阿夫利山・長尾・甚之函山 《甲州百山》
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- GPS
- 08:05
- 距離
- 22.1km
- 登り
- 1,909m
- 下り
- 1,967m
コースタイム
- 山行
- 7:18
- 休憩
- 0:47
- 合計
- 8:05
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 タクシー
終点:JR中央線四方津駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
阿夫利山尾根、長尾北尾根は登山道の記載はないがしっかりした登山道がある 他は一般道 |
写真
感想
中央線上野原駅から予約しておいたタクシーに乗り秋山の富岡入口で降りた。秋川橋を渡り富岡集落の外れから尾根に取り付くと山端に陽が昇り、大丸南東尾根が焼け右肩には十六夜の月が青空に映えていた。テン笠(616m)、金ピラ山の尖がった姿の右奥に最終的に足を延ばした甚之函山(810m)も姿を見せていた。獣害防止ネットの扉を開けて登山道に入り洗堀された道は落ち葉が10冂積り歩き難い。P461を過ぎると痩せ尾根となり深い谷が右手に見えてきた。P632は険しく東尾根に回り込んで登って行った。ピークに乗り上がると古峯神社の祠があり、金剛山の標識があった。
一旦下って阿夫利山の稜線に乗り上がった670m程のピークには“井戸沢の頭”の標識があり、予期せぬ山名が連続して現れた。南西に進み阿夫利山(729m)直下の急登を南に回り込んで山頂に達した。甲州百山の山で今日のメインの目的を達成した。展望は大室山(1,587m)が見える程度だった。西への縦走路を進み次のピークの端に乗り上がると視界が開け後で登ることになる倉岳山の尾根が見通せ、矢平山(860m)や甚之函山(810m)、大丸(731m')、高柄山(733m)が望めた。南に進みピークに乗り上がると「高見山」の標識があり、その次のP718の地点は「石尊山」と木に書かれていた。
P803もきっと山名があると信じてピークに達すると赤テープに“無名峰”と書かれていて残念な気持ちを代弁していた。池ノ上は細長いピークで「日本山名辞典 大舟小舟850m」の標識があり15m程先に「池ノ上859m」の山頂標識があった。略同じ標高なのだがカシミールでは851mでどれが正しいかはっきりしない。等高線6本分の下降で大タギレ(788m)迄下り、鳥井立の稜線の圧倒的な壁に恐れを抱き200m余りを登り返した。登山道もなく落ち葉の急斜面の直登は無理でジグザグに高度を稼いで行った。
漸くにして鳥井立の稜線に達すると東側は巌道峠からの道で12年前の今日、入道丸、ムギロチを通って登って来た。南東斜面も北尾根に劣らぬ急登だった。鳥井立の手前に開けた処があり丹沢山系の蛭ヶ岳(1,673m)、檜洞丸(1,601m)、大室山(1,587m)が見えぎりぎりの角度で富士山の姿も望むことができた。鳥井立(1,048m)は、3等三角点「神野村」が置かれて、上野原市の防災行政無線等の電波塔が設置されていた。展望はなく山頂の写真を撮っただけで通過した。「御牧戸山」の別名もあり古い登山地図にも記されている。
1卍なだらかな稜線歩きで長尾(1,107m)直下に達するとキツい登りで山頂に達した。山標識には「長尾山(焼平山)1,107m」の標識が掲げられていた。展望はないが今日の最高峰で大休止を取った。赤鞍ヶ岳の稜線を離れ北に続く尾根を大地へと下る。地形図に登山道の記載はないが踏み跡があった。長い尾根で途中P752とP706が目標ポイントで尾根の分れ目に注意して下ったがP706の下りは尾根を間違えそうになった。最後の尾根の分かれ目には祠があり、栗谷集落の人達に守られているようだ。林道に下り秋山川を渡って大地からバスで上野原に戻る予定だったが2時間半も早く下りてきたので15時のバスを待つ気にはなれず倉岳山の尾根を乗り越して四方津に下ることにした。
バス停付近からサガ沢の林道を登り甚之函山経由で旧大地峠、大丸を越えて行く。地形図の持参はなく2001年の昭文社地図だけで新しい林道が延びルートがよく分からない。さがざわキャンプ場も先に続く林道を歩き続けたが登山道はキャンプ場から右の沢に入るのが正解だったようだ。矢平山の南麓を行く林道をこれ以上歩くと甚之函山には行けそうにないので恐ろしい急斜面だが無理やり斜面に取付き南稜線に這い上がった。稜線も急登が続き甚之函山(じんのはこやま810m)山頂に達した。此処は17年前に鶴島御前山から倉岳山を縦走したときに主稜線を外れて立ち寄って以来の訪問だった。北に300m下ると旧大地峠で直下を林道が越えている。新大地峠へと進んだが西側のピークが気になり北側から登ってみた。山名はなく南に下りると再び旧大地峠で一周して先に進んだ。新大地峠は谷からの道が越えている訳ではなく大丸への道とその巻き道が分岐しただけだった。
「←大丸・高柄山」の指導標に従って斜面を登るとテン笠、金ピラ山への道が分岐した。大丸(731m’)に達すると樹林越しに高柄山(733m)の姿が望めた。北西尾根へと入り四方津駅を目指した。地形図にない林道が尾根に絡み鬱陶しい。休憩舎の設けられた処で一度だけ交差したがその後は干渉されることはなかった。登山道は顕著な8つのピーク全てを避けて付いているので何か物足りなく4つは登山道を逸れて登ってみたが境界標があるぐらいで何もなかった。一つ例外はP663とP473の間にある尖がり峰で地籍調査の基準点があり矢平山(860m)の展望が得られた。P742を下った処にはお座敷の松がある。武田信玄が金鉱開発で休憩した処と伝わるが今の松はその当時の松ではない。
川合峠に達すると林道となり川合橋で桂川を渡り四方津駅に達し22厖召蠅傍擇崚仍海鮟えた。四方津駅の北側高台には山を切り開きコモアしおつの住宅街がありコモア・ブリッジで駅と結んでいるのが川合集落からも異様な風景で望まれた。運悪く電車は34分待ち、青梅線の奥より間隔が開いている。
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