1日目(6/30)。前泊の日は縄文へワープする。朝7時代のこの後の2本のはやぶさは全席満員。仕方なく朝早い臨時便の203号に乗って新青森へ。
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6/30 6:55
1日目(6/30)。前泊の日は縄文へワープする。朝7時代のこの後の2本のはやぶさは全席満員。仕方なく朝早い臨時便の203号に乗って新青森へ。
早く着きすぎたので、のっけ丼をネタをじっくり選ぼう。
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6/30 10:46
早く着きすぎたので、のっけ丼をネタをじっくり選ぼう。
ここでしか食べることのできないネタばかりにしようとしたが、ついホタテとエビを載せてしまう。それにヤリイカとコマイッコとヒラメと名前を忘れた白身。
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6/30 11:01
ここでしか食べることのできないネタばかりにしようとしたが、ついホタテとエビを載せてしまう。それにヤリイカとコマイッコとヒラメと名前を忘れた白身。
「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一つ「小牧野遺跡」へのバスは1日1本しかないのだ。(入内腺。他にも行ける路線はあるが)
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6/30 11:27
「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一つ「小牧野遺跡」へのバスは1日1本しかないのだ。(入内腺。他にも行ける路線はあるが)
小館BSで降りたのは他に1人だけ。世界遺産の宣伝が誇らしげだが。(車ではそこそこ来ていた)
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6/30 12:15
小館BSで降りたのは他に1人だけ。世界遺産の宣伝が誇らしげだが。(車ではそこそこ来ていた)
「縄文の学び舎・小牧野館」は廃校した校舎を活用している。ちょうど青森市の小学生が集団で訪れていた。展示はオーソドックスだが丁寧に展示解説されていた。(無料)
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6/30 12:27
「縄文の学び舎・小牧野館」は廃校した校舎を活用している。ちょうど青森市の小学生が集団で訪れていた。展示はオーソドックスだが丁寧に展示解説されていた。(無料)
そこから、遺跡までは30分、標高差100mを無舗装の農道を登る。荒れた人工林だし、結構しんどい(写真はシシウド)。
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6/30 13:01
そこから、遺跡までは30分、標高差100mを無舗装の農道を登る。荒れた人工林だし、結構しんどい(写真はシシウド)。
遺跡に着くと一変した。気持ちの良い丘の上。「小牧野の森・どんぐりの家」というガイド施設がある。休憩所の役割だな。
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6/30 13:10
遺跡に着くと一変した。気持ちの良い丘の上。「小牧野の森・どんぐりの家」というガイド施設がある。休憩所の役割だな。
小牧野遺跡は、環状列石を中心とした祭祀の場所だ。住居は2棟だけなので、三内丸山遺跡のような定住の場所ではない。
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6/30 13:30
小牧野遺跡は、環状列石を中心とした祭祀の場所だ。住居は2棟だけなので、三内丸山遺跡のような定住の場所ではない。
しかし、環状列石だけでなく、その周辺が広く保存されていて、自由に歩けるので、ここに縄文人がいたんだという実感を得ることができる。
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6/30 13:22
しかし、環状列石だけでなく、その周辺が広く保存されていて、自由に歩けるので、ここに縄文人がいたんだという実感を得ることができる。
例えば、ところどころに生えている樹は、縄文時代のものではあり得ないのだが、この花をいっぱいに咲かせたクリだとか、、、
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6/30 13:17
例えば、ところどころに生えている樹は、縄文時代のものではあり得ないのだが、この花をいっぱいに咲かせたクリだとか、、、
ミズナラだとか、、、
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6/30 13:29
ミズナラだとか、、、
オニグルミだとか、、、
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6/30 13:18
オニグルミだとか、、、
ツノハシバミ(この仲間はヘーゼルナッツ)だとか、実を食べることが出来る樹が多いのだった。
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6/30 13:39
ツノハシバミ(この仲間はヘーゼルナッツ)だとか、実を食べることが出来る樹が多いのだった。
ツノハシバミは、住居跡に生えていた。
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6/30 13:41
ツノハシバミは、住居跡に生えていた。
そして、遺跡全体が丘の上にあって、、、
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6/30 13:55
そして、遺跡全体が丘の上にあって、、、
周辺を見渡せるのである。縄文へタイムスリップした感じがする。(見えるは、八甲田山か。よくわからない)
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6/30 13:49
周辺を見渡せるのである。縄文へタイムスリップした感じがする。(見えるは、八甲田山か。よくわからない)
ついでに日本海側の樹のカンボクの実。(これは食べられないようだ)
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6/30 13:56
ついでに日本海側の樹のカンボクの実。(これは食べられないようだ)
2日目(7/1)。今回の目的の雨のブナ林。大釈迦駅で降りて、梵珠山に向かいます。
