苗場山
- GPS
- 30:30
- 距離
- 12.5km
- 登り
- 992m
- 下り
- 1,315m
コースタイム
19日(木)6:23苗場山ー9:44ふくべ平9:55ー11:50赤湯〔露天風呂入湯・昼食〕13:00ー13:40見返りの松13:47ー15:20棒沢タクシー乗り場
天候 | 曇り(初日):晴れ(二日目) |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2007年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 タクシー
|
写真
感想
越後湯沢に着くと、晴れ間が広がっていた。小生の開口一声は、「やっと着いた!」であった。この言には自分でもビックリした。僅か新幹線で1時間半程の時間でしかないのに・・・。すぐに理由は飲み込めた。去年夏、そして秋と天気に見放され「山行中止」に追い込まれ、ようやく一年越しでの湯沢着がそれを言わせたのである。加えるに今回直前の台風と地震とが、「又行けないのかなあ?」の不安を煽り、今回無理なら当分「苗場山は封印」の思いにまでさせられた。そう、それが故にの感慨なのであった。改札を出ると、早速待ち受けた「ジャンボタクシー」に我ら8人は乗り込み、一路「和田小屋」へ向かう。晴れ間の広がりが「いざ夏山へ!」の気概を我々に強くさせた。和田小屋に着き、身支度を調え、各自準備体操のあと、いよいよ出発。小屋のある約1400辰旅眦戮砲覆襪函△笋呂蠕欧豐屬肋辰┐討い残念。まあ、それのお陰でもあり直射日光に照らされる事もなく良い出発とも言える。ものは考えようである。登り始めの高山植物「コバイケイソウ」が一輪、我々を見送ってくれた。いいペースで「下の芝」「中の芝」と登っていったが、案の定山の天気は天気予報通りには行かない。11時半過ぎ「上の芝」に近づいた辺りから、降り始めた。少しあんばいを見ながら歩いたが止みそうもないので、先般MLでの指示の如く「雨具&ビニール」を各自出し始めた。だんだん雨脚が強くなる。腹も減ってきやがる。こうなっては、水場のある「雷清水」で雨の中で食べるしかない。「他には食事の出来そうな場所はないんですよね〜?」の、MOMO嬢の声にメンバー全員の思いが代表されている様であった。「サイザンス」、とつれなく小生は答えるしかない。更に今年はまだ早いのか、高山植物の群生も見られない。ただ默々と雨混じりのおにぎりやパンを各自食べる。「雷清水」の“甘露甘露”が唯一の慰めであった。
腹ごしらえも出来たし、さあ、いよいよこれから頂上までの「胸突き八丁!」、気合いを入れて登るしかない。と、思いきやそろそろ登行も三時間が過ぎ、小生ゆやばんの脚が過労を生じて痙りそうな気配。難たる「弱り目に祟り目!」、「雨は降る降る人馬は暮れる♪」(民謡:田原坂)ならぬ「あんよはつれる」だ。あ〜ついでに唄えば「越すに越されぬ田原坂ならぬ苗場坂」って処か。呑気に唄ってる場合ではない。痙ってからでは雨ん中、手当も辛しだ。小休止やむなく、妙齢なご婦人方に見えぬ様、「バンデリン」を腿や脹ら脛に塗りまくる。そのお陰でか、何とか小屋までだましだまし行けそうであった。てなわけで、山頂小屋迄の約2時間、全員ずぶ濡れの態!「雨中行軍」を成し遂げたのであります。こういう経験はハイカーには一度は必須項目でもあります、とまずは此処で言い訳をしておく。だいたい予定時間通り14時半前に、「苗場山自然体験交流センター小屋」に着く事が出来た。
「よく濡れた」の感は皆同じであったろう。まずは入り口のストーブの上にポンチョや衣類も濡れ物を干す。部屋に上がり、十分な寝るスペースを確保できるのを喜びつ(この小屋は良心的である。一昨年の妙高山の「高谷池ヒュッテ」はそうはいかなかった。空いているのに詰め込まれた)、まずは一休み。そうこうしている内に、「穂高嬢」だったかが、「雨が上がった」の大音声!「いざや推参!」と諸ども「苗場山頂湿原」へと馳せ参ずる。此処ぞとビールを買い込む。&「焼酎・水・マグカップの酒用一式」をサブザックに忘れず潜り込ませたのは、さすが呑兵衛湯屋番の面目なり、ときたものである。「苗場山頂湿原」は、霧も又良し!夢幻的というか幽玄的、はたまた幻想的というか、そこかしこの池糖や「チングルマ」「ワタスゲ」、エトセトラが我らを感動に包み込んでくれる。「嗚呼、來て良かったズラ」の思いが胸に広がった。散策途中、待ちに待った「ビール乾杯」を上戸の諸氏(MOMO嬢・フクロウ氏)とやったのは言うまでもない。