【今日も元気だ】結作戦・表妙義三山突破(白雲山・相馬岳・中之岳)【無言の帰宅】【丁36.1】
- GPS
- 09:24
- 距離
- 12.9km
- 登り
- 1,109m
- 下り
- 913m
コースタイム
- 山行
- 7:53
- 休憩
- 0:51
- 合計
- 8:44
コースタイム比:0.684
距離:12.87km
上り標高差:1.092km
下り標高差:0.887km
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2010年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
道の状況:分別が無い人は家に帰って用を足して寝るべき。 |
写真
感想
群馬県警まとめによると平成21年の妙義山系における遭難事故件数は13件となっており、平成20年の4件から大幅に増加して、谷川連峰と肩を並べるまでになった。
この値が多いのか少ないのかイマイチよくわからないが、4件が13件というのは尋常ではない。昨年の値が単なる異常値なのか、それとも今年も同程度になるのか、これから紅葉の季節で訪れる人も増えるだろうから気になるところである。
つまり、遭難事故件数で群馬県内1,2位を争うということはそれだけ危険だということだ。しかし、美しいものに棘があれば、棘のあるものが美しいこともあるわけで、私は初めて妙義に訪れた時から魅せられてしまった。まだ拝殿が台風で壊れる前の話である。
最初に訪れた時は、妙義神社参詣が主目的だった。社殿と山容の美しさに心奪われるも、山そのものについては「奥の方に石門群があるんだぁ。」程度の認識であった。
それが昨年奥の院まで足を運んだ時に、数十mの鎖場にゾクゾクするとともに、「まだ先にいけるんだ。行ってみたいもんだな。」と思うまでになったのである。
そう思ってから以降の山行は殆ど妙義山のための予行演習みたいなものであった。ヒロシ氏との前三回の山行はまさしくそうだし、他に群馬の岩櫃山、栃木の岩山、埼玉の四阿屋山、山梨の岩殿山は鎖場演習の場だった。
というわけで、危険な山という前触れに入念な準備をしていったわけである。
しかし、終わってみて考えると、一年前圧倒されていた時に登ったとしても無事踏破できたと確信を持って言える。それだけ妙義は親切で優しい山だった。
まあ、そんな細かいことはどうでもいい。入念な準備は当日の朝するのではなく、当日に至る過程でするのが私の流儀。非常に軽装であるが故に、失敗をすればバッシングされるであろうことは確実なので、今回は石橋を叩いて渡るような感じで慎重に準備した。あとは当日思い切りよくやるのみ。話が若干それるが、私が、軽装遭難者のニュースが流れる度に嫌な思いをするのは、自分もとばっちりを受けかねないからに他ならない。危ない橋を渡る時には、いつもより想像力を働かせる必要がある。もっとも行動は大胆に、というのも私の流儀。ガシガシ行くつもりだ。
電車を乗り継ぎ乗り継ぎ松井田駅まで。もちろん駅から妙義までは歩きである。
連れも、この数kmの歩きでウォームアップできるだろう。よく晴れ渡った青空に妙義の山々が堂々とそそり立っている。今まではアバウトな感じで見ていたが、今日は「ああ、あれが大の字だな」などと注意深く見る。いつもどおりだと思っていたが、内心穏やかでなかったのかもしれない。
駅から道の駅妙義までは徒歩40〜50分くらいである。道中、不測の事態に陥らないよう、また時間をかけてトイレに篭る。
さて、いよいよ出発だ。また生きて帰って、いつものように無言の帰宅をしよう。
