秩父札所第31番「鷲窟山(しゅうくつさん)・観音院」の仁王門近くにある駐車場に車を駐めて登山開始。
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5/21 11:33
秩父札所第31番「鷲窟山(しゅうくつさん)・観音院」の仁王門近くにある駐車場に車を駐めて登山開始。
仁王門の両脇には高さ約4メートルの仁王像あり。石造りの仁王像では日本最大。その重さ2.4トン。
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5/21 11:34
仁王門の両脇には高さ約4メートルの仁王像あり。石造りの仁王像では日本最大。その重さ2.4トン。
仁王門をくぐると結構な傾斜のある石の階段を上る。296段あり。登山開始直後の急登に息切れ。
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5/21 11:40
仁王門をくぐると結構な傾斜のある石の階段を上る。296段あり。登山開始直後の急登に息切れ。
観音院の西奥の院方面へは岩の崩落のため、通行禁止になっていた。
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5/21 11:41
観音院の西奥の院方面へは岩の崩落のため、通行禁止になっていた。
長い石の階段を上がりきると鐘楼堂に着く。「鐘は来た時に心をこめて静かに撞きます。決して帰り際には撞かないようにします」と。
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5/21 11:42
長い石の階段を上がりきると鐘楼堂に着く。「鐘は来た時に心をこめて静かに撞きます。決して帰り際には撞かないようにします」と。
背後が岩壁の本堂(観音堂)に参拝。奈良時代、中国から来た僧・行基作と伝わる「聖観世音菩薩」を安置。
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5/21 11:43
背後が岩壁の本堂(観音堂)に参拝。奈良時代、中国から来た僧・行基作と伝わる「聖観世音菩薩」を安置。
本堂の隣にある「聖浄の滝」。落差は約30メートルあるが、渇水していて残念。
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5/21 11:43
本堂の隣にある「聖浄の滝」。落差は約30メートルあるが、渇水していて残念。
本堂の脇には新生代第3紀(約1700万年前)の地層が見られる。
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5/21 11:47
本堂の脇には新生代第3紀(約1700万年前)の地層が見られる。
東奥の院に向けてさらに階段を上る。左には句碑が並ぶ。
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5/21 11:47
東奥の院に向けてさらに階段を上る。左には句碑が並ぶ。
東奥の院の手前に、畠山重忠の家臣・本多親常が矢を射通したといわれる岩穴「矢抜け穴」が見られる場所がある。残念ながら葉が茂ってよく分からなかった。
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5/21 11:49
東奥の院の手前に、畠山重忠の家臣・本多親常が矢を射通したといわれる岩穴「矢抜け穴」が見られる場所がある。残念ながら葉が茂ってよく分からなかった。
東奥の院に到着。東屋あり。5分ほど休憩。
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5/21 11:50
東奥の院に到着。東屋あり。5分ほど休憩。
東奥の院を出発して観音山の山頂に向かう。ヤマレコの地図(国土地理院の地図)にない分岐があった。左に進む。
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5/21 11:57
東奥の院を出発して観音山の山頂に向かう。ヤマレコの地図(国土地理院の地図)にない分岐があった。左に進む。
急な傾斜の木段が続く。
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5/21 12:00
急な傾斜の木段が続く。
この分岐もヤマレコの地図(国土地理院の地図)にはなかった。比較的新しい道標があるので、近年、道が整備されたのだろうか。右に進むと水子供養で知られる地蔵寺へ。
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5/21 12:03
この分岐もヤマレコの地図(国土地理院の地図)にはなかった。比較的新しい道標があるので、近年、道が整備されたのだろうか。右に進むと水子供養で知られる地蔵寺へ。
観音山山頂方面と牛首峠方面の分岐点に到着。山頂方面の上り道に進む。
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5/21 12:08
観音山山頂方面と牛首峠方面の分岐点に到着。山頂方面の上り道に進む。
仁王門の石像が作られた「仁王尊細工場跡」を通過。
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5/21 12:13
仁王門の石像が作られた「仁王尊細工場跡」を通過。
杉林の中をくねくね曲がりながら登る。奥武蔵・秩父の山によくある風景。
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5/21 12:22
杉林の中をくねくね曲がりながら登る。奥武蔵・秩父の山によくある風景。
尾根筋に出た。山頂までもうすぐ。
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5/21 12:32
尾根筋に出た。山頂までもうすぐ。
「仁王尊採石場跡」を通過。こんな山頂に近い場所から、仁王像の石材を切り出したとは!
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5/21 12:33
「仁王尊採石場跡」を通過。こんな山頂に近い場所から、仁王像の石材を切り出したとは!
