安倍奥 山伏/旧き山の友〜「元」がん患者雲を行く〜
- GPS
- 32:00
- 距離
- 12.7km
- 登り
- 659m
- 下り
- 654m
天候 | 快晴後ガス |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
林道の崩落箇所に簡易はしご有り。この山域特有の崩落しやすいガレ状の山肌がむき出しになっており、慎重に通過したい。足下だけではなく、上からの落石にも要注意。 |
写真
感想
「元」がん患者雲を行くその6ー再会編ー
33年来付き合いの有る山の大先輩エッチ氏と同期のK、三人で南アルプスの前衛峰に遊びに行った。
エッチ氏が遠江の地に越してからも定期的に会ってはいたが、同一行動で2000m級の山に登るのは本当に久しぶりである。当然がんを罹患した際も最大限の心配りをしてもらっていた。転移再発した時には、もうオレの顔を見る事ができなくなると思っていたのではないだろうか。
しかし、無事復活。劔岳に当座の目標を定め、有言実行できたので喜んでくれた。皆昔はバリバリだった山屋の集まりである。どんな儀礼的なお返しをするより、オレが劔に登る事が最大の快気祝いだと思っていた。見事に達成できた喜びをストレートにぶつけたら、「おまえは怪物か」と言いつつその苦行を褒めたたえてもらえた。
オレは怪物ではなく妖怪である。まあそんな事はどうでも良い。
今回はそのエッチ氏の粋な計らいで、無類の乗り物好きであるオレのために、単独でかの大井川鐵道に乗車させてもらいその列車を他二名により撮影してもらうとのめったに体験できないアプローチとなった。
蒸機が牽引する昭和30年代の客車に乗り南アルプスを目指す。オレの現役時代とは少し趣が違うが、このスピード最優先の時代にこれほどの贅沢があるだろうか。しかも、終点で乗り換える電車は西洋伝来歯車噛み合わせ式電動客車、つまりアプト式である。期待が高まらない訳が無い。
9/15早朝、明ける前の自宅までKに迎えに来てもらい、重たい装備も乗用車で楽々運搬。今回は劔に賭けていた情熱もいったん解除し、完全無比な安楽山行である。生きる価値など追い求めていない。ただ純粋にSLや温泉を楽しみ、焚き火を囲んで酒を呑む。あ、ついでに山でも登りまひょか。ってな具合である。人間、張りつめてばかりでは限界が近くなる。人生メリハリが大事ですな。
と、短い歩きのハイキングに言い訳を繰り返しながら一路新名神〜新東名を東上。途中若干の渋滞が有り、SL列車の発車時間に間に合わない表示をナビが示すので憂慮したが、待ち合わせの10分前には無事到着した。師匠クラスの先輩エッチ氏は、信念により携帯電話を所持しておられないので、このような場合難儀するのである。しかし、昔はそんなものあるはずもなかったのだから、こちらが時代の波に溺れているだけなのだろう。
楽に、便利な方ばかりにシフトしていると、どんどん野性の感が失われて行くのが判る。オレは、そうならないための努力はしている。高い機械は買わない、早い交通手段は使わない、などなど。単に金欠なだけだが。
切符を拝領し、純粋にワクワクしながらレトロな客車に乗り込んだ。もう夜行列車に数本残っているだけで、JRでは客車には乗る事ができない。しかし、ヨーロッパでは未だに主流である。国境を越え生活習慣や嗜好の異なる異国間を分割併合しながら進むには、電車などより機関車牽引の客車列車の方が至便なのだろう。
とにかく旅情満点の、ピカピカに整備された昭和15年生まれのご老体C11-190号を先頭にした「急行かわね路号」が、そのドラフトを誇らしげに吹き上げて出発進行した。
当然クーラーなど付いていない。窓は総て開け放してある。アナウンスでは、極力煙の出ない石炭を使用しているが、それでも皆無ではないので注意されたし、との事。こちらはその匂いを求めてやってきているのだから、異論が有るはずも無い。
トンネルが来る。窓から忍び込む煙に、眼が滲みる。今は草葉の陰にいる親父は、このようにして舞鶴から引き上げ列車で帰阪したのか。鉄橋を渡り、田畑を見送る。のどかである。フォ〜〜っと時々響き渡るドラフト。見れば要所要所に必ず撮影者。その中に同級生を見つけて、力一杯手を振った。
やがて蒸気機関車シーのちょんちょんは静かに千頭駅に滑り込んだ。ここからはアプト式の井川線(南アルプスあぷとライン)なる森林鉄道である。
