【多摩100山】多摩丘陵ハイク(大塚山→大日堂)
- GPS
- 05:42
- 距離
- 20.9km
- 登り
- 578m
- 下り
- 497m
コースタイム
- 山行
- 6:55
- 休憩
- 0:19
- 合計
- 7:14
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
感想
関東の梅雨明けは例年、7月の中旬であるため、今年もまだまだ梅雨は続くと見る。
今日の予報も雨と出た。奥多摩は午後に降りそうだ。あくまで予報なので降らないかもしれないが、登山に向かうにはリスクだ。
(結果的には降らなかった)
雨でも登山やハイキングをする物好きはいるが、僕はベストな状態で行きたい。
今日は雨が降っても良さそうな場所をハイクする。そこで決めたのが多摩丘陵だ。
前々から行こうと思っていたが、奥多摩ばかりに目を向けすぎていたので後回しになった。
多摩丘陵は、高尾山麓から横浜市に広がる丘陵地帯である。自然豊かでありながら八王子や町田の市街地と接しており、丘陵から密集した街並みが臨めるのが特徴だ。
今日は、高幡不動から南西に進み、相原駅を終点とするコースにした。
登山とは違って一般道路も含むためルートを作るのに苦心した。
【高幡不動】
高幡不動駅から門を抜けるとすぐに高幡不動尊が見える。奥へ進むと四国八十八ヶ所巡りのコースに入っていく。
ここから既に多摩丘陵は始まっているのだ。
過去に一度、冬に訪れているが、今回は彩り豊かな紫陽花が見れたという点では前回と景色が異なっている。紅葉の季節にも訪れたい。
高幡不動エリアを抜け、しばしの間、程久保の住宅地を歩く。多摩丘陵らしくここからは広々と市街地が見渡せる。
ここで、手すり付きの階段が現れる。
「七生丘陵散策かたらいの路」という案内板も付いており、ここから遊歩道が始まる。
【七生丘陵かたらいの路】
斜面は緩く、雑木林で覆われた細い道を歩いていく。多摩丘陵には基本的にこういう道が多い。
しばらく歩いていると、突然ゾウのような鳴き声が聞こえてくる。
そんなバカなと思うかもしれないが、本当にゾウがいるのだ。
柵の内側は、実は動物公園の園内だからだ。
このかたらいの路は、多摩動物公園北の外側に沿って続いていて、全体を柵で隔てている。
柵の内側を除くと、園内の施設の一部が見られる。当然、中に入ることはできない。
まだ開演の時間ではないためか、人間の声は聞こえてこない。
園内の端っこまで到達すると同時に、このかたらいの路もまた終点に着く。
【平山城址公園】
緑地に挟まれた車道をしばらく歩くと、次の遊歩道への入り口が出現する。
右側は緑色の大きな壁が張ってあり、圧迫感がある。壁の向こう側は、かつて遊園地だった多摩テック跡地だ。リーンマンショックによる不況で随分前に廃園になってしまっている。2023年現在でも再開発が進む様子はない。
見えない廃墟に思いを馳せつつ、黙々と遊歩道を歩いていると、広々とした分岐路に着く。
平山城址公園のエリアに入ったようだ。
かつて源平合戦で源氏方として活躍した武将—平山季重が居を構えていた一帯で、墓や神社といった遺構が残されている。
日野市といえば土方歳三が有名だが、彼もまた日野市に浸透しているようで、彼の名を冠した祭りも開催されている。
公園内の舗装道路を歩いたあとは、グラウンドや研修センターなど京王電鉄の施設の周りを歩く。
すると、いくつかの若いグループが歩いているのを確認する。大学生だろうかと思ったら、そのとおりだった。
すぐ目の前が東京薬科大学だったのだ。
大学生たちは守衛に証明か何かを渡して門を通っていく。
僕は当然入ることはできない。
ここを通れないと先へ進めないのではと不安と焦りを感じていたが、一瞬にして晴れた。
門のすぐ横に遊歩道の入り口があったからだ。
遊歩道から再び平山城址公園内に入ると、緑地に囲まれた場所が広がっている。
一本道ではなく何本か枝分かれしており、最終的に一つの道に繋がっているようだ。
この時点で、気温は30度になり、暑さのあまり身体中が汗ばんでいくのを感じる。
ゆっくりと史跡を眺めていたかったが、今は出来るだけ予定ルートから外れないようにした。
公園を抜け再び住宅地に出る。
コンクリートに出たからか、酷く蒸し暑さが増したように感じ、足の疲労もあったので、近くの自販機で清涼飲料水を2本買い、小さな公園で休憩を取ることにした。
2本のうち、1本はあっという間に飲み干した。
【長沼公園】
住宅地をしばらく歩くと。傾斜が急な長い階段を発見する。
この先に都立長沼公園があるのだ。
