また山に行きたくなる。山の記録を楽しく共有できる。

Yamareco

記録ID: 5427808
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
北陸

【越美】失われた古道「カイドウ」を辿る

2023年05月01日(月) ~ 2023年05月03日(水)
 - 拍手
GPS
56:00
距離
38.8km
登り
2,569m
下り
2,567m

コースタイム

1日目
山行
9:20
休憩
0:00
合計
9:20
7:30
120
椀戸谷出合(駐車地)
9:30
9:30
170
P905付近稜線(茂津谷へ下降)
12:20
12:20
130
西谷本流(シン谷)に降り立つ
14:30
14:30
140
オセビの難所の淵
16:50
金ヶ丸谷・根洞谷の二俣
2日目
山行
6:20
休憩
0:00
合計
6:20
6:00
230
金ヶ丸谷・根洞谷の二俣
9:50
9:50
90
金ヶ丸谷と根洞谷の中間尾根のP998
11:20
11:20
40
中間尾根から金ヶ丸谷源流へと下降開始
12:00
12:00
20
金ヶ丸谷に降り立つ
12:20
金ヶ丸谷源流部の幕営地
3日目
山行
12:00
休憩
0:00
合計
12:00
6:20
10
金ヶ丸谷源流部の幕営地
6:30
6:30
60
朴の木谷に入る
7:30
7:30
10
越美国境稜線
7:40
7:40
90
カイドウの尾を下降開始
9:10
9:10
70
P849
10:20
10:20
70
黒谷に降り立つ
11:30
11:30
210
広野ダム(古道探索終了)
15:00
15:00
200
夜叉ヶ池
18:20
椀戸谷出合(駐車地)
道の痕跡やブナの切り付け文字などを探しながら歩いていたため,全体的にタイムはゆっくりめです。
天候 5/1 曇りのち雨 5/2 晴れ 5/3 晴れ
過去天気図(気象庁) 2023年05月の天気図
アクセス
利用交通機関:
自家用車
夜叉ヶ池登山口(岐阜県側)につながる町道の椀戸谷出合に駐車。3台分程度駐車余地あり。
コース状況/
危険箇所等
 奥美濃の秘境の一つとも言える金ヶ丸谷・根洞谷の二大美渓が流れる揖斐川源流域と,人を寄せ付けぬ深い藪に包まれた越美国境稜線。そんな深く険しい山地を横一文字に貫いて,かつて一筋の道が美濃側の旧徳山村・門入集落と越前側の旧広野村・二ツ屋集落を結んでいたと言われている。「カイドウ(街道)」という呼び名を現地地名に残し,古地図の点線路にわずかに姿を留めているこの古道を,深い渓谷と藪尾根の中に辿った3日間の記録。

