伯耆富士 大山/アルピニスト復活への道2〜「元」がん患者雲を行く〜
- GPS
- --:--
- 距離
- 6.1km
- 登り
- 961m
- 下り
- 944m
コースタイム
天候 | 小雪〜ガス〜地吹雪〜吹雪〜曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
稜線の登り左側/下り右側、雪庇及び滑落注意 |
写真
感想
「元」がん患者雲を行く−ホワイトクリスマス編−
今夏の富士山剣ケ峰に始まった大腸がん転移再発からの復活登山、劔岳や山伏などの名峰に登頂する事も叶い、2012年度の締めくくり本格登山はやはり富士と名のつく大山であった。
12月22日の夕暮れ、クリスマス直前。三連休初日とあって子供連れで賑わう阪急電車で、なんとなくB'zの歌を思い出しながら六甲駅へ向かう。この駅近くで仕事を終えた高校山岳部の先輩にクルマにて拾ってもらい、ナビゲートする。この先輩にサポートしてもらったおかげで、抗がん剤の副作用残る中、富嶽登頂に成功できたのだ。持つべきものは良き先輩、良き山仲間である。
先輩のご両親が住まわれる大山山麓の巨大なログホーム。余談だが「ログハウス」は和製英語で、英語では「Log Home」もしくは「Log Cabin」と呼ぶらしい(ウィキよりパクリ)。ログキャビンと呼ぶとなんとなく草原の可愛い小さな家、との感じを受けるが、お邪魔したお宅はそれはそれは豪壮な作りで、どっしりしたログホームである。
今回は二度目の訪問となるのだが、おかあさんは一足早く豪雪から逃れるために先輩の妹さん宅へ疎開されており、残ったおとうさんを迎えに行かれるのに便乗させてもらったのだ。オトコ三人のクリスマスパーティもまた一興。
あまりの広さに寒くて仕切りを付けたリビング。それでも18畳ほどはあるだろうか。天井も吹き抜けなので、暖房のために薪ストーブが設置してある。そのガラス戸を開き、木をくべる。山伏登山の前夜、盛大に焚き火をしたのが昨日のように思い出される。これを部屋で飲みながらできるとは、なんと恵まれた環境だろう。
山伏以外はしばらく単独行が続いていたが、富士山以来の先輩との登山。その前夜に、懐かしい山の思い出やこれから登るであろう輝かしい未来の山々へ思いを馳せながら、ほどほどにするはずだった缶や瓶たちが転がって行く。だが、明日は雪山。いつもの半分で宴はお開き。日付が変わる頃には、ゆらゆらと揺れる炎に優しく見守られながら、深い眠りに就いた。
明けて23日。予報通り冬型気圧配置が徐々に強まってゆく。だが、雨は夜更け過ぎに、雪へと変わっていなかった。まだ雪ではなく雨である。多少げんなりしたが、標高を上げるに従い雪へと変わるのは目に見えているので予定通り八時に家を出た。
冬のこの地へ通い慣れた先輩の予言通り、大山寺下の駐車場へ着く直前、霙まじりだった雨達は、小雪へと変身してくれた。スパッツを装着、上はダンロップ謹製ゴアのヤッケ三十年物、下はボード用の膝周りがゆったりしたパンツである。これは最近購入したのだが、足が自由に動くので極めて歩き易い。劔等へ履いて登ったマムートのクライミングパンツは、岩場でのサポート感は良いのだが、ストレッチ素材とは言え多少締め付け感が有り、その上にオーバーパンツの組み合わせでは、足をぶん回すラッセルには少々抵抗が有る。よってアイゼンを着用する今回はボードパンツ。
支度を整えて九時に駐車場を出発。近道を試みたが、某大学の山荘まででトレースは終っており、断念。こんなゼロ合目で深雪ラッセルをして時間をかけていられない。直ぐに引き返し、駐車場を出て夏山登山道へ向かう。車道は白くなっている程度だが、その両脇は除雪の塊が50cm程だろうか。登山道へ分け入ると、積雪量は麓で20〜50cm、上部の深いところで2m近く有るのだろうが、まっすぐに幅50、深さ20cmほどのトレースが見事に上へと続いている。いわゆる、高速道路である。なんの苦労も無く雪道を辿る。苦労どころか、夏山よりよほど歩き易い。硬く踏みしめられた雪に、今回新調したスカルパ冬靴の新しいヴィブラムがしっかり食い込む。このトレースが続く限り、アイゼンの必要も感じない程快適である。
