【奥秩父最大の"山塊"】 二瀬尾根 〜 [和名倉山]
- GPS
- 12:05
- 距離
- 15.7km
- 登り
- 1,796m
- 下り
- 1,796m
コースタイム
→ 登尾沢ノ頭入口・指導標(7:05=7:10) → 石津窪源頭?(7:22) → 指導標(7:38)
→ 造林小屋跡(7:58) → 白石山指導標(8:04) → 尾根に出る(8:39=8:45) → 白石山頂方面・指導標(9:10)
→ 展望地(9:51) → 小広場(9:58) → 指導標(10:37) → 笹ツ場(10:43) → −−北ノタル・幽玄な世界の撮影time−− → 二瀬分岐(11:11)−− 千代蔵休場 −−
→ 和名倉山(11:33) −− おにぎり&味噌汁、こんにゃく,ニンジン,ふき,筍,椎茸の煮付け、卵焼き −−
◎[復路] 和名倉山(12:22) → −− 千代蔵休場 −− → 二瀬分岐(12:45)
→ 笹ツ場(13:02) → 小広場(13:35) → 展望地(13:38) → 造林小屋跡地(14:38)
→ 二瀬指導標(14:58) → 登尾沢ノ頭入口・指導標(15:24) → 1,007m地点(15:46)
→ 埼大山寮(16:55)
−−− ☆★ 所要時間:12時間05分 ★☆ −−−
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
大滝総合支所を右に見て 橋を渡ってすぐの T路信号を左折します。 氷柱で有名な「三十槌(みそつち)」を過ぎて 上流に進むと、二瀬ダムサイトに 到着します。 信号に従って トンネルに入り、トンネル内で左折して二瀬ダムを渡り、 「埼大山寮」脇の駐車場に到着です。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
◎ 1973(s48)年10月21日以来、39年振りの "感動もの" 二瀬尾根 〜 「和名倉山」でした。 −− ☆★ ルート全般 ★☆ −− ・「二瀬尾根」ルートと名打っているものの、実際は"尾根上"を通る 部分が少なく 尾根の東側を トラバースする部分が多いコースとなって います。 ・奥秩父山岳会の「白石山頂」プレートが要所要所に、またマーキングが頻繁に現れますので、登りに於いて 迷う心配は ほぼ無いと思います。 ・過去に於いての 木材搬出のための諸設備が、各所に "無惨"にも 置き去りにされており、悲しいことに これが重要ポイントと なっています。 ・展望は、コース&山頂共 ほとんど望めませんが、時々 木々の間から 東側の山々が 垣間見えます。 また かなり上に行ってから 唯一 "展望地"が あり、「雲取山」や 山頂に続く「ナシ尾根」が見えます。 和名倉山山頂直前の「千代蔵休場」で、南側が開けます。 −− ☆★ 埼大山寮 〜 登尾沢ノ頭東・指導標まで ★☆ −− ・満点の星空のもと、まだ山の端も明るくならない4:50、ランプを点けて出発。 ・吊り橋を渡って 対岸の突き当たりを左折、少し進むと 白いテープをぐるぐる巻きにした杉の木があり、 ここを右へ入ります。すぐ左の足元には、赤白のテープを巻いた 低い立ち木もあります。 ・暗い杉造林地の中ですが、ルートは 明瞭です。杉の伐採・枝落とし跡がありました。 ・尾根に出ると、左に杉 右に落葉樹となって行きます。 6時過ぎ、木々の間より 真っ赤な太陽が、東の妙法ヶ岳方面から昇ってきました。 ・1,007m地点らしきところは、木で三角錐のように高く組んでありました。 ・尾根の南東側を巻ながら、「登尾沢ノ頭・東側広場」まで標高差約780mを 急激に登りつめます。 ・「反射板跡地」という名称は、現地に於いてはその痕跡が無く、有名無実なので あえて 「登尾沢ノ頭東・指導標」としました。 −− ☆★ 登尾沢ノ頭東・指導標 〜 造林小屋跡まで ★☆ −− ・秩父盆地に、低いガスが漂う光景が見えました。 