◆高川山聖犬伝説〜ビビビのビッキー・や・す・ら・か・に!!
- GPS
- 04:58
- 距離
- 12.7km
- 登り
- 825m
- 下り
- 719m
コースタイム
- 山行
- 4:57
- 休憩
- 0:09
- 合計
- 5:06
08:34 JR中央線・大月駅
08:59 高川山・むすび山登山口
09:06 むすび山
09:46 峯山
10:55 高川山
12:04 男坂・女坂分岐
12:11 沢コース分岐(玉子石のほう)
12:38 林道高川山線終点(駐車スペース)
12:55 自徳寺・ビッキーのお墓
13:05 JR中央線・初狩駅
13:14 JR中央線・大月駅
13:27 市営岩殿山駐車場
天候 | 超・超・快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
JR中央本線・初狩駅から大月駅まで所要6分。¥190。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
◆登山口・駐車場・ポスト ▼市営岩殿山駐車場 無料、24時間出入可能、10台程度、舗装、区分け有、トイレは見える範囲にはなし。 市街地に近くゴミやタバコのカスが散乱していたので車中泊不適。 ポストは見当たらず。 ▼玉子石登山口駐車スペース 無料、24時間出入可能、見た目3台程度。頑張っても5台。簡易トイレ2基設置。 林道高川山線の終点付近。 ◆トイレ ▼JR中央本線・大月駅前公衆トイレ 無料、水洗、水道有、駅前のトイレですので、まあキレイです。 ▼玉子石登山口 簡易トイレ2基。未利用のため詳細不明 ※他に岩殿山丸山公園と岩殿山ふれあいの館内にもあるらしいが詳細不明 ◆コース概況・危険箇所等 ▼市営岩殿山駐車場〜大月駅〜むすび山・高川山登山口 駐車場からは、大月駅方向へ橋を渡って、その先の交差点を右折。 東電の手前の路地を左折。道なりに進むと高月踏切を渡る。ほどなく大月駅。 駅からは、適当に歩いて国道139号に出て、右折。 橋を渡った先にある信号を左折。大月市立中央病院を右手に見送ると、 給食センターみたいな会社があり、その先に案内があり、右折。 道なりに進むと突き当りが民家になっているが、その民家の手前に登山道入口。 ▼むすび山・高川山登山口〜むすび山 ちょっと登ると直ぐにむすび山。積雪、凍結なし。 ▼むすび山〜峯山〜高川山 冬枯れの快適な尾根のアップダウンが続く。何か所か分岐あるも基本的に直進。 傾斜の急な箇所にロープがかかっている箇所があったが、この日は特に掴まず。 山頂が近くなると北面日陰は、踏み固められた凍結路面。 雪解けドログチャ、スリッピー箇所はそんなにでもなかった。 ▼高川山〜女坂・男坂分岐 北面になるので、踏み固められた凍結登山道。軽アイゼン装着。傾斜はそんなでもない。 ▼女坂・男坂分岐〜沢コース〜玉子石登山口 女坂は傾斜緩やかな陽だまりコース。沢コースは日陰で寒々しい。 沢コースは降雪直後は、分かりづらくなりそうな雰囲気あり。 途中から荒れた林道になる。玉子石は、この林道の途中にあったけど、 何の案内もないので、通り過ぎてしまった。戻って写真撮影。 ▼玉子石登山口〜自徳寺〜初狩駅 未舗装の林道をたどる。いつしか舗装路になり、いくつか分岐があるけど、直進。 大きな鉄塔を過ぎるとビッキーのお墓のある自徳寺の脇へ。 ビッキーのお墓は特徴的な大銀杏の根元にありますので、すぐ分かります。 自徳寺からは、案内に従って進めば初狩駅。 ちなみに、初狩駅からですと、1時間ほどで高川山の山頂に立てるようです。 ※移動距離は電車で移動した距離も含んでいますので、実際には12kmくらい。 ◆温泉(参考) ▼真木温泉 日帰り入浴のみは不可となった(現地にて確認) http://www.magionsen.com/ ▼橋倉鉱泉 平成24年3月末日にて休館 http://www.hashikura.com/ ◆バッチ 特に探しませんでした。ビッキーのピンバッチがあったら、高くても買います。 |
