の真っ最中 >
七尾市街の東側に火力発電所があります。
1
11/10 11:08
< 城山が紅葉の真っ最中 >
七尾市街の東側に火力発電所があります。
< 紅葉が敷かれた道です >
1
11/10 11:09
< 紅葉が敷かれた道です >
< とよの水 >
少し下った所に水場があります。
0
11/10 11:11
< とよの水 >
少し下った所に水場があります。
< 永遠に枯れないはずの水場 >
0
11/10 11:11
< 永遠に枯れないはずの水場 >
< 水源としては厳しい状況です >
0
11/10 11:12
< 水源としては厳しい状況です >
< 2年前の「とよの水」 >
もう少しきれいで、飲めた時もありました?
0
3/19 10:16
< 2年前の「とよの水」 >
もう少しきれいで、飲めた時もありました?
< 登城道は右にカーブしています >
0
11/10 11:13
< 登城道は右にカーブしています >
< 左の脇道に進むと「寺屋敷跡」です >
0
11/10 11:13
< 左の脇道に進むと「寺屋敷跡」です >
< 「大塚」が残されています >
石組みか礎石のような物もわずかに残っています。
1
11/10 11:20
< 「大塚」が残されています >
石組みか礎石のような物もわずかに残っています。
< 階段を登ります >
本丸下の広場にでます。
1
11/10 11:22
< 階段を登ります >
本丸下の広場にでます。
< 野面積みの石垣が見えてきます >
2
11/10 11:23
< 野面積みの石垣が見えてきます >
< 広場になっています >
さらに、石段を登っていくと、本丸に辿り着きますが、その前に、本丸北駐車場の方を見て回ります。
2
11/10 11:23
< 広場になっています >
さらに、石段を登っていくと、本丸に辿り着きますが、その前に、本丸北駐車場の方を見て回ります。
< 正面奥に、本丸北駐車場があります >
正面に見える、石の列になった遺構があります。
0
11/10 11:24
< 正面奥に、本丸北駐車場があります >
正面に見える、石の列になった遺構があります。
< 「調度丸跡」です >
七尾城跡で、出土品が多く出た場所です。
0
11/10 11:24
< 「調度丸跡」です >
七尾城跡で、出土品が多く出た場所です。
< ここで、武具を整えた(保管した)のでしょう >
0
11/10 11:24
< ここで、武具を整えた(保管した)のでしょう >
< 調度丸の塀の跡 >
0
11/10 11:25
< 調度丸の塀の跡 >
< 案内板のCGです >
想像力は働かせて下さい。
2015年11月10日 11:24撮影
1
11/10 11:24
< 案内板のCGです >
想像力は働かせて下さい。
< 調度丸からの所要時間 >
2015年11月10日 11:24撮影
0
11/10 11:24
< 調度丸からの所要時間 >
< 本丸北駐車場です >
城山口から、3.7kmの距離です(県道城山線を車で約10分)。15台くらい駐車出来ます。
0
11/10 11:27
< 本丸北駐車場です >
城山口から、3.7kmの距離です(県道城山線を車で約10分)。15台くらい駐車出来ます。
< 展望台の近くまで車で行けます >
0
11/10 11:27
< 展望台の近くまで車で行けます >
< この写真のCGは〜 >
天気雨(狐の嫁入り)みたいな画になっています。
2015年11月10日 11:27撮影
0
11/10 11:27
< この写真のCGは〜 >
天気雨(狐の嫁入り)みたいな画になっています。
< 能登畠山氏二代目公の御歌 >
0
11/10 11:28
< 能登畠山氏二代目公の御歌 >
< 戦国の名城「七尾城」 >
0
11/10 11:31
< 戦国の名城「七尾城」 >
< 名城である所以 >
