クラッシックルート「みたけ道」から金峰山



- GPS
- 14:00
- 距離
- 19.0km
- 登り
- 1,739m
- 下り
- 1,725m
コースタイム
- 山行
- 4:54
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 5:04
- 山行
- 6:14
- 休憩
- 2:26
- 合計
- 8:40
往路では河原歩きを嫌い、あえて御室川を渡ってアコウ平からのルートを取っています。
天候 | 晴れ/曇り・曇り一時雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
右側の谷はケイオウ谷と呼ばれるが、ここから慶応大の学生が落ちたからその名が付いた・・・という怪情報もあるとそうです?
感想
以前からフェイスブックで友達になっていた地元山梨在住の登山ガイドさんが募集した山行に参加してみました。コロナ禍の影響でソロテントを使用する計画で募集人員は3名、私の他は愛知県から参加された仮称レッド氏と山梨県在住の仮称ブルー氏で、私(イエロー)はガイドの三上さんを含め全員と初対面でしたが楽しい山行となりました。地図読み講習をしながらの山行なのでコースタイムはゆっくり目になっていると思います。
テン泊予定地は水場が近いと思えたのでビール冷がやせそうだから持って行きたいと思いましたが、グループ山行で一人だけ・・・という訳にも行かず、みんなで分けるにしても、こっそりテントの中で飲むにしても良かろうと、ビールほど重くないウィスキーを持参することに。そして、いざテン場に着きテント設営がすんだらガイドさんのザックから缶ビール4本が出てきてびっくり、その他にウィスキーも多量に持参していました。ガイドの三上さんは酒好きらしく、おかげで私も気兼ねなくウィスキーのお湯割りをたらふく飲みました。
2日目はテントはそのままに軽装で金峰山を往復、途中片手回しの岩場で遊び、五丈石もロープで確保してもらって(引っ張り上げてもらった感、大ですが)登ることができました。
http://mtgd3chan.blog.fc2.com/
<写真44のキシャヤスデの話>
写真8(造林記念碑手前)から写真10(水晶峠)手前には写真44のヤスデが大量発生しており、気持ち悪くゆっくり休憩もためらう状況。過去(1976年)にヤスデの大量発生で小海線(甲斐小泉―野辺山間)がレールの上に乗ったヤスデで車輪が滑り運休になった事があったことは覚えていましたが、それはよく見る足の長いヤスデだと私も三上さんも思っていましたが、帰ってネットで調べてみると過去に小海線をを止めたのはこのヤスデで、汽車を止めてしまったから「キシャヤスデ」と名付けられたらしい、ちなみに小海線は現在もディーゼルで電車ではない。
彼らは落葉を食べて土を作っているそうで森の役に立つ大切な虫だそうです。8年に1回2か月ほど地上に現れるだけなので暖かく見守ってやりましょう。
http://www.ffpri.affrc.go.jp/labs/kouho/mori/mori-52.html
<以下備忘録>
シュラフはオーロラ450、フェニックスの中厚パンツ、下着は夏仕様、ウィックロンドライタッチロングスリーブシャツ(黄色)、ユニクロフリース(テン場で着用)、ライトシェルジャケット(不使用)、ヘルメット、ウイスキー500mL、サーモボトル、火器は不要と言われたがお湯割りのお湯を作ろうと持参(笑われた)
高校生の時に甲府からバスに乗って多分金桜神社と言う所から歩いたと思います。バスガイドのお姉さんから道なりより電線なりの巡視路を使えば近道と教えられ歩いたのを覚えています。御室小屋は傷んでいましたが健在でした。五丈岩の真下で富士山を眺めながら寝ました。当時は怖いもの知らずでしたから五丈岩にも簡単に登ることが出ましたが、今は無理でしょうね。左から上部バンドに出て右に移動して最上部に手をかけると誰かが削って作ったガバがあってヨッコラショと最上部に立つことができました。翌日はそのまま川端下に降りましたが、廻り目平あたりは牧場跡地といった趣がありました。また歩いてみたいものです。
追伸
書き終えてなんか前に同じようなコメントしたことがあるなと調べたら7月19日にほぼ同じコメントをほかの方の山行記録に投稿していました。(笑)
でもとにかく印象に残るコースでした。当然ひとっこ一人会いませんでした。
金桜神社は金峰山を本宮(御神体)とした神社で金桜神社は里宮にあたるそうです。
金桜神社から猫坂を登り黒平集落を経て今回歩いたルートで金峰山に至るのが江戸時代から歩かれた御岳道だそうです。
ヤマレコマップでも、今回出発点とした所からしばらく(48年前には無かっただろう)林道を歩いて御岳道に入る足跡はそこそこあるようですが、今回歩いた本来のルートは不明瞭で相当荒れていましたが大昔には馬も通っていたであろう痕跡もあって興味深かったです。
今では裏と言う感じですが、確か最後の段に両側に門柱のようなものがあった気がします。
実は表参道だったのでしょうか。
クラッシックルートと呼ばれるので大昔は南側から登るのが唯一のルートだったのではないでしょうか。現在も社は五丈石の裏側?(南側)にあります。また、御室小屋も登山道の両側に建物があり長屋門のようになっていのではと聞きました。
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