早月尾根2900mまで
- GPS
- 76:36
- 距離
- 27.8km
- 登り
- 2,834m
- 下り
- 2,730m
コースタイム
- 山行
- 9:44
- 休憩
- 0:34
- 合計
- 10:18
- 山行
- 3:54
- 休憩
- 2:03
- 合計
- 5:57
- 山行
- 16:11
- 休憩
- 1:49
- 合計
- 18:00
- 山行
- 3:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:30
天候 | 年末のヤバい寒波が接近していた |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
タクシー 自家用車
タクシーが入れるのは伊折集落まで |
コース状況/ 危険箇所等 |
冬の剱岳に入山するには富山県の認可が必要です 今年の年末に頂上に立ったのは1パーティだけのようです |
写真
装備
個人装備 |
長袖インナー
ソフトシェル
ハードシェル
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
アウター手袋
予備手袋
防寒着
ゲイター
バラクラバ
着替え
靴
予備靴ひも
ザック
アイゼン
ピッケル
ビーコン
スコップ
ゾンデ
行動食
非常食
調理用食材
飲料
水筒(保温性)
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
食器
調理器具
ライター
地図(地形図)
コンパス
計画書
ヘッドランプ
予備電池
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
ロールペーパー
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ナイフ
カメラ
ポール
テントマット
シェラフ
ハーネス
ヘルメット
確保機
カラビナ
スリング
ロープスリング
セルフビレイランヤード
アッセンダー
プーリー
タイブロック
アイスアックス
|
---|---|
共同装備 |
テント
ロープ
アイススクリュー
スノーバー
|
感想
12/29早朝、剱岳本峰にアタックをかけたが標高2900m付近で時刻は9時30分。予め設定しておいたタイムリミットは10時に頂上着。
今いる所から頂上に行くにはこのままナイフリッジを進み、1回の懸垂下降を経て最後のルンゼを登らねばならない。先行しているのは2パーティ、懸垂下降の準備をしている。
30分で頂上到達は不可能だが本峰は目と鼻の先、ここまで来て…という思いの方が強い。しかし相方は冷静だった。
「時間は守ろうや、降りよう」
10時という早いタイムリミットを設けたのはすぐそこまで来ている数年に一度クラスの寒波を危惧してのこと。稜線は晴れてはいるがすでに荒れる兆候が出始めている。
今日中に幕営地を大きく下げないと閉じ込められるリスクが高い。
相方に促されるように下山を始めたが、ここから長い1日が始まった。
下山中、風はみるみる間に強まり登ってきたトレースは既に消え始めている。
時折耐風姿勢を取りながらP2614に到着、ここでもトレースが消えており、下降点を探そうと2、3歩池ノ谷側に寄った際、突然足元が崩壊し体が空中に投げ出された。
嗚呼、やっちまった、コイツ雪庇だったか、畜生
15mほどの墜落を経てほぼ同時に視界が真っ暗になり、凄まじい力でもって流され始めた。
無慈悲で無機質な、どうする事もできない強大な流れ。身体がミシミシと唸りを上げ、今にも手足が吹き飛びそうだ。
どうにかしてもがこうとしたが、身体がガチガチに圧縮され指の1本も動かせない。
冬の剱で雪庇を踏み抜き、雪崩に飲み込まれて池ノ谷へ向かって落ちているという事実。
俺の人生、あっけなかったな。
走馬灯のようなものを見ながら為すすべなく落ちていたが、程なくすると流れが緩やかになり、最後には上に浮力が働き、頭が雪面から出た状態で雪崩が止まった。
相方は?!すぐに体を起こしてその姿を探すと、5m前で同じような姿勢で呆然としている。
相互に生存確認をした後、現状を把握し、稜線まで登り返す事にした。
・流されたのは150〜200m程
・標高差は120m
・身体は動くが肋骨が強烈に痛む
・ピッケル、バイルはリーシュの先に繋がっている
肋骨の痛みは強烈だが、稜線まで登り返さないと命は無い。息も絶え絶えにひたすらラッセル、我慢の時間が続く。稜線直下では雪崩を目撃したパーティがロープを出してくれた。感謝しても感謝しきれない。
稜線に出て安堵したのも束の間、早月小屋までの稜線区間も痛みと暴風により苦行そのもの。
そうこうしてようやく辿り着いたテントだったが、こちらはこちらで暴風によりテントポールが折れ、倒壊寸前の模様。
ここで互いに覚悟を決め、手持ちのロキソニンを1シート飲み干し、鎮痛剤の効果がある今日のうちに一気に馬場島まで下りることにする。
荷物をザックに大急ぎで詰め込み下山を開始するが、さすがに冬の早月、遅遅として進まず。疲労と痛み、空腹に耐えながら馬場島に降りたったのは夜10時半、色々ありすぎた今日1日の行動時間は18時間。さすがにシンドイぜ。
だが生きて降りてこれた。相方と祝杯を上げたい気分だったが、酒を持ってないのでごま油ラーメンをすすった。寝てると雨が降ってきたがそんな事はもうどうでも良く、顔に降りかかる水の冷たさにすら生きている実感を見い出していた。
■最後に
馬場島で下山報告をした際に事の顛末を話したが、生きて自力で降りてきた事が信じられないと言われた。
俺も真っ暗闇の雪崩の中で100%死を覚悟したし、今暖房のきいた部屋の中で肋骨を押さえながらこの文章を打っている自分がなんだか妙だ。だが奇跡的にも助かった。拾った命の意味を考え、相方、ロープを出して下さったパーティ、グラン○ースのオーナーを始めとした全ての方々に感謝したい。
shun-taroさん、本当にお疲れ様。
思わず息をのんで最後の報告文を読みました。馬場島の詰め所の方が驚かれるのも最もでしょう。即救助要請のケースだったのかもしれません。
予め10時までに登頂できなければ撤退という的確な決めごとあったからこそ雪崩に遭いながらも下山できたのだと思います。下山を決めた相方の判断も素晴らしい。山は逃げないと言うが確実に逃げます。登れるのは今この時しかないからです。まして冬の剣。よくぞ撤退の判断をなすった。
30年以上も前同じルートから頂上を目指し運良く登頂。登頂後はどか雪が恐くて馬場島に逃げ帰ったのを思い出しました。
またの投稿を楽しみにしています。
usuronoさん、コメントありがとうございます。
山頂を目前に引き返すのは心に来るものがありました。冬の剱は相方含めお互い未知、ひとつの憧れでもあり、そこに向けてずっと鍛錬していましたから。
正直、相方の申し出がなければ強引に突っ込んでたと思います。突っ込んでたら登頂は出来たかもしれませんが、その後雪崩にあえば今頃あの世でしょう。改めて、冬山の引き際の難しさを痛感しております。
今回はたまたま、運が良かっただけだと思っています。何かが少し違っていれば死んでいたかもしれない。冬山は本来そういう場所であるという事を再認識して、これからも愚直に挑んでいきたいですね。
大先輩の30年前の思い出、苦労や達成感が目に浮かびます。良き思い出を大事になさって下さい。
それではまた。
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