写真
感想
高川山に聖犬がいるというのは、何かに拍子に知っていた。
いつしか行こうと思っていながら、行くこともなく月日が流れた。
ある方の高川山のレコにビッキーの動画が公開されていた。
その動画を見てからというもの、高川山に興味がフツフツと湧き出して。
そのようなわけで、今年最後になるかもしれない山を高川山にしました。
高川山の山頂に住み着いた聖犬ビッキー。
何歳なのか、本当の名も不明。ビッキーという名も誰がつけたのか不明。
雌ということと10年くらい前から山頂に住み着いたこと、
首輪をしていたので元は飼い犬だったことくらいしかわからない。
しかしながら、ビッキーはもうそこにはいなかった。
2010年10月6日に、山頂から少しくだった岩の上で、眠るようにして旅立っていかれたとか。
そんなことは分かってはいたけれども。
高川山よりも比較にならないくらい有名な山や険しい山、標高の高い山を、
いくつも登ってきたけれども、その中で記憶に残る山はどれくらいあっただろうかとふと考える。
かつて群馬県の鼻曲山で、見ず知らずのお犬様にご案内されて一緒に山頂を目指した記憶がある。
その時のことは、今でも強烈に印象に残っていて、たまに自分の作った鼻曲山のレコを見返したりしている。
果たして、そういう山は数えるほどしかないかな。
人里が眼下には見下ろせるとはいえ、夜ともなれば登山者もいなくなり静まり返って寂しくもなるだろうに。
熱射の真夏も凍てつく真冬も365日、山頂で生きる。
雨の日は全身の毛を濡らして木の下で雨が止むのを待ったのだろうか。
風の日はその身をどこに潜めていたのだろうか。
雪の日は岩陰でふるえていたのだろうか。
もはや、生きることそのものが修行以外の何物でもない。
ニンゲンとて、そう簡単には出来ることではない。やろうとすれば、相応の代償と犠牲が必要になる。
それを犬の身でありながら、誰に強制されるわけでもなく自分の意志で実践し、生きながら神に近づいた。
下山しようと思えば、いつでも下りられたはず。何故、それをしなかったのか。
この聖犬にとって、山頂での生活は生きることそのもの。
ここにいれば、登山者から食べ物を貰えるので、不自由がないということか。
利己的な鉄の猪に命を脅かされたり、身勝手に置かれた毒物を口にすることもない。
純粋に生きることを追求した結果、山頂に生きるということはつまり。
この聖犬にとって最も合理的な方法だったのかもしれない。
このアルバムの写真に写っている岩は、アレだろうか。あの岩に登って富士を眺めていたのだろうか。
捨てられたのか、はぐれたのか、自由を求めて鎖を断ち切ったのか。
ボロボロに色褪せた首輪が、聖犬ビッキーが生きた証であり、その生き様を如実に物語っている。
山頂のビッキー祠の中にあるアルバムのページを繰つつ、そんな思いがメラメラと燃え上がってきて。
生きながらにして神獣と化し今や伝説となったビッキーに、一度、お目にかかりたかった。
このような場所でヒトリで生き抜いてきた神獣の心意気に、ヒトシキリ心打たれた。
方々に残された足跡をかき集め。ビッキーが生きた証を。この胸にしっかと刻み付けさせて貰った。
聖犬ビッキー。山頂に姿は見えずとも。そのタマシイ、確かに受け取ったぜー。
私の命の続く限り、記憶の中で生き続け、永遠に忘れることはないでしょう。
そのようなわけで、まさに2013年の最後を飾るに相応しい山となりました。
でも、あと一座くらい行けそうだったりして。
moglessさん、こんにちは。
高川山のこのコース、この時期に歩くには良いですね。
距離もそこそこだし、富士山も綺麗!
私も高川山に4年前登りましたが、
その時はビッキーのことは知りませんでた。
あと少しで頂上、というところで1匹の犬が出迎えるように現れ、
どこかのハイカーが連れて来た犬かと思いきや、
着いた山頂にはまだ誰もいませんでした。
その後も誰かが到着する度に出迎えの儀式!?
