北鎌尾根2泊3日(湯俣〜槍)
- GPS
- 56:00
- 距離
- 37.4km
- 登り
- 2,008m
- 下り
- 1,844m
コースタイム
7:02 豊科駅(JR大糸線)
7:44 大町駅
7:50 バス発
8:30 七倉着
10::00 高瀬ダム
10:40 名無瀬避難小屋
11:00 晴嵐荘近道の表示(川原へ)
12:00 晴嵐荘着
2日目
5:00 晴嵐荘発
5:05 分岐点
6:35 第一の吊橋
6:45 千天出合
7:45 道を見失い、1時間ほど藪こぎ、渡河後に道をみつける
8:15 5:25に晴嵐荘を出たおじさんと出会う(迷わなかったそうだ)
8:50 ケルン(文富ケルン?)
9:00 右俣左俣の出合(水場) 9:40発
11:30 北鎌コル
11:50 独標
16:48 槍ヶ岳山頂 17:18発
17:30 肩の小屋(3連休の2日目で大混雑)
17:50 殺生ヒュッテ(ゆうゆう)
3日目
6:30 殺生ヒュッテ
7:22 一ノ俣
7:55 槍見沢
8:55 横尾
9:45 徳沢
10:20 明神
10:45 上高地
12:10 バス発
13:25 新島々着
13:38 新島々発(電車)
14:07 松本
天候 | 1日目 晴れ 2日目 曇りのち小雨 3日目 ひたすら雨 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス 自家用車
JR信濃大町〜七倉 バス(1100円) 七倉〜高瀬ダム タクシー(乗り合い、3人で1660円) 上高地〜新島々(しんしましま)バス 新島々〜松本駅 電車 2450円 |
コース状況/ 危険箇所等 |
北鎌は、ザイルを使っている人たちがいたが、 特に必要性は感じなかった。 標識は一切ないので、千天の出会い〜北鎌沢で迷い、藪こぎをする羽目に。 (迷子の危険を感じた) 北鎌沢を登るときも、沢が分かれるたびに、どちらへ行ったものか悩んだ。 (しかし、落下等の危険は感じない) 幸い、北鎌沢では迷わずに済んだが、登り口では前の日に左ルートを選んだ3人パーティが、1日かかって戻ってきたところに出くわした(お気の毒に)。 藪こぎ後に晴嵐荘から追いついてきたFさんは、北鎌沢の上部で右ルートを選び、迷った。 槍の穂先も、ガスの中だったため、先が見えず、ルート選定に迷った。 |
その他周辺情報 | 湯俣の晴嵐荘・・・周辺の河原は掘れば露天風呂。掘らなくても入れるのもあり。 晴嵐荘にもお風呂。 上高地・・・シャワー100円(×3回)、更衣室使用料100円 |
写真
感想
当初予定は3泊4日、湯俣から笠を目指すはずが、
(湯俣(泊)〜竹村新道〜水晶岳(泊)〜三俣蓮華〜笠(泊)〜中尾温泉〜焼岳山房〜上高地)
竹村新道がかなり状態が悪いと脅され、
一人で行くのは無理、と念をおされ、
実際に、道の状態(写真参照)を見て、これは何かあったら自分では対処できないとあきらめた(落ちたら、それっきり)。
でも、見たのはどうも伊藤新道だったような・・・?