本家富士山と同じように、一合目より九合目までの表示と、標高100m毎の看板が設置してある。さすが百名山、人気の山である。夏や秋の盛期には、本家並みの行列が続くのであろう。今日は駐車場こそ埋まっていたが、前後に人が見えるか見えないか、程度である。麓で雪遊びをするだけの人もいるのだろう。視界は、樹林帯を抜けるまでは良好であった。徐々に傾斜がきつくなるが、高速道路のおかげで苦もなく標高を稼いでゆく。ほぼ休憩無しで六合目避難小屋に到着。先客がいたので中へは入らず、小屋前でザックだけ降ろし、立ったまま小休止。テルモスの熱い茶と冷水を交互に飲む。気温は思ったより高く、ペットボトルの水も凍る気配は無い。プロトレックを腕に巻いているが、いちいち外して気温計測するのは面倒だし時間がかかるので、割愛。体温を拾っても11℃を示している。体感的に、六合目ではマイナス2℃くらいだろうか。20年程寒冷地に住んでいたので、この勘はよく当たる。
この小屋辺りに人が集中していたのか、少しだけ賑わった山中であったが、すぐに二人だけに戻る。時々下山者とすれ違い、抜きつ抜かれつもたまに有るが、それもまばらである。他のパーティ、もしくは単独者は皆アイゼンを装着していたが、まだ傾斜も緩く樹林帯なので無しで行く。雪質が明らかに変わり、空から舞い降りる天使達も山肌に降り積もったそれも、粉雪へと姿を変えて行った。
七合目を過ぎ、いよいよ核心部が近づいたのでアイゼン装着。前回、立山山麓では二本締めアイゼンバンドに苦労したので、今回はスカルパ購入により使用可能になった、古参兵のシャルレワンタッチアイゼンを一瞬のあいだに装着完了。プラスチックブーツを経年劣化対策で処分したため、使っていなかったのだ。古い道具を愛する先輩には申し訳ないが、その装着時間差は劇的である。やはり、装備が命を救う、とお互い確認した瞬間であった。ここまでの雪リング付きダブルストックをシングルに換え、右手にモンブラン登頂時の記念すべき相棒、シャルレ・モゼールのメタルピッケルを持つ。アイゼンと共に大学山岳部以来愛用の重量感たっぷりのクラシカルな逸品である。
八合目からいわゆる頂上稜線に出るが、途端に風強く、視界も悪い。上からの降雪量は少なめで、地吹雪模様。時々振り返りながら地形確認をするが、それも困難な程視界は低下してくる。傾斜が急なので六合目からは高速道路や国道状態は無くなり、下山者がトレースを崩しているので半分は軽いラッセルである。大したラッセルでは無いが、一歩踏み跡を外すと股まで潜る。スキー以外では久々の感覚である。
稜線上で、体感気温は一気に低下。風が有るのでわからないが、実気温はマイナス5℃くらいだろうか。風速は8〜15m/sくらいはありそうなので、体感気温はマイナス15℃前後くらいか。ゴアのウインターグローブだけでは、指先が多少冷えてきたが、足指はまったく冷たさは感じない。薄手のウールソックス一枚で来たが、さすがハイテク冬靴は威力抜群である。もっとも、この程度で冷たさを感じるようでは冬靴とは名乗れないだろうが。
適度な間隔で刺してあるリード(赤布無しのフレキシブルな棒のみ)と、時々表面に顔を出している木道のおかげで順調に九合目を過ぎた。しかし、そこから視界は更に悪化。頂上避難小屋が見えたのは、10m以内に近づいてからであった。
状況悪化が懸念されたので、小屋は素通りして最高点へ向かう。しかし、視界不良のため雪庇踏み抜きの危険が有り、小屋より50m程進んだところを本日の登頂地点と定め、夏の富嶽や劔のように復活登頂の感激に浸る間も無く、互いに写真を撮り合って2分程で撤収。
既に小屋へ戻るトレースも掻き消え、瞬間的な突風では有るが耐風姿勢を余儀なくされる。二人とも、今の実力では単独なら間違いなく八合目で引き返していた状況であった。避難小屋へやっとの思いで入ると、なかなかの混雑振りである。山頂付近に人影は無かったから、皆ここで風よけをしているのであろう。まさに避難小屋の有り難さが身に染みた瞬間であった。
レーションを食べて、熱い茶を飲み、WCにて小用を済ませる。ここでようやく、劔の次なる目標であった雪山登頂を成し遂げた満足感に浸る事ができた。
ひと月程前だろうか。年老いた母親から電話をもらい、雪山登山の事や、将来的な目標としてのヒマラヤ挑戦を軽く打ち明けたら、きつく叱責された。
「せっかく癌が落ち着いてきたんやから、そんな寒いとこ行ってないで家で暖かくしておけ」
