冬の[城ヶ平山・ハゲ山]⇒再びの[城ヶ平山]⇒[天湖森キャンプ]
![情報量の目安: S](https://yamareco.info/themes/bootstrap3/img/detail_level_S2.png)
- GPS
- 30:51
- 距離
- 59.8km
- 登り
- 1,225m
- 下り
- 1,317m
コースタイム
- 山行
- 4:15
- 休憩
- 1:17
- 合計
- 5:32
- 山行
- 6:20
- 休憩
- 3:35
- 合計
- 9:55
- 山行
- 0:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:30
近々、同級生たちと「城ヶ平山」登山を計画していましたので、下見をしておこうと思い立ち、私一人(ソロ)で登山口のある上市町大岩に行きました。ちよっと見て回るつもりが、まるまる縦走登山してしまいました。
(開始):大岩川親水公園駐車場−大岩側登山口(金龍橋)−第1ベンチ−上ノ平集落跡−第2ベンチ(水場)−第3ベンチ(登山口・山頂の中間地点)−城ヶ平山頂上−中浅生分岐−峠山−西種分岐−ハゲ山−西種分岐−峠山−中浅生分岐−浅生側登山口−[県道67号線]−日石寺(参拝)−大岩川親水公園駐車場:(一旦帰宅)
___【 2回目(トリオ登山)のコース 】___
同級生三人(トリオ)で「城ヶ平山」に登りました。
(再開):大岩川親水公園駐車場−大岩側登山口(金龍橋)−第1ベンチ−上ノ平集落跡−第2ベンチ(水場)−第3ベンチ(中間地点を過ぎた場所)−城ヶ平山頂上−第3ベンチ(中間地点の手前)−第2ベンチ(水場)−上ノ平集落跡−第1ベンチ−大岩側登山口−日石寺(参拝)−そうめん金龍(にゅうめんを頂き終了)−湯めごごち(入浴)−シマヤ立山店(買い出し)−天湖森(コテージ泊)−[飛騨牛のしゃぶしゃぶ+焼き肉+お酒]−[川の字になって寝る]:(就眠)
___【 最終日 】___
利用させて頂いたコテージを、能登弁=『あらけして(散らかして)』しまいました。帰り際には、標準語=『来た時よりも美しく』します。
(朝食):[焼き肉・焼野菜・おじや(雑炊にあらず)]−[後片付け・掃除]−[天湖森を出立(富山ICへ)]:(帰宅)
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
『城ヶ平山(じょうがだいらやま)』には、今回のツアー(山行)で、二度も登ことになりました。ツアーの前半は、私一人のソロ登山でした。後半(2度目の「城ヶ平山」)では、トリオ=同級生3名(※)で登山してから、打ち上げの宴会キャンプ(コテージ泊)をしました。 というわけで〜 ◆ [ 城ヶ平山⇒城ヶ平山⇒キャンプ ]〜となりました。 ※:お盆の頃と年末は、いつも同級生4人組のカルテットで、集まって遊んでいます。今回は1人ぬけてのトリオでの山行(山登り+宴会)になりました。私達は能登の出身です。私が能登に住んでいて、1人が富山県、もう1人が京都府に住まいしています。 ➀ 1回目の「城ヶ平山」登山(ソロ) 私一人での登山です。仲間3人で予定した登山の下見目的で、登山口のある中新川郡上市町大岩に出かけました。登山口の確認を済まし、大岩山「日石寺」にお参りして返ろうかと考えていましたが、たくさんの人が登っていくのを見ていて、登ることにしました。「城ヶ平山」までのつもりで登山開始したのですが調子に乗って、城ヶ平山の南に連なっている「峠山−ハゲ山」へまで行ってしまいました。帰りは、浅生側登山口に下り県道67号線を歩き、『日石寺』に、夫婦岩のあるほうから入りました。お参りをしてから、近くの温泉(大岩不動の湯)で冷えた体を温めてから帰宅しました。 ※:実は、仲間の一人も同日に同じ山に登っていて、彼とは帰りの駐車場で出合、近日予定しているトリオでのツアー(登山口+キャンプ)の成功を誓い合いました。 ◆2回目の「城ヶ平山」登山(トリオ) 中新川郡上市町大岩にある「大岩川親水公園」の駐車場で待ち合わせです。大岩側登山口から「城ヶ平山」頂上までのピストン登山です。先週の下見?登山の時より積雪が多くなっていて、私にとってはキツい登山となりましたが、仲間2人のサポートのおかげで無事に下り来られました。下山後、『日石寺』に参拝。