モンテ・ローザ マッターホルンは断念
- GPS
- 32:00
- 距離
- 29.9km
- 登り
- 2,765m
- 下り
- 2,763m
コースタイム
- 山行
- 2:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 2:00
- 山行
- 11:50
- 休憩
- 0:40
- 合計
- 12:30
天候 | 晴れ・曇り |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト) 飛行機
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険地帯多し クレバス 深い雪 ミックスの岩場 ナイフリッジ |
その他周辺情報 | ツェルマット何でもそろう |
写真
感想
(当時の記録から)
1999年(平成11年)8月21日(土)〜22日(日)
モンテ・ローザ マッターホルンは断念
モン・ブラン登頂後、マッターホルンを目指しスイス、ツェルマットへ移動した。
街は1本の道、川に沿ってお店が並び、一歩奥に入ると窓に花が飾られる民家や宿泊所が建ち並ぶ。
町中は電気自動車のみで静かでおしゃれな山の町だ。
目指すマッターホルンは8月に入り、天候に恵まれずほとんど登られていないとのことだった。
ここ数日も雪降りで、ヘンリ小屋まで行き引き返すだけだという。
ガイドの制止も振り切って登頂を目指した5人(日本人も含まれていた)
は滑落等でなくなっているとのことだった。
実はランニング登山で有名な日本人の死が伝えられてもいた。
ということで今回は予備日も関係なくマッターホルンは断念することになった。
代わりにスイス最高峰のモンテ・ローザ4634mに変更して登らせてもらうようになった。
登頂にはKさん(アトラス)を入れて5人、1人に1人のガイドがザイルをつなぐということになった。
8月21日(土)
午前中天気も良かったのでツェルマットの裏山・街の丘陵に上がり、晴れて全容を現わしたマッターホルンを写真に収めた。
後で見れば同じような写真だろうが撮っているときは一枚一枚思い込みがあり、一枚でも写りの良いマッターホルンをと36枚撮りのフィルムを終わらせた。
午後2時登山鉄道駅に集合。
登山鉄道は高度をどんどん上げて行く。マッターホルンもくっきりと肩の辺りまで見えるようになり、美しさを増した。
東壁には雪をしっかりとつけ、我々を寄せ付けないような威厳が感じられた。
モンテ・ローザへの登山口となる駅で下車。
まずは長い長い下り斜面を下りてゆく。
正面にモンテ・ローザが顔を出す。背後にはマッターホルンだ。
天気は良く最高のロケーションと言えるところだ。
大きな流れの氷河を横断する。ガイドの後をゆっくり進んで行く。
ガリッガリッと独特の踏む感じを味わいながらクレバスを注意して渡る。
時々深く穴の空いた部分を注意して跨いで。落ちるとどこまで落ちてゆくのだろうか。歩く目印はポールだけで、その方向その方向へと進んでゆく。上から見ると狭かった氷河は広い。嫌と言うほど時間がかかり、モンテ・ローザの麓岩稜へと取り付く。
今日泊まるモンテ・ローザ・ヒュッテはモンテ・ローザの麓、マッターホルンが氷河の流れの上に聳え立つのが見える。
ヒュッテの前の岩でビールを飲み、なかなか沈まない太陽の日射しを受けながら思う存分マッターホルンの雄姿を眺めさせてもらった。
太陽が横に移動しているということで、ほとんど太陽の高さが変わらないのに驚く。緯度が高いため夏は19時でも太陽の日射しがまぶしかった。
ポテトスープ、メガポテトそしてソーセージ、デザートに渋みのある洋梨を自分でむいて食す。
ヒュッテラベルのワインを5人で飲む。さらにヒュッテの主人がサービスでもう1本ワインを差し入れてくれた。
明日があるのを考えもったいないがなめる程度で食堂を後にした。
明日は2時起き。2時半出発だ。
ヒュッテ内の暑いことそして騒がしいこと、パンツ一枚で動き回る人も居てなかなか眠りにつけなかった。
9月22日(日)モンテ・ローザ登頂
天気良し。風もなく暖かな朝だ。星も今回の旅の中で一番美しい。
ガイドには28歳のドイツ語しかできないルドルフ。プロレスラーのような手足の大きさが印象的だ。
暗い岩稜をライトの明かりを頼りに登る。ゆっくりペースで自分にとっては良かったように思う。
睡眠不足はやはりきつく、思うように動けていないのが分かる。
岩稜帯を抜けたところでアイゼンを装着、アンザイレンをルドルフと結んだ。目が覚め、硬い雪面ではアイゼンが効き楽しい登りになっていた。
ほとんど登り続ける斜面で、高度を上げて行く。
サイドステップはモン・ブランでだいぶ慣れてはいたがきついものがあった。(今では日本の山でも急登はサイドステップになっている)
八の字登りでは通用しないアルプスの登高。
なにしろスピード登山なので一歩一歩斜面を踏みしめ登っていたのではガイドに付いていけないのだ。
確かになれてくると不要な力が入らず理想的な登り方であった。
苦しみながらも高度を上げ稜線へと出た。
6時30分になる。だいぶ明るくなり最後の登りとなった。
ここから1時間が思っていた以上に難しい稜線で、気持ちが動揺、焦っていた。
あわててアイゼンでレインウエアの裾を引っかけたり、ホールドが見つけられず止まってしまったりと。
戸隠山の蟻の戸渡のような箇所が何カ所か続く。しかも雪面になっているのでアイゼンを慎重に踏み込み、踏み出すようにして渡った。
渡っている時は、まだ視界も良くなく10mほど先、そして下しか見えなかったので差ほど恐怖感はなかった。
もし下まで見えていたら正常な気持ちで通過することができただろうか?