【ルート状況】
※ 山行ジャンルを「無雪期ピークハント」としていますが,谷を辿っている部分は(古道の巻き道等がほとんど消失してしまった現在では)実質的に沢登りであり,沢登りの装備が必要なのでご注意を。
・ 揖斐川源流(西谷)までは,椀戸谷の枝谷からP905付近に上がった後,茂津谷を下降してアプローチ。椀戸谷の枝谷は途中まで左岸の廃林道が辿れ,その後は意外に滝がいくつか出てくるが通過は容易。茂津谷は滝は全く出てこず下降に最適,周囲は大木こそないものの自然林で雰囲気は悪くない。
・ 西谷本流(シン谷とも。金ヶ丸谷・根洞谷二俣より下流の区間)は,古道ルートを忠実に辿るため,敢えて左岸の廃林道を辿らず,水線沿いに遡行した。大きな滝こそないものの,水量豊富で水勢も強く,また古道跡もほとんど残っていないため,何度も腰まで浸かっての渡渉やヘツリを繰り返すことになるので,それなりに労力と時間を要する(【後日追記】今回は雨や雪代でかなり増水していた様子。後日,平水時に歩いた際はかなり容易になっていた)。上流へ行くほど両岸の壁がそそり立ち,水勢も強くなるので注意。「樹林の山旅」にも出てくる難所・オセビの淵(ちょうど中間くらいにある足の立たない淵)は,右壁が容易に直登できる(同書には尾根越しが本道とあるが,道跡は見当たらず,急斜面で大変そうだった)。沢登りとしては大味で単調かもしれないが,谷中は意外なことに深い自然林が続いて渓谷美が素晴らしく,盛夏であれば水と積極的に戯れる楽しい渓歩きができそう。
・ 金ヶ丸谷と根洞谷の中間尾根(三周ヶ岳北東尾根)は,少なくとも三周ヶ岳の山頂直前まではほとんど藪らしい藪がなく,道の跡が濃厚で,快適に歩行可能。ブナの森がすばらしく,本ルートのハイライトの一つ。P927の辺りが少しだけ藪っぽいが,短いので気にならないと思う。P927とP998の間に,かつての通行人たちによるブナの彫り付け文字が多数点在しており,昔を偲ぶことができる。なお,三周ヶ岳直下の急登部分は凄まじいシャクナゲの激藪であり,三周ヶ岳側からこの尾根に下降することはあまり考えないほうが良い。
・ 金が丸谷と根洞尾根の中間尾根〜金ヶ丸谷源流〜朴の木谷(推定)〜坊主坂(推定)〜越美国境稜線の区間は,古道のルートが不明な区間であり,明治47年陸地測量部地形図や「樹林の山旅」の記述から推定した最短ルートをつないで歩いた。結果的に,金ヶ丸谷のゴルジュ区間と三周ヶ岳の激藪という2つの難所をうまくかわして容易に通過することができた。ただし,金ヶ丸谷源流でやや慎重なヘツリを要する小滝が2つほど出てきてしまったので,古道はもう少し上流側から山腹を巻くようにして中間尾根に上がっていたのかもしれない。
・ 越美国境稜線〜カイドウの尾〜黒谷〜広野ダム(廃村二ツ屋)の区間は,越美国境稜線上は例によって灌木の藪がうるさいものの,カイドウの尾に入るとすぐに藪の薄い素晴らしいブナの尾根となり,道の痕跡も概ねはっきりしていて,ここも本ルートのハイライトの一つといえる区間。ただ,P849から黒谷に下降する支尾根に入ると急に雑然とした植生となり歩きにくくなる。黒谷は意外なことに自然林が広がり,大きなトチノキが残っている。中間部に谷が狭まり小滝が連続する区間があるが,左岸の高い位置に杣道の跡があり,それを辿って通過できる(ただし,ところどころ崩壊気味で切れ落ちた箇所もあるので,慎重を要する)。
古道「カイドウ」ルート図その
(門入〜西谷本流(シン谷)〜金ヶ丸・根洞谷二俣)
※古道のルートは,陸地測量部地形図(明治42年測図)の点線路及び「樹林の山旅」の記述から推定したものです。
※クリックで拡大できます
古道「カイドウ」ルート図その
(門入〜西谷本流(シン谷)〜金ヶ丸・根洞谷二俣)
※古道のルートは,陸地測量部地形図(明治42年測図)の点線路及び「樹林の山旅」の記述から推定したものです。
※クリックで拡大できます
古道「カイドウ」ルート図その
(金ヶ丸・根洞谷二俣〜金ヶ丸・根洞谷中間尾根〜金ヶ丸源流〜越美国境稜線)
※クリックで拡大できます
古道「カイドウ」ルート図その
(金ヶ丸・根洞谷二俣〜金ヶ丸・根洞谷中間尾根〜金ヶ丸源流〜越美国境稜線)
※クリックで拡大できます
古道「カイドウ」ルート図その
(越美国境稜線〜カイドウの尾〜黒谷〜二ツ屋)
※クリックで拡大できます
古道「カイドウ」ルート図その
(越美国境稜線〜カイドウの尾〜黒谷〜二ツ屋)
※クリックで拡大できます
【アプローチ】椀戸谷の出合に車を置いて,山行スタート。揖斐川源流の西谷(シン谷)を目指して,まずは椀戸谷経由で稜線に上がる。
【アプローチ】椀戸谷の出合に車を置いて,山行スタート。揖斐川源流の西谷(シン谷)を目指して,まずは椀戸谷経由で稜線に上がる。
【アプローチ】椀戸谷の堰堤の記載がある枝谷は,意外に滝が出てきて楽しい。写真は滝になって出合っている二俣。通過は容易。
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【アプローチ】椀戸谷の堰堤の記載がある枝谷は,意外に滝が出てきて楽しい。写真は滝になって出合っている二俣。通過は容易。
【アプローチ】椀戸谷からP905付近に上がり,反対側の茂津谷へ下降。滝は一つもなく,下降路に最適。源頭付近に廃林道も通っているので,植生は微妙かと思っていたら,二次林ながら自然林で雰囲気も悪くない。
【アプローチ】椀戸谷からP905付近に上がり,反対側の茂津谷へ下降。滝は一つもなく,下降路に最適。源頭付近に廃林道も通っているので,植生は微妙かと思っていたら,二次林ながら自然林で雰囲気も悪くない。
【古道「カイドウ」の探索開始(西谷本流)】茂津谷をひたすら下降し,やっと揖斐川源流・西谷の本流(シン谷)に降り立った。ここから「カイドウ」ルートと合流し,本格的に探索開始となる。明るく開けた谷底いっぱいに滔々と流れる清流の風景に,一瞬で心を奪われた。
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【古道「カイドウ」の探索開始(西谷本流)】茂津谷をひたすら下降し,やっと揖斐川源流・西谷の本流(シン谷)に降り立った。ここから「カイドウ」ルートと合流し,本格的に探索開始となる。明るく開けた谷底いっぱいに滔々と流れる清流の風景に,一瞬で心を奪われた。
左岸斜面を100mほど上がれば廃林道があるが,昔の古道は谷底を通っていたようなので,敢えて谷沿いに遡行する。というか,こんなに美しい谷なら,林道に上がってしまうのは単純にもったいない。河原をつないで頻繁に渡渉を繰り返すが,水量は豊富なものの,この辺りはまだ谷が広く膝位の渡渉で済むので,通過は難しくない。
左岸斜面を100mほど上がれば廃林道があるが,昔の古道は谷底を通っていたようなので,敢えて谷沿いに遡行する。というか,こんなに美しい谷なら,林道に上がってしまうのは単純にもったいない。河原をつないで頻繁に渡渉を繰り返すが,水量は豊富なものの,この辺りはまだ谷が広く膝位の渡渉で済むので,通過は難しくない。
古道が現役だった当時は,河原をつないで踏み跡があったらしいのだが,現在の両岸はボサが広がるばかりで,道の形跡は残念ながら全く見当たらない。
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古道が現役だった当時は,河原をつないで踏み跡があったらしいのだが,現在の両岸はボサが広がるばかりで,道の形跡は残念ながら全く見当たらない。
道が消失しているとなれば,古道探索の趣旨からは外れてしまうが,水線沿いに遡行を続けるしかない。渡渉は多いものの,決定的な悪場は出てこないので,仮に巻き道がないとしても,昔の人でもこれくらいの遡行は十分こなせただろう(むしろ,私なんかよりずっとうまかったかも?)。
道が消失しているとなれば,古道探索の趣旨からは外れてしまうが,水線沿いに遡行を続けるしかない。渡渉は多いものの,決定的な悪場は出てこないので,仮に巻き道がないとしても,昔の人でもこれくらいの遡行は十分こなせただろう(むしろ,私なんかよりずっとうまかったかも?)。
左岸に林道が走っているので,植林の多い殺風景な谷なのかと思い込んでいたのだが,ほんの一部に植林が見られるものの,ほとんどは自然林で,写真のような立派なトチノキも見られる。予想外の美しい渓相に驚いた。
左岸に林道が走っているので,植林の多い殺風景な谷なのかと思い込んでいたのだが,ほんの一部に植林が見られるものの,ほとんどは自然林で,写真のような立派なトチノキも見られる。予想外の美しい渓相に驚いた。
上流は金ヶ丸谷と根洞谷という二大美渓なので,当然のことながら水は驚くほどの透明度。周囲の緑と相まって,この本流区間も十分に「美渓」と言っていいと思う。林道は斜面のかなり高い位置を通っているので谷底からは全く存在に気付かず,気にならない。
上流は金ヶ丸谷と根洞谷という二大美渓なので,当然のことながら水は驚くほどの透明度。周囲の緑と相まって,この本流区間も十分に「美渓」と言っていいと思う。林道は斜面のかなり高い位置を通っているので谷底からは全く存在に気付かず,気にならない。
右岸の烏帽子山側から流れ落ちる枝谷は険しいものが多く,滝記号があるものもあるので,覗き込みながら遡行したが,やはり滝になって流れ込むものもいくつか。気になるなぁ。
右岸の烏帽子山側から流れ落ちる枝谷は険しいものが多く,滝記号があるものもあるので,覗き込みながら遡行したが,やはり滝になって流れ込むものもいくつか。気になるなぁ。
美しい渓谷が続く。滝はほとんど出てこないが,次第に水勢が強くなり,渡渉やヘツリに緊張する場面もあり,沢登り的にも結構楽しい。おそらく,こういう箇所には巻き道が付いていたのだと思うが,残念ながらそれらしき踏み跡に気づくことはなかった。
美しい渓谷が続く。滝はほとんど出てこないが,次第に水勢が強くなり,渡渉やヘツリに緊張する場面もあり,沢登り的にも結構楽しい。おそらく,こういう箇所には巻き道が付いていたのだと思うが,残念ながらそれらしき踏み跡に気づくことはなかった。
沢登りの対象としては,上流の金ヶ丸谷や根洞谷ばかりがクローズアップされるが,この西谷の本流部分も併せて遡行したらもっと楽しめるのでは。余分に一日かかってしまうが…。
沢登りの対象としては,上流の金ヶ丸谷や根洞谷ばかりがクローズアップされるが,この西谷の本流部分も併せて遡行したらもっと楽しめるのでは。余分に一日かかってしまうが…。
さて,上流に行くほど両岸が岩壁状に立った区間が多くなってきて,ついに「樹林の山旅」にも登場するオセビの難所の淵が現れた。確かにここは足が立たず,水流もあって中央突破は苦労しそう。同書によると右岸の尾根に上がって巻くのが本道らしいのだが,道は消失してしまったようで全く見当たらず,急斜面が続くばかりで逆にかなり苦労しそう。結局,淵の右壁を直登して越えてしまった(容易でした)。
さて,上流に行くほど両岸が岩壁状に立った区間が多くなってきて,ついに「樹林の山旅」にも登場するオセビの難所の淵が現れた。確かにここは足が立たず,水流もあって中央突破は苦労しそう。同書によると右岸の尾根に上がって巻くのが本道らしいのだが,道は消失してしまったようで全く見当たらず,急斜面が続くばかりで逆にかなり苦労しそう。結局,淵の右壁を直登して越えてしまった(容易でした)。
オセビの難所を越えると,谷はますますV字状に狭まってきた。斜面を巻くこともできず,特に今回は連日の雨と雪代でかなり増水しているようで,腰まで浸かっての渡渉やヘツリを何度も強いられる。しまいに雨まで降り出して,低い水温も相まって寒くて仕方がない。これは5月初旬にやる内容じゃなかったな…。
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オセビの難所を越えると,谷はますますV字状に狭まってきた。斜面を巻くこともできず,特に今回は連日の雨と雪代でかなり増水しているようで,腰まで浸かっての渡渉やヘツリを何度も強いられる。しまいに雨まで降り出して,低い水温も相まって寒くて仕方がない。これは5月初旬にやる内容じゃなかったな…。
