北高尾山稜
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- GPS
- 08:05
- 距離
- 19.1km
- 登り
- 1,209m
- 下り
- 1,236m
コースタイム
- 山行
- 6:20
- 休憩
- 1:46
- 合計
- 8:06
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
復路:JR中央線高尾駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
メジャーな山域で全く問題なし |
写真
感想
昨日午後に降った雪が街を白くして天気は快晴、絶好の登山日和となった。相模湖駅で5人が集合し国道を西へと歩き出した。中央道を跨ぐと右に高野山真言宗の慈眼寺、左は与瀬神社の鳥居が並ぶ。神社は更に長い階段を登った処にあり先ずは神門を潜り更に急な階段の上に立派な社殿があった。創建年代は不明で日本武尊を祀っている。明治以前は下の慈眼寺が別当寺として人物混淆であったそうだ。
拝殿左側から登山道が始まり尾崎さんを先頭に進んだ。暫く行くと展望台があり相模湖を挟んで不老山(702m)を望むことができた。山梨方面の山には雪がないが東京神奈川の山は白くなっていた。桂北へと下る“えんどう坂”が東に分岐し、暫く行くと孫山への分岐があり巻き道を見送り山頂に達した。3等三角点「孫山」(543m)があり「孫山」の山名表示があるが「子孫山ノ頭」とする地図もあり山名を多く稼げる「子孫山ノ頭」を採用することにした。展望はなく暫し休憩して先へと進んだ。再び巻き道が分岐し孫山(548m)山頂に到るが何の表示もなかった。此処を大明神山とする説もあるようだが、大明神山(535m)は巻き道から北に少し離れた所のピークで山頂には何もなかった。
“大平”では与瀬の西の外れの谷筋を登ってきた道が合流した。矢ノ音(633m)は東側に巻き道があるが登ってみると奈良本からの登山道が合流する落ち着いた山頂だった。北側で巻き道と合流すると西側からも道があり奈良本からも巻き道があるようだった。
林道が交差を越え尾根を登り切ると悪臭が漂ってきた。明王峠のトイレが酷い悪臭を放っていたのだった。茶店があり休憩場所も設えてあるがシーズン外れで今日は休業していた。茶店の温度計を覗くとマイナス5℃を指していた。明王峠(732m)は三頭山から高尾山に至る笹尾根の主稜線が通り、人が行き交い富士山の展望が素晴らしい。不動明王尊の石碑があり峠の名の所縁のようだ。藤野15名山の標識もあり一寸したピークになっているので“山”と位置付けられているようだ。
峠を下り底沢峠に達すると陣馬高原バス停への指導標が出ていたが小仏峠麓の底沢への道もある。稜線を東に進むと巻道が右に分岐し稜線を辿って堂所山(どうどころやま733m)に到った。立派な山頂標識があり昼食休憩を取っていると高校生の団体や個人の登山者が入替り現れた。ベンチが山頂標識のすぐ傍にあり記念撮影をする人には若干不都合な配置だった。「御料局三角點」と書かれた石柱があり嘗てこの山が宮内庁御料局の管理する皇室財産であったことが知れる。御陵林の一部は下賜され恩賜林として今に伝わり稜線で「恩」の異字体の石柱を見ることがある。
北に進むと首都圏自然歩道である主稜線が東に分かれ景信山(727m)、高尾山へと分かれて行った。我々の進む道は北高尾山稜で複雑に入り組んだ稜線を進み関場峠(546m)に到った。登り返してP611に到ると三本松山ではないかと北に飛び出した所まで行ってみるが何もなかった。次のピークに到るとピーク性の余りない処に三本松山(590m’)の表示があった。大嵐山(おおらんざん583m)、湯ノ花山(610m)、黒ドッケ(620m)、杉ノ丸(612m)と展望のない峰が連続し、そこそこのアップダウンを伴い一旦狐狷(502m)へと下った。
板当山(562m)は「ばんとうさん」或は訓読みで「いたあてやま」どちらだろうネットを調べてみると「いたあてやま」が正解のようだった。高ドッケ(566m)への登りは北高尾山稜でも大きく、後半戦となり疲れが出て来た。山頂に到るが展望のないのが惜しい。杉沢ノ頭(548m)、富士見台(556m)とピークが続き富士見台で漸く展望を得ることができた。富士山が見えるのかと期待していたが高尾山稜線の城山、高尾山が見えただけだった。
少し引返し右に折れ八王子城山へと向かった。稜線が大きく括れた部分が現れ如何にも人工を感じさせる不自然さの縊れた地形的でどうも城の堀切では? と思い反対側に這い上がると“詰の城”と標識があった。その傍らに八王子城天守閣跡の石碑もあったが戦国時代の山城にそれはないだろう。やはり天守と呼ばれていたが“閣”はなかったようだ。此処から八王子城のエリアとなり、城跡の痕跡を求めて進んで行ったが詰城南尾根は単なる尾根で城跡の痕跡は分からなかった。
2つ目の明瞭な堀切に出合うと石碑に「史跡八王子城駒冷」と読み取れた。登山道途中に山城で一番重要な水が今も良い水質で湧いており「坎井(かんせい)」と呼ばれている。斜面を這い上り八王子神社に達すると此の地域が城の核心部で本丸、松木曲輪、小宮曲輪に取り囲まれた処に覆い屋根のある社殿が鎮座していた。松木曲輪からの展望は、高尾から東京のビル群、スカイツリー、横浜のランドマークタワーが一望でき素晴らし眺めだった。神社背後の本丸に登ってみると八王子神社の奥宮なのか祠が鎮座していた。此処が八王子城山(460m)で元は深沢山と云うそうだ。
神社の鳥居を潜り下山に掛かると一般観光客と沢山出会った。東京近郊で人気の観光スポットのようだ。登山口に達するとビジターセンターや広い駐車場があり、今回は行かなかったが御主殿を中心とする北条氏の居住エリアは石垣も立派に残り、復元された建物もあり重要な歴史地区であることが後で分かった。
バスに乗って高尾駅に出る予定だったが順調に歩けたので歩いて行くことにした。そしてできれば武蔵野御陵に立ち寄ってみようとも目論んだが陵墓のすぐ脇を通るのに入口は遠くて諦め駅に直行した。此の辺りは一般の霊園が多く新しい豪邸と石材店の織り成す独特の街だった。中央線の電車を八王子駅で途中下車し、反省会を更に楽しい時間を過ごした。
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