アプト式と言っても、全区間ではない。一部に本邦鉄路最急勾配区間である、90‰(パーミル/1000m進んで90m登る)が存在するのでその二駅間を二両の山男電気機関車に後押ししてもらう。その機関車に歯車が付いており、軌道間にあるもう片方の歯車と噛み合わせ、スリップせずに推進できる構造である。
なので、残念ながら電車の客席ではアプトのカタカタ音は聞こえなかった。
とにかく全区間通じて、実に遅い。長距離ランナー程度か?間違いなく最新の自転車よりは遅い。たかだか25kmほどを一時間半もかけて進むのだ。車両の幅も、通常の電車の3分の2程度か。まるでスイスの登山電車のごとく、亀の子ペースでオレを夢の世界へといざなってくれた。
このアプト乗車中も二手に別れ、何カ所かで撮影してくれたエッチ氏とK。いくら地元とは言え、素人がこのようにスムーズに撮影できるはずが無い。このためにわざわざロケハンとリハを重ねてくれたのだろうか。深謝。
小さな登山電車に揺られる。気分はインターラーケンかツェルマットである。彼の地を鉄道で旅してから何年経っただろう。しかし、更なる夢は始まったばかりだ。本当の終着駅、井川にて待っていてくれたエッチ氏のクルマに同乗、その後は温泉と焚き火を楽しく過ごした。色々問題が有るので、詳しい場所は省くがそれはそれは素晴らしい夢の世界であった。
沢靴を履き、源泉を探訪。そこで浸かる事は叶わなかったが、足を浸すだけでも極楽になる名泉。その後有料の市営温泉施設で本格的に入浴すると、入った瞬間に肌がぬるぬるする名湯である。この地域には珍しい硫黄分が、立山地獄谷の源泉に浸かり未だ臭いの抜けきらない身体の隅々に、あらたに別の匂いを添付してくれた。
夜も更け、先輩持参の肉も焼き切れない頃、点火した。火は男たちを野性に戻す。少年の心に戻った三人は、明日の登山も忘れ心底下らぬ話に酔いしれ、薪をくべる手を奪い合うように炎の世話を続けるのであった。
絶対オレたち三人には開拓者の血が流れている。そう確信したときは、火の前にいるのはオレ一人だった。この半年、駈け続けた復活への路。充実感、充足感、満足感。どんな言葉でも足りない感情がオレを支配する。
「いつかある日 山で死んだら 旧い山の友よ 伝えてくれ
母親には 安らかだったと 男らしく死んだと 父親には」
「友よ山に 小さなケルンを 積んで墓にしてくれ ピッケル立てて
俺のケルン 麗しフェイスに 朝の陽が輝く 広いテラス
友に贈る おれのハンマー ピトンの唱う声を 聞かせてくれ」
いつかある日、名曲である。思わず炎を見ながら口ずさんだ。やはり、オレもいつかは死ぬのだろうか。いや、霞を喰ってでも生き続けてやる。がんごときに負けてたまるか。
明けて9/16。快晴である。雲一つ無い。しかし、予報では昼からの曇天を告げていた。まあ良い。今日はいつものように登頂最優先、眺望第一主義ではなく、三人の絆を再確認する旅なのだ。
撤収を終えて長い車中を過ごし、林道の車止めに行き当たる。情報は収集済みなので、予定通りクルマを止めて長い林道歩きに向かう。途中、その通行止めの原因となった台風による崩落箇所に遭遇。なるほど、これでは復旧は容易いモノでは無い。見事なまでに山体が崩壊し、そのおおきな岩とともにアスファルトを砕いてガードレールもろとも深い谷底まで山抜けしている。
ようやく下部の基礎部分のみ盛り土してあり、その先端から旧道の切れ落ちた患部まで簡易はしごが掛けてある。長く山を離れているKには少し緊張する場面だったようだ。がんばって復活してもらい、再度ザイルを組みたいものだ。
実際に足を滑らせると、少しの怪我では済まないだろう。慎重に歩を進め、再度林道歩きに。途中幾度となくキノコに夢中になる、茸フェチのエッチ氏。危険の見分け方等講義を受けるが、あまり興味の無いオレの頭には残らない。そんなものだろう。キノコや山菜が好きな人。未踏のピークをハントする人。オレのように眺望がメシより好きな奴。山の嗜好は百人百様である。小一時間程で、本来の駐車スペースである百畳平に着いた。
ここから山道に入り、現役低山徘徊ニストの先輩の案内で歩を進める。程なく峠に出た。
尾根筋や山腹の登山道は熊笹に覆われているが、稜線は二重になっており、いわゆる船窪地形である。ここからはなだらかな登りだが、右にトラロープが張ってあり、異様な感じを受けた。エッチ氏によると、穏やかに見える稜線だが熊笹を数歩かき分けて進むと、途端に向こうの谷深くまで崩れ落ちているのだとの事。ハイカーが誤って進んだり、キジを撃とうと列を離れて滑落するといけないので、危険防止のロープなのだ。