「ビッキー」目的で登ってくる人も多く、
犬ご飯をあげていました。
でもビッキーは決して誰も触れさせてくれませんでした。
人間とのその距離感で、長い間この山に棲むということができたのでしょうね。
この犬のことを下山後に知って、翌年の冬もう一度会いに行こうとしたのですが、
ヤマレコ情報で訃報を知りました。
残念です。
今でも岩の上に佇んで仙人のような顔つきで富士山と対峙している姿を
忘れることができません。
忘れられない山の1つです。
Akanekoさん、こんにちは。
むすび山からのコースは、冬枯れの日あたり良好な快適な尾根でしたので、楽しく歩くことができました。
ただ、初狩駅から登っても大月駅方面から登っても、基本的には中央本線利用が前提となるような感じですので、私のようなマイカー登山専門の場合は、車の置き所に難儀しました。
標高的にも積雪は少ないので、通年登れる山として、ありがたい山です。
景観的な美しさとしては、今まで様々な山頂から富士を見てきましたけど、富士の美しさは屈指ではないでしょうか。
ビッキーの思い出話ありがとうございます。
実際にビッキーにお会いになられていたようですね。
私がビッキーのことを知った時には、すでにいなくなってしまった後でした。
ビッキーが元気な頃には、有名な山にばかり目が向いていて、高川山という山があることすら知りませんでした。
仮に知ったとしても、標高を見ただけで登りにいくことはなかったと思います。
しかしながら、今では標高の如何を問わずに、自分の登りたいと思う山に登るようになり、たとえ景観の変化に乏しくとも、どこまでも続く冬枯れの尾根道をいつまでも歩く楽しみを知りました。
アルバムの中にあったビッキーの写真は、何かを見据えている写真がたくさんありました。
特に印象的な赤く染まる富士を眺めている写真は、神々しさすら感じます。
無数の写真を眺めていると単に登山者が食べ物をくれるからということだけでなく、本当にこの山が好きだったんだなと思いました。
亡くなってから3年が経過し、もう祠を開く人も少なくなったのかもしれませんが、実際に会った人の心の中には、大切な山の思い出として生き続けていたようですね。
また行きたいですね。ビッキーがいなくても十分に魅力のある山だと思います。
moglessさん、こんにちは。
あの犬、ビッキーと呼ばれていたのですね。
昔、家族で高川山に行ったときに頂上でラーメン作って食べようとしているとこの犬が近寄ってきたので、一緒に食べました。
ご主人もいないので大丈夫かなぁと気になっていました。
今、昔の写真を見ていたらありました。
2003/4/13で、このときは寒くてまだ雪が残っていました。
ビッキーももう少し小さかったです。
一緒に行った息子も今は高校3年です。
教えていただきありがとうございます。
私よりはるか以前からビッキー姫のことをご存じのようでして、こちらこそ思い出話をありがとうございます。
いいですねえ。実際にビッキーにお会いになられて。しかも、思い出の写真まであるなんて。
山頂のビッキーの祠には、アルバムに入りきらない写真が、2、3枚ありました。
新しいアルバムを用意して、みなさんが思い出の写真を持ち寄って、そのアルバムに写真を入れていけるようにすれば面白いですね。
そのうち、祠の扉が壊れているのを直しに行こうかと思っているので、その際にでも新しいアルバムを祠に置いてこようかと考えています。
ところで、このビッキーの祠も過去の高川山のレコを見ておりますと、けっこう昔からあったんですね。
ちなみにビッキーという名前についてですが。
山頂にあるアルバムの中に、名付けたと思われる人がノートに書いた内容を撮影した写真がありました(←分かりづらい表現)。
その書き込みによりますと、その人はビッキーのことを「姫君」と呼んでいて、姫だからビクトリアと名付けたようです。
ビッキーはビクトリアの愛称ですから、正式にはビクトリアというようです。
コメントでは写真を載せられないので、日記で載せましたのでご覧ください。
http://www.yamareco.com/modules/diary/6510-detail-64350
日記に公開の思い出の写真を拝見させていただきました。
確かにまだ小さい感じで、山頂にあったアルバムに収録されていた写真のビッキーとは、少し印象が異なりますね。
アルバムに収録されていた写真の大半は有名になってからのものが多いのかもしれませんので、小さい頃の写真は、希少かもしません。
ビッキーに実際に会い、その思い出と写真があるというのは、羨ましいです。
お墓は、花を供えたり線香をあげる人がいるようで、いまだに多くの人に慕われているようですね。
なんだか、また登りたいという気持ちが再燃してまいりました。
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