2015年11月10日 11:30撮影
1
11/10 11:30
< 名城である所以 >
< 復元イラスト >
中西立太(なかにしりった)画伯の作品です。画伯は、6年前に他界されています。
2015年11月10日 11:30撮影
1
11/10 11:30
< 復元イラスト >
中西立太(なかにしりった)画伯の作品です。画伯は、6年前に他界されています。
< 能登島大橋とツインブリッジが見えます >
能登島と七尾市街の間が、七尾南湾です。2つの橋があるのは七尾西湾と北湾、南湾の境です。
1
11/10 11:31
< 能登島大橋とツインブリッジが見えます >
能登島と七尾市街の間が、七尾南湾です。2つの橋があるのは七尾西湾と北湾、南湾の境です。
< 車道に公衆トイレ >
0
11/10 11:29
< 車道に公衆トイレ >
< 1年前に立て直されました >
洋式水洗トイレです。(冬期間は使用出来ません)
0
11/10 11:32
< 1年前に立て直されました >
洋式水洗トイレです。(冬期間は使用出来ません)
< 調度丸に引き返し、本丸へ >
0
11/10 11:35
< 調度丸に引き返し、本丸へ >
< ここから2時間歩けば石動山に登れます >
七尾城山は「石動山(せきどうざん)山系」です。
2015年11月10日 11:28撮影
0
11/10 11:28
< ここから2時間歩けば石動山に登れます >
七尾城山は「石動山(せきどうざん)山系」です。
< 本丸まで5分です >
北駐車場からの入口です。
0
11/10 11:35
< 本丸まで5分です >
北駐車場からの入口です。
< ウッドチップの道に紅葉が散りばめられています >
0
11/10 11:35
< ウッドチップの道に紅葉が散りばめられています >
< 本丸に進みます >
0
11/10 11:24
< 本丸に進みます >
< 国指定史跡「七尾城跡」 >
表面です。
0
11/10 11:37
< 国指定史跡「七尾城跡」 >
表面です。
< 能登国の守護であつた畠山氏の居城でした >
2015年11月10日 11:37撮影
0
11/10 11:37
< 能登国の守護であつた畠山氏の居城でした >
< 保健保安林 >
「国指定史跡」の裏面です。
0
11/10 11:38
< 保健保安林 >
「国指定史跡」の裏面です。
< 森林は、汚れた空気をきれいにします >
2015年11月10日 11:38撮影
0
11/10 11:38
< 森林は、汚れた空気をきれいにします >
< 野面積みの石垣
1
11/10 11:38
< 野面積みの石垣
< 野面積みの石垣◆
0
11/10 11:38
< 野面積みの石垣◆
< 野面積みの石垣 >
1
11/10 11:39
< 野面積みの石垣 >
< 分かれ道です >
左に行くと、遊佐屋敷跡の前を通り、本丸へ登ります。まっすぐ進むと、桜馬場を通り、本丸に上がります。右に行くと、桜馬場〜温井屋敷跡〜二の丸へと向かいます。
0
11/10 11:39
< 分かれ道です >
左に行くと、遊佐屋敷跡の前を通り、本丸へ登ります。まっすぐ進むと、桜馬場を通り、本丸に上がります。右に行くと、桜馬場〜温井屋敷跡〜二の丸へと向かいます。
< 左に行きます >
遊佐屋敷跡です。
0
11/10 11:40
< 左に行きます >
遊佐屋敷跡です。
< 本丸のすぐ隣(下)が、遊佐屋敷です >
2015年11月10日 11:40撮影
1
11/10 11:40
< 本丸のすぐ隣(下)が、遊佐屋敷です >
< 遊佐屋敷の前をすぎ、最後の上り階段です >
0
11/10 11:40
< 遊佐屋敷の前をすぎ、最後の上り階段です >
< 最後の短い階段が、息を切らせます >
1
11/10 11:41
< 最後の短い階段が、息を切らせます >
< 本丸の石垣がきれいです >
1
11/10 11:41