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7/1 8:00
2日目(7/1)。今回の目的の雨のブナ林。大釈迦駅で降りて、梵珠山に向かいます。
登山口まで約70分の車道歩きだが、脇に旧道が続いていた。
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7/1 8:19
登山口まで約70分の車道歩きだが、脇に旧道が続いていた。
田園風景が続く。
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7/1 8:33
田園風景が続く。
ここにも、クリの花が満開。
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7/1 8:39
ここにも、クリの花が満開。
山に近づくと、雨が降ってきた。
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7/1 8:55
山に近づくと、雨が降ってきた。
マンガンの道登山口。かつてマンガン鉱石を運び出したという、尾根道だ。
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7/1 9:37
マンガンの道登山口。かつてマンガン鉱石を運び出したという、尾根道だ。
咲き始めのエゾアジサイがお出迎え。
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7/1 9:38
咲き始めのエゾアジサイがお出迎え。
エゾアジサイの葉はでかいのである。
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7/1 9:39
エゾアジサイの葉はでかいのである。
仮設の橋を渡ると、、、(この春までは通行止めだったようだ)
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7/1 9:41
仮設の橋を渡ると、、、(この春までは通行止めだったようだ)
すぐ、ブナ林となる。
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7/1 9:46
すぐ、ブナ林となる。
ブナですね。
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7/1 9:52
ブナですね。
標高150mにもなっていないのにブナ林とは、津軽は違うなあ。
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7/1 9:55
標高150mにもなっていないのにブナ林とは、津軽は違うなあ。
ところが、すぐ霧に囲まれる。山とは言え標高150mなのにである。だからこそ、ブナ林なのか。
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7/1 10:02
ところが、すぐ霧に囲まれる。山とは言え標高150mなのにである。だからこそ、ブナ林なのか。
雨もひどくなってきたようで、雨音が大きくなる。しかしブナの傘のおかげで、濡れることはない。
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7/1 10:05
雨もひどくなってきたようで、雨音が大きくなる。しかしブナの傘のおかげで、濡れることはない。
少し登ると針葉樹が出てくる。
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7/1 10:07
少し登ると針葉樹が出てくる。
ヒノキアスナロ(ヒバ、アテ)だ。津軽半島や下北半島に多い樹。
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7/1 10:08
ヒノキアスナロ(ヒバ、アテ)だ。津軽半島や下北半島に多い樹。
このあたりは、ヒノキアスナロの純林で雰囲気が変わる。
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7/1 10:13
このあたりは、ヒノキアスナロの純林で雰囲気が変わる。
ヒノキアスナロの巨木。
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7/1 10:14
ヒノキアスナロの巨木。
陸奥湾が見える。雲に覆われているのは、この山だけみたいだ。
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7/1 10:17
陸奥湾が見える。雲に覆われているのは、この山だけみたいだ。
地面には、ツルアリドオシの花。
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7/1 10:20
地面には、ツルアリドオシの花。
樹木のアリドオシによく似た花を咲かせる野草。みんな2つずつ咲いていた。
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7/1 10:20
樹木のアリドオシによく似た花を咲かせる野草。みんな2つずつ咲いていた。
ブナの巨木もところどころにある。
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7/1 10:24
ブナの巨木もところどころにある。
ヤマブキショウマ。葉がヤマブキにそっくり。
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7/1 10:28
ヤマブキショウマ。葉がヤマブキにそっくり。
ここが一番の急登だったが、たいした登りではない。
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7/1 10:30
ここが一番の急登だったが、たいした登りではない。
これ、すごいデカいんです。アキタブキ。フキの北国版は、馬鹿デカくなるそうだ。エゾアジサイと同じですね。ちゃんとフキノトウもあるという。
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7/1 10:30
これ、すごいデカいんです。アキタブキ。フキの北国版は、馬鹿デカくなるそうだ。エゾアジサイと同じですね。ちゃんとフキノトウもあるという。
霧はますます濃くなって、、、
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7/1 10:41
霧はますます濃くなって、、、
寺屋敷北広場。東屋がある。
