恵那山(過去れこです)。
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- GPS
- --:--
- 距離
- 7.6km
- 登り
- 990m
- 下り
- 981m
天候 | 晴れ。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2003年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
とくに危険個所はありません。 |
感想
2年程前、黒井沢から恵那山に登ろうと川上まで行ったが、林道入り口が閉鎖されているので近くの人に尋ねると、「この道は通れなくなっていて神坂(みさか)からしか登れない」と教えて呉れた。そのまま帰るのも癪なので神坂峠まで様子を見に行った。峠に車を置き恵那山に向かい、途中の大判山まで行ったが時間ぎれでやむなく帰って来た事がある。その時目指した黒井沢ルートは、恵那山登山道のうち最もポピュラーなコースであったが、2000年9月の豪雨災害で川上から上矢作町へぬける恵那山林道が通行不能となり閉鎖されていた。川上から黒井沢登山口までの約9.7キロの区間は寸断個所も解消されたが、落石危険個所が数カ所あるという理由で今なを通行止めとなっている。恵那山には年間1万人の人が登るといわれ、その約8割がこの黒井沢ルートを利用していたそうだが、黒井沢ルートが閉鎖されてからは神坂峠からのルートが主流となって来た。日本アルプスを世に知らしめた彼のウェストン卿が登った登山道は伊勢湾台風の被害により廃道となっていたが、2001年秋に復元され前宮ルートと呼ばれている。前宮ルートが復元されたとほぼ同じ頃、長野県側から国有林の管理用の山道を整備した新しい登山道が開発され、広河原ルートと呼ばれている。この広河原ルートが頂上までの最短距離である事を知ってから、恵那山への登頂意欲が再びもたげて来た。御嶽山や乗鞍岳、あるいは穂高岳などは岐阜県と長野県の県境の山であり、「分県登山ガイド」では「岐阜県の山」にも「長野県の山」にも収載されている。しかし、同じ県境の山でも恵那山は「岐阜県の山」には収載されているが「長野県の山」には載せられていない。また、同じ名を持つ恵那市は岐阜県の町であり、恵那山は岐阜県の山と思っているので長野県側から登るのは申し訳ないと思いつつも、最も安直な道を選ぶのが自分流の山登りである。
平成15年の夏も終わりに近い8月24日、午後からは天気が崩れるとの天気予報なので早や目に下山出来るよう、朝4時40分に自宅を出発した。恵那山トンネルをくぐりぬけた所にある園原インターで中央道をおり、ヘブンス園原スキー場の案内に従って左折する。しばらく快適な道路を行くと急に道幅が狭くなり、この先は落石が多く自己責任で入る旨の看板が立てられている。一昨日、阿智村役場に電話をし、通行可能である事を確認しているのでそのまま林道に入る。本谷川に沿った林道は舗装されているが落石が多く慎重な運転を要するが、しばらくすると左側に駐車場があり10数台の車が停められている。役場の話しによると、ここに駐車し登山口まで30分程林道を歩くという事であった。駐車場は満杯であり、その先の林道には車止めもなかったので自己責任の下、車でさらに先に進む事にした。大きな落石は道端によけられており、何事も無く登山口のある広河原に到着した。ここにもちょっとしたスペースがあり、すでに1台の車が停められていた。7時10分、登山口から本谷川に下り、川に架けられた一枚板の橋を3回渡って向こう岸に着く。川が増水するとこの橋は流れてしまい渉れなくなるので、事前に役場に問い合わせる事が必要である。岩がゴロゴロした山肌の急登をジグザグに登ると、じきに汗でびっしょりとなる。岩といってもよじ登る程の大きなものではないが歩きにくい道である。笹の中に作られた道はカラマツの林で日射しを遮ぎられ、時々吹き抜ける涼しい風が頬をなでる。