記録ID: 4975045
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無雪期ピークハント/縦走
甲信越
《筑摩・更科郡》坂北【冠着山】上山田→姨捨→坂北【四阿屋山】坂北
2022年12月03日(土) ~
2022年12月04日(日)
体力度
6
1~2泊以上が適当
- GPS
- 13:22
- 距離
- 30.8km
- 登り
- 1,819m
- 下り
- 1,939m
コースタイム
1日目
- 山行
- 6:08
- 休憩
- 0:28
- 合計
- 6:36
2日目
- 山行
- 6:32
- 休憩
- 0:34
- 合計
- 7:06
天候 | 3日晴れ 4日晴れのち曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
二日目姨捨駅まで歩いて坂北駅まで乗ってそこから入山し下山 松本まで |
コース状況/ 危険箇所等 |
冠着山も四阿屋山も登山道以外の部分はヤブもなく歩きやすいが、冠着山は、「最短登山道」以外の長い登山道はあまり歩かれていないようでところどころ道が不明瞭。ボコ抱き岩周辺は凍ると結構難。 |
写真
装備
個人装備 |
地下足袋+脚絆
焚き火セット
ノコギリ
弁当
水筒
軍手
ラテルネ
地図磁石
防寒具
雨具
|
---|---|
共同装備 |
ツエルト
6mm×10m
|
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この記録に関連する登山ルート
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〈冠着山〉
7時のしなので大曽根から。松本で乗り換えて冠着へ。麻績からの距離の都合なのか、何故この位置に駅が?北の一本松峠を目指して歩く。振り返ると明日の予定の四阿屋山が逆光に美しい。車で来たらなかなか歩かない、行き止まりの集落大野田集落に入る。霜の降りた朝で、ネギの畑で、「こんなに降るとはな〜」などという農民の会話を聞きながら進む。冠着山はあっちだよ、と皆言うが、こっちの峠から行きたいのです、などと話す。そんなやりとりが楽しみでこっちのルートを来たのだ。最後は狭い路地を金手状に曲がって、最終人家で火を焚いていた男と長話する。山歩きもお好きなようで、山城の話、ヤマレコの話まで20分ばかり。筑摩郡から善光寺平に抜けるこのあたりには、猿が馬場峠、一本松峠、古峠があり、車のない時代には人々が盛んに通ったのでこの集落も国道沿いだったのだが、鉄道開通で100年の眠りについている。
峠まではかなり上まで軽自動車ぎりぎり幅のセメント舗装があったようだが、水に浸食されて所々崩落、薮も覆い、泥沼地帯では地下足袋突っ込みあり。上に貯水池もあって、水が豊富な谷なんだ。上の方まで棚田の跡があった。コルで突然別荘地になって舗装道路に。一本松峠には石仏と石祠あり。
12月1日より冬期閉鎖の表示の舗装路を歩いて立峠へ。こっちは整備されているので立て看板もある。善光寺平を見下ろす。こちらは東山道支道ルートらしい。みなここから北信五岳と善光寺を遠望したことだろう。全部見える。冠着も見えた。
峠から舗装路を飛ばしていきなり尾根の背に取り付く。薮はおとなしい。たいした崖も無い。しかし、山の西面なので午前日が射さず、今になって樹氷がバラバラと地表を覆って雪景色と化していた。地下足袋に冷水が滲みて結構キツい。しかも急傾斜で滑りやすい。
鳥居平からの道に合流すると整備されている。山頂下40mほどに、見晴らしよいベンチがある。安曇山脈北部は真っ白。信濃初冬の眺めだ。明日の四阿屋山は逆光にそびえる。麻績の聖山にもごあいさつ。ここにベンチがあるということは、山頂でこちらは見えないということ。
山頂は案外広い。大きなトタン張り神社は更級川を向いていた。北麓からも見える山頂の杉、十数本が、やはりあった。この杉が下からも見えるせいで、この山のスケール感、遠近感が山麓からわかってしまう。登ってみれば高度間豊かな名峰には違いないけれど。東面から南面にかけてはよく見える。千曲川も180度。
下りの上山田方面への下降点は不明瞭だった。しかも傾斜がある。ボコ抱き岩ルートはあまり歩かれていないようだ。落ち葉で踏み跡が見分けにくいのと、落ちた樹氷のせいで難易度が高くなっている。設置の鎖が非常にありがたいが、途中凄く古い残置ロープに導かれてバリエーションルートに誘われそうになった。チムニー状の鎖場の入り口が見落としやすかった。ボコ抱き岩にはペツルの跡がたくさん。北東信クライマーの岩練習場なのだろうか。
