山頂の経ケ峰がスタート地点。始まりはいつもの大日尊。
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9/25 8:07
山頂の経ケ峰がスタート地点。始まりはいつもの大日尊。
登山道丁標起点。
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9/25 8:11
登山道丁標起点。
今日は「表口五十二丁」を歩きますが、車道です。
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9/25 8:11
今日は「表口五十二丁」を歩きますが、車道です。
行ってきまーす!
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9/25 8:11
行ってきまーす!
前回気づいた大正期の「吾野口一丁目」石。此の裏が、
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9/25 8:13
前回気づいた大正期の「吾野口一丁目」石。此の裏が、
「表口一丁目」になっています。
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9/25 8:13
「表口一丁目」になっています。
今回初めて気づきましたが、夫婦杉の前に江戸期(安永八年)のものがありました。「一丁目道 小床」「右 江戸相州/左 秩父高山」「八本施主 中村藤右衛門」とあります。
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9/25 8:14
今回初めて気づきましたが、夫婦杉の前に江戸期(安永八年)のものがありました。「一丁目道 小床」「右 江戸相州/左 秩父高山」「八本施主 中村藤右衛門」とあります。
子の山川。さらにいくつもの枝沢が集まって中藤川になります。
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9/25 8:31
子の山川。さらにいくつもの枝沢が集まって中藤川になります。
てっきり道標(丁目石)かと思ったら、庚申塔でした。左は「庚申」、右には「浅間神社庚申塔」とあります。こちらはあまり見かけない表記です。その他銘なし。
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9/25 8:35
てっきり道標(丁目石)かと思ったら、庚申塔でした。左は「庚申」、右には「浅間神社庚申塔」とあります。こちらはあまり見かけない表記です。その他銘なし。
「奉納 諸國神社佛閣供養塔/現世安穏 後生善所」
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9/25 8:40
「奉納 諸國神社佛閣供養塔/現世安穏 後生善所」
「寛政四歳壬子十一月吉祥日」(1792)「願主 平沼(矢)右衛門」
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9/25 8:41
「寛政四歳壬子十一月吉祥日」(1792)「願主 平沼(矢)右衛門」
「武州秩父郡中澤村 明王院香圎行薫信士」
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「武州秩父郡中澤村 明王院香圎行薫信士」
主尊は大日如来のようです。
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9/25 8:44
主尊は大日如来のようです。
川が段々立派になって行きます。
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9/25 8:47
川が段々立派になって行きます。
林道久久戸線分岐
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林道久久戸線分岐
「二十三丁目」
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9/25 9:07
「二十三丁目」
浮彫の地蔵尊「為先祖菩提 安永八己亥歳七月吉日」(1779)「秩父郡中沢村 施主 関口新佐衛門」
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9/25 9:09
浮彫の地蔵尊「為先祖菩提 安永八己亥歳七月吉日」(1779)「秩父郡中沢村 施主 関口新佐衛門」
地蔵堂がありました。木造半跏像の地蔵尊がおられました。
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9/25 9:13
地蔵堂がありました。木造半跏像の地蔵尊がおられました。
「二十六丁目」
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9/25 9:17
「二十六丁目」
「二十八丁目」
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9/25 9:21
「二十八丁目」
小さな覆屋に石造の地蔵尊。こちらも半跏かな?その前に欠けた浮彫のお地蔵さんも。
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9/25 9:23
小さな覆屋に石造の地蔵尊。こちらも半跏かな?その前に欠けた浮彫のお地蔵さんも。
橋を渡って川向こうに天神社。小社は稲荷社のようです。
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9/25 9:25
橋を渡って川向こうに天神社。小社は稲荷社のようです。
お寺の参道脇の覆屋に大小の地蔵尊と中世板碑。その隣に墓塔中心の石造物群。
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9/25 9:30
お寺の参道脇の覆屋に大小の地蔵尊と中世板碑。その隣に墓塔中心の石造物群。
曹洞宗 自在山 宗穏寺
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9/25 9:30
曹洞宗 自在山 宗穏寺
大きな地蔵尊は何かご機嫌そう。小さな地蔵尊は何やら瞑想中。その台石には、
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9/25 9:31
