天狗岳(不注意で軽度の凍傷に)
- GPS
- 00:23
- 距離
- 11.9km
- 登り
- 1,007m
- 下り
- 1,003m
コースタイム
11:18 渋の湯
11:50 八方台分岐
12:18 唐沢鉱泉分岐
13:00 黒百合ヒュッテ(テント泊)
【2/19】
7:00 黒百合ヒュッテ
7:05 中山峠
7:57 東天狗
8:18 西天狗
8:50 東天狗
9:24 中山峠
9:28 黒百合ヒュッテ
(テント撤収)
11:27 黒百合ヒュッテ
11:32 中山峠
11:44 ニュウ分岐
11:54 中山
12:32 高見石小屋
13:12 賽ノ河原(地蔵仏)
13:41 渋の湯
天候 | 【2/18】曇時々雪/のち晴 【2/19】晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
予約できる山小屋 |
黒百合ヒュッテ
|
写真
感想
■ 5週連続で八ヶ岳へ。5回目ともなると気の緩みが生じてくる頃なので、絶対に雪山を侮ってはいけないぞと自分に言い聞かせた。しかし結果的に、軽度ながら手指に凍傷を負うという厳しい教訓を得ることになってしまった。
■ 今回の山行のテーマは2つ。
1つ目のテーマは、2度の機会がありながら登頂が叶わなかった西天狗に登ること。1度目は1/29のガイド登山(講習会)で、予定では西天狗まで行くことになっていたのだが、時間と天候を考慮して東天狗で引き返してしまった。今思えばあの程度の天候(ガスと風)なら十分西天狗まで行けたと思うのだが、参加者の安全が最優先で時間の制約もある団体行動では仕方ないだろう。
2度目は2/3の単独登山。夏沢鉱泉から箕冠山、根石岳を経て天狗岳へ登る計画だったが、根石岳周辺の猛烈な風に敗退を余儀なくされた。3度目の正直、今度こそ西天狗に登りたい。
2つ目のテーマは、初の雪山テント泊に挑戦すること。自分は人一倍夜の寒さに弱いので、今回のためにモンベルの最も厚手のシュラフ(EXP)を購入した。実物を見ずにネットで注文したのだが、届いてみるとあまりの巨大さにびっくり。付属のスタッフバッグではとてもザックに入らないので、コンプレッションバッグを買ってきて無理やりザックに押し込んだ。
ザックの容量は55L(これが手持ちで一番大きなもの)。巨大なシュラフに雪山装備、テントや食料などすべての荷物を入れると明らかに容量オーバーで、吹き流しの部分をいっぱいに伸ばしてもパンパンだった。重さをはかると13kg台前半で、これは意外と軽いほうだと思うが自分にとっては今までで最も重い荷物だ。
■ 1日目。スーパーあずさ1号〜バスと乗り継ぎ、11:22に渋の湯に到着。小雪の降る中をすぐに出発した。唐沢鉱泉分岐までは順調に歩いたのだが、そこで一休みした後はザックの重さのせいか急にバテてしまった。普段、山で疲れたと感じることはないのだが、今回ばかりは少し疲れた。とはいえ残りの行程はわずか。ほどなく黒百合ヒュッテに到着した。今日の行動はここまで。
早速テントの設営にかかるが、不慣れなせいで予想よりはるかに時間がかかってしまった。水は雪を溶かして自分で作るつもりだったが、これ以上手間のかかる作業は無理だと考え、ヒュッテで天水(1L200円)を購入した。
夕飯はカップラーメンとアルファ米、行動食を少々。意外に水を使ってしまい、さっき買った1Lでは明日の分が足りないのでまた天水を買いに行こうとしたところ、財布が見つからない! 必ずテントの中にあるはずなので、2度繰り返してくまなく探したが、どこにも見つからない。なんであんな狭いテントの中で物が行方不明になるのか不思議だ。
もしかしたらどこかで落としたのかも・・・と、恥を忍んでヒュッテの人に「財布の落し物はありませんか」と聞いてみたが、やはりないとのこと。水がないと明日の行動ができない。あらためてもう一度テントの中を探したところ、2度確認したはずのザックの雨蓋の裏のポケットに入っていた! こんなことで、またしても余計な時間を費やしてしまった。
テント設営時に雪を平らにならしたつもりだったが、実際には少し左に傾いていて、敷いてあるマットがだんだんそっちへずり落ちてしまう。次のテント泊では水準器も必要だ(これは冗談)。
19時に就寝。脱いだヤッケとオーバーズボンをシュラフの下に敷き、それ以外のウェアは着たままでさらにダウンジャケットを着込む。足はソックスを履いたままホッカイロを入れたテントシューズを履き、シュラフの足元は空にしたザックの中へ。これだけ防寒対策をしてEXPのシュラフ(+シュラフカバー)に入ればさすがに寒さは感じず、深夜0時過ぎまで熟睡できた。