そして、門前のそうめん屋さんで「にゅうめん」を頂きました。中新川郡舟橋村にある温泉施設(湯めごこち)で汗を流し、中新川郡立山町にあるスーパーセンター(郊外型大型店・シマヤ)で買い出しをしました。ここまで済ませて、宴会場所に移動しました。 割山(わりやま)森林公園『天湖森』(宴会キャンプ) トリオ(3人)で、天湖森(てんこもり)キャンプ場のコテージ(定員4名)に宿泊。お肉(しゃぶしゃぶ+焼き肉)・お刺身・美酒(持ち込んだ各地の銘酒)で盛り上がりました。翌朝、キャンプ場の積雪が多くスノーシューハイクが楽しめそうでしたが、余力がありませんでした。少しだけ散策してから、帰宅しました。 ___【 城ヶ平山(じょうがだいらやま) 】___ 中新川郡(なかにいかわぐん)上市町(かみいちまち)大岩・浅生に所在する標高446mの山です。別名が、「茗荷平山(みょうがだいらやま)」と言いますが、往時は『茗荷谷山城』があった山だからです。城郭として、尾根沿いや山頂周辺に削平地が造られていたので後世、「城ヶ平」と呼ばれるようになったのでしょう。山麓にあった上ノ平集落(跡地)も、「ジョウ(城)のダイラ(平)」村と呼ばれていたのだと思います。 『茗荷谷山城』は、かって城ヶ平山(茗荷谷山城跡)から西方向約3.5kmに位置していた『弓庄城(ゆみのしょうじょう)』の詰城(支城)でした。『土肥氏(※)』と呼ばれる氏族がこの辺りを治めていました。 ※:氏(うじ)としての読み方は、[土肥氏(どひし)]ですが、個人名としての読み方は、[土肥政繁(どいまさしげ)」〜というように[ドヒ]が[ドイ]に替わります。 ___【 『越中・土肥氏』の由緒 】___ 往時(中世の頃)、『土肥氏(どひし)』と呼ばれる武将の一族が、ここ新川郡(現・富山県東部地域)の西部(上市川と白岩川の流域)を治めていました。以下、簡単に『越中・土肥氏』の歴史をまとめてみました。 『土肥氏』のルーツは、平安時代末期(12世紀末)に、相模国(さがみのくに=現・神奈川県の大部分)で発祥しました。桓武(かんむ)平氏良文(たいらうじよしふみ)流である『中村氏』がルーツです(※:平安時代中期の武将[平良文(たいらのよしふみ)]の流をくんでいるということです)。新たな氏となった『土肥氏』は、「源頼朝」の挙兵に従い、鎌倉幕府の成立に寄与し勢力を振るいました。のちに、越中国に傍流の土肥氏が繁栄することになったため、2つの土肥氏=「相模・土肥氏]+[越中・土肥氏]〜に区別されるようになりました。 さて、『越中・土肥氏』の発祥は、鎌倉時代中期(13世紀中頃)ですが、その詳しい由緒は定かではないようです。土肥氏の子孫が、越中新川郡井見荘(弓庄)に地頭として入ったことが起こりです。のちに、「堀江城(現・滑川市堀江)」を本城とする[堀江土肥氏]と、「弓庄城(現・上市町館)」を本城とする[弓庄土肥氏]に分かれています。 当時は、越中守護代である『神保氏(射水・婦負郡を所領)』と『椎名氏(新川郡を所領)』の二大勢力に挟まれ苦しめられました。それでも、『越中・土肥氏』は新川郡西部で、約300年間も繁栄することになりました。 戦国時代になると、[堀江土肥氏]が、越後守護代の「長尾氏」に敗れ衰退しますが代わって、[弓庄土肥氏]が奮戦することになります。乱世の時代です。越中の諸侯も、[織田勢]と[上杉勢]に分かれて入り乱れます。弓庄城主『土肥政繁(どいまさしげ)』が、越中土肥氏における最後の輝き〜であったかも知れません。かの『土肥美作守政繁(どいみまさかのかみまさしげ)』は、初めは「上杉方(上杉謙信)」についていたものの、天正6年(1578年)に『謙信』が急死すると、「織田方(信長)」に属するようになりました。ところが、天正10年(1582年)、本能寺の変で『信長』の死を知ると、今度は『謙信』のあとを継いだ『上杉景勝』に従って「織田方」に反抗。つまり、2度も転向(裏切り)したことになります。これに対して、織田方の越中国守護として富山城に入っていた『佐々成政』は、弓庄城を攻めたててきましたが、堅固な平城の弓庄城は落城しませんでした。翌、天正11年4月、『成政』と和睦し、『土肥政繁』は上杉家の庇護を求め、越後に移りました。まもなくして、『越中・土肥氏』の血脈は越後で途絶えてしまうことに... ___【 「越中・土肥氏」の城について 】___ 「城ヶ平山」との関連のあるお城をいくつか紹介します。 −−−< 茗荷谷山城(みょうがだにやまじょう) >−−− 今回の目的の「城ヶ平山(茗荷平山)」にあった山城です。本城の『弓庄城』の詰城(つめのしろ)でした。『弓庄城』から東約3.5km(直線距離)に位置していました。この城があった「城ヶ平山」は、[上市川]と[大岩川(白石川の支流)]の二本流れに挟まれている山域に含まれています。また、[上市川]の上流には、『堀江城』の詰城であった『稲村山城』と『千石山城』がそれぞれ、「千石城山」と「稲村城山」に築城されていました。 −−−< 弓庄城(ゆみのしょうじょう) >−−− 「白岩川」東岸の丘陵地に築かれていた平城です。城跡の所在地は、上市町館です。「館城」とも呼ばれていました。『土肥美作守政繁』が、『佐々成政』と奮戦し守り抜いた城でした。また、詰城の『茗荷谷山城』とは別に、『柿沢城』という支城がありました。本城の『弓庄城』から北東約1.5kmに位置=「城ヶ平山」から北西に伸びる尾根の支尾根上にありました。 −−−< 堀江城(堀江館) >−−− 城跡の住所は、滑川市堀江(現在は墓地と畑になっています)です。初期の[越中土肥氏]=堀江土肥氏の居城でしたが、永禄12年(1512年)、上杉勢の越後守護代『長尾氏』によって攻め落とされ、その後の土肥氏の拠点は『弓庄城』に移ることになりました。落城する前の『堀江城』の詰城としては、『稲村山城』と『千石山城』があります。『稲村山城』のあった「稲村城山」は「城ヶ平山」の北東約2.1kmに位置しています。『千石山城』のあった「千石城山」は「城ヶ平山」の東北東約4.5kmしています。「千石城山」は、「城ヶ平山」と同様に、遊歩道が整備されていて、登山コースとして人気です。 ___【 「城ヶ平山」登山口へのアクセス 】___ 電車とバスで、登山口のある上市町大岩(かみいちまちおおいわ)まで行けますが、自家用車かレンタカーがあれば、何かと便利です。 −−−< 公共交通機関を利用してアクセス >−−− ”抻咳悗ら『富山地方鉄道[本線」』で上市駅へ ◆‐綮埀悗ら『町営バス[柿沢・大岩線]』でバス停「大岩」へ バスを降りて、40歩(20秒)で大岩側登山口です。 −−−< 北陸道からのアクセス >−−− 北陸道を東西どちらから進んで来ても[立山IC]で、降りて下さい。[立山IC]から県道3号線を北上、交差点「川原田」で右折、一般道を東に進む、県道152号のとの交差点「湯神子」で右折します。この後、L字型に3回曲がる事になりますが、県道152号線を道なりに進むと大岩に着きます。ちなみに、県道152号線は県道67号線とぶつかった場所(大岩)が始点で、終点は上市町神明町になります。 ___【 城ヶ平山の登山コース 】___ 「城ヶ平山」に登るルートは、大岩(おおいわ)の登山口からと、浅生(あそ)の登山口からの二本しかありません。しかし、「城ヶ平山」の南に位置する「峠山・ハゲ山」を加えたコースにすると、バリエーションが広がります。 −−−< [大岩−城ヶ平山]往復コース >−−− 大岩から城ヶ平山山頂までのピストンで、一般的なコースです。 ◆ 大岩側登山口(金龍橋)−<約0.7km>−上ノ平集落跡−<約1.1km>−城ヶ平山 ≪ 片道約1.8km ≫ ● 大岩側登山口:県道67号線を挟んで「日石寺」への登り口(階段)の向かい側にあります。バス停「大岩」の前と、公衆トイレの横を通り、大岩川に架かる「金龍橋」を渡ってすぐのところです。 −−−< [浅生−城ヶ平山]往復コース >−−− 浅生の県道67号線から出ている横道から、北に向かって谷道を登り、中浅生分岐に上がり、分岐から稜線上を西に進み「城ヶ平山」を目指します。最も、短いコースですが、谷道を通りますので雪山では、注意が必要です。 ◆ 浅生側登山口−<約0.7km>−中浅生分岐−<約0.7km>−城ヶ平山 ≪ 片道約1.4km ≫ ● 浅生側登山口:大岩側登山口から、県道67号線を「西種」方向に約1.8km進んだ所にあります。ちなみに、この浅生側登山口から100mほど下ると県道の反対側に『花の家(古民家)』があります。 −−−< [大岩−城ヶ平山−峠山−ハゲ山]縦走コース >−−− 大岩から登り始め、「城ヶ平山−峠山−ハゲ山」を縦走した後、西種分岐から種集落の入口(追分=西種と東種の境界)に下るコース(A)もしくは、西種の水上集落に下るコース(B)です。 ※:この縦走コースは、二人以上のメンツで車2台を大岩と西種に配置することを前提としています。 ◆ 大岩側登山口−<約0.7km>−上ノ平集落跡−<約1.1km>−城ヶ平山−<約0.7km>−中浅生分岐−<約0.63km>−峠山−<約0.14km>−西種分岐−<約0.3km>−ハゲ山−<約0.3km>−西種分岐−<約0.2km>−[A+B合流点]= −<Aコース(0.7km)>−種入口登山口 −<Bコース(0.46km)>−西種・水上集落登山口 ≪ 縦走道:約4.8km(Aコース)/約4.5km(Bコース) ≫ ● 種入口登山口:旧・白萩村(しらはぎむら)の東種と西種の追分(分かれ道)にある登山口です。駐車スペースが設けられています。この登山口は、上市町作製のトレッキングマップには、ハゲ山遊歩道の「登山口1」と表記されています。(※:この場ではAコースの登山口) ● 西種・水上集落登山口:西種(字)水上にある登山口です(注:この登山口には駐車場がありません)。この登山口は同じく、トレッキングマップには、ハゲ山遊歩道の「登山口2」と表記されています。(※:この場ではBコースの登山口) ___【 登山口とルート上の施設 】___ 駐車場、トイレ、ベンチ、水場〜を説明します。 −−−< 駐車場 >−−− 「浅生側登山口」には、駐車場がありません。また、ハゲ山登山口である「種入口登山口」には、駐車スペースが設けられていますが、同じくハゲ山登山口である「水上集落登山口」には、駐車場がありません。ちなみに、近辺で最も広い駐車場は、日石寺の[第一駐車場]です。登山客で混雑する時期は、参拝客として仏の慈悲におすがりしてもよろしかと。 ● 「大岩川親水公園」駐車場 大岩側登山口の100mほど上市側にある駐車場です。本来は、公園の駐車場ですが、なかば「城ヶ平山」登山御用達〜かのようになっています。 注:大岩側登山口には、登山者専用の駐車場がありません。登山口の手前にあるスペースは、バス停専用のスペース(バスの回転場所)です。また、そうめん屋さん横の駐車場はお客様専用です。大岩親水公園駐車場を利用してください。また、日石寺に参拝されるのであれば、お寺の駐車場が利用できるでしょう(寺所地内に三ヶ所あります)。 −−−< トイレ >−−− ● 大岩側登山口の公衆トイレ:大岩川親水公園駐車場から歩いて来て、「そうめん屋さん」の前で左に入ると、登山口の手前にあります。その他の登山口やコース上にはトイレがありません。 ※:このトイレの前の広場は、コミュニティーバス(町営バス)の回転スペースになっていますので、駐車禁止です。 −−−< [大岩−城ヶ平山]コースにあるベンチ >−−− [大岩側登山口−城ヶ平山頂上]間には、ベンチ(休憩場所)が三ヶ所あります(山頂のベンチを除く)。登山口から順に第1〜3ベンチと呼ばせていただきました。 ● 第1ベンチ:大岩側登山口から登り、最初に尾根上に出で視界が開けた場所にあります。登山口から約500m/1800m(頂上まで)。 ● 第2ベンチ:上平集落跡の少し上に位置しています。登山口から約750m/1800m(頂上まで)。 ● 第3ベンチ:登山口から約1150m/1800m(頂上まで)。登山口と山頂との中間地点を約250m過ぎ位置になります。 −−−< 水場 >−−− ● 第2ベンチにある水場:上平集落跡の少し上に、ベンチと水場があります。もちろん生水です。 ___【 ルートの周囲にある三角点 】___ ● 三等三角点「大岩」=標高446.49m、城ヶ平山の山頂に位置。 ● 三等三角点「郷津」=標高229.41m、城ヶ平山山頂から北東約1.8kmに位置、上市川ダムのそばに所在します。 ● 四等三角点「種」=標高368.55m、城ヶ平山山頂から東約2.5kmに位置、上市川第二ダムのそばに所在します。 ___【 真言密宗大本山・大岩山『日石寺』 】___ 住所は、中新川郡上市町大岩。創建は神亀2年(725年)、「奈良の大仏」造立に功績のある『行基』が開いたと言われています。数世紀にわたり、興隆しましたが、戦国時代末期、上杉勢による焼討ちに見舞われ、お堂の大部分が焼失し衰退。しかしお不動の御心によるものか、江戸時代初期に再興されました。