大きな地蔵尊は何かご機嫌そう。小さな地蔵尊は何やら瞑想中。その台石には、
「(思)寂珍山徹里和尚」「安永七戊戌天七月十七日」(1778)
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9/25 9:32
「(思)寂珍山徹里和尚」「安永七戊戌天七月十七日」(1778)
なかなか興味深い巡拝塔、「奉納 西國四國坂東秩父供(養塔)」に「冨士山/湯殿山」もプラス。「現世安穏/後生善處」「宝暦十三癸未年七月吉日」(1763)
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9/25 9:35
なかなか興味深い巡拝塔、「奉納 西國四國坂東秩父供(養塔)」に「冨士山/湯殿山」もプラス。「現世安穏/後生善處」「宝暦十三癸未年七月吉日」(1763)
増上寺石灯籠がありました。右:有章院殿(七代将軍家継)尊前、正徳六年(1716) 左:惇信院殿(九代将軍家重)尊前、宝暦十一年(1761)
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9/25 9:38
増上寺石灯籠がありました。右:有章院殿(七代将軍家継)尊前、正徳六年(1716) 左:惇信院殿(九代将軍家重)尊前、宝暦十一年(1761)
参道入口近くには「三十丁目」石もありました。
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9/25 9:46
参道入口近くには「三十丁目」石もありました。
権五郎神社が見えてきました。以前裏手から取付き、堂平山経由で子の権現へ行ったことがあります。
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9/25 9:49
権五郎神社が見えてきました。以前裏手から取付き、堂平山経由で子の権現へ行ったことがあります。
「奉納 氏子中」の手洗石は、
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9/25 9:51
「奉納 氏子中」の手洗石は、
「天保七丙申年七月吉日納之」(1836)
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「天保七丙申年七月吉日納之」(1836)
鳥居の扁額は「権五郎神社」
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鳥居の扁額は「権五郎神社」
狛犬は昭和十一年、東京在住の中澤板屋谷出身の方が奉納。
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9/25 9:54
狛犬は昭和十一年、東京在住の中澤板屋谷出身の方が奉納。
「石工 日暮里町大山石材店刻」とあります。
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「石工 日暮里町大山石材店刻」とあります。
拝殿の扁額は「御霊大神」
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拝殿の扁額は「御霊大神」
中沢の竹寺・子の権現分岐
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9/25 10:02
中沢の竹寺・子の権現分岐
イケメンのお地蔵さんですね。
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9/25 10:02
イケメンのお地蔵さんですね。
台石に「寛延元(1748)・・奉造立(地蔵)・・願主・・施主 下中澤村中」
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9/25 10:06
台石に「寛延元(1748)・・奉造立(地蔵)・・願主・・施主 下中澤村中」
そしてお気に入りの道標です。中央上部に「南無阿弥陀佛」、右に「ミぎ ねのごんげんみち 是より三十五丁」左に「ひだり ごづてん王みち 是より十五丁 」
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9/25 10:08
そしてお気に入りの道標です。中央上部に「南無阿弥陀佛」、右に「ミぎ ねのごんげんみち 是より三十五丁」左に「ひだり ごづてん王みち 是より十五丁 」
中央下部に「中沢村 施主」の次は、全入?全人?金八!じゃないよね。
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9/25 10:09
中央下部に「中沢村 施主」の次は、全入?全人?金八!じゃないよね。
そして紀年銘は「明和三(丙戌年)」(1766)。前回は「明治」と読みましたが、雰囲気、形式から見てやはり江戸期だと思います。
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9/25 10:10
そして紀年銘は「明和三(丙戌年)」(1766)。前回は「明治」と読みましたが、雰囲気、形式から見てやはり江戸期だと思います。
「九月吉日」
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9/25 10:11
「九月吉日」
中央に講紋と「冨士登山 三十三度」下部に「大先達権大講義三行高山/五十度」「大先達中講義善行櫻山/先達中講義勝行・・」
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9/25 10:15
中央に講紋と「冨士登山 三十三度」下部に「大先達権大講義三行高山/五十度」「大先達中講義善行櫻山/先達中講義勝行・・」
背面には「南/中藤 講社中」と講人銘列刻。そして「大正九年庚申十一月建之」(1920)
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9/25 10:19
背面には「南/中藤 講社中」と講人銘列刻。そして「大正九年庚申十一月建之」(1920)
現在の分岐。
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9/25 10:22
現在の分岐。
製材所にもいた纏のリス君
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9/25 10:29
製材所にもいた纏のリス君
