Kilimanjaro Machame route(撤退)
- GPS
- 28:46
- 距離
- 53.7km
- 登り
- 6,760m
- 下り
- 6,864m
コースタイム
- 山行
- 4:34
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:34
- 山行
- 3:50
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:50
- 山行
- 5:11
- 休憩
- 0:26
- 合計
- 5:37
- 山行
- 7:42
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:42
- 山行
- 5:09
- 休憩
- 0:39
- 合計
- 5:48
過去天気図(気象庁) | 2023年10月の天気図 |
---|---|
アクセス |
写真
感想
Prelude
仕事を4時に切り上げて、そのまま成田に向かう。勘違いして、第二ターミナルに来たものの、後でエチオピア航空は第1ターミナルと知り、連絡バスで第1ターミナルに向かう。ターミナルを通勤していると思われる人が多く、私のように、ターミナルを間違えて乗っていると思われる人は皆無。奥の方にあるチェックインカウンターで手続きの列に並ぶ。どことなくのんびりしたムードが漂っていて、中々列が前に進まない。チェックインを済ませて荷物を預けると、先ずは旅行保険、その後チップ用の細かいドル札を手に入れるため、60ドル程変える。換算レートが152円。高い!
必要なことを終えたら、ラウンジに向かって、少し食べ、搭乗開始20分ほど前に搭乗ゲートに行く。仁川経由の便なので韓国人と思われる人もよく見かける。予約時に少し余計に払って、搭乗口前の広いスペースに席を確保したので、エコノミーとはいえ、少しばかり快適。
外資系航空会社の日本寄港便って、大抵日本語の話せるクルーが一人くらい乗っていることが多いが、ここはそういうのはなく、日本語のアナウンスは最低限の録音放送のみ。
成田を出るとガッツリとしたディナーが出る。てっきり仁川を出てからと思ったが。2時間ほどで仁川に到着。一旦全員飛行機を降りて、Transfer扱いになる。Addis Ababa行きの乗客は呼び止められて、ボーディングパスの搭乗ゲートを、仁川のものに書き換える。その後セキュリティチェックをやり直し、再び搭乗口に戻る。なんだかんだで搭乗開始まで1時間を切っていたのもあってそのままゲートに向かう。既にターミナルの店はほぼ閉まっており、閑散とした不気味なターミナル。ただ、搭乗開始も予定より早く始めたので、ゲートにいる時間はさほど長くはなかった。
乗り込むとすぐ入眠モードに入る。暫くして食事に起こされるが断って寝る。ここでも結構ガッツリしたのが出ていたようだ。仁川からは11時間の長丁場。足が伸ばせるとはいえ長丁場、しかもリクライニングが壊れて効かない。いろいろ残念なのはそれだけでは無く、トイレが故障して(入り口に使用禁止のテープが貼られていたが、そのうち剥がれ、みんな自由に使い始める。何が壊れていたのかは分からず)いたり、シートに付いてくるモニタ(足元から出すタイプ)が壊れていて、固定できなかったり。最新鋭のB787なのに。
足が伸ばせるとはいえ、身体に無理を強いるのは変わらず、慣れるまでは拷問だった。
到着2時間前に朝食。まぁまぁ美味しいが、パンがよろしくない。日が昇る頃、飛行機はいよいよアフリカ大陸上国に差し掛かり、眼下にはソマリアの砂漠地帯が広がる。暫くして着陸態勢に入り、無事Addis Ababaに到着。
再びセキュリティゲートを通ってロビー内に入る、非常に混み合って活気が溢れる。Addis?Ababaの空港はエチオピア航空専用の空港(!)らしく、ほぼ全ての離発着便がエチオピア航空で占められている。乗り換え時間は3時間半あるので、ラウンジで一休み。軽く食事を取る。基本豆などを中心としたアフリカ料理が並んでいる。
出発30分前にゲートに向かうが、いつのまにか出発ゲートが変更になっていた。で、指示されたゲートに向かうと、本来そのゲートを使う便の客がごった返していてちょっとしたパニック。ゲートを通る際にも、何人かの乗客が知らないで搭乗しようとして、追い返されていた。せめて放送ぐらいしてあげれば良いのに。
キリマンジャロ行きの便は、欧米客を中心にほぼ満席。アジア系はほとんど見かけなかった。あいにく窓のない席だったため、外は見られず。
キリマンジャロ空港はボーディングブリッジがないので、タラップを降りてターミナルまで歩いて向かう。ターミナルの外には中に入る行列が出来ている。よくよく見るとビルの外でパスポートチェックをやっている。イミグレーションは建物の中に入ってから。どこかのんびりとした空気が漂い、雰囲気はいい。
赤道直下の割に思ったほど気温は高くはない。モシの標高は800メートル。ちなみにAddis Ababaは標高2300m。気せず高度順応の一環をしていた事になる。
ターミナルを出ると、自分の名前を探すが、逆に黒人男性に声をかけられる。依頼していたツアー会社のDavidだった。なんで分かったの?