それで、北鎌尾根経由で槍〜笠を目指すことにした。
名無瀬避難小屋のノートや、夕食時に相席したおじさん(福島から来た福家さん)に触発されたとも言える。
北鎌の場合は、地に足がついている限り、何とでもなるという考え方。
道に迷って心細く思うことはあっても、川伝いに戻れば小屋に戻れると分かっていたし、高さや岩場も平気だし(フェンスの上を兄弟で競争した子供時代の賜物)。
当時はネットの情報も無く、山小屋のノートへの書き込みなどが頼り。
何しろ、ルートが無いのだから・・・
夜中、2:30にトイレに行き、水を飲んだ。外を見ると月明りで谷が明るい。
谷底の晴嵐荘から待ち望んだ満月は9時になっても現れなかったのが、未明にまだ渡り切らぬ月が谷を照らしていた。
5時過ぎ、同じ月が湯俣川の上にあるのを垣間見た。
4時起きの4時半出発予定だったけれど、寝付けなかったりして4:15起床。
お弁当を半分、辛い物以外のおかずで食べ、残りはビニール袋に入れておにぎりにする。
まだ暗いよ、と小屋の帽子のお兄さんに言われたが、
そろそろ行きますと言って出た。
起床時には月の光も消え、夜中よりかえって暗いくらいだったが、だいぶ明るくなっていた。最初はヘッドランプを装着したが、ほとんど使わなかった。
水俣川の森の中を歩く。時々河原に出る。時々道を見失いそうになるが、この時はまだはっきりしていた。
顔にかかる蜘蛛の巣を払いながら行く。
この道を行く最初の人間とみえる。
幾つかある吊り橋はひどい状態。
それでも、最初の吊り橋はまだマシな方だった。
5:55〜6:05
とんでもないところに来たので、ヘッドランプをしまい、ついでに休憩。
(どんなふうにとんでもなかったのか、記憶がない)
蜘蛛の巣を払う枝も捨てようかと迷う。
カメラ、動かず(そのせいで写真が少なかった?)
6:45
千天の出合はゴミだらけ…
その惨状にショックを受ける。
後に、上高地パークボランティアになってゴミ拾いに励むきっかきとなった。
この時はせめて、捨てられていた乾電池だけを拾って持ち帰った。
6:55〜7:05
休憩。
Tシャツを脱いで絞る。全身汗びっしょり。山シャツもグチョグチョになる。
脱ぎたい。でも、藪こぎがあるので脱げない。脱がなくて良かった、この後、人生初の真の藪こぎを経験することに。
次の吊り橋は左側(だったと思う)が完全に落ちていた。。。歩く面が水平ではなく、垂直。。。何とか伝い渡る。
この吊り橋を右岸へ渡ってすぐ、完全に道を見失い、とにかく(なるべく)流れに沿って進んだ。
この藪こぎを1時間と記憶していたけれど、記録から見るともっと短かったみたい。
7:45〜8:10 渡河
ついにあきらめて、川を渡ることにした。
念のため、ジャージまで脱いで靴と荷物を別々に2往復して対岸の左岸へ。
渡ってすぐ、ちゃんとした道を発見。
8:15頃
5:25に出たという昨夜のおじさんに出会う。
ここまで全く迷わなかったとのこと。。。しかし、山の神は公平であった。
8:50 ケルン
写真の「文富ケルン」のことか?
文富ケルンの上部には赤いザックがデポされていた。
現在は行方不明のようだけれど、当時は見つけるのに困ることはなかったと思う。
ザックをデポした人も、文富ケルンを目印にしてのことと思う。
9:00 右俣左俣の出合、9:40出発
水場は左へもう3分。
(北鎌沢は)非常に分かりにくいので、必ず右へ行く。
一応、(ここには道標の)ケルンはある。
(それとも、このケルンが写真の「文富ケルン」と言う可能性も?)