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7/1 10:45
寺屋敷北広場。東屋がある。
気持ちよさそうな広場だが、ほとんど何も見えない。
2
7/1 10:52
気持ちよさそうな広場だが、ほとんど何も見えない。
ツルアジサイ。
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7/1 10:54
ツルアジサイ。
山頂へはひと登りですぐだった。
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7/1 11:06
山頂へはひと登りですぐだった。
八甲田山が見えるはずだが、何も見えない。
1
7/1 11:05
八甲田山が見えるはずだが、何も見えない。
梵珠七観音。
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7/1 11:06
梵珠七観音。
まだ時間があるので、先に進もう。
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7/1 11:08
まだ時間があるので、先に進もう。
ここにも、昨日の縄文遺跡にあったシシウドかと思ったが、どうも葉の形からはアマニュウみたい。
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7/1 11:12
ここにも、昨日の縄文遺跡にあったシシウドかと思ったが、どうも葉の形からはアマニュウみたい。
このタイプの花は区別がつかないが、、、
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7/1 11:13
このタイプの花は区別がつかないが、、、
オオダイコンソウかな。
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7/1 11:14
オオダイコンソウかな。
2体の観音様。「観音堂跡」とあった。この先には滝もあるようだが、ここで戻ろう。
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7/1 11:24
2体の観音様。「観音堂跡」とあった。この先には滝もあるようだが、ここで戻ろう。
実になったツクバネソウ。
1
7/1 11:29
実になったツクバネソウ。
これは、ありふれたケキツネノボタンかな。
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7/1 11:33
これは、ありふれたケキツネノボタンかな。
梵珠山頂に戻ったが、相変わらず何も見えない。
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7/1 12:06
梵珠山頂に戻ったが、相変わらず何も見えない。
昼食とし、デザートは青森駅で現地調達した和菓子。いもとあるが、単なる白あんだった。でも美味しい。
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7/1 11:57
昼食とし、デザートは青森駅で現地調達した和菓子。いもとあるが、単なる白あんだった。でも美味しい。
周辺には、オオヤマフスマに、、、
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7/1 12:13
周辺には、オオヤマフスマに、、、
これは、ゲンノショウコみたいだ。自宅近くでもよく見かける。
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7/1 12:14
これは、ゲンノショウコみたいだ。自宅近くでもよく見かける。
隣の釈迦堂山は、尾根続きで高低差はほとんどない。
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7/1 12:23
隣の釈迦堂山は、尾根続きで高低差はほとんどない。
下りは、谷沿いの「サワグルミの道」を行く。こちらの森はブナよりも、、、
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7/1 12:26
下りは、谷沿いの「サワグルミの道」を行く。こちらの森はブナよりも、、、
ヤマグワに、、、
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7/1 12:30
ヤマグワに、、、
渓畔林の代表格のトチノキに、、、
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7/1 12:36
渓畔林の代表格のトチノキに、、、
ウリノキと多彩だ。
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7/1 12:41
ウリノキと多彩だ。
エゾアジサイも満開だった。
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7/1 12:37
エゾアジサイも満開だった。
岩木山展望台。どうせ見えないだろうと思ったが、、、
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7/1 12:45
岩木山展望台。どうせ見えないだろうと思ったが、、、
下界には雲がない。岩木山は、雲を被っている。あちらも雨なんだろう。
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7/1 12:45
下界には雲がない。岩木山は、雲を被っている。あちらも雨なんだろう。
下っていくとブナが登場する。
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7/1 12:47
下っていくとブナが登場する。
ブナの巨木が多い。
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7/1 12:47
ブナの巨木が多い。
地図だと、「日本一のブナ」への道。通行止めとあったが、突破する。
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7/1 13:03
地図だと、「日本一のブナ」への道。通行止めとあったが、突破する。
薮化しつつあったが、踏み跡はしっかりあった。これが日本一か?
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7/1 13:06
薮化しつつあったが、踏み跡はしっかりあった。これが日本一か?
