うるしさんと山寺から雨呼山縦走
- GPS
- 09:11
- 距離
- 8.6km
- 登り
- 908m
- 下り
- 831m
コースタイム
往路 4時間28分
復路 4時間15分 (休憩時間除く)
移動距離 8.6 km
総上昇量 1143 m
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年02月の天気図 |
アクセス | 1台は若松寺にデポして1台は山寺の千手院 |
コース状況/ 危険箇所等 |
厳冬期に総上昇量1143 mは単独では無理だっただろう。また、稜線の殆どに雪庇が出来ていて、避けて歩いたつもりだったが、うるしさんの言葉では「雪庇の一部にもともと穴があいていたのでした。そこから崖の壁面の岩と崖の下の方が見えました。夏道ではないです。ゾッとしました(汗)。雪庇を踏み抜いたら即崖下に転落です。気をつけないといけませんね。いや〜、怖かった!」とあるように生きて帰れたのが不思議だった。このレコを読んで真似しないように願いたい。 |
写真
感想
車2台で山寺の千手院から雨呼山を縦走し若松寺に下った。好天に恵まれ怪我することもなく無事下山で来た。かなりの体力を消耗し私は両足がパンパンになったがうるしさんは最後まで元気だった。単独では得られない縦走の楽しさを満喫した一日だった。
写真はうるしさんが撮影してくれました。
靴ひもを結んでいると仙台行の電車が走りぬけて行った。千手院の鳥居をぬけると踏切もない線路だった。そのレールを跨いで登山の開始となる。本堂の裏に回ると雪が深くなりワカンをはく。しゃがみ込むともう太ももが痛くなった。身体が硬い。右側に案内板があるが遊歩道は雪に埋まり裏山を登り始める。裏山の上から東に進み左に沢をみて進むと北に続く尾根が見えてきた。尾根を登り始めると朝の柔らかな日差しが木肌を暖めだした。GPSに記憶した取り付き地点と一致したので安心した。あとは地形図とコンパスで歩こうと思ったがうまくはいかなかった。
取り付きから登り始めるとすぐに小ピークに出た。現在地点を地図で確認して西に進むとピンクテープが木に巻いてあった。気持ちよく歩いていくと行き止まりだった。実は南下していた。いつの間にかループしてしまったようだ。上を向くと552mピークが確認できた。うるしさんと地図を見直して折り返す。小ピークまで戻って反対方向に進むとロープのある標識があった。右手には垂水不動が氷づいて見えた。ロープをまたいで北に進む。雪はまだ締まりなく、ワカンを後ろに跳ね上げて蹴り込む。一歩ずつ尾根を登る。
552mピークへの坂を登ると次第に展望が開けてきた。修験者の道も真冬ならば脇目も触れる。でも大雪の後の重い雪は両足にのしかかってくる。振り返るとゲレンデのような木のない山肌が見えた。高瀬の里山だろうか。552mのピークからはいったん下って今日一番の急登となる。両足ではからだを支えられないでストックを手首に下げて手袋を雪面に突き刺して登る。途中、踏みぬくと岩肌が見える所もあった。防寒長靴のうるしさんはキックステップが効かないので難儀している。高度を上げるに従って真っ青な空に近づく。銀稜は眩しすぎてゴーグルで目を守った。
山形市と天童市の境まで登って来た。目指す山頂がガスの中に隠れている。9時20分、あとどのくらいだろう。11時には登頂できるか。傾斜は緩くなったが雪も緩い。木がまばらな高まりにでると一気に展望が開けた。さらに進むと雪庇から下界が見えたそうな。たぶんここは岩場で木が少ないので風の通り道なのかもしれない。あと標高差200m足らずでバテテきた。登頂を急いで帰りの体力を使い果たしてはいけない。休みながら休まず歩く、体力を温存しながらのラッセルが続く。それでも下りのラッセルを考えた。いつもならピストンなので帰路はらくちんだった。しかし縦走となると。それに帰路には鵜沢山と三角山の2つの登り返しがある。うるしさんに折り返そうかと持ちかけた。登ってから考えることにした。結局、緩くなった雪庇を踏襲しなくて幸運だった。
松葉が凍って私の目を引いた。後ろから日差しが下りて来て雪化粧した枝がブルーの空に浮かび上がる。疲れを忘れさせてくれる一瞬だ。目標の時刻は過ぎてしまったがようやく山頂の白い高まりは左斜め向こうに霞んで見えてきた。足は上がらずお腹の具合も微妙だ。行くも戻るも逃げることは出来なかった。二人だから頑張れたのだろう。雨呼山の山頂は狭い雪原で頂標を掘り返すことも思いつかなかった。まだ気が張った状態で休みたくはなかった。展望のよい北の方まで歩いた。平坦な雪の上には足跡が残っていた。