< 本丸の石垣がきれいです >
< 本丸の広場です >
城山神社が奉られています。
1
11/10 11:42
< 本丸の広場です >
城山神社が奉られています。
< ノッポの石碑 >
本丸のシンボルです。
1
11/10 11:44
< ノッポの石碑 >
本丸のシンボルです。
< 本丸からの眺め
七尾湾に浮かぶ能登島が見えます。能登島の愛称は「ひょっこり島」です。
1
11/10 11:43
< 本丸からの眺め
七尾湾に浮かぶ能登島が見えます。能登島の愛称は「ひょっこり島」です。
< 本丸からの眺め◆
手前から、紅葉〜七尾の街〜七尾湾〜能登島〜能登半島北部
0
11/10 11:42
< 本丸からの眺め◆
手前から、紅葉〜七尾の街〜七尾湾〜能登島〜能登半島北部
< 本丸からの眺め >
火力発電所に燃料を運び終えたタンカーが帰って行きます。
1
11/10 11:43
< 本丸からの眺め >
火力発電所に燃料を運び終えたタンカーが帰って行きます。
< 「本丸跡」は「夢の跡」 >
0
11/10 11:45
< 「本丸跡」は「夢の跡」 >
< CGから夢見て下さい >
2015年11月10日 11:45撮影
1
11/10 11:45
< CGから夢見て下さい >
< 城山神社 >
1
11/10 11:45
< 城山神社 >
< お社はコンパクト >
ですが、りっぱものです。狛犬たちが、守り続けています。
0
11/10 11:46
< お社はコンパクト >
ですが、りっぱものです。狛犬たちが、守り続けています。
< お社から下界が見下ろせます >
1
11/10 11:47
< お社から下界が見下ろせます >
< 本丸から次に進みます >
桜馬場に降り、二の丸、三の丸へ向かいます。
1
11/10 11:47
< 本丸から次に進みます >
桜馬場に降り、二の丸、三の丸へ向かいます。
< 本丸を出て振り返りました >
遺構(石垣)が崩れています。設計図が残っているわけでもないので、元通りに戻すことは出来ません。
1
11/10 11:48
< 本丸を出て振り返りました >
遺構(石垣)が崩れています。設計図が残っているわけでもないので、元通りに戻すことは出来ません。
< 桜馬場跡 >
右の石垣の後が遊佐屋敷跡です。本丸に上がるときは、画面の正面から上がってきて、右に進みました。
1
11/10 11:50
< 桜馬場跡 >
右の石垣の後が遊佐屋敷跡です。本丸に上がるときは、画面の正面から上がってきて、右に進みました。
< 馬の調練を行った場所です >
0
11/10 11:50
< 馬の調練を行った場所です >
< 桜馬場から本丸を見上げたCGです >
2015年11月10日 11:51撮影
1
11/10 11:51
< 桜馬場から本丸を見上げたCGです >
< 桜馬場で振り返りました >
左から登ってきて、奥に進み、本丸に上がりました。本丸からは、画面の右手に降りてきました。
1
11/10 11:51
< 桜馬場で振り返りました >
左から登ってきて、奥に進み、本丸に上がりました。本丸からは、画面の右手に降りてきました。
< 桜馬場を出た所です >
正面の林が、温井屋敷跡です。左手にある「九尺石」を見てから、二の丸に向かいます。
0
11/10 11:52
< 桜馬場を出た所です >
正面の林が、温井屋敷跡です。左手にある「九尺石」を見てから、二の丸に向かいます。
< 温井屋敷跡 >
温井氏は、畠山家の重臣の一人でした。
0
11/10 11:52
< 温井屋敷跡 >
温井氏は、畠山家の重臣の一人でした。
< 要の石が残されています >
0
11/10 11:53
< 要の石が残されています >
< 九尺石 >
1尺=30.303cmです。九尺石は、約2.73m?
1
11/10 11:53
< 九尺石 >
1尺=30.303cmです。九尺石は、約2.73m?