挨拶を済ませると、「もう一人客を待ってるから、ちょっと待ってね。」と。やがて彼が声をかけたのは日本人男性。つまり日本人らしき人を探して声を掛けていたようだ。とは言え、私の後に声を掛けたのは一人だけなので、日本人がそれほど少なかったという事だろうか。
合流後、車でモシのホテルに向かう。辺りは荒野(サバンナ?)が広がり、アフリカのステレオタイプそのもの。奥に翌日目指すキリマンジャロが見えてはいるが、麓だけで上部は雲に覆われている。
ホテルに着くとDavidと今後について打ち合わせ。まずマチャメルートの代金(1470USD)を払い。下山後のサファリツアーについて相談。当初ンゴロンゴロクレーターを考えていたが、帰国の予定ではかなり厳しい。12人のグループツアーに合流することを提案されたが、余計な場所にも立ち寄るらしく、ならばということでアルーシャのサファリに変更し、1日を予備日とする事にした。でもツアーの依頼をするときにスケジュールがタイトかも知れないから、事前にアドバイス頂戴って言ったんだけどなぁ。
アルーシャツアーとホテルの追加料金を渡し、Davidが帰った後、トレッキングのパッキングを済ませ、少し休むはずがそのまま夜中まで。夕食は抜きとなった。
Day?1 雲のち雨
9時にDavidがホテルに迎えに来て、ロビーでガイドのFransisと挨拶。召集されたチームと車に乗り込み、マチャメゲートへと向かう。チームの編成はガイドとコック、ウェイターがそれぞれ1人づつに3人のポーター。車の中ではそれぞれの個性は分からなかったが、道すがらそれぞれ面白い人達と分かる。小さい車に店員以上の人+大荷物で重いのか、車は坂道になると心配になるくらい(時速10キロ)遅くなる。ゲートに着くと、レジストレーションが終わるまでゲストシェルターで待ってろ、との事。様々な言語が飛び交うシェルターはカオスな状態。ほとんど欧米系の10人くらいの大きなパーティ。一つだけ中国系(後に台湾と判明)のパーティが居るだけで、アジア系は他にはいない。シェルターで座っていると、おおきなランチボックスと1.5Lの水を持ってきて、気楽にしてろとの事。
結局レジストレーションは2時間位掛かった。どんよりと曇っていて、時々小雨が降るイヤな天気。途中登録カードの記載に呼び出され、最後は自分の持ち物のポーター預け分のセキュリティチェック。ドローンは入っていないか?武器は入っていないかと聞かれる。武器は運ばんでしょうと思うが、治安を考えると、ポーターに預けるフリして武器を持ち込むことが有るのかも知れない。ちなみにゲートの中には関係者以外入ることが出来ないらしく、物売りはゲートの前で中に入らないように、際の所で客引きしていた。
正式に許可が下りて、ガイドと歩き始める。ゲートの敷地を出るまでがやや急。その後なだらかとなる。傾斜がキツくなってくる箇所も点在はするものの、概ね緩い坂が続く。ピクニックキャンプの手前から、傾斜のきつい道が多くなってくる。最後の急坂を登ると、だらだら続く道を20分ほど歩いてマチャメキャンプに着く。
ピクニックキャンプの手間あたりから呼吸が荒くなり、平坦になってもなかなか落ち着かない。ガイドのペースになんとか食いついていこうとするが、息は荒れる。遅れることはないものの、一度、「呼吸を落ち着けよう」とガイドに言われて立ち止まり、呼吸が安定する手前で行動開始。ポーターの中には我々に抜かれてしまう人が稀にいる。通常ポーターは、我々よりは早いペースで歩くので、我々の方が後から来るポーターをやり過ごすのが通常。自分の荷物の他に20kg未満の荷物を持ち、完全にスーパーマン状態だが、彼らも人間、バテることだってあるのだ。ちなみにガイドになるにはある程度のポーターの経験が必要だそうで、重い荷物を持った彼らは、いずれガイドとして活躍する事を目指しているのだろう。
マチャメキャンプに近づくにつれ、小雨がだんだんと本降りに変わり、マチャメキャンプで少し落ち着くと、完全に本降りに変わった。
