25.鷲羽岳 「太陽の詩(タイヨウのうた)」
- GPS
- 80:00
- 距離
- 35.9km
- 登り
- 2,635m
- 下り
- 2,635m
コースタイム
8月14日(二日目):わさび平小屋−鏡平山荘−弓折乗越−双六小屋−三俣山荘(幕営)
8月15日(三日目):三俣山荘−鷲羽岳山頂−三俣山荘ー双六小屋(幕営)
8月16日(四日目):双六小屋−弓折乗越−鏡平山荘−わさび平小屋−新穂高温泉
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2006年08月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
○天気が良くて鷲羽岳だけではなくて、水晶岳も陥れたかったのですが、体力不足で断念しました。 ○他の方のレポートで書かれているかと思いますが、鏡平小屋のカキ氷は美味しゅうございました。鏡平小屋に来た時は是非ご賞味あれ。 |
写真
感想
第25座 太陽の詩(タイヨウのうた)
今回、北アルプスの奥深くにある鷲羽岳をターゲットにしたのは、僕がどこまで山の奥深くまで歩けるのか挑戦したくて決定した。当初は鷲羽岳だけではなくさらに奥深く歩くことになる黒岳まで歩く予定になっていたのだが・・・・。
8月13日、登山口のある新穂高温泉に到着したのは15時半であった。そこからわさび平小屋まで1時間前後歩くだけである。登り勾配の車道(許可されたクルマ以外の一般車は通れない)を歩いているだけなのに、なぜか滝のように汗が流れた。本当にこの調子で山に登れるのであろうかと思うと早くも不安になった。そのうちにわさび平小屋に着いた。テント場でテントを張ってまずここで1泊目を過ごした。
8月14日、3時に目が覚めた。朝食を作って食べて、テントを撤収して、わさび平小屋を後にしたのが4時40分であった。しばらくは車道を登っていくのだが、途中に土砂崩れがあって、それを避けるように迂回してまた車道に戻った。間もなく車道は終わり、ここからは本格的な山道を登ることとなった。
急な登り坂に苦しみながらも、ゆっくりと登っていく。6時10分に秩父沢橋に着いた。ここは小さな川が流れ落ちており、ここでたたずんでいるだけでも涼しく思えた。取りあえずはシシウドガ原までいこうと思い、再びゆっくりと登り始めた。荷物は重く、後から来る登山者たちに随分と追い抜かれてしまった。7時55分に秩父沢橋と鏡平山荘の中間点にあたるシシウドガ原に着いた。僕はここで休憩を取った。南の方角を見ていると、焼岳が見えた。空は晴れており、雨の心配は全くなかった。
シシウドガ原から1時間で鏡平小屋に着いた。ここでこの山旅で初めて槍ヶ岳を見た。見るのは久々だったが相変わらずとんがっているよなぁ〜。小槍も出ており、槍ヶ岳が右手を挙げて、「お久しぶりぃ〜!」といっているようにも思えた。そこで休憩をした後、弓折乗越を目指して登ったが、後ろを振り返ると槍ヶ岳が「がんばれぇ〜!」と手を振っているようにも見えた。
10時55分に弓折乗越に着いた。ここからは稜線を歩くことになるのだが、槍ヶ岳が雲に隠れて見えなくなっていた。それを残念に思いながら歩いていると花見平と呼ばれるベンチがある休憩ポイントに着いた。その名の通り白や黄色の花々が咲き誇っていた。花の名には疎い僕であったが、このお花畑を見てきれいだなと思った。ここに限らず、お花畑を縫うようにして歩いているとやがて双六小屋の屋根とテント場が見えた。
12時50分に双六小屋に着いた。双六小屋は槍ヶ岳から西鎌尾根を通るルートがあるので、多くの登山者が往来したり、休憩をしたりしていた。僕はここで休憩をし、この先のルートを確認した。最終目的地である三俣山荘までは3つのルートがあった。ひとつは双六岳と丸山と通る「稜線ルート」。ふたつは双六岳を巻いて丸山のみを通る「中道ルート」。みっつめは「中道ルート」の下を通る「巻道ルート」である。僕は必然的に所要時間が短い「巻道ルート」を選んだ。その所要時間は約2時間。はっきりいって余裕だと思った。
しかし、双六小屋から三俣山荘までの道は思ったよりも長かった。険しいわけではないのだが、登ったり降ったりの繰り返しが延々と続くのだ。あの山を越えれば、山小屋は近いと思って越えたものの、山小屋どころか道は続いており、本当に観念してテントを張ってビバークしようかと真剣に考えた。それでも諦めずに歩いて17時にやっと三俣山荘に着いた。2時間の所要時間が結局3時間45分もかかってしまった。テント場にいっても、いい場所があるはずがなく、砂利が多いところにやむを得ずテントを張った。テントを張っている最中に霧が晴れ、鷲羽岳が姿を現した。あまりの山の立派さに、
