涸沢ヒュッテ
- GPS
- 11:19
- 距離
- 32.3km
- 登り
- 1,011m
- 下り
- 1,002m
コースタイム
- 山行
- 5:34
- 休憩
- 1:07
- 合計
- 6:41
天候 | 晴れのち夕方は曇り。夜は霧雨。明け方から快晴。 |
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過去天気図(気象庁) | 2021年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
これから暫く群発地震が落ち着くまでは、この地域の登山は勧めない。特に、涸沢カールでのテント泊は、涸沢ヒュッテや涸沢小屋に比べてカールの底にあり、落石が全部集まるところにあると思う。 涸沢カールから先は、もっと勧めない。ガレ場でドシンときて上から落石があったら、よくて怪我、下手をしたら命がない。 本谷橋からの道は岩が丸く濡れていて落ち葉もあり、一歩一歩グリップを確認しながら上り下りした方が良い。 ソーダラップのガレ場はできるだけ短時間で通り過ぎるべき。特に群発地震が起きている今の時期は、ガレ場で立ち止まって話をするのは危険すぎる。 |
その他周辺情報 | 上高地温泉ホテルの日帰り入浴800円。 |
写真
装備
個人装備 |
マスク
長袖シャツ
ズボン
靴下
グローブ(軍手)
防寒着
雨具(カッパ・帰りの傘)
靴
ザック
行動食
非常食
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
筆記用具
ガイド地図(ブック)
ファーストエイドキット
保険証
携帯
サングラス
タオル
トレッキングポール
カメラ
携帯バッテリー
サブバッグ
水1.5L
着替え
老眼鏡
近視眼鏡
登山靴を入れる袋
下山後に履き替える靴
アミノバイタル
心拍数計
カメラ胸部固定具
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感想
さて、今回は涸沢ヒュッテから穂高岳山荘へ登り、涸沢岳や奥穂高岳に登る計画。
バスタ新宿からは初めて。待合は大勢のバス待ち客。ファミマがあって、ビールも売ってるけれど、待合は飲酒禁止。今の時期、いくらでも外に出て呑んでしまえるけれども。
飛行場にある、これから飛び立つフライトボードのようなのが掲げてあった。これから出発するバスの出発時刻と行先・出発場番号。次々と上に消えては下から次のが現れる。時間を持て余してぼやっとしているうちに、下から自分が乗るバスの1時間後のが現れて慌てる。急がないと。
通路から少し離れて人々が後ろにもたれ掛かり、お互いの順番を把握しているように見えた。
と、そこへバスが来た。係員が、ここへ並べ、ここが先頭だと隣で叫ぶ。乗りますと手を上げたら、1番だった。
3列シートのグリーンカー。座席にコンセントもついてる。
バスは順調に進み、サービスエリアで休憩。もう一つのサービスエリア休憩の前に、どこかでバスが止まり、客を降ろすでもなく、動かない。運転手交代があると言っていたのはこれか?時間を持て余してどこかで待機してるのか?けれど、これは正直ありがたかった。止まっていればバスは揺れない。仮眠しやすい。
もう1回の休憩でもトイレに立ち。気がつくともう上高地が近い。
終点の上高地バスターミナルで下車。程なく、何やらオレンジ色のベストを着た女性が叫んでいる。何でも地震があったとかで、登山道は、全部が安全なことを確認できたわけではない、と。落石の危険があり、リスクを理解して入山するように、と。身の安全を第一に考えろ、と。
地震の話以外は、登山をする者は皆その考えで来ているんだし、皆その場で取りやめる様子もなく消えていく。
下山後の風呂後の着替えを預かってもらうべく荷物の預かり所へ。6時からだとホームページには載っていたが、5:45には開けていた。窓口のおじさんに聞くと、何やら飛騨の方で震度4、ここらは3だったという。
オレンジベストの女性だか、このおじさんだかから、18日って聞いたようか気がする。18日というと台風が来た日。3日目だと小さい余震はあるかもしれないが、さほどでもあるまい、とたかを括ってしまった。
河童橋・明神まではすぐだった。そこから徳澤までが長いし、さらに横尾までも掛かる。徳澤手前で、丸々と太った猿を何匹も見かけた。人間を怖がらないところから、さては、残飯を漁っているか?