その片側が大崩落した尾根をしばらく歩くと、鹿よけのネットが見えて来た。ヤナギランの県内唯一の大群落を保護するネットで、山頂は近い。今は時期を外れているのでその美貌にはお目にかかれなかったが、代わりに立ち枯れた針葉樹が高山の雰囲気を醸し出してくれた。
が、峠あたりから生憎のガスである。時折晴れ間も覗くのだが、視界は良く無い。登り出して46分で山伏(やんぶし)頂上、2014mに到着。キノコを探したり、危険箇所の偵察をしたりの道草ハイクの割に、コースタイムを14分巻いていた。かなり緩めの設定なのだろう。
山頂では本来、富士山や南アルプスの眺望が楽しめる展望の良い山なのだが、今日は残念。雨はまったく降っていないが、濃いガスに阻まれて愛しの山々はお預けとなった。身体も冷えてきたので、早々に下山開始。山伏小屋を偵察に寄ってみる。なかなかしっかりした作りで、デッキまである立派な小屋だ。内部もきれいで、頻繁に人が訪れているのだろう。近くには水場も有り、一度泊まってみたくなった。
峠に戻り、百畳には戻らずそのまま尾根を下る事にする。ブナやナラなどの原生林を行く。苔むした倒木が北八ヶ岳を思い出させてくれた。子供たちと歩いた北八の双子池や蓼科山。それらの幻影が頭をかすめるが、今はエッチ氏やKが前を行く。一人の山も良いが、やはり友と語らい同じ方向を見ながら登る山は素晴らしい。
鹿の角を土産にし、船窪の美しさに見とれながら林道に出た。ガスよりもさらに暗い空に先を急ぎ、水場にて持ち帰る清水を汲んでクルマに戻り、降り出した雨の中エッチ氏と別れる。林道歩きを含めて四時間程の短い山歩きで、たった二日間だったがこの上なく楽しかった奥大井の山旅をこれでお開きとした。あとは静岡市方面に向かい、新静岡から新東名〜新名神で帰阪。連休とあって渋滞に苦労しながら深夜に無事帰宅した。
初めての南アルプス前衛、奥大井と安倍奥の山。この稜線を縦走すれば、遠く間ノ岳から北岳に向かう事ができる。いわゆる白根南嶺である。劔から穂高もそうだが、峰が続いているのはロマンがあってうれしいものだ。今は叶わなくとも、いずれ狙ってみるか。北も南も、まだまだ追い求める夢には事欠かない。
小さなひとりの山男にとって、日本は限りなく広いのだ。
今回はこれにて。
コメント
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sekitoriさんこんばんは。
33年来…高校時代からのお付合いですか
今年の初め30年来の付合い…中学よりの6年間部活動を共にした仲間の中で都合の付く4人が集り久し振り、確か10年振り位か? 小さな宴会で盛り上がっておりました。
マイナーな球技に付き長くても大学卒業迄、皆現役を退いて20年以上となりますが^^;
山仲間…皆現役なのは素晴らしいですね
エッチ氏とKさんにとってsekitoriさんの現役復帰、本当に嬉しかったのではないでしょうか。歳を経る毎に良い事や悪い事、成功や失敗云々…色々ありますが、昔の仲間は元気でいてくれる事、それだけで嬉しいものです。
稜線を縦走すれば…
全くレベルは違いますが、私の場合は北摂低山の稜線縦走がやめられません^^;に特にロマンもなく、ルートも微妙ですが、何か行き着く所まで行って見たくなるものです
inakabusさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
高校時代の岳友、それはおそらく一生消える事の無い「同じ釜のメシを喰った仲間」なのだと思います。いろんな環境を乗り越え、いま苦労して生きている。お互い人生に窮する事はあっても、一杯やりあえばすぐにあのテントの中に戻る事ができる。それが、「山友」ではないでしょうか。
inakabusさんとはいまだネットでのやりとりですが、いずれ山で杯を酌み交わす日が来る事でしょう。それは、同じ山を登り汗を流す者の宿命なのです。北摂の稜線が未来へと続く限り、私から逃れられると思うなかれ〜〜〜^^ いっヒっヒ〜(^~^)
SLでのアプローチ、気の置けない旧友、たき火・・・、この上なく贅沢な山行! 持つべきものは、良い山友ですね!