残雪の景色が美味さを更に引き立てた。かれこれ遊んでいると、夕飯の時間となったので小屋へと戻る。事前に聞いていた通りのカレーである。小生は、今度は焼酎の水割りを呑みながら和気藹々、みんなでテーブルを囲んだ。一泊二日の山旅はこう言う処がまた楽しい。参加者各自カレーを食べながら、「山への思い・今日の山の感想」などを語ってもらい、談笑のひとときを過ごしたのであった。18時に夕食、就寝は21時なので未だ間がある。食事後は団欒室となった同じ部屋で、更にお酒のいける、「穂高御前・わんわん御前・TANPOPO御前」と山のまさしく「よもやま話」と相成った。そしてその後解散、さて眠りにと、せんべい布団に着いたが、よよっぱりの湯屋番ときては眠れるものではない。なかなか寝付けないうちに、それでもいつしか白河夜船となった次第である。
明くれば19日、夜来の雨も上がり、今日は何となく晴れそうな気配!ひんがしの空から太陽が出てきそうであった。「ナイスビュー!」参加の御前方はご来光を拝んだと歓んだが、殿方の方は寝惚けてぼんやり、拝み損ないで残念至極であった。朝飯を早食いし、今日の長い旅路の支度をする。6時半頃、出発した時は晴れ間が結構拡がっていた。山頂湿原をご機嫌、快適の内に全員(?)デジカメを構える。西の方には一昨年水歩会で登った、かの懐かしき「妙高山・火打山」が望める。そして寄り近く北方には「谷川連山」が。通り道の「ケルン」近くで全員ショットを納めた。更にしばらく木道歩行が続く・・・。景色に見とれたか、MOMO御前がスッテンコロリン、尾てい骨辺りをかなり打った様で、小生の「大丈夫?」にも声が出ない。きっとお尻が赤くか青あざにと変化(へんげ)したであろうや・・。是がホントの「桃(MOMO)尻娘」(そんな題名のロマンポルノが大昔にあったっけ!)と、とっさに冗句が頭上に吹き出たのだが、いくら何でもその時は可哀想で洒落のめす訳にはいかず、結局あとで大笑いとなった次第ザンスよ。てな訳で、雨露に滑りやすくなっていた木道を辿りつ、苗場山台形上の端にたどり着いた。そしていよいよ第一難関の鎖場へ。といっても、それは難なく通過し、是より長い下りが「赤湯」まで続くのである。途中、今年の雪でガレた道をうっかり小生が迷い込みそうになった所を、百山錬磨の「カモシカ嬢」の赤いリボンを見つけた、炯眼に我等一行は救われ、お陰でロスタイムすることもなく、事無きを得た。洵に大感謝であった!そうして、6時半に小屋を発ってからかれこれ5時間半、我等「水歩会一行8名」は漸くに「赤湯」へと辿り着いた。早速、男(黒目川・フクロウ両兄ィと小生)はドボンと、枕並べて露天風呂に浸かったのである。で我等が「女丈夫」方はどうされたかと言えば、それはご想像にお任し申し上げるしかない・・・。「赤湯」は将に秘湯中の筆頭!隣の清津川渓流にも足を踏み入れたりして、しばし童心に帰る事も出来た。そこで小生、名前が湯屋番なるが故に此処で一句を捻りたる。“万緑や 赤湯に拭ふ 山の汗”(因みに「万緑」は夏の季語にてござ候)
かくして、今般のおおかたの山路は越え、後は「棒沢タクシー乗り場」への二時間を残すのみとなったのではあります。とは言え、登り40分はなかなかのものがあり、総じて「苗場山〜赤湯〜棒沢」コースはワイルドな山道の範疇に入るかと思えるのではありました。それでも全員最後の力を振り絞り、最後の傾城ならぬ「傾橋」(去年のドカ雪が原因)も難なく越えて今回の旅路を終えたのでした。お粗末な「山ある記」にお付き合い頂き洵にもって幸甚と存じ上げ候であります。そうそうついでに申し上げますと、過日MLにて送信しました「インターネット写真館」をも併せてご笑覧頂くと、必ずや臨場感溢れる「活動大写真」となること将に間違いなしであります。それから、越後湯沢での「打ち上げ」も盛況ではあり、生ビールが是又最高!でありました事を此処に追加報告しておきます。と言う事で、来年の夏は一泊二日、「八ヶ岳は硫黄岳(危なくないから安心)へ、と本沢温泉(日本で1・2の高さの露天風呂)&こまくさを訪ねて」であります。乞うご期待!あ〜あこんなに長くなっちゃった。「山ある記」なるものは書き出すと止まらない。まるで蚊に喰われた後みたいでありますな。「掻き出すと・・・」、なんちゃって。まあ、今回の山も草臥れたが、こうして書くのも草臥れ申した。と言う事でここらで始末記は「チョン」。「え〜おあとがよろしいようで・・・」。終わり
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