いや違った。やや荒れている道に表示があった。
3
7/1 13:08
いや違った。やや荒れている道に表示があった。
あれが、「日本一のブナ」だな。日本一太いブナだというが、どうやら一部折れてしまったようだ。
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7/1 13:08
あれが、「日本一のブナ」だな。日本一太いブナだというが、どうやら一部折れてしまったようだ。
登山道に戻る。暫く降りると、こちらのブナの方が太いかもしれない。
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7/1 13:17
登山道に戻る。暫く降りると、こちらのブナの方が太いかもしれない。
ブナの巨木を見上げる。
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7/1 13:17
ブナの巨木を見上げる。
「サワグルミの道」のサワグルミは、渓流の底に育つ場合が多いという。これがそうかな。(渓流林のもうひとつのトチノキは斜面に多いらしい)
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7/1 13:28
「サワグルミの道」のサワグルミは、渓流の底に育つ場合が多いという。これがそうかな。(渓流林のもうひとつのトチノキは斜面に多いらしい)
サワグルミは、平地に多いというオニグルミ(昨日の縄文遺跡にあった)と葉が同じ。花と実が全然違うので探したが付いていなかったので、よくわからないが、これがサワグルミだろう。
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7/1 13:27
サワグルミは、平地に多いというオニグルミ(昨日の縄文遺跡にあった)と葉が同じ。花と実が全然違うので探したが付いていなかったので、よくわからないが、これがサワグルミだろう。
「サワグルミの道」登山口。雨はあがっていた。地面は乾いているので、ここではほとんど降らなかったようだ。
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7/1 13:29
「サワグルミの道」登山口。雨はあがっていた。地面は乾いているので、ここではほとんど降らなかったようだ。
今日のルート。累積登り502mとあるが、そんなに登った感じはしない、なだらかな山でした。そして駅近の素晴らしいブナ、ヒバ、畦畔林。
2023年07月01日 14:17撮影
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7/1 14:17
今日のルート。累積登り502mとあるが、そんなに登った感じはしない、なだらかな山でした。そして駅近の素晴らしいブナ、ヒバ、畦畔林。
今日は弘前に泊まる。温泉宿は満杯だったが、そこに泊まる必要はない。青森は、温泉銭湯のメッカなのだ。温泉銭湯が近くにあるビジネスホテルにした。
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7/1 14:48
今日は弘前に泊まる。温泉宿は満杯だったが、そこに泊まる必要はない。青森は、温泉銭湯のメッカなのだ。温泉銭湯が近くにあるビジネスホテルにした。
岩木山がよく見える場所にある温泉銭湯。晴れてきた。
3
7/1 15:59
岩木山がよく見える場所にある温泉銭湯。晴れてきた。
境関温泉400円也。見かけはデイスパみたいにでかいが、紛れもない銭湯。シャンプーなどを備えておらず、皆さん持参なのだ。
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7/1 17:08
境関温泉400円也。見かけはデイスパみたいにでかいが、紛れもない銭湯。シャンプーなどを備えておらず、皆さん持参なのだ。
入浴後はコーヒー牛乳なのだ。おぉ、なつかしのコーヒー缶ではないか。しかし、なぜ北東北限定なのだろう。
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7/1 17:00
入浴後はコーヒー牛乳なのだ。おぉ、なつかしのコーヒー缶ではないか。しかし、なぜ北東北限定なのだろう。
3日目(7/2)。最終日は、中世にワープする。特急も止まる浪岡駅をスタート。
3
7/2 8:26
3日目(7/2)。最終日は、中世にワープする。特急も止まる浪岡駅をスタート。
ここにも、温泉銭湯。
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7/2 8:31
ここにも、温泉銭湯。
ここは旧浪岡町の中心街のはずだが、えらく寂しい。浪岡町は青森市と合併した時の大騒動が有名だ。合併を決めた町長がリコールされ、新町長のもとで住民投票が行われた。
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7/2 8:33
ここは旧浪岡町の中心街のはずだが、えらく寂しい。浪岡町は青森市と合併した時の大騒動が有名だ。合併を決めた町長がリコールされ、新町長のもとで住民投票が行われた。
住民投票の結果は圧倒的に合併反対。しかし時はすでに遅く、すでに決定されていた合併は覆られなかった(2004年)。この町は、その時点で時の流れがストップしたかのようだった。
2023年07月06日 15:44撮影
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7/6 15:44
住民投票の結果は圧倒的に合併反対。しかし時はすでに遅く、すでに決定されていた合併は覆られなかった(2004年)。この町は、その時点で時の流れがストップしたかのようだった。
しかし、中世にはここには浪岡城があったのだ。「青森市中世の館」という立派な博物館でその歴史を偲ぶことが出来る。
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7/2 9:05
しかし、中世にはここには浪岡城があったのだ。「青森市中世の館」という立派な博物館でその歴史を偲ぶことが出来る。
その隣には、廃校となった「浪岡小学校」が佇んでいた。
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7/2 9:03
その隣には、廃校となった「浪岡小学校」が佇んでいた。
浪岡小学校の前の使われていないポスト。間違えて投函しちゃうんではないか。
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7/2 9:04
浪岡小学校の前の使われていないポスト。間違えて投函しちゃうんではないか。
この小学校の校舎は、博物館の一部となっていて、見学できた。
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7/2 9:44
この小学校の校舎は、博物館の一部となっていて、見学できた。
なつかしの本を発見。1964年の東京オリンピックの公式記録写真集だ。体操の名花チャスラフスカ!