ここなんかは完全な廊下で,巻き道をつけることもままならなかったのでは。それとも,古道はかなり高い位置を巻いていたのだろうか? とにかく,今は強い水流に流されまいと踏ん張りつつ,壁際を際どくヘツリ抜けていくしかない。
ここなんかは完全な廊下で,巻き道をつけることもままならなかったのでは。それとも,古道はかなり高い位置を巻いていたのだろうか? とにかく,今は強い水流に流されまいと踏ん張りつつ,壁際を際どくヘツリ抜けていくしかない。
嫌と言うほど冷たい水に浸かり続け,延々と蛇行を続ける渓谷を辿っていくと,ようやく谷が開け始めた。もうすぐ二俣だろうか。
嫌と言うほど冷たい水に浸かり続け,延々と蛇行を続ける渓谷を辿っていくと,ようやく谷が開け始めた。もうすぐ二俣だろうか。
やっと着いた,金ヶ丸谷(右)と根洞谷(左)の二俣だ! ここに来るのは,何年か前にこの二つの谷を一泊二日で遡下降した時以来。懐かしい。
やっと着いた,金ヶ丸谷(右)と根洞谷(左)の二俣だ! ここに来るのは,何年か前にこの二つの谷を一泊二日で遡下降した時以来。懐かしい。
早々に焚火を起こして暖まりたい欲求を抑えつつ,まずは二俣の中間尾根をすぐ上がったところにある台地の様子を調べる。ここは「樹林の山旅」では清生傳吉の小屋があった場所で,森本次男のパーティーがアマゴ料理を楽しみつつ豪華な夜を過ごした場所だ。
早々に焚火を起こして暖まりたい欲求を抑えつつ,まずは二俣の中間尾根をすぐ上がったところにある台地の様子を調べる。ここは「樹林の山旅」では清生傳吉の小屋があった場所で,森本次男のパーティーがアマゴ料理を楽しみつつ豪華な夜を過ごした場所だ。
この小屋場が,「カイドウ」を行き交う人々の休息&宿泊場所にもなっていた時代もあったのではないかと推測していたのだが,現在は雑然とした笹薮が広がるばかりで,小屋の形跡は既に微塵もなかった。地面にころがった丸石が,小屋の基石を思わせる程度だ。気持ちのいい場所だったらここに泊ってもいいかな,と思っていたのだが,現在ではそんな気にもなれない場所になり果てていた。
この小屋場が,「カイドウ」を行き交う人々の休息&宿泊場所にもなっていた時代もあったのではないかと推測していたのだが,現在は雑然とした笹薮が広がるばかりで,小屋の形跡は既に微塵もなかった。地面にころがった丸石が,小屋の基石を思わせる程度だ。気持ちのいい場所だったらここに泊ってもいいかな,と思っていたのだが,現在ではそんな気にもなれない場所になり果てていた。
というわけで,大人しく河原に降りて,タープを張る。数年前の金ヶ丸谷・根洞谷の遡下降時にも泊まった場所なのだが,その時よりも砂利が堆積して河原が広くなっており,泊まりやすくなっていた。
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というわけで,大人しく河原に降りて,タープを張る。数年前の金ヶ丸谷・根洞谷の遡下降時にも泊まった場所なのだが,その時よりも砂利が堆積して河原が広くなっており,泊まりやすくなっていた。
ここ数日来の雨で河原に転がる薪はぐっしょり濡れていたが,焚火を起こさないと米さえ炊けないので(ガスバーナーはあくまで非常用の位置づけで,燃料はわずかしか持ってきていない),必死こいて火をおこした。西谷本流の遡行で冷え切った体にぬくもりが戻って来る。夜半から天候は回復して美しい星月夜となり,安心して眠りに落ちた。
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ここ数日来の雨で河原に転がる薪はぐっしょり濡れていたが,焚火を起こさないと米さえ炊けないので(ガスバーナーはあくまで非常用の位置づけで,燃料はわずかしか持ってきていない),必死こいて火をおこした。西谷本流の遡行で冷え切った体にぬくもりが戻って来る。夜半から天候は回復して美しい星月夜となり,安心して眠りに落ちた。
【2日目。金ヶ丸谷・根洞谷の中間尾根】翌朝,消えかけた焚火を起こし直してお茶漬けをすすり,手早くタープを撤収して金ヶ丸谷と根洞谷の中間尾根に取りつく。徳山に残る地名では,「カイドウ(街道)」と呼ばれている尾根だ。藪の状態を気にしていたが,尾根末端から驚くほど明瞭な踏み跡が続いていた。古道の名残を,獣たちが獣道として使い続けているのだろう。
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【2日目。金ヶ丸谷・根洞谷の中間尾根】翌朝,消えかけた焚火を起こし直してお茶漬けをすすり,手早くタープを撤収して金ヶ丸谷と根洞谷の中間尾根に取りつく。徳山に残る地名では,「カイドウ(街道)」と呼ばれている尾根だ。藪の状態を気にしていたが,尾根末端から驚くほど明瞭な踏み跡が続いていた。古道の名残を,獣たちが獣道として使い続けているのだろう。
美しいブナの森が続く。目の覚めるような新緑だ。
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美しいブナの森が続く。目の覚めるような新緑だ。
ところどころツツジの紅が鮮やかだ。
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ところどころツツジの紅が鮮やかだ。
このように明瞭な道跡が続く。獣道だけでは説明がつかない,しっかりとした感触の道だ。やはり古道の跡なのだろう。
このように明瞭な道跡が続く。獣道だけでは説明がつかない,しっかりとした感触の道だ。やはり古道の跡なのだろう。
素晴らしい森。登山ルートとしても十分魅力的。
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素晴らしい森。登山ルートとしても十分魅力的。
P927にはしっかりした水深を持った池があった。
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P927にはしっかりした水深を持った池があった。
P927からしばらく若干藪っぽいが,相変わらず良いブナの森。
P927からしばらく若干藪っぽいが,相変わらず良いブナの森。
すぐに道が復活。歩きやすい尾根が続く。
すぐに道が復活。歩きやすい尾根が続く。
と,ついに,かつての通行人の痕跡を発見! ブナの木に文字が切り付けられている! ちょっと興奮してしまった。
(旧徳山村周辺の古道では,例えば檜尾峠など,通行人が記念としてブナの木に文字を彫りつけたものが残されていることがあり,実はちょっと期待していた)
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と,ついに,かつての通行人の痕跡を発見! ブナの木に文字が切り付けられている! ちょっと興奮してしまった。
(旧徳山村周辺の古道では,例えば檜尾峠など,通行人が記念としてブナの木に文字を彫りつけたものが残されていることがあり,実はちょっと期待していた)
「四年九月 十四十五」と読める。「四年」は明治なのか大正なのか昭和なのか不明だが(さすがに平成ではないだろう),いずれにせよかなり古いものだ。「十四十五」の意味は不明。
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「四年九月 十四十五」と読める。「四年」は明治なのか大正なのか昭和なのか不明だが(さすがに平成ではないだろう),いずれにせよかなり古いものだ。「十四十五」の意味は不明。
こちらには「七年十月 トシ」とある。トシさんという女性が,明治か大正か昭和かの七年十月に,この尾根を通ったのだ! どんな女性だったのだろう。そしてどんな目的で,この尾根を歩いたのだろうか。
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こちらには「七年十月 トシ」とある。トシさんという女性が,明治か大正か昭和かの七年十月に,この尾根を通ったのだ! どんな女性だったのだろう。そしてどんな目的で,この尾根を歩いたのだろうか。
分かりやすいように,彫り込み文字を画像上で赤ペンでなぞってみました。
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分かりやすいように,彫り込み文字を画像上で赤ペンでなぞってみました。
「四十六年四月 太井〇」(〇の文字は読めず)と読める。昭和四十六年と思われるので,比較的新しい彫り込みだ。
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「四十六年四月 太井〇」(〇の文字は読めず)と読める。昭和四十六年と思われるので,比較的新しい彫り込みだ。
また別に木にも彫り込み。薄くて読めないが,確かに文字だ。
また別に木にも彫り込み。薄くて読めないが,確かに文字だ。
こちらは「五二才」とある。年齢のようだ。
こちらは「五二才」とある。年齢のようだ。
また別の木にも! 「武田〇〇 二十六才」(〇の部分は読めず)とある。
また別の木にも! 「武田〇〇 二十六才」(〇の部分は読めず)とある。
こっちにも! 本当に切り付けが多いな。しかも,「出熊狩り」と来訪目的まで書いてあり,大変興味深い。「出熊」は冬眠穴から出てきたばかりの熊のことなので,春先に熊狩りに訪れたのだろう。この尾根は,猟師などの山仕事人も多く訪れていたようだ。「カイドウ」の古道があってのことだろう。
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こっちにも! 本当に切り付けが多いな。しかも,「出熊狩り」と来訪目的まで書いてあり,大変興味深い。「出熊」は冬眠穴から出てきたばかりの熊のことなので,春先に熊狩りに訪れたのだろう。この尾根は,猟師などの山仕事人も多く訪れていたようだ。「カイドウ」の古道があってのことだろう。
「出熊狩り」の隣に彫られていた文字。「〇 三十六才」と。〇の部分は名前かと思うが,残念ながら読めない。何かの符丁だろうか?
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「出熊狩り」の隣に彫られていた文字。「〇 三十六才」と。〇の部分は名前かと思うが,残念ながら読めない。何かの符丁だろうか?
まただ! こちらも「〇〇狩り 四十一才 四〇」と彫られている(〇の部分は読めず)。
このように,P927からP998の区間で,数多くの彫り込み文字を目にすることが出来た(私が見逃したものが他にもありそう)。現在は秘境としか思えないこの尾根を,かつては多くの人々が様々な目的で行き交っていたことを実感できた。なんだか感動した。
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まただ! こちらも「〇〇狩り 四十一才 四〇」と彫られている(〇の部分は読めず)。
このように,P927からP998の区間で,数多くの彫り込み文字を目にすることが出来た(私が見逃したものが他にもありそう)。現在は秘境としか思えないこの尾根を,かつては多くの人々が様々な目的で行き交っていたことを実感できた。なんだか感動した。
その後も,大きなブナの木が出てくるたびに,幹を一回りして文字が彫り付けられていないか調べるのが習慣となった。彫り込み文字は古道の大切な遺構なので,見逃すわけにはいかない。おかげで歩行ペースはガタ落ちだが…。
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その後も,大きなブナの木が出てくるたびに,幹を一回りして文字が彫り付けられていないか調べるのが習慣となった。彫り込み文字は古道の大切な遺構なので,見逃すわけにはいかない。おかげで歩行ペースはガタ落ちだが…。