北鎌沢の向い側に沢があって、貧乏沢と言い、ここを下って北鎌尾根を目指す人もいるのだと聞いた。湯俣からの道のりを思うと、迷わない分、貧乏沢の方がいいかも。ただ、せっかく登ったのに、また下るのは切ないなあ。
北鎌沢は最初右側を行く。
ちょうど、左側を行って昨日1日迷ったという2人パーティが戻ってきたところだった(お気の毒に)。
北鎌沢のちょうど中ほどだったか、大きな石があって、そこから先、福家さんは右を選び、私は(教えに反して)左を選んだ。
しばらくしてから、福家さんの叫ぶ声が聞こえ、右はダメ、槍の小屋に遅く着くと伝言してほしいとのこと。
ここで初めて福家さんのお名前を聞いたのだと思う。
もう、25年も前のことだから(2017年現在)、お名前を出してもいいかと。
ご縁があったら、またお会いしたいです。
11:30〜11:40 北鎌のコル
途中小雨に降られ、カッパを着た。
12:05 ガス欠
お腹が空いて力入らず、食事休憩15分。
1:50〜2:15 独標
北鎌尾根に上がると、パーティが幾つか。
ザイルを使っているので、ノーヘル・ノーザイルの私はどんどん追いつき、追い越して行く。
ここでカッパを脱ぐ。
途中の雨は、尾根では雪だったそうだ。
(涸沢でも雪だったそうだ)
他パーティのガイドの荒木さん(25年も前のことだから名前を出しても)が心配してダメだったら独標で沈殿していれば拾ってくれると言ってくれていたので、先へ行くと、ここに置手紙を残した(手紙に使ったのか、山行メモが2枚破られている)。
福家さんも尾根に上がって来たのが見えた。
表銀座も裏銀座も歩く人がたくさん見える。
皆、槍を目指している。山小屋がさぞ混むだろうなあと・・・
3:05休憩
谷底の道でルートを見失ったことを思うと、尾根は安心して歩けた。
標識は無いものの、槍という大標識があるし、痩せ尾根は迷わずに済むし。
前にも後ろにも人が見えて安心だし。
槍までにアベック2組、3人パーティ(男性2、女性1)、3人パーティ(全部男性)、を抜く。
一度晴れたのに、再びガスが迫ってきていた。
4:05〜4:15 休憩
日本平から先、槍の穂先は完全に雲の中。
何も見えないのでルート選定に手間取る。
が、行けなかったら戻ればいいのだ。
チムニーで一度、登れなくて戻った。
穂先も近くなると、頂上の登山者の声が聞こえた。
4:48〜5:15 槍山頂
13年振り3度目の槍。
ガスの中で視界はゼロ。
居合わせた人に写真を撮ってもらう。
重い腰を上げて小屋へ下ろうとした時、右の沢へ行って迷った福家さんが到着。
北鎌のコルには私より40分遅く着いたそうだけれど、もう追いついて来たのだ。すごい人だ。
数年後、白出沢〜奥穂〜北穂(泊)〜槍〜双六(泊)〜笠〜笠新道を歩いた時、槍の穂先から北鎌尾根を見降ろして、よくこんな(垂直に見える)ところを登って来たものだとびっくり。
5:30 槍ヶ岳山荘
肩の小屋は、三連休中日ということでものすごい混雑。
テントのお客も、天候悪化で小屋泊まりに変更したのかもしれない。
七倉までのバスの中で一緒だった天然パーマの男の子とばったり出会った。
野口五郎で泊まり、槍まで来たのだと言う。明日は北穂だそうだ。
私も笠へ行くつもりだった。何を置いても。
どんなに疲れていようと、足が棒のようでも、肩が痛くても。
でも、翌日は雨。
再び予定を変えて下山することに。
槍沢は1回目の槍で下っているので、2回目の槍で登って来た槍平へ下ろうかとも思ったが、新穂高から家へのルートが長いので、槍沢にした。
なので、混んでる肩の小屋を出て、とっとっと殺生ヒュッテに下る。
5:50 殺生ヒュッテ
日本平あたりで抜いた2組目のアベックは中年のご夫婦で、その人たちが、肩が混むなら殺生へ行くと言っていたのだ。そうでなければ混んでる肩の小屋で1つの布団に2〜3人で寝てたかもしれない。
(1組目のアベックは私がテントもツェルトもないと知ると、槍見平にテントを張るけど3人用だから、槍まで行けなかったら、泊めてあげるからと言って下さった。)
嵐晴荘は個室でしたが、ここでも2畳ほどのスペースを一人占め。
しかし、何故か私の指定された「4の下」には男性2、女性1の3人パーティが寝ていて、受付まで戻って自分が間違ってないか確認した上で、起こして聞くと、実はその人たちは「3の下」で、間違えて寝てたのだ。。。袖すり合うも他生の縁で、4人でそのまま夕食まで「4の下」で話しこんだ。
夕食後は、昨日、大天井から貧乏沢を下って、今日北鎌沢を登って来たという2人パーティと話しこんだ。
殺生ヒュッテではTシャツを売ってなかった。
ので、今回の山行は記念品無し。昼と夜のTシャツ2枚を着まわした。
受付に外国人女性がいたので話をしたついでに、地図を貸してあげた。
東京に住んでいるというので、地図に書いてある住所へ郵送してくれればいい。
これから槍に登る彼女には漢字は読めなくても、地図とコースタイムは参考になるだろうし、雨の中、上高地に下るだけの私にはもう、地図は必要ないし。
ただ、このやり取りを受付でしたのはまずかった。
夕食後、お金の計算をすると7,200円多い。
宿泊費を払っていなかった!