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7/2 9:47
なつかしの本を発見。1964年の東京オリンピックの公式記録写真集だ。体操の名花チャスラフスカ!
浪岡城址は、北畠親房の子孫の浪岡北畠氏の館だとされる。国史跡指定が昭和15年とは随分古い。
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7/2 10:00
浪岡城址は、北畠親房の子孫の浪岡北畠氏の館だとされる。国史跡指定が昭和15年とは随分古い。
行ってみてびっくりしたのは、これがバカでかいのだ。これが全体図。
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7/2 10:34
行ってみてびっくりしたのは、これがバカでかいのだ。これが全体図。
その一角の内館が、いわば本丸。
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7/2 10:29
その一角の内館が、いわば本丸。
ここだけでもただっ広い。(樹々は、サクラだった。ソメイヨシノが植えられたのだろう)
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7/2 10:29
ここだけでもただっ広い。(樹々は、サクラだった。ソメイヨシノが植えられたのだろう)
三角点もある。標高35.8m。
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7/2 10:32
三角点もある。標高35.8m。
内館の復元図(「青森市中世の館」にあったもの)。ここに城主たちが住み、その外側の北館に家臣たちが住んでいたわけだ。
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7/2 9:16
内館の復元図(「青森市中世の館」にあったもの)。ここに城主たちが住み、その外側の北館に家臣たちが住んでいたわけだ。
北館も広い。中世の一大拠点だったのだろう。
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7/2 11:03
北館も広い。中世の一大拠点だったのだろう。
浪岡城の最盛期は16世紀の前半。後半には落城し、以来、田畑となり古城址としてだけ語り継がれてきた。明治になって、北畠氏(=南朝)というわけで、称揚されたわけだ。歴史の変転。
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7/2 10:27
浪岡城の最盛期は16世紀の前半。後半には落城し、以来、田畑となり古城址としてだけ語り継がれてきた。明治になって、北畠氏(=南朝)というわけで、称揚されたわけだ。歴史の変転。
周りの樹々を見てみた。初日の縄文遺跡と同じでオニグルミがたくさん生えていた(梵珠山のサワグルミではないようだった)。この周辺には縄文遺跡が多数あるという。縄文人も栄えていたのだろう。
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7/2 10:24
周りの樹々を見てみた。初日の縄文遺跡と同じでオニグルミがたくさん生えていた(梵珠山のサワグルミではないようだった)。この周辺には縄文遺跡が多数あるという。縄文人も栄えていたのだろう。
縄文遺跡でもここでも、草地は一面、シロツメクサとこの黄色い花で埋め尽くされていた。何の花か。その繁殖力からシロツメクサと同様に帰化植物なのか。見た目は茎がするっと伸び、ブタナみたいだが。
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7/2 11:00
縄文遺跡でもここでも、草地は一面、シロツメクサとこの黄色い花で埋め尽くされていた。何の花か。その繁殖力からシロツメクサと同様に帰化植物なのか。見た目は茎がするっと伸び、ブタナみたいだが。
ブタナ(仮)に混ざって咲いていたコウリンタンポポ。これは帰化植物。北海道に多いらしい。