SLの名前が「かわね号」。昔、荒川三山を縦走した時に川根茶園のご主人と一緒になり、あれこれと話をしたことを思い出しました。
山伏小屋の写真、参考になりました。私の計画では、ここにとまって、翌朝、梅が島温泉に下山予定なのです。一人で泊まるには、ちょっと、不気味かな?
mizukiさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
本文にも書きましたが、すっかり少年時代に戻ってリフレッシュできました。先輩や友に大感謝です。ラディカルな山行も自己研鑽に良いものですが、このような牧歌的な旅をすると日本の山の奥深さに酔いしれます。
山伏小屋はきれいでしたが、少し湿気ていました。表の戸は砂が食い込んで開けにくくなっており、裏の戸からの出入りです。水場の情報等、もし行かれるのでしたらメッセージいただければ詳細に情報を提供します。
ご危惧の通り、お一人ではすこし不安かもしれません。ネズミが出るとの話も聞いていますし、ルートから外れて見えにくい場所に建っていますので、同行者を探された方が懸命かと。林道から40分程で到着できますので、ハイカーや登山者以外の人が利用するかもしれませんし。
近ければ私がボッカ隊員として参加するのですが、南アルプスは遠いですぅ・・・。
sekitoriさん、情報、ありがとうございます。
私はネズミが大の苦手 ネズミと二人だけで一晩過ごすなんて、やめときます 林道から近いことも不安です。東京の西に広がる奥多摩の山小屋でも、過去に強盗事件がありました。同行者を募ります。
今晩発で、伊吹山に行きます。所属山岳会の関西支部との交流なので、関東部隊10人ほどでレンタカーで出発。伊吹山ドライブウエーで9合目まで行ってしまうので、手術後のリハビリを兼ねて参加。痛みが起きなければ、10月上旬にリハビリ第2弾予定。これがうまくいったら、山伏への縦走を考えたいと思っています。
その時は、ご連絡させていただきますので、水場情報等、よろしくお願いします!
mizukiさん、こんにちは。
ミッキーマウスとならともかく、山の大きなネズミに夜中じゅう頭の周りを走られるのはゾッとしますね。なんらかの対策が必要です(食糧を出しっぱなしにしない、ジプロックやタッパーウェアなど密閉容器に食糧を保管する、など)。匂いがしただけでもザックを喰い破られそうです。きゃつらも生きるのに必死ですからね。
山小屋で強盗とは、世も末ですね。それだけ山が都会化しているのでしょうね。
伊吹山、お膝に無理がかからない程度に楽しんで来て下さい。伊吹山は私が高校一年生の冬、初めての雪山に挑んだ思い出の地です。豪雪の年だったので、下の神社から尾根に取り付いた時は頭を超えるラッセルにぼうぜんとし、雪と格闘しました。
それでは、良い山旅を。ベルクハイル!
sekitoriさん、初めまして!
massyと申します
大井川鉄道〜奥大井への鉄路は鉄道ファンでなくとも、景色の移り変わりや車両のレトロ感など満喫できるものですよね
山伏は安倍奥からのアプローチが多い中、千頭〜井川経由とは!
鉄道+山という1粒で2度美味しいところがナカナカでウラヤマシイです
剣の山行レコも拝見しましたが、情緒的な中にも山や己に対する厳しさが垣間見えました
大きな病を克服しての充実した山行、勇気や元気をもらいました
酒やコーヒーブレイクのショットは嫌いじゃないです
これからもレコ楽しみにしています!
massyさん、こんにちは。はじめまして。コメントありがとうございます。
私はしっかり鉄道ファンですが、なかなかきっかけがなくて大井川鉄道に乗車できませんでした。今回、大先輩が私の病気をおもんばかって良き思い出を作るべく総て手配してくれたのです。
まだまだ死ぬ気はありませんが、本当に感涙の嵐でした。
劔に関しては、すこし自惚れて慢心しているかもしれません。気を引き締めて、更なる挑戦を続けます。
これからもよろしくおねがいします^^
昨夜はコメントを有難うございました。芦生の廃線跡はまだレールが残っているのかも知れませんね(?)。
大井川鉄道は常時SLが運行しているのでしょうか。ロケーションと雰囲気が最高ですね。
当方は今年春、尿管結石で救急搬送されましたが、sekitoriさんの病気も再発することのないよう祈念致します。
marowsさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
芦生は、レールありますよ!一部橋が朽ちていますが、少しの手間で復活できそうな感じです。
大井川鐵道は、平日も一日一往復は走っているようです。私は、小学六年生の時に国鉄の蒸機が全廃されてしまいましたので、幼少の頃のおぼろげの記憶しかありませんが、国鉄片町線(現在の学研都市線)を数両の貨車を引いて走っていたC11に再会できて、感激しました。
>尿管結石で救急搬送されましたが、sekitoriさんの病気も再発することのないよう
Re:お心遣い、ありがとうございます。痛さの点ではmarowsさんの方が上ですね、きっと。七転八倒されたのではないですか?
お互いですが、くれぐれもご自愛下さい。
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