84.丹沢山「あばよ 平成」大倉〜丹沢山往復
- GPS
- 13:04
- 距離
- 21.9km
- 登り
- 2,001m
- 下り
- 2,014m
コースタイム
- 山行
- 8:01
- 休憩
- 0:48
- 合計
- 8:49
- 山行
- 3:53
- 休憩
- 0:22
- 合計
- 4:15
天候 | 一日目:晴れなれど強風 二日目:晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
大倉尾根は木道や階段が結構多いのですが、結構きつく感じました。 塔ノ岳から丹沢山は昼間ドロドロ、早朝霜柱でガチガチ。ゲイターを装着して正解でした。 丹沢山から棚沢ノ頭までは強風に阻まれ蛭ヶ岳に登頂出来ず。沿道には荊が生えた木が生えていて肌を露出するのは文字通り痛い目を見るなと思いました。 |
その他周辺情報 | 登山後の温泉は 日帰り温泉 湯花楽を利用。入浴料は休日880円でした。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ソフトシェル
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
ゲイター
日よけ帽子
着替え
靴
ザック
ザックカバー
行動食
ハイドレーション
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
ライター
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ファーストエイドキット
ロールペーパー
携帯
時計
タオル
ツェルト
ナイフ
カメラ
ポール
携帯トイレ
ヤマビルファイター
スマホ充電器
|
---|---|
備考 | ウエットティッシュ |
感想
第84座 「あばよ 平成」
昨年の8月に大朝日岳を登頂した後に左足のかかとの痛みがひどくなった感じがしてその後の登山が続かなくなった。というよりも、この登山で資金が枯渇して秋の間は仕事やバイトに明け暮れていた。足の養生を優先させるために秋に予定していたフルやハーフマラソンを出走取り止めを決断もした。
今年の1月から5キロマラソンを走ったら左かかとの痛みがなくて、この時期から左かかとの痛みがなくなったのかな? と感じるようになった。2月に4.8キロ、3月に10キロマラソンを走って完走して僕なりの手応えを感じていた。
一方の登山はというと、2月に西尾市の万灯山や茶臼山をトレイルランで、3月に猿投山を登山として登頂して、登山の方も手応えを感じていた。
そして、4月には異例の早い時期となる丹沢山を登ることを決めた。5月には天皇陛下から皇太子殿下への皇位継承に伴う行事や、改元にともなう混乱はあるのではないかと思ったのが理由である。この時期ならば雪も大体溶けてヤマビルもいないのではとないかと思ったのも、もうひとつの理由であった。
ヤマレコでの丹沢山のレポートを読んでいたら、もうヤマビルが出ているということで出発数日前に登山ショップでヤマビルファイターを購入した。4月でも山頂部は寒いことを見越して、ダウンジャケット、フリースなどの防寒具をなるべく多く持って行くことにした。
4月5日、平常通りの仕事を終えた後、自宅に帰って風呂食事をして19時半頃に自宅を出発した。今回は意外に初めて第二東名を利用したのだが、夜中はトラックが多くてプレッシャーを感じながらクルマを走らせた。そして、登山口である大倉の有料駐車場に着いたのが6日の1時40分であった。20台ほど駐車すれば満車となるほどの広さで僕のクルマを含めて3台駐車していた。僕はここで仮眠した。
夜が明けたのを感じて、カップラーメンなどの朝食を食べて6時20分大倉を出発した。
最初は舗装された車道を登って、やがて登山道へと入って行った。6時50分に観音茶屋に到着。ここで最初の一本を立てた。見晴茶屋、駒止茶屋と順調だったのだが、大倉尾根に悪戦苦闘。足がけいれんをおこしていた。後から登ってくる登山者やトレイルランナーに次々抜かれて気持ちが挫けてしまった。僕は大倉尾根を舐めていたのかも知れない。
9時半、花立山荘に到着。ここでやっと富士山を見ることが出来た。山頂部が雪で覆われた富士山を見て頑張ろうと思った。
10時25分、塔ヶ岳山頂に到着。ここから見る富士山は見事でここまで登れて良かったと感じた。ここから宿泊予約を済ませた、みやま山荘がある丹沢山は遥か向こうだ。
僕は丹沢山に向かう道中で考えていた。丹沢山に着いたら、この日のうちに、丹沢山域最高峰の蛭ヶ岳に登るかということを。僕の太ももは特に登るときに痛み出すので、蛭ヶ岳は諦めようかとも思っていた。そうこうしているうちに、12時20分に丹沢山山頂に到着した。
丹沢山から蛭ヶ岳まで往復約4時間。
仮に今から往復しても戻って来るのは大体16〜17時くらいか。
日没には間に合いそうだな。
そう考えた僕は蛭ヶ岳に向かうことを決断。みやま山荘で登るのにいらない荷物を置いて行って、12時45分に出発した。
荷物が軽くなったとはいえ、やはり登り坂では太ももが痛く感じた。天気は晴れているのだが、風が強かった。不動ノ峰を通過して、13時45分、棚沢ノ頭を目の前にした稜線に出たときに台風並みの強風が僕を襲った! 歩くことはおろか、立つことすらままならなかったので、僕は決断した。
「撤退します! 撤退します!」
声に出して撤退を宣言したのだが、空しくもその声は強風と共に消えた。
強風にあおられながらも、ゆっくり歩いて、15時10分にみやま山荘に戻った。このときに宿泊手続を済ませて、翌日の登山に備えて水の補充とパッキングを済ませた。その後にビールを買って、それを呑みながら今日の反省会をやった。
今年に入って走り始めたものの、月間走行距離は50キロをやっとだったので、走り込み不足はまずあるだろうと思った。4月の小屋泊の登山は初めてで防寒具や着替えを多く持ち過ぎたのも失敗なのかなぁ〜。とどのつまりは注意すべきは冬対策でもヤマビルでもなく、己の体力が落ちていたということであった。
それに気付いただけでも良かったのかも知れない。
4月6日、宿泊した登山者は僕を含めて4人だったので、ストレスなく過ごせて眠れたかと思った。外に出てみると風は昨日よりも弱く感じていて、ここで蛭ヶ岳アタックも考えたのだが、足が筋肉痛気味だったので潔く下山した方がいいと思って、下山することにした。
6時20分にみやま山荘を出発。7時25分に塔ノ岳に到着して、着込んでいた防寒具を脱いで下山した。このあたりから多くの登山者とすれ違うようになった。これを通して丹沢山の人気の大きさが伺い知れた思いであった。昨日よりも気持ちに余裕が生まれ、見過ごしていた風景や花に写真を撮っていた。
そして10時35分に大倉バス停に到着。何とか無事に下山することが出来た。蛭ヶ岳に登れなかった心残りはあるが、次の機会に譲りたいと思う。警戒していたヤマビルに襲われることがなくて一安心。次は5月の大型連休の後に皇海山、武尊山が決まってるが少しでも体力を取り戻さないとと誓いを新たにした山旅であった。
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