観音山の山頂(標高698メートル)に到着。ここで昼食を取ったが、足を停めると虫が多数まとわりつくため、10分ほどで食べ終えてすぐに下山。
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5/21 12:36
観音山の山頂(標高698メートル)に到着。ここで昼食を取ったが、足を停めると虫が多数まとわりつくため、10分ほどで食べ終えてすぐに下山。
観音山の山頂から白石山方面の眺望。雲が出ており、両神山を見ることはできなかった。
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5/21 12:37
観音山の山頂から白石山方面の眺望。雲が出ており、両神山を見ることはできなかった。
尾根筋から下山路への分岐点。まっすぐ東に進む明瞭な道があるので、見落とさないようにしたい。
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5/21 12:53
尾根筋から下山路への分岐点。まっすぐ東に進む明瞭な道があるので、見落とさないようにしたい。
牛首峠方面と観音院方面への分岐点まで下山。牛首峠方面に進む。
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5/21 13:04
牛首峠方面と観音院方面への分岐点まで下山。牛首峠方面に進む。
牛首峠方面と西奥の院方面への分岐点。西奥の院周辺は岩の崩落があるので、間違って進まないように。
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5/21 13:07
牛首峠方面と西奥の院方面への分岐点。西奥の院周辺は岩の崩落があるので、間違って進まないように。
このあたりから、落ち葉で踏跡が不明瞭な箇所がいくつかあった。
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5/21 13:10
このあたりから、落ち葉で踏跡が不明瞭な箇所がいくつかあった。
古い祠が。古くからの峠道であったことがうかがえる。
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5/21 13:13
古い祠が。古くからの峠道であったことがうかがえる。
ここもヤマレコの地図(国土地理院の地図)にない分岐点。傾いた道標には「湖畔」と記されている。西秩父桃湖方面に進めるのだろうか。
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5/21 13:16
ここもヤマレコの地図(国土地理院の地図)にない分岐点。傾いた道標には「湖畔」と記されている。西秩父桃湖方面に進めるのだろうか。
若葉が茂り始めて視界が塞がれているが、振り返ると、こんもりと突き出た観音山の山容が見える。
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5/21 13:21
若葉が茂り始めて視界が塞がれているが、振り返ると、こんもりと突き出た観音山の山容が見える。
コース唯一の鎖場あり。5、6メートルほど下りる。
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5/21 13:23
コース唯一の鎖場あり。5、6メートルほど下りる。
山城・日尾城跡への分岐点。日尾城跡へ50メートルとか書かれているが、20メートルほど進むと城跡に出た。
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5/21 13:27
山城・日尾城跡への分岐点。日尾城跡へ50メートルとか書かれているが、20メートルほど進むと城跡に出た。
日尾城は、戦国時代初期の1478年、太田道灌に攻められて鉢形城を逃れた長尾景春が、一時期ここにこもったと伝わる。城跡に小さな祠あり。
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5/21 13:28
日尾城は、戦国時代初期の1478年、太田道灌に攻められて鉢形城を逃れた長尾景春が、一時期ここにこもったと伝わる。城跡に小さな祠あり。
日尾城跡の碑。小鹿野町教育委員会が1962年に建立。
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5/21 13:29
日尾城跡の碑。小鹿野町教育委員会が1962年に建立。
炭焼き窯の跡を通過。
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5/21 13:32
炭焼き窯の跡を通過。
牛首峠に到着。高さ10メートルほどの岩の切り通しは壮観だった。「石門」の趣あり。
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5/21 13:35
牛首峠に到着。高さ10メートルほどの岩の切り通しは壮観だった。「石門」の趣あり。
牛首峠からは渓流沿いの道を下りる。左右に岩壁が迫り、棒ノ嶺の白谷沢のような雰囲気。
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5/21 13:42
牛首峠からは渓流沿いの道を下りる。左右に岩壁が迫り、棒ノ嶺の白谷沢のような雰囲気。
「岩神の滝」という道標があったが、足元が悪い沢の中を進む必要があるので諦めた。
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5/21 13:49
「岩神の滝」という道標があったが、足元が悪い沢の中を進む必要があるので諦めた。
ここで足を滑らせて沢に1メートルほど転落! 腰から落ちて左手を怪我。翌々日、整形外科に出かけたら薬指を骨折していた。
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5/21 13:50
ここで足を滑らせて沢に1メートルほど転落! 腰から落ちて左手を怪我。翌々日、整形外科に出かけたら薬指を骨折していた。
だいぶ沢の幅が広くなってきた。
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5/21 13:54
だいぶ沢の幅が広くなってきた。
観音院の駐車場に帰ってきた。約2時間半の登山だった。
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5/21 13:59
観音院の駐車場に帰ってきた。約2時間半の登山だった。
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