キャンプに帰着して暫くすると、ウェルカムティーとポップコーン。ポップコーンはとても量が多くて食べきれないし、疲れで胃が受け付けない。1/4ほど食べ後は紅茶を飲む。さらに1時間程してディナー。案外身体が受け付けそうな程度には、腹は減っている。前菜のきゅうりスープが絶品。その後フィッシュフライ、ポテトフライ、サラダ、野菜ソースとバナナが出る。山でこのレベルの食事が出ることが仰天。料理に不自由があるはずなのに、どれも一定のレベルには達している。シェフの腕は勿論、ポーターが担ぎ上げた荷物がしっかりしてるのだろう。
Day 2 晴れのち雲時々雨
夜中にトイレに行くと、いつの間にか雲は消え、満天の星空が広がっていた。ただ月が明るく、降るような星空と言うわけには行かなかったが。
日が明けて外に出れば、キリマンジャロの山頂が雪を纏った姿を見せていた。朝食はオーツ麦のポリッジとトースト、パンケーキ、卵焼き、ソーセージにパパイヤ。ポリッジ(おかゆ)が苦手で、多少日本にいる時に訓練したが、出てきたものは私の知っているお粥とは別物で、どちらかと言えばポタージュで、ほのかに甘くて美味しい。食事が済むとパッキングを済ませて8時に出発。
レンジャーの事務所で手続きを済ませて出発。いきなり急登から始まる。途中でガイドが言っていた話だと、この時期は11時頃から雨になるそうで、出来るだけ雨の前に着きたいとのこと。先行パーティや後発パーティを抜いたり抜かされたりしながら、中間のキャンプまでは終始急登が続く。特に長いスラブの登りはキツい。中間キャンプには、嘴と首に白いアクセントのあるカラスがお出迎え。
中間キャンプを過ぎると、アップダウンの多い、緩い登り基調の道になる。所々岩場の急登が現れ結構体力を奪われる。富士山の標高付近ということもあり、息が荒れる。最後に急登で小ピークを超えた後は、下りとなり、そのままNew Shira Campに到着。到着直後に雨が降り出し、ギリギリセーフ。キャンプ周辺は濃いガスに覆われていて、かなり広いキャンプで、道に迷うこと必須。特にトイレの時。
この時点で富士山の標高を超えた訳だが、高山病の症状は出ていない。すこし息苦しい以外は。他の登山者は私のようにはハァハァしていない。ただペースはあまり変わらない。休憩している時に抜かされたパーティに後で追いついて、追い抜くくらい。ただこっちも心臓バクバク、息ゼェゼェで必死にガイドのペースに食らいついているだけなのだけど。(ガイドの動きを見ていると、彼らがペースのコントロールをしてはいるが、こっちのペースをある程度尊重しているようには見える。登山者のペースの遅い時は意図的に遅くし、早い時は「ポレポレ」を維持しつつもアクセルを少しかける)。
到着後少しすると、ランチの呼び出しがかかる。本日のランチはパスタ、チキンソース、オレンジ。パスタはイマイチだが、チキンソースはまぁまぁいける。初日にマチャメゲートに向かう道すがら、フレッシュミートを調達していたが、それらをここまで運んでいるという凄さを感じる。
登った後すぐは胃が受け付けないが、「沢山食え、登るには重要だからと」ウェイターのManchareは言う。分かるんだけどねぇ、難しいんだ。普段1日一食なもので。
夕方になって、天気が回復したのでガイドのFransisがレンジャーポストにレジストレーションに行くついでに、Shira Caveと高度純化に少しハイキングしよう、と誘ってきたが、呼吸が荒れるのがキャンプについた後もあったので難しいと話すと話すと、じゃShira Caveだけと言う事で、どちらにしてもレジストレーションには行かないといけないのでついて行くことに。レンジャーポストの先を少し行くと、大きな洞穴が現れる。以前は中で20人程のゲストが泊まっていたそうだ。それ以外にクルーも含めて寝泊まりできた。ただ、気温が低い場所でもあり、中々厳しい条件で、結構亡くなったらしい。今は洞穴の手前に「キャンプ禁止」のボードが掲げられている。
戻ると、いつのまにか少し離れたパーティのクルー達が輪になって歌い始めた。跡で聞いたところキリマンジャロの歌だそうだ。いかにもアフリカな光景が。