ここまでの急激な登りの後に、軌道跡のフラットな"歩き"は 明るくて助かるのですが、 素晴らしい登山道とは裏腹に、ここから徐々に目に触れてくる レールや特にワイヤロープ、 はては一升瓶などの"林業残骸"は、目に余るものが有ります。 ・軌道を歩き始めてまもなく、左から急激に上がってくる 赤いマーキングがありました。 その後も、石津窪の源頭?と思われる場所が左に落ち込みます。 ・「造林小屋跡」まで、苔むしたところも有り 熊棚も有り、時折東側の三峯山、武甲山、熊倉山等が 木々から垣間見えたり、変化に富みます。 ・"林業残骸"が増え出すと、「造林小屋跡」です。生活用品も散在しています。 廃屋はありませんが、廃墟ものの映画撮影には 手を加えることなく使えます。 −− ☆★ 造林小屋跡 〜 笹ツ場まで ★☆ −− ・造林小屋跡からは、「白石山山頂方面・指導標」や 警告!!を経て、右手の尾根へ向かって やや窪んだ地形の解りづらいガレたルートを昇って行きます。 ・やがて"スズタケ"も現れますがたいしたこともなく、それより太いワイヤが地面を這い 道案内?にもなります。 ・ガレていたり 苔むしたり、やや不明瞭なのぼりでしたが、40分程で初めて「二瀬尾根」に出ます。 が、またこの尾根の東側を巻くように行きます。スズタケも深くは無いが、出てきます。 ・また尾根らしきところに出ます。小広場〜展望台を経て、「笹ツ場」へ向けての長い南東面トラバースが続きます。 ・苔むした大変いい雰囲気のルートですが、徐々に傾斜を増し、息が切れてきます。 ・右に大岩を見る地点がやや解りづらいのですが、マーカーが頻繁に有り、見落とさないように行けば大丈夫。 さらに南東を巻ながら、先の見えない長いルートをやっと「笹ツ場」です。 一服の清涼!!、明るい"草原"です。シラビソの上が 突き抜けるような青空でした。 −− ☆★ 笹ツ場 〜 北ノタル 〜 和名倉山まで ★☆ −− ・ここから「和名倉山」山頂までが、"ハイライト"です。 徐々に、"重厚な苔のジュウタン路"に 入って行きます。素通りするのが勿体ないです。 ・正に"夢の庭園"ここに有りです。お腹が空いていますが、お預けで しばし 撮影に没頭します。 ・2,000mコンターの西縁を巻ながら南側に回り込み、「二瀬分岐」地点(二瀬・山頂・仙波)から 東へ山頂を目指します。 ・途中の「千代蔵休場」は、何と39年前と変わらない"原っぱ"。 ブルースカイと「千代蔵休場」。それに南面の飛龍山〜唐松尾山、何と堂々と富士山が。 ・広いシラビソ林の中 徐々に北へ向きを変え、遂に「和名倉山」山頂です。 だれも居ない、静寂の山頂。妙に「仁田小屋登山口」の道標有り。 2人でゆっくりと昼食。39年前はどうだったか?。 ・何と山頂近くまで、太いワイヤロープが登山道を這っています。 −− ☆★ [復路] 和名倉山 〜 埼大山寮まで ★☆ −− ・帰路を考え早く出発と思いつつも、やはりここは 秩父最大の"独立峰"。 50分滞在し、"二等三角点&指導標"に また訪れることを告げて 後にする。 ・「千代蔵休場」で、再び写真。富士山が大きく見える。 ・"重厚な苔のジュウタン路"で、埼玉県警山岳救助隊?の3人に出会う。 今日は山頂でテント泊と言う。9/13に「将監峠」〜「和名倉山」?で 消息を絶った 高齢者の捜索だろうか?。 ・「北ノタル」も 足早に通り過ぎ、下山祝いの生ビールが頭にちらつきながら、尾根南東面を下る。 大岩付近でルートを外し、やや迷って10分ほどロス。また、尾根から東側を巻いて下るところでも 一旦ルートを外したが、事なきを得た。いずれもマーカーがあって、戻れた。 ・ひたすら、まずは「造林小屋跡」を目指し下山。 ・「軌道跡」では、往路には無かった 新たなクマ君の 大きな "うんこ"が、ルート上に 二ヶ所。 さらに威嚇として、もぎ取ったばかりの枝が大きく添えられていた。ビビる。 ・不覚にも 足の親指の爪が、登山靴に当たり 痛んできました。これがだんだん響き、下山速度が大きく落ちる。 「登尾沢ノ頭東・指導標」からは、あと1時間と言い聞かせて、黙々と下る。 木々の間から、秩父湖や対岸の集落が 垣間見えました。 最後の 杉造林地の 九十九折れ下りが 爪に負担がかかり、更に痛みが加わる。 ・夕闇が迫る。「吊り橋」に出ると、ホッと。まだ明るい。 秩父湖面の水位は 大きく低下し、川のような筋となっていて、湖では無い。 16:55ジムニーに到着。念願の「和名倉山」は終わりました。 −− ☆★ 後は、"下山祝い"を 残すのみとなりました。 ★☆ −− |
写真
感想
◎ −奥秩父の"原生林"の宝庫−「和名倉山」は、健在なり!!。
北側は、幽玄な太古の"原生林"。南側は、シラビソ等の明るい開放的な山容。
正に"陰と陽"です。
・最近は 秩父側からの登山者がやや増え、奥秩父山岳会等による "指導標"や マーカーが 要所にあるとはいえ、
「バリエーションルート」であることに 変わりはありません。
ですから、ちゃんとした地形図を持って山に入ることは 言うまでもありません。
・標高差約1,480m。歩きでがありました。
◎ 9/13以降、keyさんとの "二人三脚山行き"が 定着してきました。
39年前の 二瀬尾根 〜「和名倉山」も、keyさんと行きました。
現在は、「吊り橋」を渡って左折して 直ぐ右へ 尾根に向かって登りますが、当時は
左折して暫く上流へ行き、"登尾沢の滝"を 経て 1,369.4mピーク東側の尾根も巻いて「石津窪」側に廻り、
「軌道跡」に出るコースだったと思われます。
◎ 北ノタル(草原) 〜 和名倉山山頂分岐間にある 実に "幽玄"&"幻想的"な 散策道。
この 倒木の苔むした"異次元空間"が出来たのは?。
今から53年前の 1959(S34).09.26の「伊勢湾台風」による 強風により、本州山地の各地で
"原生林"が なぎ倒されました。
この時の倒木の上に 苔が自生、重厚なじゅうたんとなっているのです。
・ここの"原生林"は、貴重です。それだけに、次に触れている"林業残骸"の現状は、大変残念です。
◎ −− 軌道跡 〜 造林小屋跡に見る "残骸"を 考える −−
「軌道跡」は フラットで 歩くのには良いのですが、ここに林業の "残骸"が 長年 放置されたままになってます。
・「世界"残骸遺産"登録」をしたいような? 実に残念な 光景です。
・ワイヤロープに至っては、山頂付近に至るまでの 相当長い距離に 敷設されたままの状態です。
中空に巻いたままの 状態のものもあります。
これで良いのでしょうか?。良いはずはありません。
・植生や住んでいる動物に、少なからず影響が有ります。
・撤去する費用が莫大だから?と言って、放置が許されるはずがありません。
他の山に行っても、○○工務店と書かれた土木機械が放置されていたり、
通信資材が放置されていたり、色々と目にします。
・「環境保護」が叫ばれて久しいですが、人目に触れない山奥での"残骸"放置!!。
自然とは相容れない、実に見苦しいものです。
・"清流"が泣いています。荒川の最上流 "水源地"の「秩父湖」。
ここにどっかりと構える 【奥秩父最大の"山塊"】「和名倉山」ですよ・・・。
・今後 森林関係者や行政が 一体となって、こうした過去の "残骸"を 早急に撤去することを 強く望みます。
◎ 登尾沢ノ頭東・指導標(反射板跡地) 〜 造林小屋跡。−− 熊さんの逆襲!! −−。
[復路]の途中 軌道跡のど真ん中で、[往路]には無かった 熊さんの新しい 大きな"うんこ"二ヶ所。
熊さんが人間に対し、"古来からの領有権を主張"して 譲らない "証し"。
(→ 近隣の"大国"による 身勝手・横暴とは違い、こちらの "古来から領有・・・"は、筋が通っている。)
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