本尊である[磨崖仏(まがいぶつ)]=[不動明王像を中心とした5体の像]は、日本で屈指の磨崖仏とされています。 −−−< 日石寺の主な寺宝・名所 >−−− ● 山門:境内正面玄関にあたる門です。楼門形式の山門になっています。 ● 大岩日石寺磨崖仏/不動明王像(本堂):国指定重要文化財に指定されています。不動明王像とほか4体で構成されています。 ● 金比羅宮:文政5年(江戸中期)、讃岐の象頭山にある『金比羅宮』より御神体礼を受け創建されました。 ● 三重塔:弘化2年(1845年)に建てられた富山県最古の「三重の塔」です。当時は財政難だったため、外壁が造られず未完のまま現在に至っています。その事がかえって特徴となっています。まわりに壁がなく中が丸見えなので、塔の構造を研究する上で貴重な資料となっています。 ● 六本滝:6つの龍頭から流れ落ちる滝に打たれる[寒修行]で、身を清める事ができます。 ● 藤水(不動明王御霊水):まるで磨崖仏から流れ出ているかのような霊水は、眼病効くという御利益があるとされています。また、富山の名水にも選ばれています。 ● 大日堂:昭和50年(1975年)建立の八角堂です。 ● 地蔵堂:木造延命地蔵菩薩が安置されています。 ● 愛染堂(あいぜんどう):愛染明王の他、加賀前田家の不動明王等が安置されています。 ● 夫婦岩(めおといわ):上層部が二つに分かれている大岩を仲むつまじく夫婦が寄り添うように見えることから名付けられました。 ● 十二支滝:「12支えと」にちなみ、龍頭の頭上には12支の本尊が安置されています。 ● 観音堂:外観は中尊寺金色堂と同じ和様三間堂です。 ● 阿覚窟(あかくくつ):厄除大師(弘法大師)が安置されています。 ___【 周辺の観光スポット 】___ ● 割山(わりやま)森林公園『天湖森(てんこもり)』 住所は、富山市割山。年中、スポーツやキャンプの楽しめるキャンプ場(森林公園)です。バーベキュー棟、パークゴルフ場 、フィッシング(月に2回程度、池にニジマスを放流)、フットサル、テニスコート、フィールドアスレチック、水辺植物園〜などの充実した森林公園になっています。 ・休園日:12月31日のみ休み、1月1日から予約可能 ・天湖森ログハウス:1泊27,320円(8名利用) ・天湖森コテージ:1泊13,280円(4名利用) ・オートキャンプサイト オートA(専用流し台付き):1泊5,720円 オートB(共同炊事場利用):1泊4,640円 ・フリーキャンプサイト:1泊2,480円 ● 弓の里歴史文化館 住所は、中新川郡上市町舘。戦国時代、中新川郡一帯を治めた『土肥氏』の「弓庄城」跡地に隣接しており、上市町の歴史・文化遺産の収蔵・展示を行っています。また、「柿沢コミュニテイセンター」が併設されています。 ・開館時間:午前9時00分〜午後5時00分 ・休館日:月曜日、年末年始(12/29〜1/3) ・料金:無料 |
コース状況/ 危険箇所等 |
___【 コースの状況等 】___ ● 標高の高い山ではありませんが、アップダウンのあるコースになっていて思いのほか、体力を消耗します。往時、城塞であったため、ルートの所々に[堀切]などが残されている事も影響していると思われます。 ● 「城ヶ平山」の頂上直前が急登です。南側にある「峠山」や「ハゲ山」も同様に、頂上直前が急登になっています。 |
その他周辺情報 | ___【 コース近くの温泉 】___ 「城ヶ平山」のある中新川郡(舟橋村・立山町・上市町)や、「天湖森キャンプ場」のある富山市南部には、数多くの温泉施設があります。今回は、気になった3か所の温泉を挙げてみました。 ● 大岩湯神子温泉 住所は、中新川郡上市町湯神子。北陸道立山ICから県道3号を北上、交差点「川原田」で右折。一般道を東に進む、県道152号のとの交差点「湯神子」で右折、400m進むと到着。大岩側登山口(日石寺の付近)からだと、県道152号線を上市方向に4kmほど進んだ所に位置しています。 温泉施設としての操業は昭和期からですが、開湯は、約300年前の江戸時代と言われています。「湯神子」の由来は、ある神子が湯に身を浸したという伝説があるそうです。 ・泉質:単純温泉・炭酸水素塩泉(主成分は炭酸水素、マグネシウム、カルシウム) ・営業時間:午後1時00分〜午後10時00分/(食事付入浴は10:00〜16:00) ・休館日:無休 ・入浴料:500円 ・宿泊料金:1泊2食11,111円〜(日帰りプランもあり)。 ● 大岩不動の湯 住所は、中新川郡上市町大松鍋谷。大岩側登山口から県道152号線を400mほど上市側に下った所で、極楽寺方面に向かう道路が右手に分岐しています。その道に100mほど入った所に所在します。窓を飾るステンドグラスには「不動明王」と「六本滝」が描かれています。不思議なことに、お湯の色が自然と変わることがあるそうです。また、一週間毎に男湯と女湯が入れ替わります。 ・泉質:ナトリウム・カルシウム・硫黄泉・塩化物泉 ・営業時間:午前12時00分〜午後9時00分/1月中旬〜3月下旬は午後2時00分〜午後9時00分 ・休館日:毎週火曜日 ・入浴料:400円 ・シャンプー等の据え置きなし。 ● 湯めごこち 住所は中新川郡舟橋村古海老江。立山ICから西に2kmほど進んだ所にあります。常願寺川公園と立山ICのちょうど中間に位置しています。 ・泉質:ナトリウムー塩化物温泉(低張性弱アルカリ性温泉)・掛け流し ・営業時間:平日=午前10時00分〜午後12時00分/土日祝=午前9時00分〜午後12時00分 ・休館日:毎月第3木曜日 ・入浴料:850円(会員750円)=タオル・バスタオル・館内着付。 ・岩盤浴、お食事処〜等が充実。 |
写真
公園駐車場−大岩側登山口−上平集落跡−城ヶ平山−中浅生分岐−峠山−ハゲ山−(Jターン)−中浅生分岐−浅生側登山口−[県道67号線]−日石寺−公園駐車場
※:縦走登山しましたが、帰りも車道を歩いていますので、周回したことになります。
公園駐車場−大岩側登山口−上ノ平集落跡−城ヶ平山頂上−上ノ平集落跡−大岩側登山口−日石寺(参拝)−そうめん処(にゅうめんを頂き終了)
※:アフターは、温泉に入り、買い出ししてからキャンプ場に向かいました。
公園の駐車場に掲示されているマップです。町の背後に、『劒岳』がどっしりと描かれています。つまり、『劒岳』の住所は中新川郡です。劒岳山体の東側半分が、中新川郡立山町、西側半分が、中新川郡上市町です。
〜出ました。登山口まで約200mです。途中、県道152号線が県道67号線にぶつかっています。左側に道なりに67号線を進むと、大岩側登山口があり、そのまま進むと浅生−西種−(途中に寸断あり)−宇奈月まで続いています。右手に曲り少し上がると、67号線から日石寺に入る道が分岐しています。分岐道(※)を進むと、日石寺の第1駐車場に行くことが出来ます。※:67号線よりも分岐道の方が道幅が広くなっています。
この山は、一般の地図では「城ヶ平山」と表記されていますが、本当は『茗荷平山(みょうがだいらやま)』と言いました。往時、茗荷谷山城がこの山にあったからです。
〜渡ったさきが、茗荷平山(城ヶ平山)登山口です。『大岩川』は、10kmほど下流で「白石川」に合流しています。逆に、ここから0.6kmほど上流で、孫支流の「浅生川」が『大岩川』に合流しています。
富山市草島(神通川河口の左岸側)にある「富山火力発電所」の煙突が目につきます。よく見ると「新湊大橋」も見えました。県内最大の発電所(総出力150万kW)の「富山新港共同火力発電所」は、ちょうど木の陰に入っていました。なんでも、能登にある「志賀原子力発電所」が運転できなくなったためか?「富山新港」では、発電所が増築中とか?
T字路になっていますので、ご注意を。右手に進むと行き止まりになっていると思います。ちなみに、南砺市に上平(かみたいら)地区=旧・上平村がありますが、たぶんこちらにあった集落は、上ノ平(じょうのたいら)〜と言っていたのでしょう。
標高は約310m。登山口から約1150m進んで来ました。登山口から頂上までが、およそ1800mなので、登山口と山頂との中間地点を約250m過ぎ位置になります。
腹ごしらえしました。この第3ベンチの位置で、[南側尾根]の中心に乗った事になります。今、私は、山頂から南に伸び途中で西に方向を変え「大岩」にまで伸びている尾根の上に立っています(ベンチに座っています)。
〜進みました。急登を登りきったと思ったら[堀切(ほりきり)]です。[ホリキリ]は、敵の侵攻を遅らせるための防御の仕掛けになります。めげずに[ホリキッ]て行きます?