ちなみにキャンプの天気はコロコロ変わる。雨が降ったかと思えば、太陽が顔を覗かせ、そうかと思えば濃いガスに覆われる。 幸いにも風はない。また欧米系のグループキャンプは、巨大なテントを使い(多分食堂)、中でダンスミュージックを流している。場所を間違えているのでは?と言う気がする。全く食欲の復活しない中、ディナーに突入。メニューはカボチャときゅうりのスープ、ライス、アボガド、インゲン豆の炒め、牛肉のスープ。結局カボチャのスープを一杯飲んだだけで何も入らず。
食堂テントの外をボーッと眺めていたら丁度日の入り。しかも雲が切れてメルー山が見える。そんな時間も束の間、あっという間にガスが上がってくる。すると今度は反対側のキリマンジャロの雲が晴れて全容を表す。
キリマンジャロは現地では女性とされていて、「彼女シャイだから中々顔見せないんだよ」、との事。
そのあと翌日(高度純化の正念場)のブリーフィングを受けて、スワヒリ語講座をしばしば。少しでも覚えて使いたいが、私の足りない脳味噌には中々入ってきてくれない。
Day 3 晴れのち雲
陽が昇って明るくなって外に出ると、快晴で、メルー山、キボ峰だけでなく、シラ峰もよく見える。この旅一番の朝。朝は前日と同じ。ポリッジを半分食べるのがやっと、作ってくれたシェフに悪いから、とパンケーキを一枚食べたのが悪かった。油が腹に残るしつこさで、この後の惨事の引き金になった。
今日の予定では高度順応の為、直接次のキャンプに向かうポーター陣とは異なり、標高4600mのLava towerに向かうそうで、そのため昼はランチボックスとなる。食後ランチボックスを手渡され、更にテルモスにお湯を入れた物を持参する。その為、前日と比べて荷物がやや重い。前日と同様8時にキャンプを出発。開けた景色の中、緩やかな登りが続く。ただ空気が薄いからか、最初から息が荒れる。「今日は基本緩い坂で、急登はあってもわずかだから。」と言うガイドの言葉に励まされ頑張って歩く。てっきりポーターとは全く異なるルートを歩くのかと思ったが、終始同じ道を歩く。New Shira CampとBaranco Campは標高差で200mもなく、登れば登るだけ、彼らにはアルバイトになってしまうのだけれど。ただ大きなパーティの場合、Lava Towerで盛大なランチを開くらしく、結局登山者の高度順応に付き合わされてしまう。結局彼らは4400mくらいの地点で分かれた。(Baranco Campは標高3900m)。ガイドに、何度か呼吸調整の小休止に付き合って貰いつつ、Lava Towerに到着。確かに大きなテントが設営されていた。(笑)結局Lava towerではそこまで長くいることはしないで Campに降ることになった。
Lava towerの標高は、じっとしていても息苦しさを覚える。Baranco Campへの下りは、上りに取りたくない斜度と、下りに取りたくない地面。濡れた岩場の急下降。15分くらいで通過して、後は緩い岩混じりの下降道。辺りのスケールが大きな見晴らしの良い道は最初こそ良かったが、長いと飽きる。途中岩壁切れ目からBaranko Campが見える。だいぶ降りてきたようだ。先ほど別れたポーター道(歩荷道)を合わせて、Campまで後数百mと言うところで、唐突に激しい吐き気が襲う。丁度ガイドと高山病の症状について話していた矢先の事。かなり強い吐き気が繰り返し襲ってくるが、何も出ない。仕方ないので落ち着くまで少し休憩。落ち着いだ時点で、ガイドが私の荷物を持ってくれてCampまで行く。ガイドは「荷物が重い。明日はこんな重い荷物は持たせない。」としきりに言っていて申し訳ない事をした気持ちになる。(山頂アタックは荷物を減らして、サブザックの予定。)
キャンプに着くと、テントの中でバタンキュー。取り敢えず充電しなければいけないものの充電をセットして、マットを膨らませ、寝袋を出して。横になる。途中ウェイターのManchareが、フルーツの盛り合わせとジンジャーティーを持ってきてくれる。丁度吐き気がくる少し前に、ガイドに朝食が重いからフルーツとポリッジだけでいいと話していた。
胃のムカムカがひどく、持ってきてもらっても食べる気にならない。匂いすら受け付けない。そのまま寝袋に包まって休む。