中藤川。青石橋手前の川沿いに4基の道標、丁石が並んでいます。
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9/25 10:42
中藤川。青石橋手前の川沿いに4基の道標、丁石が並んでいます。
「子ノ山四谷講社 是ヨリ五十二丁」紀年銘なし。
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9/25 10:50
「子ノ山四谷講社 是ヨリ五十二丁」紀年銘なし。
これは感動!「南無阿弥陀佛/元禄三年八月吉日」(1690)「右 高山道」「左 子ごんげん道 三峰山/(五)十二丁 十三里」「施主本橋兵衛ノ助亭俊」今まで出会った子の山道標の中で最古です。
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9/25 10:52
これは感動!「南無阿弥陀佛/元禄三年八月吉日」(1690)「右 高山道」「左 子ごんげん道 三峰山/(五)十二丁 十三里」「施主本橋兵衛ノ助亭俊」今まで出会った子の山道標の中で最古です。
「南無阿弥陀佛/元禄三年八月吉日」(1690)
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9/25 10:52
「南無阿弥陀佛/元禄三年八月吉日」(1690)
「右 高山道」「左 子ごんげん道 三峰山」
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9/25 10:53
「右 高山道」「左 子ごんげん道 三峰山」
「(五)十二丁 十三里」そして「施主本橋()兵衛ノ助亭俊」
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9/25 10:54
「(五)十二丁 十三里」そして「施主本橋()兵衛ノ助亭俊」
そしてスタートした起点に対応する道標です。中央に「子の山表道口 是より五十二丁」、右は「大正十三甲子年三月吉日」(1924)、左は「武叛樟邵猝攵ζ蔚帆塙膩之」。さらにその両外側に「天寿庵」主人の作と思われる和歌が刻まれています。
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9/25 11:07
そしてスタートした起点に対応する道標です。中央に「子の山表道口 是より五十二丁」、右は「大正十三甲子年三月吉日」(1924)、左は「武叛樟邵猝攵ζ蔚帆塙膩之」。さらにその両外側に「天寿庵」主人の作と思われる和歌が刻まれています。
下部には多くの「特別寄附者第二区組合員」銘が屋号紋とともに刻されていてとても興味深いです。
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9/25 11:08
下部には多くの「特別寄附者第二区組合員」銘が屋号紋とともに刻されていてとても興味深いです。
さらに4つ目の道標はほとんど摩滅しており、一見するとただの自然石。
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9/25 11:12
さらに4つ目の道標はほとんど摩滅しており、一見するとただの自然石。
一部「元禄十・・」とだけ確認できました。
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9/25 11:12
一部「元禄十・・」とだけ確認できました。
こちらの鳥居をくぐって尾根に取りつきます。
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9/25 11:18
こちらの鳥居をくぐって尾根に取りつきます。
山神様の小社があります。
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9/25 11:19
山神様の小社があります。
歩きやすい尾根をたどると、
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9/25 11:39
歩きやすい尾根をたどると、
416m峰、
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9/25 11:44
416m峰、
続いて南沢山466mの峰です。
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9/25 12:00
続いて南沢山466mの峰です。
山名板がありました。
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9/25 12:03
山名板がありました。
尾根にはモミの巨木がたくさんありました。
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9/25 12:08
尾根にはモミの巨木がたくさんありました。
そしてケルンがぽつんと。
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9/25 12:13
そしてケルンがぽつんと。
鞍部は峠的な所。地形図の破線道が交差しています。
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9/25 12:14
鞍部は峠的な所。地形図の破線道が交差しています。
間伐材でちょっと道は判りづらくなっています。
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9/25 12:18
間伐材でちょっと道は判りづらくなっています。
道形がはっきりしてくると、
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9/25 12:20
道形がはっきりしてくると、
沢沿いの道になりました。
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9/25 12:26
沢沿いの道になりました。
いかにも危なそうな丸太橋を渡っていたら、案の定一本折れてしまいました。
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9/25 12:28
いかにも危なそうな丸太橋を渡っていたら、案の定一本折れてしまいました。
ほどなく権五郎神社に続く車道に出ました。
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9/25 12:29