呉東平野(越中平野の東側半分)が見下ろせました。平野を針金のように見える「北陸新幹線」を通っています。[Shinkansen Lines ]の手前側の街並みが「上市町」です。6階建ての『かみいち総合病院』が確認出来ました。万一ここで、怪我した場合、救急搬送先になることでしょう。
〜の始まりです。山頂目指して北方向に約100m(※)、ここから急登を登ります。この先の斜面に、削平地が梯子状に並びます。この場所が「1段目」とすると、山頂が5段目になります(急登の始まりから山頂までの間に平坦地が3箇所あります)。
※:三角点の位置までは約150mになります。山頂部分が南北に細長く、三角点が北側よりにあるためです。
山頂部分が南北に細長くなっています。三等三角点「大岩」=標高446.49mがあるのですが、確認出来ませんでした。この山頂では、東西2方向に分けて眺望します。
〜の「呉東平野」の部分がよく見渡せています。
・越中平野(広義の富山平野)=呉西平野+呉東平野
・呉西平野=砺波平野+射水平野
・呉東平野=富山平野(狭義)+新川平野
〜が見えました(写真判定)。新相ノ木駅(上市駅の一つ手前の駅)の近くに所在します。本社・工場・研究所が集合しています。肌が繊細な?私は、『ムヒ』の愛用者です。泊まりで山に行くときは、いつも持っていきます。
つるぎふれあい館(上市町保健福祉総合センター)の館内に『アルプスの湯』があります。公共の施設であるにもかかわらず、露天風呂は源泉掛け流しです(塩素消毒に厳しいところが多い?)。
〜を書き込んでみました。『千石山城』のあった「千石城山」も見えています。この「城ヶ平山」にあった『茗荷谷山城』と同じく『土肥氏(どひし)』の詰城(つめのしろ)でした。
〜ありませんでした。私はこの時点では、どのピークが「ハゲ山」なのか判っていませんでした。小さなピークがたくさんあり、向こうに上がってみて知ることが出来ました。
〜を見下ろしました。この山頂の東麓にある「西種」には、「ハゲ山」登山口は2つあります。 ー鐺口登山口:東西種の追分(分岐)に位置。 ◆/緇綵戸酖仍蓋:「水上」は西種の[字地名]で西種の西部にある集落。
〜進みます。高低差(約35m)はさほどありませんが、深く切れ込んだ鞍部に下ります。鞍部から少し登ると、「袖山」の山頂直前で西種への道が分岐しています。
「袖山」にはここから20mほどで山頂ですが、登らずに左に巻いて「ハゲ山」に進みます。ちなみに、この分岐を右に進み、約200m先で[水上ルートとの合流点]を通り過ぎ、種入口(追分)まで行く事ができます。距離にして1km弱になります。
〜「城ヶ平山」です。ここ「ハゲ山」からだと「城ヶ平山」の北西約700mに位置する「P423」の峰と「城ヶ平山」がよく似ているように見え、取り違えてしまいます。また、「城ヶ平山」の東約400mある「名もなきピーク」も通行してきていますが、その「名無しのピーク」からは、「峠−袖−ハゲ山」の連山がよく見えました。
〜のように「稲村城山」が見えます。峰の南側には[上市ダム]があり、ダム湖をたたえています。峰の東側には稲村集落があります。ほぼ廃村状態ですが、民間の『総合リサイクルセンター』があります。木質系廃棄物から燃料ペレットを再生しているそうです。
西種分岐から「峠山」に登ります。短い距離ですが、急登で息が切れました。ゆっくり進みました。先導してくれていた若いアベックさんが、ペースメーカーになってくれて助かりました。
67号線(宇奈月大沢野線)は、黒部市宇奈月から富山市笹津までの道です。私は来週、友達三人で、笹津の南にある割山のキャンプ場「天湖森」に泊まる事になっています。14年前までは、笹津も割山も「細入村」でしたが、今は富山市としてひとくくりになっています。富山市細入村(字)割山〜というふうに[細入村]の名を残しておいてくれてれば、所在地が判りやすかったはずです(私見)。
〜が奥にあります。「山崎」様という方の旧家ですが、NPO法人様に貸し出され、現在まで無料開放されています。『花の家』は以前に、映画 「おおかみこどもの雨と雪」の主人公が暮らす家のモデルとなっています。...先を急ぐため、私はスルーさせて頂きました。
「夫婦岩」と霊場の間にある駐車場です。この道の先には、大きな[第一駐車場(たぶん50台以上駐車可)]があります。ちなみに、「山門」と「十二支滝」の間に[境内の駐車場]があります。
休憩舎が設けられています。トイレは本堂側にありますが、50mほどしか離れていません。ここに駐車して、「日石寺」参拝と「城ヶ平山」登山の両方をこなすのも良いかも知れません。
不謹慎かもしれませんが、お茶屋遊びの曲『金比羅船々(コンピラフネフネ)』を連想してしまいます。[こんぴらさん]は、全国津々浦々にございます。ちなみに、『金毘羅/金比羅(こんぴら)』と『金刀比羅(ことひら)』の2通りあります。※:金比羅に[刀]の文字が入ると、こんぴら→ことひら〜となります。
6つの龍頭から流れ落ちる滝に打たれる[寒修行]が出来るます。また右手(本堂の後)には、『藤水(不動明王御霊水)』が出ています。ちなみに、通常の「蛇口」から出る水は[ジャジャ]=「蛇々]と出ますが、こちらの「龍頭」から出る水の量は[リュウリュウ(隆々)]=[龍々]としています?