「駄目だ、こんな山登れるわけがねぇ・・・・」
僕は思わず脱力して両膝を落とした。
それからというもの、明日はどうしようと考えていた。一番潔いのは、黒岳も鷲羽岳も登らずに双六小屋まで戻ることであった。そうなると双六小屋に着くのは午前中になるが、それでいいのか? 黒岳は諦めて鷲羽岳だけを登って一矢報いたい気持ちはあった。でも、あの山に登れるのか? 往復で2時間半はかかるのでひょっとしたら登れるのではないのか? などと考えているうちに8月15日の3時を迎えてしまった。
気が付けば、アタックザックに必要なものを詰め込んで、三俣山荘の前に僕はいた。空は一応星が出ていたが、半月が出ており、満天の星空とはいえなかった。半月だけ出ているとはいえ、月の光がこんなに明るいなんて、町で暮らしている僕にとっては思いもよらぬ発見であった。鷲羽岳方面を見ると霧がかかって見えなかったが、やがてすぅーっと、霧が晴れ、山の輪郭が見えた。僕はこれで決意した。鷲羽岳に登ることを。
まずはハイマツの林を抜け、山の麓まで歩いて振り返ると、三俣山荘が小さく見えていた。そこから登って、だいたい中腹まで登っただろうと、また振り返った。三俣山荘が小さくなっただけでなく、足元に見えた。思えばここまでよく登ったものだと思う。それは重い荷物から解放されたからで、本当に足取りが軽い。登山道は岩と岩の間を茶色い砂礫が埋めているガレ場で、遠くから見て山全体が茶色く見えるのはこのせいだと思った。
5時50分に鷲羽岳山頂に到着した。僕の日本百名山登頂も25座目となった。山頂には僕を含めて3人しかいなかった。そのうちのひとりは水晶小屋から来たそうである。天気は文句のいいようがない晴天で、北には黒岳、西には黒部五郎岳、南には槍ヶ岳の向こうに富士山が見えた。何だかんだと悩んだが、こういう景色を見ていると本当に登って良かったなぁ〜と思う。
「ひょっとしたら、黒岳までいけるのかな・・・・」
と欲が出始めた。こんな欲が出るときに限って遭難事故が起こりやすいといい聞かせ、三俣山荘へ向かって山を降りた。
三俣山荘に戻り、テントを畳んで双六小屋に向かった。槍ヶ岳を眺めながら巻道コースを歩いていった。一度は通っているので余裕を持って景色を眺め、花を見たりしていた。双六小屋に到着して、腕時計を見たら11時40分だった。三俣山荘を発ったのが7時55分だから3時間45分かかったことになる。結局はいきと同じ所要時間だったのだが、いきは長く感じ、帰りは短く感じたのはどういうことであろうか? やはり道を知っていると知らないとでは大違いということなのだろうか?
双六小屋で幕営手続きをした後、テント場へと向かった。この時間ともなると数張りしかテントがなく、難なく砂利が少ない場所にテントを張ることが出来た。シュラフもテントの上に乗せ、洗濯ばさみでテントの骨組みの部分を挟んで固定した。昼寝するにはテントの中は暑すぎたので、小屋前のテラスでおでんをつつきながら、生ビールを飲んでいた。
昨日は飲めなかったので、昨日の分もとばかりに缶ビール2本、日本酒をワンカップで3本も飲んでしまった。よくもまぁ高山病を誘発しなかったなと思った。酒のことになると調子に乗りやすいので、今後は慎みたいところだ。
酒のせいか、この夜は比較的ぐっすり寝ることが出来た。だからか、起きるのは4時前後だったと思う。とにかく夜明け前には間に合った。僕は御来光を見ようと小屋前の広場に向かった。その時は一眼レフカメラを三脚に固定して待機する人、ただじっと待っている人で賑わっていた。空は既に明るく、太陽が昇るのを待つのみであった。その時間が短いようで長いのだ。5時10分を過ぎたあたりでオレンジ色の光が一筋山脈を照らし出した。
そこから徐々に太陽が昇っていった。こういった光景に出会えるのは僕にとっては1年に一回あるかないかである。でも何度見ても、どこで見てもこの瞬間を迎えるのは、本当に感動的だ。山に来て良かったと思えるひとときである。
その後、テントを畳んで5時50分に双六小屋を後にした。その後、鏡平小屋でカキ氷を食べ、わさび平小屋を過ぎ、13時に新穂高温泉に着いた。今回の山旅で感じたことは、僕ってテント泊縦走できるだけの体力がなくなっていたんだなぁ〜ということ。その体力が戻るまでは、テント泊縦走は封印し、小屋泊縦走からやりなおそうと思った。まぁ〜、情けないけど、ここから再出発だと思った。
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