会津磐梯山
- GPS
- 32:00
- 距離
- 6.6km
- 登り
- 619m
- 下り
- 602m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2012年09月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
八方台の駐車場は余裕で停めることが出来ました。登山ルートにはとくに危険な場所はありませんでした。 |
写真
感想
今年中にもう一つ百名山を片付けておこうと、磐梯山に登る事にした。岐阜から一人で車で行くには遠すぎるという事で、新幹線で行く事にした。2012年9月15日(土)、8時43分、名古屋発のぞみ110号の自由席は満員御礼。わたしは10日程前にチケットを購入していたのでゆっくり座る事が出来、東京駅に10時23分到着。10時40分発、やまびこ57号に乗り換え、11時57分、郡山に到着。駅レンタカーで車を借り、時間はたっぷりあるので下道で磐梯に向かう。越後街道で猪苗代湖に行き、湖の北側を半周して、表磐梯を堪能する。こちらから見る磐梯山は、何処から見てもほぼ左右対称の緑の山である。もと来た道を戻って無料開放中の磐梯ゴールドラインに入る。3時半、裏磐梯ロイヤルホテルに到着。観光地には珍しく、シングルルームがある。まずは大浴場へ。温泉だそうだが、それを感じさせるものは何も無い。入浴後、近くの五色沼へ行き、裏磐梯を見る。磐梯山は有史以前から爆発を繰り返して来た火山であるが、今から1200年程前の大爆発で山頂部が吹っ飛んでしまったと云う。緑豊かな五色沼の佇まいに似合わない、茶色の山肌を露出した磐梯山は、爆裂の凄さを伝えるに充分な姿である。日本赤十字社のマークがついている大きな石碑があり、近寄って見ると、「平時災害救護発祥の地」とある。1888年(明治21年)7月15日に、小磐梯が吹き飛ばされる程の噴火が起き、500名にのぼる死者が出た。世界の赤十字は、戦時救護を目的として誕生したが、その後19191年以降に平時救護を正式に活動対象に加える事になった。日本赤十字社はその30年も前に平時救護をしたと云うことらしい。現在の裏磐梯の湖沼群は、この明治の爆発によって流れ出た岩石により堰き止められて出来たものだそうだ。ホテルに戻り、大宴会場の片隅で一人寂しく夕食。部屋で寝酒を飲んで、早々と眠りに着く。
翌朝4時に起床。カップうどんを食べてからチェックアウト。磐梯ゴールドラインを戻り、八方台の駐車場へ向かう。駐車場はまだ10台程度の車がいるだけで、登山姿の人達がたむろしている。5時35分、「磐梯朝日国立公園 磐梯山 八方台登山口」と書かれた大きな標識のある登山口に入る。横に、「クマ出没注意」の看板がある。クマ除け鈴は用意してないが、磐梯山にクマなんていないだろう、と不安は無い。林の中のなだらかな道が続く。30分程歩くと、目指す磐梯山が、表磐梯の穏やかな姿を見せる。硫黄の臭いが立ち込め、そして行く手下方に建物が現れる。「中の湯」とあるが、建物は崩壊寸前の廃屋。泥沼から泡が噴き出している所を見ると、ここは以前、露天風呂であったのだろう。中の湯からは勾配が増し、ハイキングから登山に変わる。汗をかいて10分程登ると展望が開けた場所に出る。裏磐梯の湖沼群はすっぽりと雲に覆われ、その向こうに吾妻山がなだらかに連なっている。暫らくするとまた展望所があり、眺めると、先程は雲に覆われていた桧原湖、小野川湖が、その全容を現している。これが裏磐梯だ。すぐにまた展望所があるが、眺める景色は少しづつ変化している。爆裂で崩壊した磐梯山の縁、その向こうに明るい青みがかった沼がのぞいているのは銅沼だろう。この沼は鉄分が多く、銅沼(あかぬま)と云う名の如く赤色を帯びていると云う。確かに沼の周りの土は赤いが、水を湛えた銅沼はコバルトブルーに輝いている。ぜいぜいと急坂を頑張り、爆裂火口壁尾根に登り着く。左はお花畑0.2km、右は弘法清水0.3kmとある。磐梯山の花なんて左程のものでも無いだろう、それにもう花の時期は終わっているだろう、と弘法清水へ向かう。間もなく小屋が現れ、その奥にも小屋がある。ここは猪苗代、渋谷、川上、八方台、裏磐梯の各登山口からのルートが合流する場所である。手前は岡部小屋、奥のは弘法清水小屋と云う事だが、弘法清水小屋は閉鎖されている。弘法清水小屋の前の誰もいない広場でザックを下ろしてひと休み。向こうに見える山の稜線には乳首のようなトンガリが見えるので、これは安達太良山だろうと勝手に思う。岡部小屋から出て来たおじさんに、「弘法清水はどこですか?」と聞くと、小屋の前にあるパイプを指差し、「冷たいですよ。飲んでみますか?」と、受けていたバケツを横によけて呉れる。手に水をすくってみると成る程冷たい。「今年は水量が少なくて、食器を洗うのも大変です。昔、枯れてしまった事があって、黄金清水まで水を汲みに行った事があるそうです」。ここは磐梯山の4合目。爆裂で頂上が吹っ飛ぶ前の頂きが10合目で、現在の頂上は5合目とした、会津の人の気合いが伝わってくる話しだ。弘法清水から頂上への登山道に入ると、岩を乗り越えて行く急登となる。岩の露出した崩壊壁、その上の縁を辿り、低木帯から抜け出ると、岩の重なった磐梯山頂上が目の前に現れる。岩を伝って7時53分、会津磐梯山頂上に到着。眼下に大きな猪苗代湖が飛び込んで来る。その向こうの小高い山の上に、風車が立ち並んでいるのが見える。快晴の空の下、360度の広がり、先客は男一人だけ、静かな山頂に座って山々の姿を目に写す。重なる岩山のすぐ下に掘立小屋があり、そこも岡部小屋、横に「磐梯山頂 標高1819M」の標識が立てられている。中のおじさんに声を掛け、「あそこに見えるのは安達太良山か?」と聞くと、「あれは飯豊、安達太良山は反対側」と教えて呉れる。もう一度山頂に戻り、見渡す。爆裂火口の崩壊壁が、一段高い櫛ヶ峰から下に向かって続き、その底には湖沼が点在し、その向こうに西吾妻、東吾妻の山並みがゆったりと坐っている。飯豊連峰は以外と近い。「来年行くから待ってろよ」。吾妻連峰の山並みは安達太良山に続く。あれはやはり乳首で、安達太良山に間違い無い。安達太良山の山裾は雲海の中に消えて行き、雲海に浮かぶ山々の名前は判らない。そろそろ登って来る人も増え、8時15分、下山開始。弘法清水までの急坂では、登って来る人のため何度も待機。弘法清水は大勢の人で賑わっている。この先も、登って来る人との行き違いの為に待つ時間が多くなる。「頂上は混んでましたか?」と聞かれるが、取り合えず、「すいていました」と答える。それにしても大勢の人である。中の湯でひと休みし、9時57分、登山口に帰り着いた。登山口の前の駐車場は満杯で、離れた場所にある駐車場からも、溢れだした車が路肩に停められていた。汗を流す予定であった磐梯山温泉「おおるりの湯」、ナビを合わせたが何処にあるのか判らず、車の中で着替えを済ませ、そのまま郡山へ直行。16時37分発のやまびこ146号のチケットを、12時37分発のやまびこ138号に変更して貰い、予定より4時間も早く、17時前に帰宅することが出来た。福島って、案外近いんだ。
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