和様という建築様式の[三間堂]です。如意輪観音(にょいりんかんのん)・聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)が安置されています。観音堂の外にある像は『十一面観音(じゅういちめんかんのん)』のようです。
私なりに、効率良く参拝する順序を考えてみました。上にある駐車場から「本堂」さまに下るのは失礼です? 下の百段坂から参拝を開始します。
(開始):百段坂→□→、│→→→→あアΒБ□百段坂:(終了)
〜に戻りました。実は、山頂で来週の下見に来ていると、スマホで友達に伝えたら、彼も、私のあとを追うようにして登山しに来ていました。来週三人で、[城ヶ平山登山+キャンプ]する予定のメンバーの一人です。この場で、二人が出合い、今度の成功を誓い合いました。
〜発電所が全部(3ヶ所)見えました(山頂の約400m手前で撮影)。”抻蛙傾漸侘枠電所=150万kW、富山火力発電所=25万kW、七尾大田火力発電所=120万kW。現在、日本の電力の約85%を火力発電に依存しています。10年前(原発事故前)から20%ほど火力の比重が上がっています。
〜が相変わらず、目立っています。何故かしら、この「鍋冠山」は地理院地図には記載されていません。南に位置する「高峰山」の登山ルートの途中にある峰です。
〜を頂きました。『胡椒(こしょう)』をかけるのが、こちらでの習わしとか→美味しかったです。さて、素麺(そうめん)、煮麺(にゅめん)、温麺(うーめん)〜の違いは判りますか? ほぼ、そうめんしか食べていなかった私には、実感がありません。
〜です。「御鷹山(※)」のルートが案内されています。よく見ると、ここ富山市割石が、[細入村割石]になっています。細入村は2005年に富山市に編入されました。※:富山市には、同名の御鷹山が2つあります。こちら側の御鷹山(675m)は、[楡原−八尾桐谷の境]にあり、もう一つのは、[山田数納(すのう)−八尾山中の境]にある御鷹山(807m)です。
〜と音を立てて焼けていきます。生命のある状態では飛騨うし(牛)といいますが、焼き肉になると、飛騨ギュウ(牛)と呼びます。何となれば、「ギューうぅ」と音を立てて焼くからです?
〜をズーム。[P592]のピークそばに設置されている「反射板」が目立ちます。その右後方に「小佐波御前山」があるのですが、山頂部分が隠れています。
装備
個人装備 |
ザック
キャップ
軍手
スパッツ
GPS
カメラ
予備電池
ガベッジバッグ(携帯トイレ・トイレットペーパー)
ストームジャケット
タオル2本
おにぎり
水1L
お菓子少々
|
---|
感想
___【 良かったこと 】___
● 「城ヶ平山」に2度登ることが出来た。
● 低山ながらも、それなりに雪山でした。無事に山行できて感謝です。
● 大岩不動(日石寺)にお参りできた。
___【 悪かったこと 】___
● 立山連峰をお目にかかれなかった。
● 毎度の事ですが、コテージでは飲みすぎた(本当は飲み足りなかつた?)。
___【 最後に 】___
「城ヶ平山」は低山ながらも、東は『劒岳』、西は『越中平野』を眺望できる良い山です。次回は、雪が溶けてから登りたいです。もちろん、大岩山『日石寺』とセットで参りたいです。ぜひとも、『茗荷谷山城』跡の縄張り(曲輪や堀などの配置)の確認したり、その名のごとく「茗荷の群生地」も見てみたいものです。
___【 近隣の山行記録のリンク 】___
「上市町」と同じ[中新川郡]=[舟橋村・上市町・立山町]に入っている「立山町」の冬山(低山)にも登っています。
● 尖山=「立山町のピラミッド」〜スノーシューハイク=「ちょっと大変な周回登山」〜
2017年01月26日
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1051893.html
___【 前回の山行記録のリンク 】___
ちょっと山城にこだわってみました。山の上にお城がのっかてると、その山の歴史を感じさせてくれます。
● 駅から登山『小谷山』〜河毛駅から小谷城跡を巡る〜
2017年12月07日
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1313767.html
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する