要約するとこのような内容だが、子を思う親の心を少しは判っているつもりだ。おっしゃる事はごもっとも、親不孝の極みです、母上。
しかし、癌が落ち着いた今だからこそ、成し遂げたい事があるのだ。
いま、オレは生きている。その現実を五感すべてで感じ取り、脳幹と体躯の隅々までを感激の美飾で埋め尽くすのは、山しか無いのだ。わかってください。
様々に交錯する複雑な想いを胸に秘め、20分程の休憩の後、小屋を後にする。ゴーグルとバラクラバを装着、ウールの手袋を加えた。既に視界は5mを切っている。前を行く先輩と少し離れると姿は消える。お互いゴーグルが安物のため、サイドの隙間から容赦なく雪が入り込み、内側から凍り付いてゆく。眼鏡とダブルで凍るので、自分の足下さえ見えない。
二人ともほぼ装備を揃えて、他方のみ寒さや風に弱くなるのを防いだため、行動がずれる事は無かった。トップを変わりながらルートを定めるが、もはやトレースは確認できない。風には波が有るので、そのわずかな小波の隙を狙い、ゴーグルを拭いて周囲を観察すると、人工物が見える瞬間が有る。それを繰り返し、ようやく樹林帯に辿り着いた。
途端に風は遮られ、視界も回復。危険は回避できた。しかし、この状況は今後の検討課題/反省点を多く残した稜線歩きであった。細めでも良いので40m程のザイルを携え、コンテで歩きパーティが別れない基本を忘れていた。ゴーグルやアウターも最善の策を取らなくてはならない。
たまたまの偶然と幸運で登頂と下山ができたが、雪庇を踏み抜いたり、わずか何mかルートをそれて滑落のリスクも否定できない。単独なら撤退した実力不足を、経験者同行との互いの油断が危険を生み、はぐれる事によるパニックの発生も考えられる。
このような点は充分反省しながらも、更なる挑戦への足がかりとして、充実した山歩きであった。下りでは麓までアイゼンを外さず、しっかりとアイゼンワークトレーニングをこなした。五時間の雪との戯れを終え、午後二時十五分、駐車場へ無事到着。
この秋頃よりプロガイド氏達との交流を持てるようになり、冬山講習会にも度々顔を出していた。高校/大学山岳部時代に本格的に雪山へ挑んでおり、30代までは毎年雪の山を歩いていたが、発病以来遠ざかっていたので、やはり基本的な勉強から復習するべきだとの思いからである。
11月に立山登頂を目論んで講習会に業務参加したのだが、あいにくの積雪により室堂行きのバスが運休。コースを急遽変更して麓の標高1300mあたりの雪山にてアイゼンワークを行った。これが功を奏して、久しぶりの本格的雪山へも臆する事無く臨む事ができた。
展望はまったく無く、それどころか身の危険を感じた大山山頂。幸い、これまでの登山の成果か、登り下りともまったく疲労を感じる事は無かった。富士山登頂時には五歩足を進めるのが辛かったが、やはりトレーニング不足と抗がん剤の影響が色濃く残っていたのだろう。
今回、五時間の雪山歩行の内、頂上避難小屋以外はほとんど休んでいないが、呼吸/脈拍/動悸いずれも、平時となんら変わらず、冷静な判断力も保てていた。これは自分自身のトレーニングだけではなく、プロフェッショナルである世界的登山家から授けてもらった貴重なアドバイスや激励も確実に力となって作用しているのだと感じる。
しかし、この山行が仮に快晴無風で楽勝登頂できていたら、きっとこの先冬山をなめてかかった事だろう。厳冬期登竜門として、日本海に面した独立峰は手厳しい歓迎をしてくれた。トレーニングとしては最高の条件だったと思っている。
また、職業柄撮影機材のテストとして、今回は悪天予想のため一眼レフは持参せず、コンパクトデジタルPENTAX WG-1GPSのみ携帯、ザックの肩ベルトにナス環で外部放置して、耐寒テストを挙行した。結果、体感温度マイナス20℃前後、実温度マイナス10℃程度ならバッテリーの低下速度は速いものの、元気に作動してくれた。本体表面は白く凍り付き、レンズを覆うガラスを拭きながらの撮影であったが、シャッター/露出に変化は見られなかった。電源やシャッターボタンもウール+ゴアアウターグローブをはめたまま難なく稼動。これは業務上朗報である。
七月の富嶽、九月の立山富士ノ折立、十一月の播磨富士=高御位山に続き、本年四度目の富士である。締めとして、年末には近江富士でも登ろうか。
今までの山々同様、支えてくれるすべての人々に感謝の念を捧げたい。