目が覚めたのは、吐いた息がシュラフの口元に凍りついて冷たかったからのようだ。テントの中とはいえ温度は外気とほとんど同じ。テント内の温度計を見るとマイナス20度くらいだった。そこからは寝たり起きたりで、4時に起床。
■ 2日目。テントの外へ出ると満天の星空。そのぶん冷え込みは厳しかっただろう。
まずは朝食のためにお湯を沸かす。テント内でコンロを使うときは一酸化炭素中毒に注意・・・ということで、寒いのを我慢して入口を大きく開けておく。あまりの寒さでコンロの火力が上がらず、なかなかお湯が沸かない。
テント内にそのまま置いてあったチタン製の水筒を開けようとしたところ、蓋が凍りついて開かない! 保温性のある水筒=凍らないと短絡的に考えていたが、それは大きな勘違いで、蓋や中栓に付着した水は(当然)凍りついてしまうのだった。
なんとか開けようと蓋をねじってみるが、厚い手袋をはめた手では滑ってしまう。いつもならゴムの滑り止めが付いた薄手の手袋も荷物に入れてくるのだが、これまで4回の雪山で使う機会がなかったので、今回は持ってこなかった。仕方なく素手で開けようとしたのだが、どうもこれがいけなかったようだ。チタンの水筒の表面もたぶんマイナス20度くらいまで冷えていた。それを素手で握りしめたわずかな時間で、指先が軽い凍傷になってしまったと思われる(確実にこれが原因かどうかはわからないが)。
結局、水筒の蓋は付着した氷を砕いたり、コンロの火に近づけたりしてなんとか開けることができた。しかし手の指がジンジンと冷たくてどうしようもない(このときは、単にかじかんだだけだと思っていた)。箸もうまく持てずにカップラーメンとアルファ米の朝食を終え、ひとつ作業をしては手を温め、またひとつ作業をしては手を温め・・・と、通常の数倍の時間をかけて出発準備を終えた頃には、外はすっかり明るくなっていた。
もしこのとき、凍傷になったとわかっていたら、ヒュッテで手を温浴させてもらってすぐに下山すべきだった。でも、そうではなかったので予定どおり天狗岳へ向けて出発。最高の晴天と景観の中、念願の西天狗に登ることができ、行動中は手の冷たさも感じなかった(これがしっかり保温できていたからなのか、すでに感覚がなくなっていたからなのかはわからない)。
黒百合ヒュッテへ戻りテントを撤収して、中山、高見石へ。もうピッケルは不要なのでザックに付けて、手は一番かじかんでいる人差し指を内側にグーの形にしていると、ジンジンと痛みを感じる。これは血流のある証拠で回復のきざしだろう・・・と思った。
■ ちょっとヤバいかなと思い始めたのは、渋の湯に帰着してから。手の指を見てみると、左手の人差し指の第一関節から先が腫れて若干黒ずんでいる。触ってみると感覚がない。さらに右手の人差し指、両手の中指、小指の先端も少し色が変わっている(こちらは紫っぽい)。これは一刻も早く病院で診てもらったほうがいいぞ。
バスで茅野駅へ戻り、観光案内の人に日曜日もやっている病院を教えてもらい、諏訪総合病院に電話をかけてみた。でも、電話に出た看護師さんはあまり気乗りしない様子で、どうせ今後も診てもらうことになるのだから地元に帰ってから病院に行ったほうがいいと言う。それもそうかと思い、ちょうど電車の時間もすぐだったので、東京へ戻った。
翌朝(月曜日)、一番ひどい左手の人差し指には水泡ができていた。朝イチで職場のすぐ近くの総合病院へ行く。待ち時間が長いのでその間に会社へ出勤し、ネットで調べてみると、東戸塚の病院にいる金田正樹先生が凍傷治療の第一人者で大変詳しいようだ。ぜひこの先生に診てもらいたい。一応、昼前から年休を取って予約した総合病院へ行き、皮膚科で「プロスタンディン軟膏」という血液の流れを改善する塗り薬を処方してもらった。
午後、図書館で金田先生の著書「感謝されない医者」(山と溪谷社)を借りてくる。凍傷の病態についても詳しく書かれていて、自分の場合は表在性凍傷という軽度な部類のようだ。それでも、万が一にも指を切るなんてことにならないよう、ちゃんと診てもらおう。
火曜日、東戸塚の病院へ行き金田先生に診てもらう。やはり軽度なもので放っておいても治るだろうが、せっかく来たのだからと血行を改善する点滴を打ってもらい、「オパルモン錠」という末梢血管を拡げる飲み薬を2週間分処方してもらった。点滴の効果はよくわからなかったが、オパルモン錠を飲むと確かに指先の血行がよくなる感じがする。
前日に塗り薬をもらったことを伝えると、「皮膚に浸透するわけではないし、あまり効かないからうちでは使わない」そうだ。それから一応「来週くらいには山に行ってもいいですか・・・」と聞くと、「ダ〜メ!」と怒られてしまった(笑)。