階段を登り、野猿の尾根道という細い道を歩く。
ただの遊歩道ではなく、小さな美術館や串焼き屋など古風な建物もあり、宿場町のような趣きがある。
ここの遊歩道は短く、すぐに住宅地に出る。
【中山〜北野台緑地】
住宅地から中山という集落に着くと、広々とした畑が見える。
この畑の中へ足を踏み入れ、竹藪の中に入っていく。
地図がなければここに道があることにすら気づかないだろう。
畑の所有者と思われる人もいて少々気まずい。
道は遊歩道というよりバリルートに近い。
草勢も中々強く、障害物のように立ちはだかる。
そして蚊も湧いてきた。
見晴らしがよくなったので見下ろすと、中山集落の小学校が見える。
小学生が元気にグラウンドを駆け回っている。
しばらく歩くと、北野台というエリアに着く。
丘陵からは、綺麗に整列された住宅街が広がっているのが見える。
【大塚山】
住宅街に出たあと、また遊歩道へ進むと「絹の道」と呼ばれる歴史ある道の分岐路に着く。
シルクロードのように昔は絹を運ぶルートになっていたと思われる。
絹の道ではない方角にある階段を登っていくと、木々に囲まれた広場につく。
ベンチの他に地蔵もあり、信仰を感じさせる場所だ。
何を隠そう、ここが本日初の多摩100山の一座「大塚山」なのだ。
標高200m程度の低山で、山というか丘のようなものだ。道了堂跡がここのシンボルのようになっている。
広場の端っこに三角点があり、目立たないところに「大塚山」と書かれた小さな標識が木に付けられている。
今日はもう一つの多摩100山が残っているため、このまま先へ進む。
下山を開始してすぐに立派な橋に差し掛かる。
八王子バイパスの上を渡る道橋だ。
ちょうど片倉と鑓水の間に位置している。
橋は立派であるが、植物に侵食されていてあまり人に使われていないようだ。
橋を渡った先の道は、草が生い茂っていて、通るのも億劫になる程である。
ここを迂回し絹の道を経由して一旦車道に出た方が良かったかもしれない。
草を掻き分けながら細い道を進んでいくと、大きな鐘のある場所に着く。御殿峠と書かれた標識が立っている。
ちゃんとした道があることに感動を覚え、ここから階段を降りてようやく車道に出る。
服には草や虫がこべりついていた。
【七国峠】
最後の目的地に向けて、七国峠に入る。
ここは鎌倉時代から整備された古道の一つで、旧東海道から相原を経由して八王子に至る重要な道として使われていたようだ。
ここも草木生い茂る細い道だが、御殿峠に比べればまだ道らしい道だ。
しかし蚊の数が異常で耳元でぶんぶん鳴いているため落ち着いて歩けない。
蚊除け帽子の購入が急務だ。これがなくては夏のハイキングは乗り越えられないだろう。
峠をしばらく登り下りしていくと、祠のある開けた場所に着く。
祠には、大日如来像が祀られている。
ここが本日ニ座目の「大日堂」だ。
山頂というよりは丘の上であり。ここも多摩100山に選定されていることを考えると、ますます選定の基準がわからなくなる。
古道の中であることに鑑みると、歴史的背景も深く関係しているのだろうか。
大日堂を出て、しばらく峠を下っていくと、久しぶりの車道に出る。
東京家政学院大学が目の前にあり、ここからバスで相原駅に行けるようだ。
しかしバスは来なさそうなので、このまま相原駅まで歩いて行くことにした。
今回、丘陵から丘陵を渡ってわかったのは、夏に来るべきではなかったということだ。
(追記)
この山行の翌日、なんとなく昔読んだ漫画を読んでみたいと思い、手に取った漫画のワンシーンに驚愕した。
なんと、七国峠や途中で立ち寄ったミルク工房が描写されていたのだ。
読んだことのある漫画とは言え、当時はそもそも七国峠など知らなかったし、「なんとなく」で選んだ漫画だったはずだ。しかしこれを単に偶然と捉えるのも無理がある。
ともすれば、これは「なんとなく」ではなく、前日の山行で、心の奥底に眠っていた例の漫画の描写が掘り起こされ、その漫画を読むに至ったのであろう。
友人にふとそのことを話したら、ブッダが悟りに至った無我の境地(サマーディ)やらユングの集合的無意識やらを持ち出された。
薬物によるトリップでテレパシーを感じ取ったりすることもあるらしい。失礼な、僕は薬物などやっていない、と思ったが、僕はどうやらそのように捉えられていたようだった。
ともかくあまりに奇妙な体験をしたので、ここに追記せずにはいられなかった。
ちなみにその漫画とは「惰性67パーセント」である。
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