熊川城跡から駒ヶ岳は遠かった☆若狭熊川トレイルを行く
- GPS
- 06:55
- 距離
- 13.6km
- 登り
- 1,045m
- 下り
- 915m
コースタイム
- 山行
- 6:16
- 休憩
- 0:42
- 合計
- 6:58
・熊川トレイルは熊川城跡〜お花見広場〜渓流広場〜駒ヶ岳のルートが予定されている。
・現在は熊川宿〜熊川城跡までと渓流広場(白石神社跡)〜駒ヶ岳までが整備済み。お花見広場〜熊川城跡は整備中。
・熊川城跡からジャンクションピーク〜駒ヶ岳(又は千石山)は不確定だが構想はある模様。
天候 | 薄曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
自転車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
■熊川宿〜熊川城跡はよく整備されている。以降は未整備で最低鞍部まで自然林が美しい尾根だがアップダウンを繰り返す。支尾根に注意が必要でGPS必携。ところどころマーキングあり。 ■最低鞍部Ca350mからP528間は今回の核心部となる。植林との混合林で道は消失している。以後ジャンクションピークまでは自然林の尾根で踏み跡あり。 ■千石山からの稜線は歩きやすい明瞭な踏み跡がある。苔むした尾根とブナやミズナラ、カエデ等の自然林が素晴らしく特筆に値する。 ■駒ヶ岳から旧明神神社登山口までは整備された登山道。最初はブナの巨樹林、下部も美しい自然林が下山口まで続く。 |
写真
感想
今春、ふとした思いつきで河内川ダムの展望所を訪れた。展望所の背後の尾根に道が整備されていたので点標熊川まで散策をしたことがある。コナラとカエデの気持ちのよい尾根道だった。後日、新聞で若狭町が河内川ダム周りで熊川トレイルなるものを整備中であることを知って納得した。そういえば千石山から駒ヶ岳までの稜線を歩いた際に、熊川城跡を示す寂れた道標があったことを思い出す。flatwellさんも昔に歩いたことがあると聞いている。
熊川宿の駐車場に着いたのがAM9だった。朝の体調がよくなくて遅い出発になってしまった。熊川宿の紅ガラ塗りの町屋を見学しながら黄土色のアスファルト路を南へ歩く。早朝のためかコロナの影響か観光客は疎らだった。
熊川宿資料館の裏手に入るとだだっ広い空き地がある。駐車場としても使えそうだ。奥には階段道が見える。木と鉄の角材で作られたシックな獣害避けの扉を開けるのにひと苦労する。引いても30cmしか開かないのだ。何のことは無い、押せばよかったのだ。誰も見ていなくてよかった。
擬木階段を上がって行くと20分ほどで熊川城主郭跡に着いた。小広い敷地には中世の細川家に関係が深い沼田氏が築城したらしい。途中、3人の観光客とすれ違う。ここから先もテープが付けられている。尾根は下生えもなく薄い踏み跡がある。昔何か栽培されていたのだろうか、尾根は段々畑のようになっているところがある。
概ね自然林だが綿毛を付けた植物が目立つ。衣服にくっつく。調べたらダンドボロギクと言うらしい。外来種で貧相な花形をしていて嫌われ者。繁殖力も強いらしい。ブタクサやセイタカアワダチソウと同様で困ったものだ。
やがて点標熊川に辿り着く。ここからはアップダウンを幾度となく繰り返しピークの度に方向を転じなければならない。救いは自然林の尾根歩きということだ。そろそろ最低鞍部だろうと下りかけると何やら作業をしておられる二人組に遭遇する。擬木階段を設置されているところだった。ご挨拶すると驚かれていた。ここはお花見広場から続く尾根なので整備事業の一環なのだろう。
鞍部からは登り返しが始まる。以後は杉の植林帯に突入する。新しい林道を交差して尾根を辿るが古道が消失してイワヒメワラビが繁茂している。隠れた倒木に脛を引っかけ転倒するが幸い擦り傷で済んだ。
急登を登り切って緩やかになると自然林に変わって行く。ブナが混じり始めて癒される。更にもうひと上りすると駒ヶ岳北尾根に接続するピークに乗り上げた。ここからは東側が所々開けているので三重嶽や隣の三十三間山がよく見える。時間は13時近いが千石山へのエスケープは止めて駒ヶ岳を目指すことにした。もうこの稜線歩きは3回目なので先が読めるというもの。
ここからはアップダウンの少ない綺麗な自然林の尾根歩きとなる。すると前方に人が見える。5人パーティで千石山に行かれるようだ。自然と口が滑り短い会話でもホッとする。ミズナラやカエデ、ブナの中を歩いて行く幸福感は堪らないものがある。時々見える東側の三重嶽などの展望を楽しむ余裕も出てきた。
駒ヶ岳山頂に着くと最早誰もいるはずもない。予定限界の14時なので手早く遅いランチを済ます。空は薄曇りから徐々に雲が厚くなってきた。森林公園跡へ下山を始める。ブナの巨樹に癒されながら慣れた道を森林公園まで下る。ここからは初めてのルートなのだが最後まで自然林が続き、テンションが下がることなく白石神社跡に下り立つことが出来たのだった。
コメント
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ところで、明神池が抹殺されて明神湖ができたのは偶然だろうか。
熊川城跡まではプラ偽木階段で整備され観光客向けの道になっていました。
ダム湖の命名は公募と協議会があったのでしょうから、発案者が明神池の看板を引っこ抜いたとか‥根拠のない邪推の域を出ませんが
旧養鱒場から先の谷は明神谷と呼ばれているので、その山上にある池は明神池がマッチします。しかし高島トレイルが知られるようになって、誰かが若狭側のことなんか構わずに駒ヶ池が相応しいと考えたのではないかな。6年前は明神池の立て看板が有ったのを覚えています。
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