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7/2 10:59
ブタナ(仮)に混ざって咲いていたコウリンタンポポ。これは帰化植物。北海道に多いらしい。
浪岡駅に戻ってきた。駅のホームの写真はリンゴだった。現在の売りはリンゴなのだろう。
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7/2 12:38
浪岡駅に戻ってきた。駅のホームの写真はリンゴだった。現在の売りはリンゴなのだろう。
駅前には観賞用のリンゴ園があって、さまざまな品種が展示されていた。これはヒロサキフジという品種。早生のフジだという。もちろんリンゴも外国産だ。
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7/2 12:18
駅前には観賞用のリンゴ園があって、さまざまな品種が展示されていた。これはヒロサキフジという品種。早生のフジだという。もちろんリンゴも外国産だ。
標高500に満たなくてもブナ林があるなんて、さすが北国ですよね。
葉っぱが大きいと南国のイメージですが、北国の短い夏に太陽のエネルギーを効率的に吸収するためなんですかね。
今回も、遺跡探訪と絡めての山旅、楽しませていただきました。
やっぱりブナの枝ぶりはいいですね☆
今回の津軽というのは、年3回の大人の休日倶楽部パスを使わなければ損、という貧乏性のためだったんですが、この切符のおかげで、青森や岩手にはよく行っています。閑散期の発売なので、梅雨期と冬だけなんですが。
梵珠山は、「県民の森」として整備され、子どもたちの自然観察もよく行われているようです。標高も低いですし、急登もなく、登山というより散策という感じでした。
近くの大釈迦駅周辺は江戸〜明治前半には、西津軽への交通・流通の要地として、宿場町の浪岡駅周辺より栄えていたそうです(翌日の浪岡城址と同じ旧浪岡町のエリアなので、もともと浪岡町歴史博物館だったらしい「青森市中世の館」にそのあたりの歴史の説明がありました)から、街に近い里山ということだったんだと思います。今でも山のすぐそばまで農地がひろがっていました。
ですから、もともとありふれた森だったんだと思います。それが、巨木も多いブナ林なんですから、関東の人間にとっては驚きですね。丹沢でも伊豆でも、奥深い森の標高1000mまで登らないと見ることができませんからね。
青森にも杉の人工林があったりしますが(前日の縄文遺跡への道が荒れた人工林でした)、梵珠山には、全くない。かといって、大きな神社があるわけでもなく、社叢林として残されたわけでもない。石仏は残っているので、仏教の信仰はあったんでしょうが、どうやらそれらは見捨てられていたようです。
たまたま、昔のまま残されていた森を県が「県民の森」として確保したということのようです。里にこれだけ近いブナ林は、青森でも珍しいのかもしれません。
この日は、雨で濃霧でしたが、それでも何人かの方が登りに来ていました。4組とすれ違ったかな。ソロが多かったです。装備はしっかりしていましたが、急いでいる様子はなく散策っていう感じでしたので、この森が好きで、いつも来られているのかもしれません。気軽に歩け、これだけのブナ林ですから人気なんでしょう。
だから、素晴らしい雨のブナ林、と断言したいところだったのですが、「雨のブナ林」の何が良かったか、じつはよく分からなかったのが正直なところです。ブナの葉に日が差してきらきら光る、といった美しさとは違って、「雨のブナ林」の美しさを感じ取るには、その森に何度も通ってよく知ることが必要なのかもしれません。もっと近ければいいんだけど。
葉の大きいアキタブキは、そのでかさに驚き、写真を撮っておいて、あとで調べました。フキとは種が違うとのことですが、東京で育てると普通のフキの大きさにしかならないそうです。北海道ではもっと大きくもっと多く生えているとか。気温のせいなのでしょうか。津軽あたりだと、こういった違いもあって、面白いですね。