進めば進むほど,ブナが立派になっていく気がする。おそらく,本格的に人の手が入っていない領域に入りつつあるのだろう。
進めば進むほど,ブナが立派になっていく気がする。おそらく,本格的に人の手が入っていない領域に入りつつあるのだろう。
しかし相変わらず,道形は明瞭だ。部分的には,現役の登山道かと見紛うくらい。ブナに文字を彫り付けた人々も,この道を歩いたのだろう。
しかし相変わらず,道形は明瞭だ。部分的には,現役の登山道かと見紛うくらい。ブナに文字を彫り付けた人々も,この道を歩いたのだろう。
左手には沢筋に白く雪渓を残した高丸の姿。
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左手には沢筋に白く雪渓を残した高丸の姿。
両側を金ヶ丸谷と根洞谷という深い渓谷に挟まれたこの尾根は,両側斜面の森も太い木が多く,素晴らしい。
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両側を金ヶ丸谷と根洞谷という深い渓谷に挟まれたこの尾根は,両側斜面の森も太い木が多く,素晴らしい。
そして,P998の平に到着。ブナの古木が立ち並ぶ,気持ちのいい平だ。ザックを下ろして休憩するにはもってこいの場所。
そして,P998の平に到着。ブナの古木が立ち並ぶ,気持ちのいい平だ。ザックを下ろして休憩するにはもってこいの場所。
この面白い形のブナの木は,見覚えあるなぁ。2020年6月に,この尾根にある池マークを小茂津谷経由で探索に来た際にも眺めた木だ。また再会できるとは。
この面白い形のブナの木は,見覚えあるなぁ。2020年6月に,この尾根にある池マークを小茂津谷経由で探索に来た際にも眺めた木だ。また再会できるとは。
堂々たるトチノキ
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堂々たるトチノキ
ブナが所狭しと立ち並ぶ。
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ブナが所狭しと立ち並ぶ。
本当に気持ちのいい平。ミソサザイやコマドリ,クロツグミの声が森じゅうに響き渡っている。コマドリとクロツグミは,今年はじめて聞くなぁ。もう初夏か。
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本当に気持ちのいい平。ミソサザイやコマドリ,クロツグミの声が森じゅうに響き渡っている。コマドリとクロツグミは,今年はじめて聞くなぁ。もう初夏か。
平から少し進むと,現行の地形図で池マークが描かれている箇所。残念ながら,前回訪問時よりもさらに水が減ってしまっていた。古道が現役だった時代は,一面に水を湛えていたのだろうか。
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平から少し進むと,現行の地形図で池マークが描かれている箇所。残念ながら,前回訪問時よりもさらに水が減ってしまっていた。古道が現役だった時代は,一面に水を湛えていたのだろうか。
この池(跡)の周りも,ブナの大木が多い。
この池(跡)の周りも,ブナの大木が多い。
池(跡)から少し下ると,この尾根の最低鞍部に着く。「ヒクミ」という地元地名が残されており,おそらく猟師などの山仕事人が,金ヶ丸谷の流域と根洞谷の流域を行き来するのに使っていたのではないだろうか。
池(跡)から少し下ると,この尾根の最低鞍部に着く。「ヒクミ」という地元地名が残されており,おそらく猟師などの山仕事人が,金ヶ丸谷の流域と根洞谷の流域を行き来するのに使っていたのではないだろうか。
ヒクミを過ぎた後も,美しいブナの森と,比較的はっきりした道跡が続く。
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ヒクミを過ぎた後も,美しいブナの森と,比較的はっきりした道跡が続く。
道中はシャクナゲの花盛り。
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道中はシャクナゲの花盛り。
右手には美濃俣丸が近くなってきた。
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右手には美濃俣丸が近くなってきた。
越美国境稜線の美濃俣丸(左),大河内山(右),ロボットピーク(真ん中あたりにちょこんと見えている)の眺め。
越美国境稜線の美濃俣丸(左),大河内山(右),ロボットピーク(真ん中あたりにちょこんと見えている)の眺め。
さて,そろそろ,今回の山行の核心部が近づいてきた。古道ルートは,この中間尾根から金ヶ丸谷源流部に下降したのち,金ヶ丸谷の枝谷である「朴の木谷」と呼ばれる谷に入り,越美国境稜線に上がっていたらしい。とりわけ,この中間尾根から金ヶ丸谷へ下降する区間は,古地図や文献でも古道のルート取りを特定できなかった区間だ。自分のルートファインディング力を,いかに昔の人の感覚とシンクロできるかが試される。
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さて,そろそろ,今回の山行の核心部が近づいてきた。古道ルートは,この中間尾根から金ヶ丸谷源流部に下降したのち,金ヶ丸谷の枝谷である「朴の木谷」と呼ばれる谷に入り,越美国境稜線に上がっていたらしい。とりわけ,この中間尾根から金ヶ丸谷へ下降する区間は,古地図や文献でも古道のルート取りを特定できなかった区間だ。自分のルートファインディング力を,いかに昔の人の感覚とシンクロできるかが試される。
これまで快適だったこの尾根も,三周ヶ岳に近づくにつれて,次第に藪が濃くなってくる。しかし,まだ余裕を持って歩ける程度。(三周ヶ岳手前の激藪は,こんなに甘いもんじゃない…)
これまで快適だったこの尾根も,三周ヶ岳に近づくにつれて,次第に藪が濃くなってくる。しかし,まだ余裕を持って歩ける程度。(三周ヶ岳手前の激藪は,こんなに甘いもんじゃない…)
ちょうど尾根が三周ヶ岳の山頂に向けて南へ曲がり始め,急登が始まる直前の小鞍部まで来た。木々の間に,三周ヶ岳の尖った山頂がそそり立つ。 よし,ここだ! 事前の計画段階で,三周ヶ岳の激藪を避け,最短距離・最低高度差で金ヶ丸谷源流部に降り立つなら,ここだと目星をつけていた場所だ。現地は結構はっきりした鞍部になっており,尾根の真正面に三周ヶ岳も見えるので,体感的にも変化があってわかりやすい場所だ。ここで尾根筋を外れ,右手の斜面を下り出す。
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ちょうど尾根が三周ヶ岳の山頂に向けて南へ曲がり始め,急登が始まる直前の小鞍部まで来た。木々の間に,三周ヶ岳の尖った山頂がそそり立つ。 よし,ここだ! 事前の計画段階で,三周ヶ岳の激藪を避け,最短距離・最低高度差で金ヶ丸谷源流部に降り立つなら,ここだと目星をつけていた場所だ。現地は結構はっきりした鞍部になっており,尾根の真正面に三周ヶ岳も見えるので,体感的にも変化があってわかりやすい場所だ。ここで尾根筋を外れ,右手の斜面を下り出す。
尾根筋から外れて金ヶ丸谷側の斜面を下り出すと,すぐに藪が薄くなり,歩きやすくなった。さすがに,この斜面には道跡らしきものは残っていなかったが…。
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尾根筋から外れて金ヶ丸谷側の斜面を下り出すと,すぐに藪が薄くなり,歩きやすくなった。さすがに,この斜面には道跡らしきものは残っていなかったが…。
すぐに浅く緩やかな沢状地形に入り,それを下っていく。とても歩きやすく,美しい流れ。これが古道の正解ルートなのかは分からないが,その可能性は十分あると感じた。というか,登山ルートとしても十分「当たりルート」だ。
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すぐに浅く緩やかな沢状地形に入り,それを下っていく。とても歩きやすく,美しい流れ。これが古道の正解ルートなのかは分からないが,その可能性は十分あると感じた。というか,登山ルートとしても十分「当たりルート」だ。
流れのほとりには,リュウキンカの可憐な黄色い花が。このあたりの山では,初めて見た気がする。
流れのほとりには,リュウキンカの可憐な黄色い花が。このあたりの山では,初めて見た気がする。
大きなブナの木が林立する斜面を,小さな流れに沿って下っていく。
大きなブナの木が林立する斜面を,小さな流れに沿って下っていく。
【金ヶ丸谷源流部】そして,難所にぶつかることなく,スムーズに金ヶ丸谷源流部に降り立つことができた(左の小さな流れが降りて来た枝沢)。本ルートで一番心配していた区間だったので,一安心。降りて来た枝沢は,金ヶ丸谷からも目立つので,仮に古道ルートとしても分かりやすいはず。
【金ヶ丸谷源流部】そして,難所にぶつかることなく,スムーズに金ヶ丸谷源流部に降り立つことができた(左の小さな流れが降りて来た枝沢)。本ルートで一番心配していた区間だったので,一安心。降りて来た枝沢は,金ヶ丸谷からも目立つので,仮に古道ルートとしても分かりやすいはず。
下流側を見ると,すぐ下がややこしそうな滝場になっており,見るからに不気味なボロボロのスノーブリッジが掛かっていた…。金ヶ丸谷の難所区間がちょうど終わったところで,うまく谷底に降りてきたことになる。こうした点からも,今回下降したルートのあたりを古道も下っていたのでは,と思いたくなる。
下流側を見ると,すぐ下がややこしそうな滝場になっており,見るからに不気味なボロボロのスノーブリッジが掛かっていた…。金ヶ丸谷の難所区間がちょうど終わったところで,うまく谷底に降りてきたことになる。こうした点からも,今回下降したルートのあたりを古道も下っていたのでは,と思いたくなる。
びっくりしたのは,ちょうど降り立ったあたりの金ヶ丸谷の谷底は,リュウキンカの群生地だったこと。このあたりの谷にもこんなにリュウキンカがあったなんて,初めて知った!
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びっくりしたのは,ちょうど降り立ったあたりの金ヶ丸谷の谷底は,リュウキンカの群生地だったこと。このあたりの谷にもこんなにリュウキンカがあったなんて,初めて知った!
リュウキンカの鮮やかなイエローが嬉しい。ただ,渓谷の脇の,急峻な岩壁ばかりに群生しているので,おそらくシカの食害が届かない場所だけに群生地が残っているのだろう。
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リュウキンカの鮮やかなイエローが嬉しい。ただ,渓谷の脇の,急峻な岩壁ばかりに群生しているので,おそらくシカの食害が届かない場所だけに群生地が残っているのだろう。
さて,金ヶ丸谷を上流に向けて歩き出すと…あらら,一個だけ小滝と淵が出てきちゃった…。沢登りの装備に身を包んだ登山者なら簡単にヘツリ気味に越えられるが,昔の古道の通行人にはちょっと荷が重いかもしれない。古道はもうちょっと上流側で斜面に上がっていたのかなぁ。
さて,金ヶ丸谷を上流に向けて歩き出すと…あらら,一個だけ小滝と淵が出てきちゃった…。沢登りの装備に身を包んだ登山者なら簡単にヘツリ気味に越えられるが,昔の古道の通行人にはちょっと荷が重いかもしれない。古道はもうちょっと上流側で斜面に上がっていたのかなぁ。
先ほどの小滝を越えると,すぐにこの穏やかな枝沢が出てきた。もしかしたら,古道はこの枝沢から谷を離れ,斜面をトラバースして尾根へと上がっていたのかもしれない。(というか,ここまで来れば斜面が緩い箇所も多いので,割とどこからでも尾根に上がれそう。写真欄冒頭のルート図△某簑ルートを黄緑点線で示しました。)
