最初の奥穂高岳 初のテント行は小梨平と涸沢
- GPS
- 56:00
- 距離
- 34.4km
- 登り
- 1,824m
- 下り
- 1,821m
コースタイム
- 山行
- 4:48
- 休憩
- 0:22
- 合計
- 5:10
- 山行
- 10:04
- 休憩
- 3:01
- 合計
- 13:05
天候 | 晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2009年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
アルプス参戦1年目のビギナーなれど若くはない、無謀であったかも無理をしているのかも、そんな想いが去来しつつ、夢に見、目標としていた山域に踏み入り歩みゆくのが、楽しくて嬉しくてしょうがない。
順調に進み往き、とうとう国内第三番目の高峰、奥穂高岳頂上(3190m)に到達、嬉し。
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上記は当時したためていたブログからの抜粋。
この直前(2009年9月11日)、奥穂近隣のロバの耳付近で遭難救助にあたっていた防災ヘリが墜落する事故がありました。奥穂より先は自身には禁足地くらいの認識はありつつ、当時、公に報道されていた報道をくまなく読み漁り、とにもかくにも人様にご迷惑をおかけすることなきよう、との想いで山行に臨んだのでしたが...
様々な方々に助けられた幸運な山行となりました。
想い起こしつつ、あらためて、人の世は相身互い、山では特にそう、と肝に銘じてます。
以下はハイになった初心者のお粗末な帰宅行となります。
奥穂に登れてしまって高揚感からか?気分は緩んでいたと思う、復路、涸沢を後にして早々、慣れぬポールを前後に歩を速めていたところ、左足を酷く挫いてしまい、上高地まで泣く泣くの緩慢な足取りでの道行きとなった。
また、横尾本谷沿いを往く際にも、痛む足を引きずりつつ早足を続けていたところ、岩に躓き谷に転落...したが、すぐ下にあった木に引っかかって大事に至らず。周りにいた行き来する方々は、すぐ様ワッと群がってきて即座に私を引き上げてくださったのでした。ハイシーズンの折であったのが幸いしたわけです。
その後も、更に痛めた足を引きずりながら、やっとこさ上高地に到達したのは18時を過ぎていて、周囲は既に暗くなっていた。もうバスもないやろう、小梨平で再びテント泊鹿なし、こんな状態でテントが張れるやろうかと落胆していたところ、バスターミナルあたりは照明が煌々と灯り明るい?
シルバーウィークならでは?一般の観光客も含めて混雑しまくりで、上高地外への搬送が間に合っていないよう。
かなりまいっていたので、何とか人心地のつく場所で憩みたく、ターミナルで運行状況を確認。タクシー待ちの行列も普通ではなかった。バスの新島々までの便はもう終わっていて、沢渡まで...のはずが、何故か?親切心(T . T)からなのか、私を新島々駅まで載せてくださった。これは、あまり多くを語ってはいけないのかも知れない。
松本駅に着いたのは、21過ぎ。とはいえ、シルバーウィークの折、泊まれる宿はなかった。同様な方々と一緒に、駅前の交番を尋ねてみたら、深夜営業の漫画喫茶か
スーパー銭湯との見当がついた。
で、私は塩尻駅へ二駅手前の村井駅近くにある信州健康ランドに向かい、仮眠として施設利用することとした。風呂入って飲んで食って5,000円ほどだったから、えらく安くついた。
翌朝、足の痛みも若干緩み、帰神の途に着いたのでした。
帰宅してから整形外科に赴いたけれど、骨折とかはなし。捻挫として処置いただきました。しかして、この後よりしばらくは、足の痛みをかかえつつの山行を繰り返すこととなる。現在も残ってるかも?まあ、歳のせいやと考えてますが。
2020年5月29日記
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