2時間ほど休んで少し元気が出てきたので、フルーツを少しつまんで、カメラを持って外に出る。ガスガス。少しばかり待っていると、ガスが切れ始め、Great Baranco Wallとは反対側の壁が見え始める。Baranco Campは三方を絶壁に囲まれて、唯一開けた方向はMosiの町の方角だそうだ。更にしばらく待っていると、Great Baranco Wallもガスが消える。凄い威圧感を持って迫ってくる。まさにGreatな壁である。ただ色々と調べてみるときちんと取り付け、鎖やハシゴなどの補助もなしに登れるらしい。 Campに降りて行く道すがら、壁に映るトレースをみる限り、そんなに簡単には見えない。
その後もガスは切れたり掛かったりで全貌は見えず。
今夜のディナーはきゅうりのスープとパスタ、野菜ソースとスイカ。殆ど口には出来ず。食事の時間がツラい。
Day 4 晴れのち雲
夜は酷かった。激しい頭痛と軽い吐き気。気分が萎えそうになる。いつになく長いこと眠れて、ウトウトを繰り返しながらも、6時過ぎまで眠っていた。頭痛はだいぶ引いていた。胃の方は全くダメで、特に油系を全力拒絶状態。食べたら吐きそう。
気晴らしに外に出ると、雲は晴れ完全に四周を見渡せた。日の出がキボ峰の方からなので、日の出の時間を過ぎても、中々顔を出さない。ここらの気象は朝晩の冷え込みは強く、テントの結露はカチカチに凍るが、太陽が顔を出すと、あっという間に溶ける。寝袋の中ではダウンジャケットが必須だが、陽が出ればトレッキングそのものはTーシャツでも歩けるくらい。ただ雲が出れば、それでは寒い。西欧系の連中は慣れているのか、Tーシャツで歩いている人をよく見かける。
さてGreat Baranco Wallの通過だけど、3点支持は必須ではないが、あった方が良いと言う感じの岩場が続く、岩慣れしていない人で渋滞する箇所だ。1箇所、足場の狭いテラスに、Kissing Rockと名前が付けられている。岩にキスするようにへばりつくように歩くから。前半の急登を超えると、傾斜はなだらかになり、岩の間を縫うように更に高度を稼ぐ。Baranco Wallの山頂まで行くと、谷を隔てて、次の尾根が見える。一旦降って谷底まで降りて、再度次の尾根に取りつく。
Baranco Wallのような急登はない。尾根まで着くと、正面にKarangaキャンプが見えるが、その間にはKaranga渓谷の大きな裂け目が。かなり大きく降って、鞍部でLast Water Pointと呼ばれる水場(沢)を超え、Karanga Campへの登りにかかる。これが結構な急登。登り切るとKaranga Campが広がる。Baranco Campと比べて、見応えはない。ここで1時間のランチ休憩。相変わらず胃が受け付けないので、フルーツのみ。再び登り始める。地味にきつい、緩い上りを越えると、まさにAlpine Desertと言った、荒涼として広々とした、ザレ地の光景が広がり、ゆっくり高度を上げてゆく。さていよいよBaraf Campというところで、また大きな谷が分かつ。降って再度の登り。距離はそこまで長くはない筈だが、ここ数日マトモな食事をとっていない身にはかなり辛い。
尾根に着くと、ぽちぽちテントは見られるが、 Campの本体はまだ先らしい。地味にきつい坂を登り、やっとRanger Officeに着き、registrationを済ませる。自分のテントまで行って、そこでギブアップ。山頂アタックは12時起床1時発との事で、それまでにどれくらい体力が回復できるのかが肝になる。そそくさとマットを膨らませ、寝袋を出して寝る。と言って簡単に入眠できるわけもなく、更に定期的の尿意に襲われて起こされる。ちっとも休まらない。そうこうしているうちに激しい頭痛と、吐き気。コンディションとしては最悪。時計を見ると午後10時を過ぎていた。後2時間で出発できるレベルまで回復するか、シミュレーションをしてみる。ガイドのFransisは、「荷物は自分が全部持つ。お前は自分の身体だけを持ち上げるのに専念すればいい。」と言っている。としても空身で登れる体力が残っているのか?