今回はこれにて。
#追記:本記録アップ後に同行してもらったN氏より連絡が有り、以前夏に登頂した時の写真から、今回我々が弥山の頂上碑の上で登頂写真を撮った事が判明。無事に登頂成功を確認できた。
mizukiです。
本当の冬山に出会った山行でしたね。
その意味では、何ものにも代え難いトレーニングでしたね。
ホワイトアウトと強風・・・、ホント、一歩足をすすめるのも困難ですよね。
最新機器の携行は心強いけれど、その前に、厳しい自然条件に耐える体力と精神力、そして、自然の持つ客観的な危険を察知する動物的な感が必要だと思います。
装備も侮れない。私たちは、赤旗竿を一人10本ほどザックに指して行きます。
今回、体の調子が良かったという記述を拝見し、安心。体に自信が持てると、精神的なゆとりももてますものね。
熟読させてもらいました。
病を克服し、強い精神力で冬山に挑む姿に、
非常に感銘を受けました。
私も若い時分に、同じような体験をして、なぜあの時と
あとから後悔した事など、思い出させてもらいました。
これからのsekitoriさんのご活躍をお祈りします。
mizukiさん、おはようございます。コメントありがとうございます。
はい、リハビリとしては第一級のゲレンデとなってくれました。ただ、日記の方のレスにも記したのですが、三連休の中日であり、多数の登山者がいるのを想定して他力本願的な部分が有ったのも事実です。
しかし、幸か不幸か下山出発時は我々の二人パーティのみとなり、ルートファインディングの練習にはなりました。
これが平日で装備の貧弱な我々だけだったら、八合目で撤退を決定していたと思います。事実、出発前のミーティングではそう決めていました。
>今回、体の調子が良かったという記述
Re:おっしゃる通りです。今回、登りでまったく息が上がる事も無く、筋力の低下も無かったので悪天に落ち着いて対処する事ができました。日々の筋トレ/持久力強化の重要性と、生死を分けるのは身に着ける装備である事を再認識しました。
これに驕る事無く、さらに精進してゆきます。
P.S.防水耐寒コンデジは最高でしたよ!この状況で画像記録を残せたWG-1に感謝しています。メーカーからデモ機をだしてもらいたいくらいです^^
kazuhi49さん、おはようございます。コメントありがとうございます。
もう自分の中では癌は卒業したと思っているのですが、親族を含め周囲の方々はそうは見ていないと思います。自分自身でも、客観的に判断してがん細胞がそう甘いものでは無い事は熟知しているつもりですが、取り越し苦労をしても仕方がありません。
今は目標を持ち、少しづつでも前進する事で生活の張りとしています。山だけでは無く、kazuhiさんと共通のライフワークである、乗り物やカメラでも勉強を重ねつつ楽しみたいと思っています。
かなり後輩ですが、これからもよろしくお願いします。
sekitoriさんこんばんは。冬山の話題とは全く異なる話ですが…
20年以上昔の話ですが、人生初の飛行機旅行の際、夏の大山を上空から眺めた光景が未だに忘れられません。麓を訪れたこともありませんが、山歩きに親しむ前より、登って山頂からの風景を眺めてみたいと思い続けております。
あと、九州の開聞岳、こちらは地理の教科書?でその山容に憧れ、約5年前に麓より眺めております。
私にとってはこれら2つの山が富士山やアルプスよりも憧れの山です。山に深く関わるようになった今となっては、機会さえ作れれば登れそうな山ではありますが
ちなみに今年は(今年も?)登った富士は『有馬富士』のみ…標高は本家の約1/10ですが
inakabusさん、おはようございます。いつもコメントありがとうございます。
誰にも憧れと郷愁の山がありますよね。私にとっては、剱岳と穂高岳がそれに当たります。
無雪期の大山なら、日頃北摂をくまなく歩いていたら、容易く登れますよ。雪が融けたら、ぜひ訪れてみて下さい。温泉もありますし、麓の雄大な風景は、関西から行きやすい場所では秀逸です。
開聞岳は、私も登ろうと思っています。この年末年始に18きっぷで行こうかと思っていましたが、諸般の事情で叶いませんでした。春になったら、ツーリングで訪れたいです(^^)
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