中ア・木曽駒高原スキー場から木曽駒ヶ岳往復
- GPS
- 32:00
- 距離
- 12.4km
- 登り
- 1,639m
- 下り
- 1,633m
コースタイム
- 山行
- 3:02
- 休憩
- 0:20
- 合計
- 3:22
- 山行
- 4:35
- 休憩
- 1:00
- 合計
- 5:35
天候 | 晴れ |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
日よけ帽子
着替え
靴
ザック
ザックカバー
サブザック
昼ご飯
行動食
非常食
調理用食材
調味料
飲料
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
食器
調理器具
ライター
地図(地形図)
コンパス
計画書
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ファーストエイドキット
日焼け止め
ロールペーパー
時計
タオル
カメラ
ポール
テント
テントマット
シェラフ
ラジオ
天気図用紙
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感想
8月19日、家に私の苦手な伯母連中が押し掛けてくるのが予め分かっていたので、伯母たちを避ける意味合いで、8月19日・20日の両日、1泊2日の日程でカル〜く登って来れる山へ出掛けよう!...っとことで白羽の矢が立ったのが中央アルプスの木曽駒ヶ岳だった。世の中が東西ドイツ統一で湧いていた1990年10月3日に登りに来たことがあって(https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-4019037.html)、ある程度勝手知った山だし(笑)。
ということで、8月19日朝6時にクルマで富山を出発。国道41号線→高山→国道361号線→木曽福島...のルートを取って、12時を廻ったころにシーズン中なら大いににぎわってるであろう木曽駒高原スキー場に到着。12時出発でも、午後6時、遅くても午後7時には頂上小屋のキャンプ指定地に着くハズだし、自信もあった。クルマを『第7駐車場』に駐め、荷物を背負って歩き始めるとすぐに『七合目避難小屋焼失』を知らせる看板が立っていた。ゲッ!!! ま、私はテント一式背負ってるから小屋が在ろうが無かろうがどーでもいいんだけど(苦笑)。天気は曇。時たま雲の切れ間から陽が差す程度。駐車場からの歩き始め...スキー場のゲレンデ斜面とその先の林道...ここらへんの歩きがキツい。ま、カラダがまだエンジンかかってないせいだからだろうけど。林道を行くとやがて沢沿いの砂防工事現場に着く。午後1時を廻ってる。大勢の土木作業員が働いていて重機も動いてる。ここが幸ノ川徒渉点で、石伝いに対岸に渉る。といっても水量少ないのでたいしたこと無い。ここで水筒に水汲んでると、作業員のひとりに「頂上まで何時間かかるの?」って尋ねられた。そこで私が「5時間」って答えたら「エッ! 5時間!!!」ってビビってた。幸ノ川徒渉点からいよいよ登山道。ジグザグに切られた急坂を登りつめると尾根上に出て、そこから尾根伝いに少し歩くと四合目。四合目の先で一旦休憩。尾根に出てからは適度な傾斜の歩きよい道が続く。下から響いていた幸ノ川の沢音も重機の音も次第に聞こえなくなっていく。ベンチがあったりする力水の水場(四.五合目)で水を補給し、さらに登っていくと、四合目から1時間ほどで五合目に着いた。ここでバナナ食べたりして休憩。四合目から五合目までは1時間だったけど、五合目から30分足らずで六合目が現れる。六合目からなおも歩くと『見晴台』なる小ピーク(地形図上の・2386 m)に着く。ここから一旦下って、登り返すと鉄骨ムキ出しの建物が見えてきた。やがてその鉄骨ムキ出しの建物に着く。焼失した七合目避難小屋の跡だ。建物が燃えた後の鉄骨と土台のみが残っている。勿論、屋根も無く、小屋として使用に耐えない。別棟のトイレだけが焼失を免れてるが、トイレだけ残っててもなあ...。「せっかくの小屋、燃やしやがって!!!」っていう地元の民の登山者に対する怒りを感じた私。燃えた後の鉄骨をそのまんまにして『さらしもの』にしてるのは小屋を大切にしなかった登山者に対する怒りの意思表示...かな?と。この七合目避難小屋のところで休憩してると、下山中の登山者(たぶん、夫婦)がやって来た。この日初めて見た登山者だ。七合目避難小屋は『木曽福島(A)コース』と『木曽福島(B)コース』のコース合流点でもあるが、彼らは私が登って来た『木曽福島(B)コース』ではなく、駒ノ湯に降りる『木曽福島(A)コース』のほうに下っていった。麦草岳から七合目避難小屋へ直接下ってくる地形図に記載のない登山道が新しく整備されたようで、そのような指標があった。
