京北・黒尾山
![情報量の目安: S](https://yamareco.info/themes/bootstrap3/img/detail_level_S2.png)
![都道府県](/modules/yamainfo/images/icon_japan_white.png)
- GPS
- 06:11
- 距離
- 15.2km
- 登り
- 1,233m
- 下り
- 1,230m
コースタイム
天候 | 曇り一時雪 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
踏み跡薄くルート取り注意必要 |
写真
感想
夜明け前の週山街道を走り京北下宇津町に到った。集落内に駐車スペースは難しく貞任峠に上がることにした。殆ど車の走ることのない道で心配だったが、無事に峠に達した。峠の由来は、奥州で起こった前九年の役(永承7年(1051)~ 康平5年(1062))にあった。朝廷への貢租を怠った安倍頼時・貞任父子を源頼義・義家父子が清原武則の力を借りて討伐した。陰陽師の占いにより貞任の亡骸を東西南北に川のある土地に埋めることになり体を七分した。桂川上流の此の地は支流と合わせると東西南北に川があるとのことだったのか。亡骸を切った所を切畑(京北弓槻町)、頭を貞任峠(京北下宇津町)、肩と胴体を高谷(京北中地町)、足と手を足手山(京北中地町)、腰と胴体を人尾峠(京北下宇津町)に埋めた。これら人体に纏わる地名は安倍貞任に由来する。
貞任古道と標識の掲げられる道を歩き急坂を下って当初歩き出し予定だった下宇津町に到った。車で通った貞任峠への道が分岐する処に“京北ふるさとバス”の下浮井(しもうけ)バス停があり1日5本ほど周山への便があるが土日は3本しかない。上浮井の集落から白岩山南尾根の先端は人家で、その切れ目に登り口を探し急斜面に取付いた。茨の繁茂した所を避け木に掴まりながら稜線に這い上がった。傾斜が落ち着き歩き易くなったが道はない。P452に到り一息付くと踏み跡らしきものが時々見られるようになった。小さなアップダウンが続き白岩山(540m)に到ると樹木の切れ目に僅かに展望があった。
白岩山から北東方向に進むが尾根が複雑に派生しルートファインディングが難しい。此の山域には赤テープは殆どない。林道が交差し反対側の稜線に取付くと分岐箇所を通り過ぎてしまい引き返す羽目に陥った。朝江町と北宇津町を結ぶ古い峠が交差した。小ピークを越えるとすぐに車道が横切り、反対側のP468への取付きを探すと切通しでコンクリートの擁護壁を無理やり這い上った。上空を送電線が走り、何処からともなく巡視路が現れP468西麓の送電鉄塔に到った。二つの黒尾山(556m)、黒尾山(569m)、振り返ると白岩山が望めた。巡視路は山麓をそのまま進んでいるので藪を漕いでP468へと這い上った。存在感のある山で密かに期待していた山名はなく、何の表示も無く一寸残念だった。北側へは比較的明瞭な道があり2本目の送電鉄塔に到った。此処からは電線に邪魔されることもなく白岩山を望むことができた。
標高400m程の鞍部から登り返して3本目の送電鉄塔に到った。切り開かれ北から東にかけての展望が得られたが、この角度から見る山は全く分からない。小さなピークが幾つも連なり必ずピークまで登り次に進んだ。530m程のピークで京都市と南丹市の境界尾根に達し、90°方向を変えて一つ目の黒尾山に到った。ややこしいので3等三角点名の「宇野」を冠して宇野黒尾山(556m)と呼ぶことにする。山頂標識は無く、山崎独歩会の三角点プレートだけが掲げられていた。
西に進むと宇野黒尾山と同じ位の高さのピークが横たわり、付け根から南に派生する尾根を下るがそれらしい尾根が見つからない、此のピークの最高点まで行って引き返すが樹林でよく分からなかった。GPSを頼りに下降点を定め下りだすと先の方で尾根らしくなった。標高400m近くまで下るとまた名も無い峠が越えていた。峠の南で400m程のピークからはまた難関で稜線の東の方を源頭とする谷の対岸となる尾根に取付くがやはり下り口を見つけるのに苦労した。谷の源頭部付近で展望が開け白岩山や宇野黒尾山を望むことができた。
小ピークを2つ越えると持越峠で府道364号線の舗装道路が越えていた。複雑な稜線をS字に進み二つ目の黒尾山(569m)に到った。小さなプレートが掲げられていたが展望は利かない。山頂直前箇所から白岩山を展望できるところがあった。小ピークを幾つも過ぎ最後はP490、下り切ると人尾峠(418m)で安倍貞任の腰と胴体を埋めたとされる峠だが何もなく荒れた古道が越えているだけだった。人尾峠からの登り返しは厳しくP520まで急登が続いた。
西に進路を変え、嶽山(558m)を目指した。帰りは鞍部辺りから下山するがまたもやそれらしい尾根は見つからない。嶽山の登りに転じて暫く行くと林道が現れ山頂に近づくにつれしっかりした林道が現れ山頂まで達していた。嶽山(558m)の広い山頂には2等三角点「中世木村」がポツンとあるだけで山名を記したものはなかった。帰りは並行する林道を歩き下り口を探すが普通の稜線が続き、地形図の点線道はなくGPSで下り口を定めて急斜面を下った。途中で林道が交差しジグザグに下って行くので楽な林道を歩いた。この林道は山頂に達していた林道のようだ。
尾根が収束し谷筋となると倒木や放置された間伐材が散乱し歩き難い。何かの基地だったのか広い河原となりゲートを越えるとコスモパークへの取付道路に達した。看板も無く分からないまま入って行ったが此処はダートトライアルのコースで今日は何も行われていなかったが大会でもあれば通ることはできないところだった。南東の端で貞任古道の道路に出て貞任峠へと戻って来た。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する