< 二の丸 >
温井屋敷跡から少し登ります。
1
11/10 11:54
< 二の丸 >
温井屋敷跡から少し登ります。
< 二の丸から温井屋敷跡を見下ろしました >
奥に、九尺石が見えます。
1
11/10 11:55
< 二の丸から温井屋敷跡を見下ろしました >
奥に、九尺石が見えます。
< 七尾城第二の拠点でした >
0
11/10 11:55
< 七尾城第二の拠点でした >
< 紅葉の名所です >
1
11/10 11:57
< 紅葉の名所です >
< 木の上の紅葉 >
1
11/10 11:56
< 木の上の紅葉 >
< 木の下の紅葉 >
地面が落葉の絨毯に。
2
11/10 11:56
< 木の下の紅葉 >
地面が落葉の絨毯に。
< 七尾城跡の歴史が記されています >
0
11/10 11:55
< 七尾城跡の歴史が記されています >
< 16世紀には能登府中(守護所)がありました >
2015年11月10日 11:57撮影
0
11/10 11:57
< 16世紀には能登府中(守護所)がありました >
< 案内図から切り抜きました >
かなり細かく「城郭」の配置が描かれています。
2015年11月10日 11:57撮影
1
11/10 11:57
< 案内図から切り抜きました >
かなり細かく「城郭」の配置が描かれています。
< 絢爛な城郭でした >
2015年11月10日 11:57撮影
1
11/10 11:57
< 絢爛な城郭でした >
< ここから三の丸方面に降ります >
ここでもCGが掲示されています。
0
11/10 11:57
< ここから三の丸方面に降ります >
ここでもCGが掲示されています。
< 二の丸のCG >
想像しましょう。
2015年11月10日 11:57撮影
1
11/10 11:57
< 二の丸のCG >
想像しましょう。
< 急な階段を降ります >
安寧寺跡まで、急な階段が3箇所あります。
0
11/10 11:58
< 急な階段を降ります >
安寧寺跡まで、急な階段が3箇所あります。
< 二の丸を降りた所です >
三の丸までの間の紅葉がきれいです。
0
11/10 12:01
< 二の丸を降りた所です >
三の丸までの間の紅葉がきれいです。
< 紅葉
0
11/10 11:58
< 紅葉
< 紅葉◆
0
11/10 12:01
< 紅葉◆
< 紅葉 >
0
11/10 12:01
< 紅葉 >
< 紅葉ぁ
1
11/10 12:01
< 紅葉ぁ
< 紅葉ァ
0
11/10 12:02
< 紅葉ァ
< 三の丸です >
真ん中に、塀(跡)で囲まれた通路で、三の丸が南北に分かれています。
1
11/10 12:03
< 三の丸です >
真ん中に、塀(跡)で囲まれた通路で、三の丸が南北に分かれています。
< 三の丸跡 >
南北に長細い曲輪(くるわ)です。
0
11/10 12:04
< 三の丸跡 >
南北に長細い曲輪(くるわ)です。
< 北側にある下り口 >
ここから降りても良いのですが、混乱しますので、南側から降りましょう。
0
11/10 12:04
< 北側にある下り口 >
ここから降りても良いのですが、混乱しますので、南側から降りましょう。
< 南側の広場です >
右手に下り口があります。
0
11/10 12:03
< 南側の広場です >
右手に下り口があります。
< 少し長めの階段です >
膝の悪い方は、気を付けて降りて下さい。
0
11/10 12:05
< 少し長めの階段です >
膝の悪い方は、気を付けて降りて下さい。
< 最後の階段です >
降りて左にに進むと、安寧寺跡です。右に行くと、沓掛場と「とよの水」の間に出ます。三の丸の北側からの下り口が、途中にあります。
0
11/10 12:07
< 最後の階段です >
降りて左にに進むと、安寧寺跡です。右に行くと、沓掛場と「とよの水」の間に出ます。三の丸の北側からの下り口が、途中にあります。
< 三の丸の北側からの下り口 >
こちらから降りてきてもさほど距離は変わりません。
0
11/10 12:08
< 三の丸の北側からの下り口 >
こちらから降りてきてもさほど距離は変わりません。
< 沓掛場と「とよの水」の間です >
左に沓掛場、右に「とよの水」です。登りでは、画面左から右に通行しています。
0
11/10 12:08
< 沓掛場と「とよの水」の間です >