妙義神社の鳥居をくぐる。石段の上の拝殿は何年も工事中だ。妙義神社ほどの格ならお金には困らないような気がするのだが、何か工事が遅れている理由でもあるのだろうか?文化財の修復は慎重にやるのかもしれない。
本殿にお参りをして、すぐそばにある登山ポストから石段を登っていく。他に婦人の小グループがいたが、彼女等は中間道を行くようだ。
「山頂の方に行くの?」
「えー、まあ、3回ほど来てますが(山頂は初めてだけど)」
「まーすごいわねえ」
といった遣り取りのあと、中間道へ至る道を教えて別れる。
階段を登ると妙義神社拝殿を横目にいよいよ山道に入るが、最初は普通の山道だ。何が普通なのかといわれると難しいのだが、まあ、木立の中に土の道の程よい傾斜の道があるといった程度の普通である。
しかし、しばらく歩くと山頂の前哨戦に入る。傾斜が急になり、所々滑りやすい鎖場が登場。まず、2人組の女性に先に行かせてもらう。
「あらあ、通勤途中みたい。」
といわれるも、彼の人の地元では平服で通勤するのだろうか。スーツというものは日本の気候(特に夏場)に全く合わないと思っているので、平服出勤できるのはうらやましい限りだ。
さらに進むと、やや滑りやすい斜面で5人程度のグループが苦戦している。正確に言うと、その内の1名が腰が引けてまともに立つこともままならない。
後を詰めても仕方がないので上が進むまで下の方で一休みする。しかし、この状態がずっと続くとこの先の作戦行動に支障を生ずる。どうしたものか。
先行グループが何とか進んだので我々も進んだが岩肌が濡れていて確かに滑りやすい。注意して進む必要がある。
登りきった所が大の字方面と奥の院方面の分岐。奥の院に行った方が先行グループより先に行けるのだが、せっかく来たので大の字に寄ることとした。
先行グループが一人一人登り、苦戦している人には激励している。恐怖を抑え一つ一つ慎重に進む人の達成感というのは非常に大きいに違いない。
我々も引き続き登り、誰が造ったのかわからないデカい「大」の字の傍らで朝日を浴びる上州の大地を眺めつつ一休み。確か、「大日如来」の「大」だったかしら。
先行グループが降り始めた。方言からすると、北陸から来ているようだ。距離的に泊まりで来ているのだろうか?いや、新潟下越や富山新川なら高速を使えば日帰りも可かな。
結局、先行グループは引き続き先に行くことになったのだが、中間道方面・奥の院方面の分岐である辻を過ぎたところで、先に行かせてもらう。
この辻-奥の院間は、よじ登り気味に行かないといけない所もあるが、そんな所にも鎖は無い。
そういったところに妙義登山道を整備する方々の優しさを感じるのである。
すなわち、大の字までは一種のチュートリアルで登山者は後に続々と現れる鎖場に思いをいたし、奥の院までの鎖の補助無き急登は、慣れない登山者を不安に陥れることだろう。そして最後に現れるのが奥の院横の垂直岩壁である。ここに至る過程で不安を募らせてきた登山者は、奥の院で引き返すこととなる筈だ。
しかし慣れていても垂直。改めて見ると、果たして大丈夫なのかと思ってしまう。乾徳山の比ではない。
奥の院にご挨拶をした後、改めて正面に立つ。
慎重に登り始める。緊張のせいか押し黙る。静けさがかえって恐ろしい。落ちたらヤバいなと思う。何というかゾワゾワする。このような感じになったのは、ここと鷹返しだけだった。
奥の院の中を見下ろせる所まで来ると、ホッとするとともに「かへりみはせじ」と決意を新たにする。奥の院直登は登りきった所で一息つける空間があるので、そこで一休み。そこから鎖をもう一登りし、急登をしばらく歩くと見晴に到達する。
見晴はまさに絶景かな〜!