上山田温泉までの尾根の上も歩かれていない模様で、心晴れ晴れ進む。周囲に自動車道路が通って来ている。結構な傾斜地によくも作った物だと思う。尾根終盤で荒砥城に入る。その分岐には炭焼窯跡が三つあった。この石は荒砥城の上部見張り砦の転用かもしれないなどと考える。方向定めて下っていく。荒砥城址には巨大な建造物が乗っているので、冬枯れの木立によく目立って明瞭だ。物見岩と思える苔むした大岩を過ぎると人の痕跡が増え、荒砥城の裏に出た。
ここは数年前に戦国山城として郭と虎口などを石垣で復元し櫓もある公園になっている。その前は、温泉地裏の観光スポットとして展望台にいろいろあったので、城址の土塁などは壊されてしまっている。周囲には善光寺別院や、秘宝館(閉鎖)のようなものもひしめいている。昭和観光時代の残照だ。温泉までのクネクネ舗装路はショートカットしたくなるがしなくてよかった。降り口の法面はかなり高く、その真上には柵も無く、急傾斜。トラバースもままならぬヤバーいパターンだ。立ち木も少なく登り返しもキツい。絶対怪我する。よくこんな傾斜地に自動車道を造ったものだと思う。
上山田温泉の集合は、ほかのみんなと同時になった。尾根の上からもよく見えたシャバダバダ上田館。昭和50年代にTVのCMでよく見た懐かしの温泉ホテルに、きょうは投宿。わくわく。
〈上山田〜姨捨駅〉
温泉を皆に見送られ出発。路地から湯煙の立つ寒い朝だ。筑摩川の大河を背に、姨捨への緩傾斜扇状地を徐々に登る。更級小学校を過ぎて、田園に踏入り、古い農家建築のある野良道から冠着山が見えた。自動車で来たら踏み込まない場所だ。畦で腰を下ろしたかったが、電車の時間もあるし。度々通るスイッチバックの姨捨駅、歩いてくるとこんな風景なんだ。
〈青柳宿と青柳城山〉
姨捨駅からトンネルを抜けて坂北駅まで240円10分ほど。1900年にこのトンネルが出来たときの気分で運転手の右後ろに立ってくぐった。坂北から青柳宿を通って青柳城へ。1580年代の典型的城下年都市と、江戸時代の宿場町が目に浮かぶ町並みだ。坂道の脇の各家の前の水路がうらやましい。武田と上杉の最前線で、武田亡き後の争乱では、出戻りの小笠原に誅殺された悲運の城主。青柳二代の墓のある寺は、竹薮に囲まれ、離れは崩れ落ち、高齢化の普請もままならず。青柳城を、山麓居館址の寺からジグザグ登る。結構な登りだ。山頂一の郭は意外に広く、白い安曇山脈が完全に見える。善光寺街道が麻績から立峠まで一望だ。城の東側は、これでもかというほど堀切、土塁、虎口が続く。説明看板もよくつけてある。武田上杉時代と、対小笠原戦で、二度実戦のある城だ。裏の台地状地形は広大な農地に成っていた。なので裏からなら車で楽勝なのである。しかしそんなアプローチは嫌だ。
〈四阿屋山〉
合併前は坂井、麻績、坂北、西条とこの盆地の真ん中で、四村の山だった。標高800mの東山地区という広大な農地を、取り付き尾根に向けて歩く。車ならこの舗装路をもっと奥へ行くところを、ため池の脇から尾根に直接取り付く。尾根上は薮も薄く、地面も良い感触で、無心に尾根の背を登っていく。雲が増えて来て、途中から雲の中に入ってしまい、視界は500mほどになる。少しぱらぱらと雨も。冷たい風が強まり、尾根上では上着がいるほど。山頂近くの展望台では視界真っ白。山頂は樹林に覆われた案外広い平地が整っていた。反対側の旧坂井村安坂からの道は、急な石段で、トタン張りのお宮はそちら側を向いていた。きのうの冠着もそうだが、どうも大きなお宮の裏からくるパターンだ。しかし、どちらもやはり人手が行き渡っていない雰囲気。人手が無くては、上の周りの薮でさえ整備するのは大変なのだ。寒いので下る。風がよけられそうなので、稜線ルートではなく、道のある凹んだところを下る。石ころ等もなく、落ち葉に埋もれて地下足袋ですり足できる、歩きやすい道だ。山麓は、駅への最短の、開拓地のようなところを抜けて下る。青柳氏が中興した硯水寺という古刹の前を通るが、電車の時間があるので素通り。古刹があるのに周辺に家が無く、違和感を持つ。駅のすぐ近くまでわりと無人の地域が続く。駅前にはもう店を閉じてしばらくの商店が二軒。脇に野沢菜を並べていた。
計画では山頂から北へ縦走して安坂城址を経由して冠着駅下山の予定だったが、天気も悪いし日も短いので坂北駅下山に変更した。おそらく青柳城址から直接山頂へ行くのも可能ではないか?100年前の鉄道のおかげで、格安で自由で気侭な登山ができる最高のエリアです。
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