左に沓掛場、右に「とよの水」です。登りでは、画面左から右に通行しています。
< 安寧寺跡 >
0
11/10 12:09
< 安寧寺跡 >
< 安寧寺跡 >
りっぱな「墓碑」があります。
0
11/10 12:10
< 安寧寺跡 >
りっぱな「墓碑」があります。
< この先、まっすぐ下ります >
先ほどは、右から降りてきました。
0
11/10 12:10
< この先、まっすぐ下ります >
先ほどは、右から降りてきました。
< お間違えのないように >
530m先の駐車場は、本丸北駐車場の事です。資料館の駐車場と城山口の駐車場は、2kmほど先です。
0
11/10 12:10
< お間違えのないように >
530m先の駐車場は、本丸北駐車場の事です。資料館の駐車場と城山口の駐車場は、2kmほど先です。
< 安寧寺を出た所のベンチ >
七尾市街を眺めるビューポイントです。
0
11/10 12:10
< 安寧寺を出た所のベンチ >
七尾市街を眺めるビューポイントです。
< 「能登島大橋」が見えます >
七尾市街〜七尾湾西湾〜能登半島の奥の方まで見渡せます。
0
11/10 12:12
< 「能登島大橋」が見えます >
七尾市街〜七尾湾西湾〜能登半島の奥の方まで見渡せます。
< 「ツインブリッジ」も見えます >
「能登島大橋」よりも奥に架かる橋です。2本の橋柱が印象的なので「ツインブリッジ」と呼ばれています。
0
11/10 12:12
< 「ツインブリッジ」も見えます >
「能登島大橋」よりも奥に架かる橋です。2本の橋柱が印象的なので「ツインブリッジ」と呼ばれています。
< 春に撮影しました >
※2015年4月、同じ場所からの眺めです。
0
4/9 13:16
< 春に撮影しました >
※2015年4月、同じ場所からの眺めです。
< 安寧寺跡を出て振り返りました >
0
11/10 12:12
< 安寧寺跡を出て振り返りました >
< 右に行くと沓掛場です >
車を本丸北駐車場に止められている方はここで、曲がります。
0
11/10 12:12
< 右に行くと沓掛場です >
車を本丸北駐車場に止められている方はここで、曲がります。
< このまま進むと資料館まで下ります >
本丸北駐車場に駐車している方は、道を間違えています。50m引き返し、沓掛場に上がり、調度丸を経て、駐車場に戻って下さい。
0
11/10 11:02
< このまま進むと資料館まで下ります >
本丸北駐車場に駐車している方は、道を間違えています。50m引き返し、沓掛場に上がり、調度丸を経て、駐車場に戻って下さい。
< 赤坂口に降りてきました >
0
11/10 12:24
< 赤坂口に降りてきました >
< マムシグサ(蝮草)の仲間 >
サトイモ科テンナンショウ属。駐車場までの道々、草木を楽しみます。
1
11/10 12:28
< マムシグサ(蝮草)の仲間 >
サトイモ科テンナンショウ属。駐車場までの道々、草木を楽しみます。
< テンナンショウ属の実 >
マムシグサの実ですが、この仲間には、種類が多いので、実だけでは、正確な種の同定は出来ません。
0
11/10 12:28
< テンナンショウ属の実 >
マムシグサの実ですが、この仲間には、種類が多いので、実だけでは、正確な種の同定は出来ません。
< 分かれ道 >
来るときは、画面の右手の道(大手道)から登ってきました。
0
11/10 12:29
< 分かれ道 >
来るときは、画面の右手の道(大手道)から登ってきました。
< 迂回して、このまま車道を下ります >
歩きやすい車道なので、大手道を通らず、近道(車道を直進)して帰ります。
0
11/10 12:29
< 迂回して、このまま車道を下ります >
歩きやすい車道なので、大手道を通らず、近道(車道を直進)して帰ります。
< カラタチバナ(唐橘)が群生しています >
0
11/10 12:29
< カラタチバナ(唐橘)が群生しています >
< カラタチバナの実がたわわに >
1
11/10 12:30
< カラタチバナの実がたわわに >
< ザクロ(石榴) >
ミソハギ科ザクロ属。「紅葉」がすごく「黄葉」です。
2
11/10 12:31
< ザクロ(石榴) >
ミソハギ科ザクロ属。「紅葉」がすごく「黄葉」です。
< ザクロの実も1個、残っていました >
実は生のまま食べれますが、ジュースにすれば良いかも。
3
11/10 12:31
