(古記録登録)1996-10 中ア、越百山、仙崖嶺(南駒に行けず)
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- GPS
- 56:00
- 距離
- 17.0km
- 登り
- 1,990m
- 下り
- 1,990m
コースタイム
- 山行
- 5:00
- 休憩
- 0:20
- 合計
- 5:20
- 山行
- 7:30
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 8:20
天候 | 10/10;晴れ、 10/11 霧、アラレ、のち雨、 10/12 霧、アラレ、雨 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車 タクシー
|
感想
山行No. 248
※ この1997年は、GWは体調不良、夏は天候不良で、本州への遠征登山がさっぱりの年だった。
で、10月の体育の日の3連休を利用し、中央アルプス南部の越百山から南駒が岳、空木岳への縦走を計画し、出かけた。
1)10月10日;
・前日夜発の夜行フェリーで愛媛県を出発し、当日朝、大阪から新幹線、特急を乗り継ぎ、中央線、南木曽駅に、9時半着。金がかかるが、タクシーにて登山口まで行く。
・標高、約1000mの登山口(林道ゲート)から歩き始める。
・登りは一本調子の登り。少し紅葉も期待してたが、木々はもみの木などの針葉樹ばかりで、紅葉はほとんど無かった。
・この日は終日、良い天気。標高2000mを越えたあたりから、木々の間から、主稜線の越百山や南駒が岳が見えてきた。遥か遠くには、御嶽山や乗鞍岳も見え、久しぶりに日本アルプスに来たなぁ、と嬉しい。
・越百小屋には夕方16時にようやく到着。ここは思っていた以上に小さな山小屋。荷物は別棟に置く必要がある。水場も無いので、7合目で汲んできた。
・今日は、合計28名と、この小屋にとっては超満員。夕食が牛丼というのも、ちょっと珍しかった。
2) 10月11日;
・今日は、予定では越百山から稜線を縦走して、木曽殿小屋まで行く予定の日。
・朝起きると、周りは一面の霧だ。少し出発を遅らせてから小屋を出る。
・越百山に着いたが、どんよりした霧の中で、パラパラとアラレさえ降って来た。
・頑張って、仙崖嶺との間のコルまで行って見たが、ちょっと縦走するような天気では無いな、とあきらめ、小屋に戻った。
・自分以外は皆、さっさと下山して行く。が、自分は (一時的な冬型だろうから、明日に期待しよう、と思い)、越百小屋に連泊することにした。
・小屋のあたりでは、アラレでは無く、雨だった。小屋では小屋番のおじさんと二人きり。ストーブにあたりながら、山の雑誌を読んでのんびりした。小屋番のおじさんは、ちょっと変わった感じの人だったな。
・天気がこんな感じなので、今夜は新たな宿泊者は少ないと思っていたが、以外にも、今日も20名の宿泊者。
・今日の夕食は中華丼だった。どんぶり尽くしの小屋なのか?
3)10月12日;
・今日は連休最終日だし、木曽殿小屋も昨日が最終営業日だったので、行くとしても、南駒が岳に往復してから下るしか無い。
・05:40に小屋を出発。気温は 0℃とかなり冷えていて、木々には樹氷が着いている。木々の間から御嶽山も見え、今日はいい天気かな? と期待する。
・6時半に、二度目の越百山登頂。たどり着いた時には、東に南アルプスの山々が見えていたが、西側から西風に乗ってやって来た雲が視界を覆い隠した。
・まあそれでも、今日は縦走しようと思い、北への縦走路を行く。コルから仙崖嶺への登りは、岩に岩氷がびっしり着いており、冬山そのものだ。霧も濃いし、ちょっと不安でもある。
・仙崖嶺の山頂まで、ようやく到着した。
が、ゴツゴツした岩には岩氷がびっしり付き、さらに毛糸の手袋はアラレが溶けてから再び凍ってしまい、手袋の指先部分は凍ってしまっている。水筒の水も凍って、シャリシャリ言っている。
気温はマイナス3℃だが、冷たい北西の風のせいで、体感温度はマイナス7-8℃くらい。
それでも、さらに南駒が岳へと進むパーティーもいたが、自分としては、ここで引き返すのが賢明だろうと思い、「今回は仙崖嶺登頂で良し」
とする。
・越百山経由で、越百小屋に戻り、ホッとした。ここで、タクシー予約の電話をする。
・後は、淡々と下山。七合目から雲の下に出たが、麓もどんより曇っている。五合目あたりからは再び雨も降ってきて、冴えない気分の下山だった。
・登山口まで降りて、タクシーを待っていると、仙崖嶺から南駒が岳まで行ったパーティーが、もう下山してきた。速いな。
・中央線の須原駅から特急「しなの」に乗るが、自由席は超満員! 山がつまらなかったうえに、帰りの電車もツラい(涙)・・・
・・・良い思い出が無い、厳しい山行であった。
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