先ほどの小滝を越えると,すぐにこの穏やかな枝沢が出てきた。もしかしたら,古道はこの枝沢から谷を離れ,斜面をトラバースして尾根へと上がっていたのかもしれない。(というか,ここまで来れば斜面が緩い箇所も多いので,割とどこからでも尾根に上がれそう。写真欄冒頭のルート図△某簑ルートを黄緑点線で示しました。)
雪渓の残り具合を心配していたのだが,ところどころ雪渓の残骸が出てくるぐらいで,問題はなかった。数年前に金ヶ丸谷を遡行したときは,雪の多い年だったこともあり,6月初旬だというのに5回くらい雪渓くぐりをやらされて冷や汗をかいた記憶があるので,今年はやっぱり雪が少なかったんだなと実感。
雪渓の残り具合を心配していたのだが,ところどころ雪渓の残骸が出てくるぐらいで,問題はなかった。数年前に金ヶ丸谷を遡行したときは,雪の多い年だったこともあり,6月初旬だというのに5回くらい雪渓くぐりをやらされて冷や汗をかいた記憶があるので,今年はやっぱり雪が少なかったんだなと実感。
金ヶ丸谷の源流部は本当に穏やかで気持ちがよく,大好きな場所。今回も訪れるのを楽しみにしていた。期待どおりの美しい流れだ。
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金ヶ丸谷の源流部は本当に穏やかで気持ちがよく,大好きな場所。今回も訪れるのを楽しみにしていた。期待どおりの美しい流れだ。
あ”ー,新緑のシャワーが気持ちいー(ドーパミン全開状態)
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あ”ー,新緑のシャワーが気持ちいー(ドーパミン全開状態)
古道探索と言う目的を忘れ去ってしまうほどの,美しい空間。というか,古道を辿ってここまで来た昔の人も,ここできっと一服入れて,清水に喉をうるおし,しばし周囲の緑を眺めたに違いない。そう思える。(実際,ここでわざわざ古道が谷に降りているのは,前後に長い尾根道を控えて,水の補給やクールダウンという大切な意味もあったはずだ。)
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古道探索と言う目的を忘れ去ってしまうほどの,美しい空間。というか,古道を辿ってここまで来た昔の人も,ここできっと一服入れて,清水に喉をうるおし,しばし周囲の緑を眺めたに違いない。そう思える。(実際,ここでわざわざ古道が谷に降りているのは,前後に長い尾根道を控えて,水の補給やクールダウンという大切な意味もあったはずだ。)
穏やかに蛇行する源流の両側に,ブナの木立が行儀よく立ち並ぶ,金ヶ丸谷独特の風景。「ブナの牧場」,意味もなくそんな言葉が頭に浮かんでしまう。
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穏やかに蛇行する源流の両側に,ブナの木立が行儀よく立ち並ぶ,金ヶ丸谷独特の風景。「ブナの牧場」,意味もなくそんな言葉が頭に浮かんでしまう。
幸せなそぞろ歩きが続く。
幸せなそぞろ歩きが続く。
よし決めた,今日はここに泊まっていこう! まだ12時だが,なにせ,広野ダムまで下山したあと,岐阜県側まで山越えして車を取りに行かないといけないし,ここで泊まっておいた方が得策だ。(というのは言い訳で,本当はここで一夜を過ごしたいという欲望に負けただけ…)
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よし決めた,今日はここに泊まっていこう! まだ12時だが,なにせ,広野ダムまで下山したあと,岐阜県側まで山越えして車を取りに行かないといけないし,ここで泊まっておいた方が得策だ。(というのは言い訳で,本当はここで一夜を過ごしたいという欲望に負けただけ…)
今日は雨は降らなさそうなので,タープは使わず,河原にゴロ寝のオープンビバーク。寝っ転がって新緑と青空を眺めながら,文庫本を読んで午後を過ごした。ヒガラやコガラの群れが,しきりにさえずりながらブナの梢を渡っていく。
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今日は雨は降らなさそうなので,タープは使わず,河原にゴロ寝のオープンビバーク。寝っ転がって新緑と青空を眺めながら,文庫本を読んで午後を過ごした。ヒガラやコガラの群れが,しきりにさえずりながらブナの梢を渡っていく。
もう源頭も近いというのに,不思議なくらい薪は豊富で,濡れた薪に苦労した昨夜とは打って変わってスムーズに炊事ができた。昔の人も,門入から古道を辿ってきた場合は,ちょうどこの辺りで日が暮れてしまうこともあったかもしれない。私と同じように,この辺りの河原で一夜を過ごしただろうかと,揺らめく焚火を見つめながら思いを馳せた。
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もう源頭も近いというのに,不思議なくらい薪は豊富で,濡れた薪に苦労した昨夜とは打って変わってスムーズに炊事ができた。昔の人も,門入から古道を辿ってきた場合は,ちょうどこの辺りで日が暮れてしまうこともあったかもしれない。私と同じように,この辺りの河原で一夜を過ごしただろうかと,揺らめく焚火を見つめながら思いを馳せた。
【3日目。朴の木谷へ】翌朝,泊まり場に一礼したあと,遡行再開。古い陸地測量部地形図や「樹林の山旅」の記述から,ここが古道の通っていた「朴の木谷」だろうと推測した枝谷(写真の二俣の右側の流れ)に入る。
【3日目。朴の木谷へ】翌朝,泊まり場に一礼したあと,遡行再開。古い陸地測量部地形図や「樹林の山旅」の記述から,ここが古道の通っていた「朴の木谷」だろうと推測した枝谷(写真の二俣の右側の流れ)に入る。
案外狭い谷だが,水量は少ないので,昔の通行人でも容易に通過できただろう。「朴の木谷」というくらいだから,ホオノキが多いのかと思って歩きながら見回してみたが,ホオノキは一本も見当たらず…何でだろう。
案外狭い谷だが,水量は少ないので,昔の通行人でも容易に通過できただろう。「朴の木谷」というくらいだから,ホオノキが多いのかと思って歩きながら見回してみたが,ホオノキは一本も見当たらず…何でだろう。
こんな小滝はいくつか出てくるが,簡単に越えられる。
こんな小滝はいくつか出てくるが,簡単に越えられる。
と,谷が西に屈曲するあたりで,大きめの滝が! 2段8mくらいか。これがきっと,「樹林の山旅」にも記載されている「朴の木谷の途中にある大きな瀧」だろう。同書によれば,古道はこの滝を避けるため,枝尾根をひとつ越えて,次の谷から国境稜線に達していたらしい。実際,この滝は右岸の尾根から簡単に巻けそうだった。しかし,道は(当然のことながら)消滅したらしく見当たらず,滝は直登してしまいました(直登自体は容易)。
と,谷が西に屈曲するあたりで,大きめの滝が! 2段8mくらいか。これがきっと,「樹林の山旅」にも記載されている「朴の木谷の途中にある大きな瀧」だろう。同書によれば,古道はこの滝を避けるため,枝尾根をひとつ越えて,次の谷から国境稜線に達していたらしい。実際,この滝は右岸の尾根から簡単に巻けそうだった。しかし,道は(当然のことながら)消滅したらしく見当たらず,滝は直登してしまいました(直登自体は容易)。
その後もこんな小滝がいくつか。滝はごく小さいものの,両岸ともに足場に乏しく,ヘツリはやや慎重を要する。古道は,これらの前後の小滝も併せて巻き越えていたのかもしれない。
その後もこんな小滝がいくつか。滝はごく小さいものの,両岸ともに足場に乏しく,ヘツリはやや慎重を要する。古道は,これらの前後の小滝も併せて巻き越えていたのかもしれない。
実際,ある小滝は水線沿いの通過が難しく,右岸の小尾根から巻くことになった。すると,なんか妙にはっきりした平場が続いている気が…。まさか古道跡か!?(まあ,実際はただの獣道でしょうが…)
実際,ある小滝は水線沿いの通過が難しく,右岸の小尾根から巻くことになった。すると,なんか妙にはっきりした平場が続いている気が…。まさか古道跡か!?(まあ,実際はただの獣道でしょうが…)
小滝を巻き終えて谷に降り立つと,すぐに小さな二俣。事前の調べで推測していた古道ルートは「右」だ(直進してしまうと,古地図の点線路の線形と食い違ってしまう)。このあたりも,「樹林の山旅」に出てくる,「大きな瀧を避けるために枝尾根をひとつ越えて,次の谷から国境の尾根に達する」という記述にうまく一致している気がする。
小滝を巻き終えて谷に降り立つと,すぐに小さな二俣。事前の調べで推測していた古道ルートは「右」だ(直進してしまうと,古地図の点線路の線形と食い違ってしまう)。このあたりも,「樹林の山旅」に出てくる,「大きな瀧を避けるために枝尾根をひとつ越えて,次の谷から国境の尾根に達する」という記述にうまく一致している気がする。
右の枝谷に入ると,古い峠につながる谷にふさわしい,穏やかな源頭が続いている。「樹林の山旅」によれば,このあたりは「坊主坂」と呼ばれていたとある。徳山村で「坊主」といえば,越前の誠照寺の僧侶が村々を巡る行事である「お回り」を連想させられるが,「お回り」の僧侶がこの峠を越えた時代もあったのだろうか。
右の枝谷に入ると,古い峠につながる谷にふさわしい,穏やかな源頭が続いている。「樹林の山旅」によれば,このあたりは「坊主坂」と呼ばれていたとある。徳山村で「坊主」といえば,越前の誠照寺の僧侶が村々を巡る行事である「お回り」を連想させられるが,「お回り」の僧侶がこの峠を越えた時代もあったのだろうか。
イワウチワや,
カタクリの群落が,谷の両側を飾っている。
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カタクリの群落が,谷の両側を飾っている。
谷はそのまま,穏やかに国境稜線へと吸い込まれていく。藪も薄くて大変歩きやすく,現役の峠道だとしても遜色ないくらいの地形で,驚かされた。
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谷はそのまま,穏やかに国境稜線へと吸い込まれていく。藪も薄くて大変歩きやすく,現役の峠道だとしても遜色ないくらいの地形で,驚かされた。
ついに,越美国境稜線に出た。ここから美濃国を抜けて,越前国に入る。さすがに藪の越美国境,稜線上は灌木の藪がうるさいが,予想していたよりは大分マシ。さすがに道跡らしきものは残っていないが…。
ついに,越美国境稜線に出た。ここから美濃国を抜けて,越前国に入る。さすがに藪の越美国境,稜線上は灌木の藪がうるさいが,予想していたよりは大分マシ。さすがに道跡らしきものは残っていないが…。
カイドウの尾の頭に立つ。ここから越前側のカイドウの尾に入るのは,藪で視界が十分にきかないこともあり,ちょっとだけ苦労。慎重に地図とコンパスを確認し,斜面を下りていく。
カイドウの尾の頭に立つ。ここから越前側のカイドウの尾に入るのは,藪で視界が十分にきかないこともあり,ちょっとだけ苦労。慎重に地図とコンパスを確認し,斜面を下りていく。
すぐにはっきりした獣道をキャッチ。それを辿っていくと…
すぐにはっきりした獣道をキャッチ。それを辿っていくと…
【カイドウの尾】無事にカイドウの尾に乗ることができた。しかし尾根に乗るなり驚いたのが,その藪の薄さと踏み跡の明瞭さ,そしてブナの森の美しさ! 全区間フル藪漕ぎを覚悟で来たのに,何だこの快適さは…。
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【カイドウの尾】無事にカイドウの尾に乗ることができた。しかし尾根に乗るなり驚いたのが,その藪の薄さと踏み跡の明瞭さ,そしてブナの森の美しさ! 全区間フル藪漕ぎを覚悟で来たのに,何だこの快適さは…。