< ザクロの実も1個、残っていました >
実は生のまま食べれますが、ジュースにすれば良いかも。
< 「総構え」の遺構のあたりに〜 >
自動車道(能越道)が出来てしまいました。「総構え」は城の外郭の防衛線でした。城下町としては、このラインの内側に、ご家来衆の屋敷。外側は、町人達の居住地だったのでしょう。
0
11/10 12:36
< 「総構え」の遺構のあたりに〜 >
自動車道(能越道)が出来てしまいました。「総構え」は城の外郭の防衛線でした。城下町としては、このラインの内側に、ご家来衆の屋敷。外側は、町人達の居住地だったのでしょう。
< 駐車場からみる城山 >
2時間40分ほどで、往復してきました。ただ往復するだけなら、1時間半で行ってこれます。
0
11/10 12:45
< 駐車場からみる城山 >
2時間40分ほどで、往復してきました。ただ往復するだけなら、1時間半で行ってこれます。
< 謎の多い「大門道」 >
※以前、城山線沿いで撮影しました。今回「大手道」を通りましたが、別の「大門道」が部分的に残されています。他、「木落川道」と「大石谷道」が推定されています。
1
< 謎の多い「大門道」 >
※以前、城山線沿いで撮影しました。今回「大手道」を通りましたが、別の「大門道」が部分的に残されています。他、「木落川道」と「大石谷道」が推定されています。
< 車で3kmほど移動しました >
七尾の第二の城跡です。小丸山城址ですが、公園になっています。
0
11/10 14:02
< 車で3kmほど移動しました >
七尾の第二の城跡です。小丸山城址ですが、公園になっています。
< 小丸山公園(小丸山城址) >
「前田利家」公は、山城(やまじろ)の七尾城を上杉方から奪還した後、ここに、平山城(ひらやまじろ)の小丸山城を造りました。
1
11/10 12:58
< 小丸山公園(小丸山城址) >
「前田利家」公は、山城(やまじろ)の七尾城を上杉方から奪還した後、ここに、平山城(ひらやまじろ)の小丸山城を造りました。
< こまる山 >
戦陣に明け暮れた利家公の苦労話です?能登国の領民達は、小丸山城の築城にたいへん「こまる」山城であったに違いありません?
2015年11月10日 12:59撮影
1
11/10 12:59
< こまる山 >
戦陣に明け暮れた利家公の苦労話です?能登国の領民達は、小丸山城の築城にたいへん「こまる」山城であったに違いありません?
< そんなに怖かったのか? >
上杉方の再来を恐れ、わずか1年で築城しました。能登国の10歳以上の男子全員を普請(ふしん)させたそうです。せっかく築城された小丸山城は33年後に廃城を余儀なくされました。江戸幕府により「一国一城」のお触れが出されたからです。
2015年11月10日 12:58撮影
1
11/10 12:58
< そんなに怖かったのか? >
上杉方の再来を恐れ、わずか1年で築城しました。能登国の10歳以上の男子全員を普請(ふしん)させたそうです。せっかく築城された小丸山城は33年後に廃城を余儀なくされました。江戸幕府により「一国一城」のお触れが出されたからです。
< 小丸山の紅葉
2
11/10 12:59
< 小丸山の紅葉
< 小丸山の紅葉◆
1
11/10 12:59
< 小丸山の紅葉◆
< 小丸山の紅葉 >
0
11/10 13:00
< 小丸山の紅葉 >
< 小丸山第一公園から見る、七尾市街 >
右手に、七尾城山があるのですが、森が目隠ししています。
0
11/10 13:01
< 小丸山第一公園から見る、七尾市街 >
右手に、七尾城山があるのですが、森が目隠ししています。
< 西側に第二公園があります >
三更橋(陸橋)を渡って、第二公園へ行きます。
0
11/10 13:04
< 西側に第二公園があります >
三更橋(陸橋)を渡って、第二公園へ行きます。
< オオモミジの紅葉 >
0
11/10 13:05
< オオモミジの紅葉 >
< モミジバフウ(紅葉葉楓) >
フウ科フウ属。大正時代にアメリカからやってきました。日本の街路樹として大活躍中です。紅葉の向こうは「光徳寺」です。
0
11/10 13:07
< モミジバフウ(紅葉葉楓) >
フウ科フウ属。大正時代にアメリカからやってきました。日本の街路樹として大活躍中です。紅葉の向こうは「光徳寺」です。
< 愛宕山相撲場 >
小丸山のなかに愛宕山?「愛宕山」は、全国に130余りある山の名前で、総本山は、京都市の愛宕山です。