ほどなく権五郎神社に続く車道に出ました。
中沢の道標を「ひだり ごづてん王」(竹寺)方面へ行きます。
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9/25 12:38
中沢の道標を「ひだり ごづてん王」(竹寺)方面へ行きます。
廃屋の小屋の横から取り付きます。
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9/25 12:41
廃屋の小屋の横から取り付きます。
先程まで歩いていた南沢山方面
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9/25 12:42
先程まで歩いていた南沢山方面
本日一番の急登でしたが、こちらも尾根も歩きやすかったです。
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9/25 12:52
本日一番の急登でしたが、こちらも尾根も歩きやすかったです。
そして同じようにモミの木街道、
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9/25 13:00
そして同じようにモミの木街道、
誰のも会わないとても静かな山歩きができました。
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9/25 13:04
誰のも会わないとても静かな山歩きができました。
天王山540m
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9/25 13:07
天王山540m
右に作業道があるようです。
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9/25 13:17
右に作業道があるようです。
林道の切通しに出ました。左に下れば竹寺方面。逆に進むと
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9/25 13:22
林道の切通しに出ました。左に下れば竹寺方面。逆に進むと
尾根に戻るテープ印がありました。
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9/25 13:23
尾根に戻るテープ印がありました。
豆口山へは「けもの道」のようですが、
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9/25 13:34
豆口山へは「けもの道」のようですが、
快適な道になっています。
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9/25 13:40
快適な道になっています。
豆口山629m。
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9/25 13:42
豆口山629m。
「南」629.06 m二等三角点
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9/25 13:43
「南」629.06 m二等三角点
この峰で左に急下降すると、
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9/25 13:47
この峰で左に急下降すると、
見慣れた崩れかけの建屋。豆口峠で主要路に合流です。
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9/25 13:50
見慣れた崩れかけの建屋。豆口峠で主要路に合流です。
神送り場の案内板
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神送り場の案内板
関ふれの道標「竹寺1.1/子の権現1.8辧廚箸修硫爾妨鼎量っ里靴襪戞
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9/25 13:51
関ふれの道標「竹寺1.1/子の権現1.8辧廚箸修硫爾妨鼎量っ里靴襪戞
欠落していますが「(右)八王(寺)/(ごづ天)王ミ(ち)」でしょうか。これも本来の向きが逆かな?竹寺の正式名称が医王山薬寿院 八王寺、本尊が牛頭天王。
」
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欠落していますが「(右)八王(寺)/(ごづ天)王ミ(ち)」でしょうか。これも本来の向きが逆かな?竹寺の正式名称が医王山薬寿院 八王寺、本尊が牛頭天王。
」
617峰への登り。本日初めてのハイカーの方が先行しています。
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9/25 13:56
617峰への登り。本日初めてのハイカーの方が先行しています。
豆口山かな。
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9/25 14:19
豆口山かな。
丁標起点まで戻っていました。
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9/25 14:23
丁標起点まで戻っていました。
トラヤカレーはこの時点で諦め、うどんを所望すると、売り切れでした。ペナントレースも終盤かな。1枚200円。
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9/25 14:28
トラヤカレーはこの時点で諦め、うどんを所望すると、売り切れでした。ペナントレースも終盤かな。1枚200円。
阿字山登り口の大日尊。誰かに似ていると思っていたが、若い頃の徳光さん?
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9/25 14:30
阿字山登り口の大日尊。誰かに似ていると思っていたが、若い頃の徳光さん?
阿字山山頂の大日尊でゴール。大日で始まり大日で終わる。
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9/25 14:34
阿字山山頂の大日尊でゴール。大日で始まり大日で終わる。
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