カイドウの尾は,積雪期限定の藪尾根だと思い込んでいた(実際,無雪期に歩いた記録は目にしたことがない)ので,あまりの歩きやすさと気持ちよさにびっくりした。踏み跡はもちろん獣道だろうが,それにしてはハッキリし過ぎている気がする。やはり,かつて多くの人が歩いた古道という素地があってこそなのかもしれない。
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カイドウの尾は,積雪期限定の藪尾根だと思い込んでいた(実際,無雪期に歩いた記録は目にしたことがない)ので,あまりの歩きやすさと気持ちよさにびっくりした。踏み跡はもちろん獣道だろうが,それにしてはハッキリし過ぎている気がする。やはり,かつて多くの人が歩いた古道という素地があってこそなのかもしれない。
特に西側の岩谷側の斜面のブナが美しい。
特に西側の岩谷側の斜面のブナが美しい。
やはり人の手が入っている尾根のようで,目を見張るような大木はそれほど多くはないが,中にはなかなかの立派な木も。
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やはり人の手が入っている尾根のようで,目を見張るような大木はそれほど多くはないが,中にはなかなかの立派な木も。
途中,尾根芯の藪がちょっとうるさい箇所もあったけれど,西側斜面に踏み跡(獣道)が走っていて,それを辿れば問題なく通過できる。
途中,尾根芯の藪がちょっとうるさい箇所もあったけれど,西側斜面に踏み跡(獣道)が走っていて,それを辿れば問題なく通過できる。
丈の低い笹原に続く一筋の道,その両側を新緑のブナの森が静かに取り囲んでいる。
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丈の低い笹原に続く一筋の道,その両側を新緑のブナの森が静かに取り囲んでいる。
結局,P849まで美しいブナの森が続いた。
結局,P849まで美しいブナの森が続いた。
P849に到着。何と,マーキングがあった。3日ぶり見る現代登山者の痕跡(ちょっと高い位置に付いていたので,積雪期のものだろうが)。このP849のあたりでルートファインディングに苦労しそうだな,と思っていたので,助かった。
P849に到着。何と,マーキングがあった。3日ぶり見る現代登山者の痕跡(ちょっと高い位置に付いていたので,積雪期のものだろうが)。このP849のあたりでルートファインディングに苦労しそうだな,と思っていたので,助かった。
快適なカイドウの尾をそのまま尾根沿いに歩いて行きたいところなのだが,古い陸地測量部地形図によると,古道はここで主尾根を外れ,黒谷の谷間に向けて小さな支尾根を下っている。そのため,P849から支尾根に入ったのだが,急に雑然とした植生となって踏み跡も消え,かなり歩きにくい。本当に古道はこの谷に降りていたのだろうか?
快適なカイドウの尾をそのまま尾根沿いに歩いて行きたいところなのだが,古い陸地測量部地形図によると,古道はここで主尾根を外れ,黒谷の谷間に向けて小さな支尾根を下っている。そのため,P849から支尾根に入ったのだが,急に雑然とした植生となって踏み跡も消え,かなり歩きにくい。本当に古道はこの谷に降りていたのだろうか?
【黒谷】やっと黒谷の谷底に降り立った。人里も近いので,植林の殺風景な谷かと思ったら,自然林でびっくり。
【黒谷】やっと黒谷の谷底に降り立った。人里も近いので,植林の殺風景な谷かと思ったら,自然林でびっくり。
下りてきた支尾根の末端。ヤブツバキの藪が茂り,残念ながら踏み跡の痕跡は全くなかった。
下りてきた支尾根の末端。ヤブツバキの藪が茂り,残念ながら踏み跡の痕跡は全くなかった。
降り立った二俣には,トチノキのかなりの巨木が立っていて,驚かされた。周囲には,このほかにもいくつか立派なトチノキが見られた。おそらく,トチの実の供給源として,二ツ屋の村人から大事にされてきたのだろう。
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降り立った二俣には,トチノキのかなりの巨木が立っていて,驚かされた。周囲には,このほかにもいくつか立派なトチノキが見られた。おそらく,トチの実の供給源として,二ツ屋の村人から大事にされてきたのだろう。
さらに,結構大きな炭焼き窯の跡も。この谷の奥まで人が入り込んでいたのは確実なようだ。おそらく,往時はしっかりした杣道もあっただろう。「カイドウ」の古道も,同じ道を利用していたのかもしれない。
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さらに,結構大きな炭焼き窯の跡も。この谷の奥まで人が入り込んでいたのは確実なようだ。おそらく,往時はしっかりした杣道もあっただろう。「カイドウ」の古道も,同じ道を利用していたのかもしれない。
立派なトチノキが点在する黒谷を,流れに沿って下っていく。
立派なトチノキが点在する黒谷を,流れに沿って下っていく。
ここにもトチノキの巨木。
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ここにもトチノキの巨木。
谷は穏やかで,問題なく下っていける。
谷は穏やかで,問題なく下っていける。
再び炭焼き窯が。かなり人が入っていた谷だったようだ。
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再び炭焼き窯が。かなり人が入っていた谷だったようだ。
そしてこの炭焼き窯のところから,明らかな杣道の跡が左岸斜面を巻くように登っていた。この道を追ってみることに。
そしてこの炭焼き窯のところから,明らかな杣道の跡が左岸斜面を巻くように登っていた。この道を追ってみることに。
杣道の跡を登りながら谷底を覗き込むと,谷はちょっとしたゴルジュ状に狭まって,小滝が連続していた。なるほど,この滝場を避けるために杣道が付いているのか。
杣道の跡を登りながら谷底を覗き込むと,谷はちょっとしたゴルジュ状に狭まって,小滝が連続していた。なるほど,この滝場を避けるために杣道が付いているのか。
しかしこの杣道,部分的に崩壊しており,谷底までかなり切り立っているため,通過に緊張を強いられる。正直,谷通しに下降したほうが楽なんでないの,と思ったくらいだが,それは現代的な沢登りの感覚だろう。今回の目的はあくまで古道探索,道を辿らないと。でも怖い…。
しかしこの杣道,部分的に崩壊しており,谷底までかなり切り立っているため,通過に緊張を強いられる。正直,谷通しに下降したほうが楽なんでないの,と思ったくらいだが,それは現代的な沢登りの感覚だろう。今回の目的はあくまで古道探索,道を辿らないと。でも怖い…。
道があまりに高く登るので,まさか杣道じゃなくて獣道だったか? と疑い始めたころに,道のわきに再び炭焼き窯の跡が出てきた。やはりこれは単なる獣道ではなく,仕事道の跡なのだ。
道があまりに高く登るので,まさか杣道じゃなくて獣道だったか? と疑い始めたころに,道のわきに再び炭焼き窯の跡が出てきた。やはりこれは単なる獣道ではなく,仕事道の跡なのだ。
谷が穏やかさを取り戻したあたりで,急に杣道を見失ってしまったので,杣道は谷に降りたものと判断し,斜面を下っていくと…
谷が穏やかさを取り戻したあたりで,急に杣道を見失ってしまったので,杣道は谷に降りたものと判断し,斜面を下っていくと…
堰堤だ! 3日間,人工的な構造物を全く見なかったので,なんだか不思議な物体のように見えてしまう。里が近い。
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堰堤だ! 3日間,人工的な構造物を全く見なかったので,なんだか不思議な物体のように見えてしまう。里が近い。
植林が出てきた。確実に下界が近づいている。廃林道と思われるシングルトラックを辿っていく。
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植林が出てきた。確実に下界が近づいている。廃林道と思われるシングルトラックを辿っていく。
そしてついに,目の前に舗装道路が現れた。広野ダム沿いの道路に出たのだ。
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そしてついに,目の前に舗装道路が現れた。広野ダム沿いの道路に出たのだ。
久方ぶりのアスファルトの上に立ち,後ろを振り返る。ここが,3日間延々と辿ってきた,「カイドウ」の古道の終点。ヤブに隠れたその微かな踏み跡を,かつて多くの人が行き交った古道の入り口と気づく人は,今ではいないだろう。
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久方ぶりのアスファルトの上に立ち,後ろを振り返る。ここが,3日間延々と辿ってきた,「カイドウ」の古道の終点。ヤブに隠れたその微かな踏み跡を,かつて多くの人が行き交った古道の入り口と気づく人は,今ではいないだろう。
そして目の前に広がる,広野ダムの湖面。「カイドウ」の古道の越前側の起点であり終点であった二ツ屋集落は,黒谷出合のやや上流側,あの真ん中あたりに沈んでいるはずだ。
そして目の前に広がる,広野ダムの湖面。「カイドウ」の古道の越前側の起点であり終点であった二ツ屋集落は,黒谷出合のやや上流側,あの真ん中あたりに沈んでいるはずだ。
目指す集落が既に水没していることは,当然のこととして分かっていたはず。しかし,黒谷出合に架かる橋の欄干にもたれて,眼前に広がる沈黙の水面を見つめながら,しばらくの間,ただ呆然と立ち尽くしていた。
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目指す集落が既に水没していることは,当然のこととして分かっていたはず。しかし,黒谷出合に架かる橋の欄干にもたれて,眼前に広がる沈黙の水面を見つめながら,しばらくの間,ただ呆然と立ち尽くしていた。
古道「カイドウ」をめぐる3日間の旅は終わった。ダム湖畔はフジの花の盛り。人の営みと全く関わりなく,時は過ぎ,季節は巡っていく。明るい春の日差しの中で咲き誇るフジと新緑を眺めながら,ゆっくりと帰路に就いた。
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古道「カイドウ」をめぐる3日間の旅は終わった。ダム湖畔はフジの花の盛り。人の営みと全く関わりなく,時は過ぎ,季節は巡っていく。明るい春の日差しの中で咲き誇るフジと新緑を眺めながら,ゆっくりと帰路に就いた。
【番外編(帰路)】帰りは車を取りに戻るため,夜叉ヶ池を越えて岐阜県側に戻りました。写真は新緑の夜叉ヶ池。岐阜県側の夜叉ヶ池登山道は,ボロボロの雪渓トラバースが3箇所ほどあり,念のため注意。
【番外編(帰路)】帰りは車を取りに戻るため,夜叉ヶ池を越えて岐阜県側に戻りました。写真は新緑の夜叉ヶ池。岐阜県側の夜叉ヶ池登山道は,ボロボロの雪渓トラバースが3箇所ほどあり,念のため注意。
【番外編(帰路)】椀戸谷出合に置いた車まで戻って来ると,ワイパーに白いものが挟まっている…。てっきり警察or地元の方からのお叱り文(ここに車停めんな!とか)かと思ってドキドキしながら近づいたところ,何とblackさん・reiさんからの置き手紙でした。神又峰に登られてたんですね。ありがとうございました!
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【番外編(帰路)】椀戸谷出合に置いた車まで戻って来ると,ワイパーに白いものが挟まっている…。てっきり警察or地元の方からのお叱り文(ここに車停めんな!とか)かと思ってドキドキしながら近づいたところ,何とblackさん・reiさんからの置き手紙でした。神又峰に登られてたんですね。ありがとうございました!