左側には屏風のごとくそそり立つ妙義の山、右側には西上州。
そこから先は岩場を登ったり降りたりの連続となるが、鎖が垂れている場所がそれほど開けている場所ではないので、それほど恐怖感は無い。それでいて、尾根歩きは展望が開けていて非常に良い気分だ。尾根も幅が十分にあるので、切り立っているのだろうが、滑落するような危険は無いと思われる。
天狗岩で二人目の遭遇者(一人目は見晴で憩っていた)。最初我々の前方を歩いていた集団は結局中間道にしたようだ。
男性と話して今後の見込みの参考とする。
相馬岳に到達して軽食休憩。一息つく。しかし案内板には危印が全部で9つあるのに、まだ2つ分しかこなしてないのだな。今までの鎖場は緊張がほぐれるに連れて楽しめるようになってきた。鷹返しがポイントであることは間違いないだろう。
実際のところ、ここから警告板が増えてくる。相馬岳から鷹返しまでは一旦下る。この下りが開けた所を下っていくので爽快感がある。もっとも、何かの拍子に転倒などすれば下まで落ちるのは確実だが、足場がしっかりしているので、それほど心配するほどのものでもない。
下ってからはガシガシ進む。山岳ガイド等には大体目安時間が書いてあり、私はそれに8かけして予定を立てているのだが、それよりも早く着いたようで、鷹返しの取り付きに至ってもなお、時間的にまだ先のはずだと思っていた。何しろ「昌子岩」だ。梯子を上ったあとの鎖場に至ってようやくここが鷹返しなんだと実感した。感想としては、最初は怖くない。褌を締めてかからないといけないのは後半の開けたトラバースだ。妙義で緊張したのはココと奥の院だけである。ただ、鷹返しは緊張しながらもあまりの絶景にテンションも上がり、写真もばっちり撮る。落ちたらやばいのはよ〜くわかった。
鷹返しを抜けて頭に出た所で一休み。先の道を探る。ココまで来るとあとは最後の一峰とその垂直な下りだ。
だが、最大の難関を越えてヒロシ氏の足取りも速くなり、私は写真を撮るたびに走っていかないと追いつかない。最後に中之岳山頂の祠を仰いだ時の感慨や如何に。ついにやった、という気持ちともう一度来るぞ(今度は逆コースで)という気持ちが大きかったろう。
もちろん、これから山を降りなくちゃならん。今後のことはまず山を降りてからだ。この下りは足元を確認しつつ慎重に降りれば難しくはない。三点支持ということが言われるが、鎖の有無に関わらず、それをやっておけば間違いは無いだろう。鎖に頼って足元を疎かにすると、鎖に振られる。降りてみてからあんなに垂直に切り立っているのかと思ったが、降りている途中では特段恐怖は感じなかった。初めて行く人は複数で行ってナビを受けながら昇降すれば良いのではないか。
かくして降りてきた我々が辿り着いたのは有名な石門群である。「ヤッホー」と叫んでいる子供がいたので「Yahoo!」と返すなどして戯れつつ、ヒロシ氏のために石門群も巡る。しかし、山から下りてきて緊張が解けたせいか、途中でへばってきたようである。本来であれば中間道を戻るつもりでいたのだが、ヒロシ氏も限界が近いため殆ど車道を帰ることとした。それでも充実した山歩だったことに変わりはない。妙義は心身ともに充実させてくれるあり難い山なのだ。そしてその故に私は妙義が大好きである。
さて、妙義から無事無言の帰宅を果たしたわけだが、滑落事故が多く警告板などが非常に多い山であることは周知の事実である。「一般の登山者は登るな」或いは「装備の無い者は登るな」という趣旨の文言が、警告板だけでなく先人のHP等でも見受けられる。
しかし、私は経験や装備の有無は問題ではないと考えている。私は若干岩場の経験があるといってもやはり怖いものは怖いと思ったし、ヒロシ氏は今年になって初めて私に連れられて岩場巡りをしたのに、何事も無く危なげない山行だった。
「一般登山者云々」に至っては意味不明である。一般登山者とは一体何者か?登攀のヴェテラン以外は一般になるのだろうか?そんなことを言ったら私などはまさに「一般」。否、私はいろいろな所を散歩しているが、たまに歩く所が山になるだけの「散歩者」である。少なくとも登山という意識は薄い。一つだけ確かなのは一般だろうが一般でなかろうが落ちる時は落ちるということだ。
いろいろと言ったが、重要なのは山と相対する時の気持ち及び自己認識だろう。私は登りたい人はどんどん登ればよいと考えている。但し、登る人には山への畏れの気持ちを持って、又、自らを省みつつ歩んでほしい。自らを省みることができない人は、それこそ家に帰って用を足して寝た方が身のためだろう。
〜おわり〜
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