市川大門-ほこら小屋-櫛形山-裸山-東花輪
- GPS
- 15:26
- 距離
- 42.1km
- 登り
- 1,997m
- 下り
- 1,994m
コースタイム
- 山行
- 7:50
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:50
天候 | 初日、天気晴朗なれど、山頂見えず、2日目、山頂から雲海上に富士山見えるも、下山すると、やはり山頂見えず |
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過去天気図(気象庁) | 2016年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
自転車
町田 04:56、JR横浜線、2270円※ 05:21 八王子 05:35、JR中央本線 06:19 大月 06:23 07:12 甲府 07:16、JR身延線 08:00 市川大門 08:05 ※町田駅東口で1660円分しか買えない為、市川大門の車内で計算してもらったのだが、追加320円と言われ、払ったが、明らかに足らないと感じたのだが、そのまま下車 復路 11:31 東花輪 11:31、1940円※ 11:55 甲府 12:16(12:21)5分遅れで出発 13:49 高尾 14:00 14:06 八王子 14:10 14:32 町田 14:40 14:55 自宅 ※券売機ではやはり1660円までしか買えなかった為、町田駅で精算、こちらでは正しく合計1940円でした |
コース状況/ 危険箇所等 |
計画では、秋山川の秋山集落の北側の尾根を登る予定だったが、取り付きを間違えて、宗林地区から登った為、地図の正しい位置に気づくのに、新梨地区から伸びる林道を跨ぐ手前まで時間がかかった 増穂ふるさと自然塾付近、桜池付近から氷室神社の北側の尾根に旧道登山道辿る。途中まで、荒廃した古い登山道跡だったが、桜池の北側からか?と思われる破線道と合流すると、踏み固められた、歩きやすい道になるが、それも1490m位の林道に当たると、その後はまた、古い登山道の跡になる。再び登山道に合流するところが、ほこら小屋のキャンプ地 以降は登山道を利用で問題なしだが、アヤメ平を丸山登山道へ進むと、やや踏み跡が怪しくなり、不明瞭箇所がある。 |
その他周辺情報 | 前回登山、矢花山-文台山-ハガケ山-鹿留山 https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-866695.html 次回登山、東御殿と西御殿 徳和川から(with e-hara1990氏) https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-877771.html |
写真
感想
後日
先週、鹿留山はもう、暑かったので、こんどはもう少し高いところに行こうかと思い、奥秩父辺りもいいかなと思ったのだが、人が多いのも落ち着かないので、人気がなさそうな、この山に登ってみることにした。登山口までのバス便があるのかもわからず、調べるのも時間が無かったので、身延線で一番近そうな、市川大門駅から歩くことにする。なんとなく尾根を走っている林道と古い登山道の痕跡を拾って行けば、それほど大変ではないのかなと、考えていた。
市川大門駅を降りると、山頂部分は雲がかかっていて、見えない。雨でも降っているのかなと、少しの不安を持ちながら出発。
橋を渡って大椚というところをまっすぐ行くと、道路が工事中で右に曲がると、利根川という水路の横の道を登る。道が面白くないので、一つ隣の道に行くと、古い町並みのようで雰囲気が良い。いくつか曲がりくねって上ると、先の方に赤い神社の鳥居が見えた。熊野神社まで来ると後ろは棚田が山の麓までつながっている。さらに上っていくと、山へ登る林道を見つけ、獣柵を開閉してさらに登る。この林道はどこまでも続いていて、尾根を巻いたりしながら進む。途中、路肩の刈り払いをしている人に会う。
さらに上ると、虫取り網を持った、揃いのユニフォームを着た学生?達に会う。案外通りが多いなと思いながら歩く。
林道の途中に少し大きな水たまりがあった。途中に何度かとても小さなトンボがいたので、あのようなところにいるのかもと思いながら進む。林道が大きく弧を描いて尾根を回り込むところがあり、現在地を確認することが出来た。新梨の集落が空中都市のように見えていたのが、もう間近にある。山岳集落というのんびりした感じでもなく、案外、車が頻繁に行き来している。舗装された車道を渡り、法面の隙間の波板の雨樋のような水路を登って、尾根に出る。少し歩くと写真にあるような、地図に無い神社にでた。大正何年とか書かれた灯篭だったかが、あった。少し歩くとまた、林道に出て、桜池に当たる車道は拡幅工事の最中のようだ。近くは増穂ふるさと自然塾として、整備されているようで、車が頻繁に通ったり、キャンプ場も近くにあり、学生風団体にも、何度か遭遇した。連続して尾根を進もうとしたが、有料キャンプ施設として、立ち入り禁止になっていて、少し離れた林のところから、山側へ歩いていき尾根を目指した。尾根に出るとやはり、古い登山道の痕跡がハッキリしていてしばらくそれを辿る。
さらに進むと北側から別のハッキリした作業道とも言うべき道を合わせる。この道は櫛形山林道に当たるまで、普通の登山道並みの踏み跡を維持していた。櫛形山林道を越えると再び、古い登山道の痕跡程度の道なった。急な尾根がゆるくなる頃に、ほこら小屋とキャンプ場のある場所に飛び出す。静かなキャンプ地を期待していたのだが、学生の団体がすでにテントを7~8張り設置していたのでびっくり。すべて同じ団体だと近くの学生に訊いた。
人が居ても、2〜3張りだろうと思っていたので、期待はずれだった。少し間を置いて、北よりに離れて寝床を設置、ちょっと斜めだったので、何度が微調整して妥協した。テントの出入り口から下界の町並みが見えるという不思議なテント場だった。水分取得不足からか、朝まで用を足すことも無く小屋にも、厠にも行かなかった。2時半に起き、4時出発を目指す。3時55分に出発できた。団体も起きて準備している様子だったが、横を通り抜ける。緩やかな斜面をヘッドランプを手に、ゆっくり登る。まもなくライトはいらなくなる。いくつかの分岐を過ぎ平らな山頂には誰も居なかった。富士山側に緩やかに下った斜面から、富士山と雲海が見えた。
裸山周辺は登山道以外の場所に入れないようにロープが設置されている。木々の隙間から南アルプスの雪を被った山が見えるが、何の山かはわからない
アヤメ平はロープの設置に加えて、獣除け網が設置されている、出入りに開閉扉を通らなければならない。ロープが無くなったところで、登山道から外れて、朝のルーティンを行う。登山道から見えないように、だいぶ離れたのだが、以降誰にも会うことも無く意味が無かった(笑)
コメント
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秋山集落は、武田家臣、秋山伯耆守虎繁の出身地だそうで。下山で通った小笠原も加賀美も武田家と同じ甲斐源氏の一族の地名です。どうですか、サムライ歩いてましたか?
高尾集落とかお宮とか、この辺も歩いて通りたいところです。
櫛形山はどうせ樹林で展望はないので、晴れていない日に向いてますね。
yoneyamaさん、コメントありがとうございます。
百姓は何人か見かけたんですがね〜でも彼らもいざとなれば、サムライより働きますよ 山麓の古い家は良くありますが、ここ東花輪まで、平地でも古い家が沢山ありましたね
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