装備

備考 ・ 谷を辿る箇所は沢登りとなるため,沢登り装備(最低でも沢靴)が必要。この山域の谷はぬめりが強いため,フェルト底がおすすめ。ロープは携行したが使用しなかった。

感想

<1 はじめに>
 今回の山行で最も驚いたのは,金ヶ丸谷と根洞谷の中間尾根で,ブナの幹に刻み付けられた古い文字を見つけたことだった。金ヶ丸谷と根洞谷という2つの深い渓谷と,越美国境の頑強な藪に守られ,下流側は徳山ダム湖に塞がれてしまった現在では人跡絶えた陸の孤島としか思えないこの尾根で,昔の人の痕跡に出会うことができたことが純粋に嬉しかった。複数の木にわたり,確認できただけでも10箇所近く刻まれていたそれらの文字は,彫り込まれていた日付に年号が付されていなかったため正確には不明だが,おそらく戦前のものと思われるものも含まれており,中には「トシ」と名前が彫られたものや,「出熊狩り」など来訪目的まで記されたものもあった。現在ではほとんど人が訪れることのないこの尾根を,往時は多くの人々が,様々な目的で行き交ったのだ。その中には,かつてこの尾根を通っていたと言われる越美国境越えの古道をたどる道中の人もあっただろう。ブナの幹に微かに浮かび上がる文字を手で撫でながら,そんな風に思いを馳せた。
 
<2 古道「カイドウ」について>
 奥美濃登山の古典である森本次男の「樹林の山旅」(昭和15年刊)の中で「テラ・インコグニタ」(未知なる土地)と呼ばれ,現在でも奥美濃の秘境の一つとしての地位を保ち続けている金ヶ丸谷・根洞谷の流域と,背丈を越える根曲がり竹の深い藪に覆われ,人を全く寄せ付けない越美国境稜線。奥美濃の最奥地の一つと言っても過言ではないと思われるこの山域のど真ん中を横断するようにして,かつて,一本の道が美濃側の旧徳山村・門入(徳山ダムにより廃村)と越前側の旧広野村・二ツ屋(広野ダムにより水没)をつないでいたと言われている。
 明治42年測図の陸地測量部5万分の1地形図には,部分的な誤りを含みつつも,この道の姿が点線路の形ではっきりと描かれている。旧徳山村の門入から揖斐川西谷沿いに金ヶ丸谷を通り,美濃俣丸と三周ヶ岳の間(どちらかというと三周ヶ岳寄り)で越美国境稜線を越え,そのまま尾根と谷を伝って越前側の二ツ屋集落に降りている点線路がそれである。

※ 以下のリンクで明治42年測図の陸地測量部地形図「冠山」を閲覧可能。問題の点線路は左下のあたりに記されている。
https://mapwarper.h-gis.jp/maps/888

 また,この道の実在は,様々な文献や口承にも残されており,その中でも最も詳細な記述があると思われるのが,上でも引用した奥美濃登山の古典である「樹林の山旅」(森本次男著,昭和15年刊)である。金ヶ丸谷初遡行について記した「人知らぬ谷々」の章で,村人からの聞き書きと言う形で,森本はこの古道についても記している。当該部分を引用すると以下の通り。

「此の谷(注・金ヶ丸谷のこと)に道があつたことは全然知らないと村の人も云ふ。昔あつた道は長者ヶ平(注・金ヶ丸谷と根洞谷の出合付近にある平坦地)から私たちのベースを置いた中尾根(注・金ヶ丸谷と根洞谷の中間尾根)に登って尾根通しに来て,此のあたり(注・金ヶ丸谷の滝が連なる区間を越えたあたりの源流部)で金ヶ丸に降りる。そして其の後は点線路(注・上で触れた陸地測量部地形図の点線路のこと)の通りにあつたものらしい。だが私達は点線路の入つて居る朴ノ木谷という谷も知らずにすぎた。此の谷は途中に大きな瀧があつて,それを避けるために枝尾根をひとつ越えて,次の谷から国境の尾根に達する。此の坂を坊主坂と云ふそうだ。だが此の難行の國境の峠には名前がない。そして二つ屋へ越す此の峠は,峠の西,越前側ももちろん藪である。最近伐木のために切り分けをつけたと云ふが,いつ迄保つことか分らない。」(「樹林の山旅」p40から引用,「注」はhillwandererによる注釈)

 つまり,陸地測量部の地形図では,金ヶ丸谷を谷通しで道が付いていたように描かれているが,この部分は誤っており,実際は金ヶ丸谷と根洞谷の中間尾根に道が付けられていて,金ヶ丸谷の悪場が終わったあとの源流付近で道は同谷に降り立っていたということらしい。
 さらに,この古道は,地名と言う形でも現代まで痕跡を留めている。上記の「樹林の山旅」の引用でもこの道が通っていたと語られている金ヶ丸谷と根洞谷の中間尾根は,旧徳山村民の間では,「塩の道」のひとつとして,「カイドウ(街道)」と呼ばれていたそうだ(「美濃徳山の地名」水資源開発公団編,平成9年刊)。また,陸地測量部の地図で点線路が通っている越前側の尾根(越美国境稜線から北西へ分岐してP1025m,P849mを通り,広野ダムの旧二ツ屋集落があった辺りに降りている尾根)も,「カイドウの尾」と呼ばれており,この呼称は登山者の間で現在でも使われ続けている(あくまで積雪期限定の登路としてだが)。「街道(カイドウ)」,これがこの道の古くからの呼び名のようだ。いかにも,多くの人が行き交ったことを彷彿とさせる呼称で,深い藪に覆われた現在の越美国境とのミスマッチが甚だしく,逆に興味をそそられる。
 なお,越前側の二ツ屋集落は,集落の成立の由来として,美濃国境を越えてきた平家の落人が居を構えたものと伝えられている。また,美濃からやってきた木地師が定住したとの記録もある。つまり,「カイドウ」の一方の起点である二ツ屋という集落の形成にも,この古道の存在が深くかかわっていたのかもしれない。