■ 2/22(水)夜の時点で、指先の色の違いはよく見ないとわからない程度になっていて、血色もいい感じがする。ただし左手の人差し指だけはちょっと別で、相変わらず指先の感覚がない。これが一番の問題だろう。軽症の凍傷であっても、2〜3週間後には表皮がかさぶたになって剥離するそうだ。果たして自分もそうなるか。ならなければ、本当に軽い凍傷だったということで一安心なのだが。
また、水泡を伴う表在性凍傷が治るまでは3ヶ月ほどかかるようだ。今シーズンの雪山はもう終わりかな・・・。さらに、一度凍傷になると数年間はまた凍傷になりやすいそうで、これも心配だ。どうか今回の凍傷が、ごく軽いものであってくれますように。
【凍傷のその後の経過】
■ 2/24(金) 受傷5日目:
左手の人差し指の第一関節から上と、左手の中指、右手の人差し指・中指・小指の先のほうが、相変わらず感覚のない状態。両手とも人差し指の爪の先(爪と皮膚の間)が茶色っぽくなってきた。一番状態の悪い左手の人差し指は、腫れが引かず痛みが増してきた。キーボードを打つのがちょっと辛い。
■ 2/27(月) 受傷8日目:
手のひら側から見ると、凍傷になった指とならなかった指の見分けがほとんどつかないのだが、甲の側から見ると爪と皮膚の間の色が明らかに異なる。凍傷になった指は黄色っぽくなっている。これは爪が剥がれる前兆かしら・・・。また、それらの指の先は表面に硬い皮を1枚被ったような感じで、押すと少しペコペコする。
■ 3/5(月) 受傷15日目:
数日前から、硬くなった指先の皮が剥けてきた。その下から柔らかい普通の肌が現れている(皮が剥けたばかりなので赤みがかっているが)。死んで硬くなった表皮が全部剥ければ、元の指先に戻るのではないかと思う。ただ、一番程度の悪い左手の人差し指だけは、まだ皮が剥けてこない。これは、凍傷になった皮膚の厚みがほかの指より厚いからではないかと思う。
■ 3/13(火) 受傷23日目:
凍傷で硬くなった指先の皮が、ようやくすべて剥けた。まだその部分は弱い状態なので(キーボードを打ったりすると指先が痛い)、あとは新しい皮が厚くなるのを待つだけか。
結局、凍傷箇所がかさぶた状になったり爪が剥がれたりすることはなく、ごく軽症で済んだようだ。
東天狗頂上に写る団体さんは私等でした。
BDの黄色いザックを背負ってるのが私です。
あまりの好天に少々はしゃぎ気味であったかもしれません。お許しください。
凍傷を負われたとのこと、お見舞い申し上げます。
凍傷ですか…たいへんでしたね。
ピッケル凍傷ということもあるようですから、やはり金属製のサーモスに触れたのが原因でしょうか。
行動中でないため、末端に血流が十分行き届いていなかったことも影響したのかもしれませんね。
失敗も含め、詳細なレコをありがとうございます。
雪山ばかりが山ではありませんので、無理せず、どうぞお大事になさってください。
コメントありがとうございます。
あの中のお一人でしたか!
人が多いとは思いましたが、はしゃいでいるとかは全然気に
なりませんでしたよ。
それに、山好きならあの状況で嬉しくならないほうが変です(笑)。
そんな山行も怪我や事故で苦い思い出になってしまいますから、
本当に気をつけなければいけないな・・・と自戒しています。
いつもは荷物に入れていたゴム付きの薄手の手袋をなんで今回持って
いかなかったのか・・・と悔やまれます。
血流はおっしゃるとおりですね。
凍傷には水分補給やストレスなんかも関係しているそうで、あらためて
雪山は厳しいところだと感じています。
> 雪山ばかりが山ではありませんので
そうなんですよ!
雪山はダメでも暖かい低山ならいいだろうと、どこがいいか早速物色
しています(笑)。
(でも今週末は家でおとなしくしてます・・・)
P.S.
プロフィール写真を変えられたのでしょうか。
格好いいですね!
いい天気でよい写真が沢山撮れましたね。
念入りな準備で雪山テント泊も経験できてなによりです。
それにしても凍傷は怖いですね。お大事に。私も山頂で素手でカメラを持とうとして手のひらにひっつきそうになりました。凍ったカメラを手で温めようなどと考えてはいけないようです。
今回はレコを参考にさせていただき、ありがとうございました。
天気によって写真も全然変わりますよね〜(笑)。
素手で金属をさわるのは絶対NGですね。
たとえテントの中でも油断してはいけないということを、痛い目にあって
学びました。
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