広河原ルートは恵那山の支尾根をたどる登山道で、40分程山肌を登るとこの支尾根の端っこに着く。尾根とは云え急登は続き、この急登を登りきった所でザックをおろして小休止をとる。登山口から1時間15分経っており、高度計は1800mをさしている。この辺りから快適な稜線歩きとなり、循環動態も精神状態も落ち着く。周囲は一面緑の笹におおわれ、木はまばらとなり、南側に雄大な景色が広がりを見せる。遠くの南アルプスの山々はかすんでしまってどれがどの山なのかわからないが、気分は良好となる。ただ、大きなハチがまとわりつき、一緒について来るのがわずらわしい。1時間程稜線を歩いた所で木の根っ子に座って再び小休止をとる。そこから10分程で県境の主尾根に登り着く。林の中のぬかるんだ尾根道を歩き、このまま頂上までなだらかに登る事を期待していたがそうは問屋がおろさず、やがて再び急登となる。この急登をよたよたと登りきり、一旦下って登り返す途中で30名程の団体さんが下りてくるのに出会った。山では登り優先、団体より個人優先がマナーであるが、私が道を譲って待っていた。ほとんどが女性でわたしよりは年輩と思われる人達であるが、最後のおばさんが「おはよう」と声をかけたのには驚いた。それを云うなら「(こんなに沢山の人が通り過ぎるのを待っていて呉れて)ありがとう」と云うべきであろうと、通り過ぎた団体さんを振り返って一人心の中でつぶやいた。こういう自己中心的な考えの連中は、団体で誰かのお世話になってしか登山する事が出来ないのだろうと、ブツクサ云いつつ登る。10時15分、本谷川の登山口から3時間5分で頂上に到着した。小さな広場になっている頂上には三角点と祠があり、10名程の人が休んでいる。広場の周りは木に囲まれていて展望は効かず、ただ燦々と降りそそぐ日光の下、腰をおろし汗を拭きふきワンタンを作って食べた。今日は何だか座り易いと思ってシャツを上げて見ると、コルセットの紐が切れてゆるゆるの状態となっていた。何時の間に切れたのか知らないが、取りあえず応急手当てをしたコルセットを締め直し、恵那山登頂の記念写真を撮るべく笑顔を作って自動シャッターを押すが、何故かデジカメが壊れていてこの日は一枚も写真を撮る事が出来なかった。この三角点のある頂上広場は標高2189.1mで、この北西側500m程の所に2191mの地点があり、恵那山には頂上が二つあると云われている。30分程頂上にいて、10時50分に下山開始。やはり30名程の団体とすれ違うが、今度は若い人達が多くわたしが下り過ぎるのを待っていて呉れた。一変に気分が良くなった。下りとは云え汗もたっぷりかき、1時間程下った所のピークで小休止をとる。急斜面の下りは疲れが貯まり、本谷川のせせらぎの音が聞こえ始めた頃には足元はおぼつかなくなっていた。岩がゴロゴロした道は浮き石が多く、これを踏まないよう一歩一歩確かめながらの下りとなる。本谷川の冷たい水で顔を洗って気を取り戻し、12時55分、頂上か2二時間5分かかって登山道入り口に帰り着いた。入り口近くにある冷たい湧き水でネバネバになった口の中をゆすいだあとの気持ち良さ。帰り道、月川温泉の宿でひと風呂浴びた後、ビールをぐっと我慢しペットボトルのお茶で喉をうるおした。ちなみにこの日は500㎖のペットボトルを山の中で3本、車の中で3本、計6本飲み干したことになる。
家に帰ったら次女が2人目の赤ちゃんを連れて退院して来ており、しばらくは我が家も賑やかになるだろう。
およそ2ヶ月後の10月13日、大雨警報と雷洪水注意報が出ている中、登山口の本谷川に架けられた一枚板は川の水に覆われていた。それを渡ろうとして、中年の夫婦が川に流され、ご主人は無事であったが奥さんが死亡した事故が起きた。ご冥福を祈る。この際、登山者49名が足止めされたが、水量が減った後に無事渡り終えている。登山で無理は禁物だと肝に命じた。
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