断糖生活者,白馬岳をめざす〜1日目
- GPS
- 56:00
- 距離
- 18.7km
- 登り
- 1,582m
- 下り
- 1,571m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2013年08月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
はじめに
断糖生活とは、加古川市の崇高クリニックの荒木裕医師が提唱する糖尿病の療法(ノンカーボダイエット)で、M女史(58才・以下M)は一切の糖分(炭水化物)を断ち、タンパク質と脂質のエネルギーと栄養素,サプリメントのみで生活することに依り血糖を生じさせないと言う療法に従って、穀類のみならず一切の野菜も口にしないと言う生活を6年間続けている。
Mの食事は魚貝類や肉類等のたんぱく質と、植物由来の脂肪だけで、主食と言うべきパンや米飯がない。主食に代わるものとして彼女が食べているのは、小麦粉を精製する際にとれる外皮(ふすま)でつくった『健康ふすまパン』と言うもので、それにゆで卵等をはさんで食べているが、それは私達がエネルギーを摂るために米や麦を食べるのとは全然違っていて、その意味では主食とは言えず、単に腹を満たすためだけに食べる無糖の食べ物である。そのため、食生活が単調になることは避けられず、はた目には満腹感を得られないのがつらいのではないかと思うが、その点には慣れたと言う。
それでも野菜が食べられない分,食事のバラエティーが著しく狭められ、他の人達と同じものが食べられないことには相当な辛さがあると思われる。
今春,そのMから45年ぶりにメールが飛び込んできたが、その内容は『断糖と言う特殊な生活をしているので、普通の人のように登れるかどうか不安だが、何としてもアルプスに登りたい・・』と言うものだった。
幼小児を含む子どもや登山とは疎遠になりがちな主婦,高齢者等,初心者や経験の少ない人,健康不安の人達の登山をサポートすることが自分の登山の大きな楽しみなので色んな相談に応じてきたが、断糖生活者と言うこれまで全く経験したことのない対象者には大いに興味が湧き、栂池から白馬大池経由で白馬岳に登ると言う、彼女にとってのみならず自分にとっても『大冒険』となるアルプス登山に取り組むこととなった。
Mの2才年下の妹Sが同行・サポートしてくれることになったのは心強い限りであるが、その妹にとっても、アルプスは初体験となるので、白馬大池に2泊し手頂上ピストンを試みると言う、比較的安全な計画を立てて実行に至った次第。
8月9日(金)
4時起床。夕食のアナゴチラシ寿司用の錦糸卵(2個)とイリコ出汁で出汁巻き卵(4個)を焼く。焼きサケ,ナス・ピーマン+豚肉の炒め物,漬物,キュウリ・トマト等で朝食。女性は化粧が長くて6:30発の予定が6:45となる。
途中のコンビニで弁当を買った後、道を間違えて遅くなり、8:00頃のゴンドラ乗車となる。栂池着は9時前。
9:20栂池の登山口からM・S姉妹にとってのアルプスの第1歩を踏み出す。Sは苦も無く登って行くが、Mには時々立ち止まったり荷を岩に預けて休ませたりして、手探りで身体を登山道になじませながらゆっくり歩き、30分で栂の森の水場に到達。ここで冷たい水をたっぷり補給する。
Sは一足先に出たが、Mは11:22まで33分間休ませて出発。水場で充分に英気を養ったとは言っても無理はさせられないのでゆっくり歩くように言って先を急ぐと雪田のある岩場で休んでいるSに追い着き、ここでサンドイッチを食べてMを待つ。
追いついてきたMをここでも休ませる間にSはひと足先に天狗原着。自分も天狗原に着き(11:14)、Sに『この先の三叉路で待っている』と言い残して先行し、三叉路を右折(11:22)した先で2人を待つ。
20分近く待っても一向に来る気配がなく、戻ると2人のんびりとベンチで弁当を食べているところ(11:46)で、曰く『さっきnobouさんが(岩場で)食べていたので、私達もここで食べようと』‥。呆れて二の句が継げず絶句。前で待っている者には分かりようのないことを後でやられてはたまったものではないが、これが登山を知らない者の普通の感覚なのかもしれない。