0
11/10 13:07
< 愛宕山相撲場 >
小丸山のなかに愛宕山?「愛宕山」は、全国に130余りある山の名前で、総本山は、京都市の愛宕山です。
< 三更橋を下から見上げました >
小丸山公園を出ました。
1
11/10 14:02
< 三更橋を下から見上げました >
小丸山公園を出ました。
< 小丸山公園を降りた所から撮影 >
「城山」です。高台になっている公園の上からはかえって見えませんでした。山頂(※)近くに「展望台」の建物が見えています。※:城山の最高点は展望台の約1.3km後方にあります。林業公社の私有地になっています。
1
11/10 13:59
< 小丸山公園を降りた所から撮影 >
「城山」です。高台になっている公園の上からはかえって見えませんでした。山頂(※)近くに「展望台」の建物が見えています。※:城山の最高点は展望台の約1.3km後方にあります。林業公社の私有地になっています。
< NANAO CITY GUIDE MAP >
七尾市観光案内図です。ここで、2つの温泉をご紹介します。
0
< NANAO CITY GUIDE MAP >
七尾市観光案内図です。ここで、2つの温泉をご紹介します。
< 和倉温泉「総湯」です >
入浴料金は安め(440円)の設定ですがで、日帰り温泉として、けっこう充実しています。
2
3/19 12:02
< 和倉温泉「総湯」です >
入浴料金は安め(440円)の設定ですがで、日帰り温泉として、けっこう充実しています。
< 「わくたま」くん >
和倉温泉のゆるキャラです。温泉卵がモチーフになっています。おいしい温泉卵を作るには、泉源ごとに、浸ける時間が決まっています。また、外気温によって違いがでますので、「気温による換算表」を使用している旅館もあります。
2
4/15 10:19
< 「わくたま」くん >
和倉温泉のゆるキャラです。温泉卵がモチーフになっています。おいしい温泉卵を作るには、泉源ごとに、浸ける時間が決まっています。また、外気温によって違いがでますので、「気温による換算表」を使用している旅館もあります。
< 旅館のベランダから眺めた日の出です >
能登島大橋の上に陽が昇ります。
0
3/23 6:22
< 旅館のベランダから眺めた日の出です >
能登島大橋の上に陽が昇ります。
< カモメのジョナサンかも? >
海辺の旅館は、カモメの食堂のような物です。毎朝、宿泊客にエサをねだりに来ます。
0
3/23 8:22
< カモメのジョナサンかも? >
海辺の旅館は、カモメの食堂のような物です。毎朝、宿泊客にエサをねだりに来ます。
< 能登島大橋 >
この橋を渡り「島の湯」に向かいます。
0
4/15 10:31
< 能登島大橋 >
この橋を渡り「島の湯」に向かいます。
< 和倉温泉 >
能登島大橋から眺めました。
0
4/15 10:35
< 和倉温泉 >
能登島大橋から眺めました。
< 大橋からツインブリッジを眺めました >
ツインブリッジは、七尾西湾と北湾の境目に架かっています。正式名称は「中能登農道橋」です。
0
4/15 11:13
< 大橋からツインブリッジを眺めました >
ツインブリッジは、七尾西湾と北湾の境目に架かっています。正式名称は「中能登農道橋」です。
< ひょっこり温泉 >
「島の湯」です。洋風風呂と岩風呂が、週ごとに、男女入れ替わります。こちらの能登島(ひょっこり島)でおしまいです。
2
4/14 9:59
< ひょっこり温泉 >
「島の湯」です。洋風風呂と岩風呂が、週ごとに、男女入れ替わります。こちらの能登島(ひょっこり島)でおしまいです。
初めまして。こんにちは。
四年前程前に行き、当時の記憶が色々思い出されました。まぁ、台風の影響で本丸周辺しか巡れてないのでいつかはまた行きたいと思いますが。
尺の換算ですが、明治期のなので室町期、江戸期だともう少し短かったと思います。誤差の範囲ですが。
saikaku様 初めまして
少しだけ、七尾城にまつわる歴史をご紹介します。