慌てて受付してくれた人を探し、こっそり呼んでもらって、細かいお金でちょうどで渡した。
バイトの彼女に迷惑がかかるとまずいと内緒にしていたけれど、もう25年も経てば昔話だろう。
この時、なくしたと思っていたシャープペンが見つかった。
ボールペンも持っていたが、当時は鉛筆で山行記録をつけていたので、助かった。
寝る前に外へ出れば、十六夜の月。
ガスがまいているのに、隠されることなく輝いて、槍沢を照らしていた。
肩の小屋の明かりが頭上に。殺生のテント村の明かりも。
寒かったけれど、それに値する光景だった。
僅かな時間にも、飛行機が2機、東から西へと横切って行った。
3日目は雨。
写真は1枚も無し。
17年振りの槍沢を走るように下りた。
16時までに帰宅。
3泊4日で笠へ行くはずが、2泊3日で槍に行くことになってしまったけれど、1日目は余裕で遊べたし、お風呂にも入れた。
2日目はスリル満点、不安との闘いだった。約13時間、よく歩いたよなあ。
__________________________
1992年の北鎌尾根、1994年の北尾根の記録を、2011年にネガからCDに落として写真をアップ、編集しましたが、北鎌尾根だけは編集途中で放棄してました。5年も。
2017年、higaerisazenさん(おお!)に「文富ケルン」の問い合わせを頂き、ちょうど9月の山行が没になったのを利用してようやく仕上げました。
北尾根と違って、北鎌はきちんとした記録に仕上げてなくて、山行中につけたメモしかなかったので…記憶間違いもありましたし、忘れていたことも多々ありました。
殺生ヒュッテで月を見た記憶が、今は全く、ない・・・。
1992年の自分に時々、2017年の自分がちゃちゃを入れてます。
どこから撮った写真なのか比べるために他の方のレコも拝見しましたが。。。
なんか、私は本当に気軽に行っちゃってますね。
独標を極めるのにも迷った記憶が全くない。
槍の穂先も、あのガスの中で1度しか戻らなかったし。。。
25年前は若く、岩場と高いところは全然平気で、北鎌尾根も尾根に上がってからはむしろ楽でした。大変だったのは道が分からなくて藪漕ぎした谷底。あ、北鎌沢上部と、槍の穂先でも、ルートが分かりにくかったです。
いろんな人に心配かけての山行だったと言うことが、当時は分かってなかった。
今は分かってて大変恐縮ですが、これも若い時の思い出として、自分のために残しておきます。
記録載せてたんだ。
予定ルートがだめで急遽変更して行くような所じゃないと思うけど。
いやはや20年前は血気盛んだったのね〜。
ま、今も変わらないか
いや、いつまで経っても編集中なので、連絡できなかったのよ。
ちなみに、3日目は雨の中、槍沢をひたすら下ったので、写真がありません(涙)
200人か300人、抜いた(抜いた人を数えるしかすることがなかった)。
槍沢を下ったのは、家族で表銀座を縦走した1975年以来。
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