 この「カイドウ」と呼ばれていた古道を,その道がかつて通っていたと思われるルートを可能な限り推測しながら,登山として辿り直してみたい。それが今回の山行の目的だった。現代の登山者ですら,深い渓谷と厳しい藪の中のルートファインディングに悩まされそうなロングルートであり,日程は余裕を見て最大3日間とした。いや,「現代の登山者ですら」という言い方は不遜であると同時に正しくない。かつての道はおそらくほとんどの区間で消失しているだろうし,かつてこの山域を生活の場として知り尽くし,頻繁に入り込んでいた門入や二ツ屋の住人たちはもういないのだ。「樹林の山旅」に登場し,おそらくこの「カイドウ」ルートの重要な中間基地となっていたと思われる傳吉の小屋ももうない。昔の人よりも,現代の登山者のほうが遙かに分が悪い。
 さらに,不安要素もあった。陸地測量部の古地図や上記の引用・口承などから,この「カイドウ」が通っていたルートの大部分はだいたい推測できるのだが,一箇所だけ,どうしてもルートが分からない区間があった。それは,金ヶ丸谷と根洞谷の中間尾根を登ってきた古道が,どこで尾根を外れ,金ヶ丸谷の源流部に降り立っていたか,ということだった。この区間だけは,完全な推測でルートを考えるしかない。金ヶ丸谷は,大ジラミ谷出合を越えた上流部に滝場や廊下などが連なるやや悪い区間があり,誤ってここに下降してしまうと,谷底に降りることもままならない可能性もある。登山者としてのルートファインディングの眼を,かつて古道を辿った人々の感覚にどこまで近づけられるかが鍵だ。おそらく現地の状況が答え合わせをしてくれるだろう。

<3 「カイドウ」ルートを実際に辿ってみて,感じたこと>
〇 まず驚いたのが,多くの区間で藪漕ぎを強いられると予想していたにもかかわらず,今回歩いたルートのほとんどの区間でヤブが薄く,特に金ヶ丸谷と根洞谷の中間尾根と,カイドウの尾には比較的はっきりした踏み跡さえ残存していて,概ね快適に歩けたこと。藪漕ぎらしい藪漕ぎとなったのは越美国境稜線を越える際の10分間だけだった気がする(奥美濃の登山道のない山域で3日間登山した結果としては,驚くべきことではないだろうか)。おそらく,人が通らなくなった後も古道を獣たちが獣道として使い続け,最低限の道が維持されているのではないかと思われる。また,藪が薄いのは近年のシカによる食害の影響も無視できないとは思うが,かつてこの道を切り開いた人々が,どの尾根のどの区間が藪が薄く歩きやすいか,ということを知り抜いていた結果であるような気もする。後述する三周ヶ岳手前のルート取りもしかりで,中間尾根からいったん金ヶ丸谷源流部を経由して越美国境稜線に上がるあたり,一見複雑なようで,実は藪や難所を避けた最も歩きやすい最短ルートを辿っており,山の弱点を突いた美しいライン取りだ。昔の人の山に関する経験的知識,そしてルート設定力の凄さを見た気がする。
〇 ルート不明区間として心配していた,中間尾根から金ヶ丸谷源流部へ下降する区間は,朴の木谷への最短かつ最低高度差のルートとして,写真欄冒頭のルート図△房┐靴燭茲Δ淵襦璽伴茲蠅鬚靴燭,概ね歩きやすいルートで,結果的に金ヶ丸谷の悪場と三周ヶ岳の激藪をうまくかわすことができた。おそらく,往時の古道ルートからそれほどかけ離れてはいないのではないかと考えている。ただ,谷底に降り立ったポイントから上流で一箇所だけややこしい小滝が出てきてしまったので,古道はもう少し上流から斜面をトラバースして中間尾根に上がっていたのかもしれない(ルート図△鵬緑点線で示したルート)。
〇 序盤の西谷本流(シン谷)沿いは,林道ができる以前は谷底を古道が通っていたと言われるが,それらしき道跡は全く見かけることができなかった。浸食が激しい大水量の谷沿いなので当然と言えば当然ですが…。オセビの難所の淵以降の後半部分は,両岸が岩壁状にそそり立った箇所が多く,そうした区間をどのように古道がパスしていたか気になるところ(巻き道だとしたら相当な大高巻きとなるし,あくまで谷通しだとしたら渡渉やヘツリを何度も強いられることになり,どちらにしろ大変)。
〇 かつて金ヶ丸谷と根洞谷の二俣に存在し,「樹林の山旅」にも登場する「傳吉の小屋」は(当然ながら)跡形もなく消失し,単なる藪の台地と化していた。長丁場の「カイドウ」ルートにあって唯一の小屋場であり,おそらく古道を通る人々の休息や宿泊の場として機能していた時代もあったのではないかと想像していたこともあり,少しでも当時を偲べるものが残っていれば,と思っていたので,残念。
〇 金ヶ丸谷から越美国境稜線に上がる区間で古道が通っていたと言われている「朴の木谷」と「坊主坂」は,陸地測量部地形図の線形から推測した枝谷を辿ってみたのだが,概ね歩きやすい枝谷であり,「樹林の山旅」で語られている「大きな瀧」もしっかり出てきたので(2段8m滝),おそらく古道ルートと一致しているのではないかと考えている。
〇 越前側の二ツ屋集落の手前にある黒谷では,数多くの炭焼き窯跡を目にすることができ,かつては二ツ屋の人々が山仕事で頻繁に利用していた谷であることが確認できた。当時はしっかりした仕事道もあっただろうし,陸地測量部地形図において,わざわざ点線路が尾根を外れてこの谷に降りている理由はこのあたりにあるのだろう(ただし,下山後に知ったことだが,「秘境・奥美濃の山旅」(芝村文治編,昭和47年刊)では,黒谷経由ではなく,カイドウの尾の尾根末端から始まる尾根通しの道を門入へ続く古道として紹介している。尾根ルートも併存していたということだろうか。またの機会に辿ってみたい)。
〇 冒頭の「はじめに」にも書いたが,金ヶ丸谷と根洞谷の中間尾根では,ブナの木に刻み付けられた文字が多数存在していることを確認。この尾根を通行した人々が(目的は様々にせよ)多数いたことを物語る大切な遺産だと思う。旧徳山村周辺の古い峠では,例えば檜尾峠のブナに残る文字のように,通行人が記念に残したブナの彫り込み文字が見られることがあり,今回見つけた文字もその一種だと思われる。

<4 その他の特筆点>
〇 古道うんぬんを抜きにしても,今回辿ったルートは,この山域の隠れた美景をうまくつないだようなルートであり(西谷本流の明るい渓谷,金ヶ丸谷・根洞谷の中間尾根とカイドウの尾のブナの森,金ヶ丸谷の穏やかで美しい源流…),登山ルートとしても純粋に楽しめた。岐阜側のアプローチがめんどくさいし,下山した後どうやって岐阜側(あるいは福井側)に戻るかという問題もあるので,もちろん万人には勧められませんが…。楽しい3日間でした。
〇 沢登り的な観点からは,金ヶ丸谷と根洞谷の二俣よりも下流の,西谷本流の区間の美しさが印象的だった。金ヶ丸谷と根洞谷の人気に比して,この西谷本流区間は遡行対象としてほとんど顧みられることがないが(目立った滝もないし,左岸に廃林道があるので当然だが),水量豊富で周囲の緑も意外と美しく,盛夏であれば水と戯れつつ楽しい谷歩きができると思う。

<5 おわりに>
 今回の山行で,古道のルートを追いながら何とはなしに考えていたのは,金ヶ丸谷と根洞谷の中間尾根のブナの木に「七年十月 トシ」と刻み込んだトシさんのことだった。
 トシさんはどんな人だったのだろう。明治か大正か昭和の七年十月に,なぜこの尾根を通ったのだろうか。もちろん,山菜取りなどの目的で偶然訪れただけだった可能性も大いにある。しかし今は,越前から美濃へ,あるいは逆に美濃から越前へ,この古道を辿った峠越えの人として,この人を想像していた。
 滝にぶつかると,トシさんだったらこの滝はどう巻いただろうか,と思わず考えてしまった。急斜面が現れると,トシさんは果たしてこの急斜面を下れただろうかと,他の斜面を調べたりした。彼女の想像上の足跡を追うことは,今回の山行の助けの一つになった気がする。
 彼女がどんな目的と思いを抱いてこの道を辿っていたかは,もちろん分からない。それでも,当時でさえ恐らくあまり人目に触れることはなかったと思われる金ヶ丸谷の源流や,越美国境付近のブナの森を眺めて,その美しさにしばし歩を休めたこともあったのではないかと,想像する。
 しかし,この人が美濃から越前へ向かっていたにしろ,あるいはその逆だったにしろ,この道をはるばる歩き抜いたあとに見たであろう目的地の風景を,私はもう見ることができない。門入は徳山ダムの完成により廃村となった。二ツ屋も広野ダムの底に沈んでしまった。
 道はすぐに藪に還った。傳吉の小屋で岩魚を焼く人ももういない。そして金ヶ丸谷と根洞谷に挟まれた尾根のうえで,七年十月のある日,トシさんが刻み付けた文字だけが,来る年も来る年も,ブナの木漏れ日に光ったり陰ったりしている。

※ 以下のリンクで明治42年測図の陸地測量部地形図「冠山」を見ることができます。この記録で触れた点線路は左下のあたりに記されています。
https://mapwarper.h-gis.jp/maps/888

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コメント

二泊、力作、あざしたー!

これ、ガイド本になりますね💛
2023/5/7 15:42
ちゅきさん
こんばんは! 一泊でもいけたんですが金ヶ丸で泊まりたいという欲望に負けました。
ガイドといっても,ニッチ過ぎて需要は全くなさそうですが
乗鞍,いいですねー。今年は何だか例年より早めに沢登り欲が出てしまい,滑らずじまいになりそうです…。
2023/5/7 19:10
hillwandererさん 前も書いたかもしれませんが、隠れファン多いすよ。需要ありますて。
2023/5/7 19:17
ちゅきさん
楽しんでいただけるなら,なによりです〜
奥美濃ばんざい!
2023/5/7 20:13
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