休憩してからさらに頂上を目指すべく歩き出す。が、「待てよ、あの七合目避難小屋の前の広場にテント張るスペースがあるゾ」と突如、閃いた私。元の七合目避難小屋に戻り、テントを張った。この日の行動はここでおしまい。午後4時前。ちょうどよい頃合だ。私がテント張ってから、誰も登ってこなかったし、誰も降りてもこなかった。テントのなかでちょっと横になってたらそのまま、うたた寝。目覚めたら6時で、慌てて夕食の準備。7時廻って薄暗くなったころに夕食を食べ終わり、すぐに就寝。
最近の私、山に来るとよく眠れる...。3時に起床で、4時台には出発したかったのに、目覚めたら4時台だもんな...。慌てて朝食を摂って、テントそのまんまにして出発。5:47。前の日と違い、雲もとれ、朝の陽射しを浴びて歩き始める。頂上までそんなにないので、最低限必要なものをウエスト・バッグに入れて、荷物全部テントに残しての行動。ところがこの木曽駒『木曽福島コース』登山道、七合目から極端に傾斜が緩くなり、行けども行けども頂上はまだ...といった感じ。あまり歩くひとがいないせいか、登山道を草が覆いかぶさっていて、朝露で下半身が濡れる。巨岩がゴロゴロしてる山姥(七.五合目)を過ぎ、水が流れる音が聞こえる八合目を過ぎる。ここらあたりはホントは少し登り坂なんだろうけど、実際歩いてる感覚からしたらフラットに近い。やがて、玉ノ窪小屋が見渡せるところに出る。ここから玉ノ窪小屋までようやく急な登り。途中、下山中の高年登山者と遭う。「もしかして、今朝登ってこられたんですか?」と訊かれた。夜が明け切らないうちにランプの明かりを頼りに木曽駒高原スキー場から登って来たものと思われたらしい。「七合目で泊まったんですよ」、「そう言ったって、小屋は燃えてしまって、無いでしょ?」、「テント張ってるんです...」...で、ようやく納得してもらえた(笑)。七合目から1時間余で玉ノ窪小屋(九合目)に着いた。ここで休憩。木曽駒の頂上はもう目と鼻の先だ。玉ノ窪小屋の前を通り、宗教的モニュメントのそばを過ぎ、頂上木曽小屋の脇を通るとアッケなく木曽駒ヶ岳の頂上に着いた。7:28着。
木曽駒の頂上は多くの登山者が居た。今や私のように麓から木曽駒登るひとは珍しい存在。殆どのひとが駒ヶ岳ロープウェイを利用して、1時間の歩きでここまでやってくる御時世である。高尾山に登るのと同じ感覚で来てる東京者とか中高年登山者が頂上を占拠。頂上からは御嶽山や乗鞍岳、南アルプスなどがよく見えた。20分ばかり頂上に居て、下りにかかる。頂上からもと着た道に入った途端、登山者は私だけになった(笑)。頂上木曽小屋の脇を通ると、山小屋従業員が空き缶つぶしをやっていた。玉ノ窪小屋から坂を下り切ると、長い長い『水平道』に入る。八合目と山姥を過ぎ、テント張りっ放しの七合目避難小屋跡に到着。テントを撤収し、なおも来た道を戻る。七合目から1時間で力水。登りの時と違ってゆっくりここで休憩。力水からなおも下ると20分余で幸ノ川徒渉点に到着。日曜日だから作業員の姿も無ければ、重機も動いてない。ここから林道とスキー場ゲレンデを歩いて、クルマのところに戻った。ああ、ラクな登山だった。木曽駒高原スキー場を朝5時くらいに出発してれば日帰りできたね(笑)。余裕、余裕〜。
木曽駒高原スキー場からの帰りは、行きとコースを変え、国道19号線で薮原へ出て、薮原から奈川渡ダムへ。奈川渡ダムからは国道158号線で安房峠越えて、平湯から国道471号線で神岡、そして国道41号線で富山に戻った。
(当時の『Running Up That Hill』の記事をほぼ原文のまま編集)
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