鵜沢山が望める頂きの北の端で昼食にした。カップ麺を食べる元気はなかった。雑炊とお汁粉を湯で溶かして味わった。うるしさんは元気そうでお昼を食べたり、シャッターを切っていた。ここまできたので予定通り縦走することに決めた。天候の崩れはなさそうなので心配なのは疲労からくる怪我だ。地図を見て下る方向を確かめた。それにGPSで過去の軌跡をアップした。最後の展望を楽しむと風で木に積もった雪が舞い降りてきた。その雪の向こうに春光が輝き出す。元気をもらった。
ここからの下山は何度か歩いていた。鵜沢山までの鞍部で何時も迷った。厳冬期は初めてだった。方角とGPSの軌跡を確認して下った。いったん平坦な雪原になって以前にトレースを突然見いだした山行を思い出した。その後にジャガラモガラへの分岐があった。目指す尾根は右側で目印のピンクテープがそのまま残っていた。そこからは右に大きく雪庇が伸びていてその下は切れ落ちているのは以前の登りでわかっていた。さらに進むと急坂の下りに差しかかった。ここでうるしさんにハプニングが起きてしまった。原因は彼の履物にあった。
雪がない時でも枝に捕まらなければ登ることも下ることも出来ないヤセ尾根の急坂を滑落せずに一歩ずつ下るため、かかとをけり込みながら雪面を削るようにバランスを崩さず下った。捕まる枝がない時は数メートル先にある木を目がけて滑り落ちる。危険で緊張するが楽しくもあった。後ろから来るはずのうるしさんの姿が見えない。坂を少し下ったところで上体を立て直そうとしていた。足が滑ってしまったようだ。その際に帽子を失くしてしまった。毛糸の帽子は藪こぎの時には脱げやすい。僕は買ったばかりの眼鏡を失くしたこともあった。うるしさんは態勢を立て直して、それからは持って生まれた運動神経のよさで滑り易い防寒靴をコントロールしてヤセ尾根を下ってきた。
雨呼山の北尾根は無雪期にはその荒廃した尾根の僅かに残る踏み跡と赤布を頼りに足を滑らせながら下ったが、葉の茂る中で目印を見つけるのは難しく、歩きやすそうな坂を進むと尾根を外してしまって地を這う蔓に足を奪われて身動きが出来なくなった。厳冬期の今は程良い間隔に赤布が見つけられた。鞍部に下りると途中までは目印を見失うことなく縦断できたがそれもなくなった。鵜沢山の尾根の方角と地形図の方角を確認し少し下りぎみに歩いた。この辺から日差しが強くなり雪もゆるんできた。するとワカンに雪が団子のようにくっついて来た。ここから鵜沢山までの登りはその団子との格闘でついに先頭をうるしさんに譲った。
鵜沢山までの稜線にも雪庇が伸びていた。後ろから口だけ出す。足元は雪団子と戯れる。振り返ると面白山の麓の天童高原スキー場から雨呼山に繋がる稜線が見えてきた。いつかは歩いてみたい、とうるしさんに話しかけた。御所山は雲の中だったがその裾の山稜が銀色に輝いて見えた。鵜沢山手前で休むことにした。
雪の上に座り込むとワカンのベルトが外れているのに気づいた。ベルトを締め直して、うるしさんとおやつにした。ここまでくればあともうすぐで下山できる。これからはまた私が先頭を務めることにした。鵜沢山からの下りでスリップした記憶があったからだ。下り坂は雪が深くゆっくり歩けば転ぶこともなかった。日は傾き林の間から暖かく差しこんできた。展望こそ恵まれなかったが柔らかに輝く雪の尾根は二人を軽々と前に進めてくれる。
三角山までの鞍部に着くとまたしても登り坂になった。百メートルはありそうだったが、GPSの高度計で確かめるとうるしさんの言うように50メートル余りだった。三角山の山頂から天童市街を見渡した。こんな真冬にはここまででも歩く人はいないのだろうか。辺りはひっそりとしていた。
ここから尾根を真っ直ぐに下る。私はクダラーでどうしても先走ってしまう。うるしさんはカメラに足跡を残しながらついてきた。若松寺までの夏道は途中で大きくカーブしてトラバースする。少し進んだが腰まで抜かった。沢沿いの吹きだまりは避けることにして、カーブ地点まで戻ってそのまま尾根を下ることにした。
標高が低くなると雪は緩んで灌木がうるさくなってきた。なるべく尾根を外さないようにしたがかなり手こずった。うるしさんは枝の跳ね返りでコンタクトを失くしそうになった。最後まで気を許せない山行だったがようやく車道に行き着いた。やれやれと車道を歩いて駐車地点に戻ると心配している二人が待っていた。
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