あと、縄文と中世の遺跡自体はよかったのですが、その周辺の街並みや、今回泊まった青森市の中心部と弘前市の城東地区(弘前城と反対側)は、何の変哲もない街でつまらなかったです。ビジネスホテルだったせいかもしれません。そんな訳でやることもなく、珍しくTVを見てたんですが、NHKが東北限定の番組を多く流していたのが、意外でかつ面白かったです。十和田市と男鹿市のニュース映像による50年史を当の住民(映像に写っていた人など)に見せて思い出を語りあっていて、これはシリーズ番組のようでしたが、全国放映してほしいと思いました。でも旅先でTVは悲しいので、やはり雨であっても、山地、せめて山地の麓に行くべきだったと思います。
それにしても毎日暑いですね。首都圏だけ晴れているのも困りものです。北関東や甲信越の山地はだいぶ天気が不安定な模様。暑い首都圏を抜け出したいが、どこの山に行けばいいのやら。
きっかけは何であろうと、実際に行ってこの目で見るっていいことですね。
この1週間、ほんと、首都圏だけ晴れですよね。抜け出したいと思ってあちこちの山の天気を見てますが、どこも雨ばかりで断念しています。
この天気はホントに困りますね。とにかく暑すぎる休日を避けるため、雨でも何とかなりそうな信州の高原を狙っています。我ながら懲りませんね。
センターまでは徒歩30分くらいで、行く前は特に意識していなかったんですが、丁度荒川の橋を渡るんですよ(翔亀さんならこれで通じるはず(笑))
とはいえ、時刻の問題で、帰りは最寄りから乗りました。
あそこ、遠いのにバスが少ないですよね……。
弘前の大森勝山とか、外ヶ浜の大平山元とか思うと、よっぽど行きやすい方ですが、展示が盛りだくさんなので、昼食休憩含めて三時間を情報センターで費やしてしまい……遺跡までの道は走りました((
木々がわかればもっと楽しいんだろうなと思っていたら、やっばり翔亀さんはそんな楽しみを持っていたみたいで、少し羨ましいです(泣)
梵珠山も行きたくなりました……。
どっかで組んで行こうと思います。
霧はよく出ますね、この辺は毎日のように濃霧注意報がw
職場は標高100mに満たないので、前が見えないほどもろにかかることはないんですが、上の方は白く、微妙に仕事にも支障をきたします(笑)
雨の森も良いですね。
浪岡城は続100名城で、一応これのスタンプラリーもやっているので、ついででお盆の最終日に行く予定でした。
やっばり続100名城は縄張り遺構が立派ですね。
どれもこれもってことはないんでしょうが、100名城が建築物わかりやすく華やかで、続100名城は縄張りや遺構が立派、ってイメージです。
津城がそんなイメージかと言われると、住民票津市民としては、微妙な感じと言わざるを得ないですが……(笑)
これは行きたい。
しかし、合併騒動は知りませんでした。
実は浪岡出身だった友達がいたので、ちょっと振ってみようかな。
……ちなみに、弘前の東も歩いたことがあるんですが、「ふおあブックオフがある! マクドナルドが三件! やべえ丸亀製麺めっちゃ久々! あれもこれもある! 都市だ! なんか懐かしい、めちゃ落ち着く! 弘前都会って覚悟していたけどめっちゃ落ち着く!! 弘前すげえ!!」ってなって、直後に遺跡歩く予定なのに、ブックオフで買い溜めしました(笑)
野辺地の本屋はスーパーのテナントだけで、雑誌と漫画しか売ってない(そんなことはないけどそんな印象の)一件だけっぽいので、ブックオフには大感動ですよ!
飲食チェーンはかっぱ寿司オンリーですよ!
駅チカのガストでお昼食べました!
弘前すげえ! ふああ!(笑)←完全に田舎ナイズされたいくら丼
弘前凄かったけど、住むのは野辺地で良いです(笑)
城址の方は、私は山城中心で、まだ縄張り図もよくわからず、悪戦苦闘中ですが、その地域の中世の歴史が見えてくるのが、楽しいです。残されている山城の大抵が、その地域のかつての栄光(今は、打ち捨てられているのに)なんですね。中世にはそれぞれの地域が、個性をもって躍動している姿を感じます。
浪岡城は、ガイド施設「中世の館」が秀逸です。浪岡城についてはもちろんですが、旧浪岡町の歴史もよくわかります(合併の話は出てきませんが)。中世の青森って、ほとんど知らなかったけど、最先端だった縄文時代の伝統が中世までは続いていたのかも、と想像を逞しくしました。
ざっと観光した感覚だと、青森市より弘前市の方が活気がある感じですね。これも城下町だったことが大きいのかな。
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