織田方に属していた七尾城は、上杉謙信(実は数か月前になくなっていた?)の侵攻により、1577年(※)秋に落城した(七尾城の戦い:1次と2次の2波攻撃)。落城する前から、城主の畠山氏の内紛や、重臣たち同士の争いや、裏切りが続いていたとされています。しかし、3年後、織田勢(前田利家)が、盛り返し、七尾城を取り戻しました。この時、主君を裏切り、上杉方について、七尾城を支配していた元重臣の遊佐続光は、助命を願い出て、降伏したものの、許されず、織田信長の命で、息子とともに、前田利家により、大手道「赤坂口」で斬首されたという。その命を下した信長も、半年後には、本能寺で無念の憤死。またぞろ、主君の裏切った元重臣、温井景隆と三宅長盛が、信長の死を知り、逃れていた越中から、七尾城の奪還に兵を挙げました(荒山城の戦い)。ところが、羽柴秀吉の「中国大返し」により、予想外の前田・佐久間連合軍の反撃に遭い、あえなく温井氏ら一派は全滅。温井氏らに味方した、石動山の一向宗の僧兵3000名も、ことごとく討ち取られ、焼き討ちされた石動山山門には、1008余の生首が並べられたいいます。〜おとろしいことです(方言です、意味はわかるでしょう?)・・・長くなりましてすみません。山も城も同じです。歴史があります。深田久弥の日本百名山の選定基準の一つに「山の歴史」が挙げられています。好きな山、好きな城があるのなら、その山(城)の歴史が知りたくなります。saikaku様も、山行の歴史を、末永く、ヤマレコに残し続けて下さりませ。ではまたいつか。(※:年代を間違えいましたので、修正しました。平成27年11月14日10時50分)
七尾城址、久しぶりに拝見しました。
以前、訪れたことがあり、他、五大山城・山岳城も訪れましたが、
七尾城が一番印象に残っています。
雪の残る本丸から望む、七尾湾の眺めには感慨を覚えたものです。
紅葉の時期も、やはり良いものですね
fujimon様 初めまして
ひとつ、七尾城山(七尾城址)の隠れた個性をご紹介申し上げます。
登城路「大手道」には、ケルンのような石積みが何ヶ所かあります。しかし、いつも同じ場所にあるわけではございません。狭い斜面の道のためか、よく崩れ去りますが、別の位置に、積み上げなおされています。それらは、登山の目印や記念となるケルンではないのです。小さな石塔を積み上げているのです。賽の河原で子供達が積み上げる石積みと同じです。何度、積み上げても、鬼がやってきて、崩してしまいます。さまよえる魂のため、誰ともなしに、積み上げているのです。つまり、七尾城址(城山)は、知る人ぞ知る「心霊スポット」なのです。たとえば、私は、夕方に近い時間になると、城山から降りるようにしています。夕刻の大手道や城郭跡を散策していると、誰もいないのに、気配を感じることや、後らから跡をつけてくる足音がはっきり聞こえる〜などの体験(錯覚?)をしたことがあります。近所では、同じような、噂話は聞きます。別に、悪い評判になっているとは思いません。七尾城山の歴史が、醸し出す雰囲気と考えます。「名城の城跡」であることの証左です。fujimon様、再び、七尾城址を訪れることがありましたら、ぜひ、七尾城址の「安寧寺跡!」で、黄昏を眺めていって下さい。その日の夜は、和倉温泉にお泊まりになられ、清めの塩が効いている温泉に浸かって下さい。石を積まなくても、善行を一つ積み上げることになりますよ。では、fujimon様のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。
こんにちは、七尾には昭和の独身時代に5年間過ごしていたので、城山も行きましたが車やバイクでした(笑)
30年以上行っていませんが、レコを見て登った様な気持ちになり歴史も勉強になりました、ありがとうございます。
「おとろしい」は普通に使っていて方言と気づきませんでした。
hakusan319様 こんにちは
先日もコメント投稿ありがとうございました。私の記録やコメントに誤りが、多々見られると思います。自分の気持ちを表現したいあまりの事なので、ご容赦のほどお願いします。ご覧下になるときは、少し割り引いて、見てやって下さい。ところで、明日(平成27年11月15日)は第一回目の金沢マラソンが開催されます。私は参加しますが、完走は出来ません。以前は、マラソンに凝っていたことがあるのですが、ここ数年、山に凝り出してから走れなくなりました。膝も悪くなりました。でも、郷土で開かれる初めての大会の記念として、出場します。hakusan319様は、(数々の山行記録を拝見致したところ、思いますに)きっと丈夫な膝(脚)の持ち主ではないでしょう。今後のさらなる、ご健勝をお祈りいたします。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する