横尾で、涸沢から降りてきた人の話を聞く。涸沢までは行けるだろうが、その先は山小屋で聞いた方が良いと。涸沢でテントを張っていた人は、夜中に小石がパラパラと降ってきて驚いたとか。
とりあえず涸沢まで行ってみることにする。
本谷橋から先は、結構な急登が続く。通りすがりのご夫婦に尋ねると、ザイテングラートは通れたとのこと。同じく涸沢までは行けるだろうがその先は気をつけてと。
ソーダラップのガレ場で立ち止まって話をしている人たちがいた。何を考えてわざわざ危険なところで立ち止まるのかよくわからない。
今日は何だかヘリコプターの音がよく聞こえる。何度も飛んでいるような、別のヘリが飛んでいるのか。時々物資を運ぶヘリコプターはありがたく見送れる。何度も飛んでいるのは救助に向かっているからか。気味が悪い。
涸沢ヒュッテが見えてきた。景色もほんのり紅葉を始めている。
お昼にカレーを食べたところで、小さな揺れがあり、前穂高の斜面からバラバラと落石が沢筋に沿って落ちてきた。
午後穂高岳山荘の辺りでもパラパラという音を聞いた。
山小屋の受付に話を聞くと、夕べ少し大きな揺れがあったという。この先は勧めないと言う。近くに県警だか山岳警備隊だかの詰所があるらしい。登山道の現状は、そこへ行けば詳しく教えてくれるかも知れないと。だが、そこでも同じことを言うのではないかと。禁止ではないらしい。行くなら自分でリスクを負って、ということ。
穂高岳山荘へのパノラマコースを少し散歩しかけて引き返した。特に落石がありそうな箇所ではないけれど。
涸沢ヒュッテの売店に戻って黒霧島を求めた。もう今日は動かず呑むしかない。
空きのテーブルを探していると、1人客が1人だからと誘ってくれた。色々登山話をした挙げ句、テントに小石の聞いた話をすると、その人はテント泊だと言う。ちと申し訳ないことをした。
電波が繋がったところで徳澤園に電話をかけ、明日の予約をした。そのすぐ後に、穂高岳山荘の予約をウェブでキャンセルした。
相部屋の人も、LINEで奥さんと繋がった後、止めることを決めたようだった。ヘリコプターの音がずっと鳴り響くのは不気味な感じがすると言っていた。もう1人の相部屋同居の若者は、我々の意見に同調したようだった。だが、真意まではわからない。
晩御飯を食べ、すぐに眠った。夜中に目が覚めて起きていると、22:00ごろに震度2くらいの揺れがあった。
23:59に震度1強。5時過ぎに2回小さい揺れ。
夜は霧雨だった。
夜が明けると、空は快晴。朝焼けが期待できる。早々に朝ごはんをかっこんでテラスへ。このモルゲンロートは、あっという間に終わり、儚く、日本人の胸に、心に響く。
相部屋の熊本県人は、昨夜はぼくに同調していたのだけれど、今朝になって、モルゲンロートを眺めていた時に隣にいた人の影響を受けたらしく、ちょっと行ってみると言う。どうぞご自由に、としか言えない。多くが上へ行くだろう。で、ほとんどの人は無事に下山するだろう。けれども、普段と違って、ドンときたら、その時ガレ場にいたらお終い。岩に取り付こうとした時だってお終い。気をつけようがない。
「それは勇気なんかじゃない」って、ベテランの登山家が言っていたのを思い出した。山岳救助隊で呼ばれたら行くっていうその人の言葉を思い出した。山はまた来ればいい。
今日はゆっくりできるから、出かけもゆっくりしていたら、同じように下山を決めたカップルが玄関にいた。ぼくも上へは行かないことにして、下山することにしたんです、って言ったら、同じ考えの人がいて嬉しいというようなことを言ってくれた。
横尾までゆっくりと降り、電波が届くところにきた。明日のバス便を今日に変えられないか試してみた。わずかの出費で変更可能だった。
昨夜、明日の宿はどうしよう、と不安になって、涸沢ヒュッテから辛うじて届いた電話で相部屋予約をした徳澤園に、断りの電話を入れる。本当だったら、キャンセル料を取るのだけれど、今回は良いと、電話口の女性が言ってくれた。今度来た時は、徳澤園をベースにしよう。
上高地バスターミナルまで、急ぐ旅ではないけれど、早歩きで戻ったらどのくらいで行けるか試してみた。2時間と30分くらい。山と高原地図で3時間10分だから、ちょっと早めに歩けたか。
バスターミナルで預けた温泉後の着替えを引き取り、手荷物預かり所のおじさんとひとしきり地震談義。何でも、去年の4月に相当大きな群発地震があったのだとか。その時はコロナ自粛でもあり、誰も人が入っていなかったから、遭難者もいなかったらしい。今回は、人がいっぱい入っているから心配だ、と。
上高地温泉ホテルで日帰り温泉に浸かる。西糸屋山荘で地ビール。上高地食堂で奈川の天ざるそば。上高地は長閑で快晴で、気持ちがいい。また来よう。
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