最高点に達するとき初めてフィックスロープが張ってあっり使った。
それ以外は何とか足場、手がかりを見つけよじ登ってきた。
7:30モンテ・ローザ4634m最高点へ、登頂!
雲の中にうっすらと太陽の輪郭が見えている。
ほとんど周りは見渡すことはできなかったが、マッターホルンなど少し動く雲の間から顔を出してくれた。
写真を数枚撮る。
着ているもの、ザックに雪・氷が付き固まる。
寒さが動いていないと身にしみる。
下山開始。途中の岩場で後から来るKさん、Fさん等とすれ違う。
登頂を祝わい、激励しあった。
ナイフ・リッジ・危険地帯を何とかクリアーして雪面を下る。
アイゼンを脱ぎ初めはガイドのスピードに合わせぐんぐんと下る。
あまり無理をすると足を痛めそうだったのでできるだけ抑え抑え下る。
クラスト状態の雪で硬く締まっているので体重のあるガイドは足跡を残し前進するが、私は身軽なためか表面を歩き下ることができた。
途中雪面が切れたところでアンザイレンを外しマッターホルンの撮影タイムとした。
ガイドはその間雪に尻を突っ込みトイレタイムだった。
その頃山頂付近では大変なことが起きていた。
後で分かったことだが、Kさん(アトラスのガイド)が脱水症状で両足が痙攣して動けなくなってしまったというのだ。
ガイドたちがレスキューのヘリを呼びツェルマットの病院まで搬送されたというのだった。
そんなことも知らずにガイドのルドルフが下山道を時々間違えているのか右往左往し、なんとか小屋の裏側へ出て無事下山した。
10時30分ジャスト予定通りの時間に到着することができた。
ここで他のガイドから、おまえさん達の仲間がヘリで搬送されたという話を聞かされた。
詳しく話しているようだったが何せ詳細を聞き取れない。
小屋に戻っていたのはKさんともう一人(この方もヘリで下りたと思っていた)を除く私たち3人だった。
今日中にツェルマットへ戻る予定になっていた。
小屋に止まっていても仕方なく、現地ガイドのKさんがいない中、モンテ・ローザ小屋を後にした。
氷河は我々だけで重苦しい空気の中慎重に渡り対岸に着き、登山列車の駅へと目指し登った。
だらだらとした坂を登り切り駅に着き、振り返るとモンテ・ローザが見送ってくれていた。
登山列車の中は、朝が早かったので睡魔に襲われ、こっくりこっくりとするばかりだった。
搬送車の心配もあったがモンテ・ローザ登頂の満足感は大きかった。
ツェルマットに下山して、アトラスの事務所へ電話した。
結局ヘリで搬送されたのはKさんだけで、もう一人の方は我々がホテルに戻ってから一人で1時間30分後に戻ってこられたのだ。
結局現地ガイドKさん、ドリューにも登ったことがあるという方が両足痙攣ということで搬送されたと言うことだった。
それも病院で2時間ほど安静にしていれば良いと言うことで安心した。
驚いたが、思っていたより緊急事態ではなかったことに登頂できた仲間で祝杯をあげることができた。
翌日Kさんが神妙は様子で我々の所に来て、元気な姿を見せてくれた。
ツェルマットの登山列車のスケッチをプレゼントしてくれた。
ふるちゃん
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