いささか頭に来て、時間的には何の問題もなかったのだが、『湿原に行くのは無理になったかも知れない・・』等とプレッシャーをかけてやった。それでも湿原には行くと言うので風吹大池への三叉路を通過し、山ノ神尾根道を右折して湿原に入った辺りに荷を置き、12:00頃湿原に入る。
湿原への道はオオイタドリ等の丈の高い夏草が茂って歩きにくい所だが、きれいに草が刈られて楽々と入れた。例年,湿原が最も美しい時期には敢えて道の整備はされず、分かりにくい道を状余の草をかき分けてどうにか入ることが出来るのが常なので、この時期に草が刈られていること自体が不審だった。
その不審は的中し、湿原は最も見せたいあの雪解け直後の緑の苔と濃緑のイワイチョウの絨毯,手を切るような冷たい流れのほとりに金色のリュウキンカとピンクのハクサンコザクラが咲き乱れる,最盛期の様相を幾分過ぎていた。今年は雨が多かった分だけ雪融けが早く、ほぼ1週間ほど花が早かったのだろう・・。がっかりしたがこれが自然と言うものだから受け入れるしかない。
それでもチングルマやハクサンコザクラ,タテヤマリンドウ,トウヤクリンドウ,ムシトリスミレ,ツガザクラ,アオノツガザクラ,モウセンゴケ,ヒオウギアヤメ,コバイケイソウ,クルマユリ等々,列挙する花には事欠かない。でも何かが違っていた。
最も見せたかった湿原がイマイチだったのに少々落胆しながら荷物を置いた場所に戻る。そこまでの往復にも結構高低差があり、Mには負担になったかもしれないが、のんびりできたのも確かで、ひと息ついてある程度気持ちを立て直して次に向かうことが出来たと思われる。
13:36,風吹大池分岐の三叉路からいよいよ白馬乗鞍への登りにかかる。ただでさえ大岩がゴロゴロして歩きにくい道である上に、後半が立ち上がって傾斜がきつくなり、しかも登る人,下る人が激しく行き交う道なので気疲れも加わるところだが、初心者は自分のことに精一杯なのでその心配はなく、ただただ目の前の大岩,小岩を1つ1つ乗り越えて行くことに専念するのみで、例え地を這うスピードで他者の倍の時間がかかっても、音を上げず頑張ってくれればよいと言う構えでゆっくりと休みながら行く。
かつてはお転婆トリオの中でもひときわ活発で生き生きと走り廻っていた少女時代のMを知る者としては、己に確信の持てないもどかしさをにじませるその足取りを痛々しい思いで見守る他ないが、気持ちだけは気丈に果敢に立ち向かう姿は敬服に値するもので、逆にこちらが励まされる思いである。元気なSが先に先にと登りながらも適度に休んで待ち、励ましてくれるのも心強く助けられる。
かくして激しく消耗しながら、1時間20分かけて難関の雪渓下の大岩へ到達。小1時間かけてこれを越え、16:00に末端から雪渓に入って難なく雪渓を渡り、Sと合流。
そのSはすでにケルンまで行って自分の荷を置き、戻ってそこからMの荷を背負ってくれると言う。何とも頼もしい助っ人だ。こうして幾分身軽になり16:31,乗鞍の台上に立つ。
SはMの荷を背負って大池が見える位置まで行ってまた戻り、Mをサポート。そこからは2人を残してテン場の確保のために先行し、17:10テン場着。テン場はかつてないほどテントが林立し、満杯に近い状態だったが幾分か余裕があり、その一画にテントを張って2人を待つ。
17:38にM着。疲れた様子ではあるが、無事に登れたことに安堵し、夕食準備にかかる。
夕食はアナゴチラシ,みそ汁,ミニトマト,キュウリ等。Mには食べられないものを食べるのは気の毒だが、食べない訳にはいかずそこは割り切る他ない。
食後はペルセウス流星群を待ち受ける人々のざわめきに混じってひと時,星をみたりして早々に休む。
この夜、大池から西の樹林の方向に流れる不思議な明るい流星を見た。どこが不思議化と言うと、同じ方向を見ていた自分以外の人達の誰もがその光を見ていないことである。その時、3年前にこの場に幕営した夜行方不明になり、翌日のヘリを動員してまでもの捜索にも発見されなかった人のことを思い浮かべていた。
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