仮に山頂まで行けたとして、下山の体力はあるのか?で出した結論は諦める。ここまできての忸怩たる思いは当然ある。ただ現実的に考えても、実現可能性が極めて低い以上、リスクは取らない。ここで取るリスクは、場合によって、命に関わる。12時に起こしに来たガイドにそう伝えると、その決定を尊重してくれた。でも本心では山頂に連れて行きたかったんだろうな、山頂からの景色を見せたかったんだろうな。というのは言葉の端々で感じる。
「じゃぁ朝まで横になってて」と言われて、その晩は別れた。
Day 5 晴れ
朝になると、少し頭痛は落ち着きはしたが、しつこい状態。胃のむかつきは相変わらずで、食べ物をイメージするだけでも吐き気がする。結果的にこの判断は間違っていなかったと信じている。(下山後、Davidのオフィスで、散々「食べないからダメなんだよ。あなたより条件の悪い人たちだって、成功してるんだよ。ほらっ」、って動画見せられて、ダメ出しされて。わかるんだけど本当に胃がどうしてもものを受け付けなかったんだからっ)
これからは暖かい所へと降りてゆくので、アタック用に着込んでいた温感シャツなどは全部脱ぎ、ほぼ初日と同じ格好になる。標高5000メートルに届きそうなBaraf Campでも、陽が出るとテントの中では暑いくらいになる。標高差のあるBaraf Campの通過にそこそこ時間をかけ、以降殺風景なMwekaルートに進路を取る。所々に、単輪のストレッチャーが転がっている。High Camp(Millennium Camp)まではなだらかで転がしやすいが、そこから先はステップが大きく、乗る方の負担も大きいそうだ。
仮病を使ってストレッチャーに乗りたがるのはインド人が多いそうで、Millennium Campの先になって、ガタガタが酷くなると、途端に「歩けるようになった。降ろしてくれ」と頼むそうだ。インドに住んでいた経験からなんとなくわかる。楽したいというのもあるだろうが、試してみたい気持ちが強い国民性なのだろう(笑)。暫くすると視線の先にMillennium Campが見えて、雰囲気の良い Campに到着。看板を見ると、ここからKaranga Campに行く道もあるらしい。
Millennium Campを過ぎると、少し道は険しくなる。暫く歩くと視線の先には、Mweka Campが視線に入るが、まだ遠い。結構しんどい岩伝いの道だったので、「キリマンジャロ登って、疲労困憊の人が歩くにはしんどい道だねぇ。」とガイドに聞くと、我々はショートカットを行っている。彼らはもう少し緩い道を使ってるよ。と教えてくれた。
樹林の中のMweka Campは、他のキャンプと違って、少しこじんまりと見える。ここで休憩して、フルーツの提供。30分ほどで再びゲートに向かう。
ここからはスリッピーな道で、粘土が踏み固められた地質。何度も滑って転ぶので、ガイドに、「お前は足遣いが良くないな」、と怒られる。ハイ、スミマセン。長いスリッピーな道を終えると、林道に出る。いわゆる未舗装の、「4WD」と言っていた道だ。更に200メートル標高を落として、ゲートのオフィスに到着。
登録を済ませると、ゲートにある粗末な食堂で昼食。少し食べられるようになっていて自分でもびっくり。コーラを奢られる。「登山が終わって飲むコーラは絶品なんだよな」というガイドの呟きに100%同意する。
最後にチップの受け渡し。道中ガイドとはチップの話をしてはいた。予想していたように、彼らはツアー会社の方から給与はもらってはいるものの、生活の殆どはチップに依存しているらしい。
旅行前に調べた情報で一番確実な情報として、タンザニアのGNI(Gloss Net Income)がある。ここから導かれるタンザニア人の1日辺りの収入は、2022年で、約2.3ドルとの事だ。そこからその情報源では、1日辺りガイドでチップは10ドルと言っている。ただ山の中で見たスタッフ、特にポーターの格好は、どう見てもある程度の危険を伴う山仕事には相応しくない格好だった。ボロボロのザックやサンダルなど。おそらく先輩のお譲りなどを使い回しているのだろう。
せめて彼らにしっかりした物を使ってもらいたい。実際この下山中にガイドが小さな塚(?)の前で立ち止まり、「これは墓標なんだ、とても天気の悪かった日に、この辺りで多くのポーターが死んだ。顧客も多少犠牲になったが、それ以上にポーターが犠牲になった。」と教えてくれた。キリマンジャロのトレッキングではある程度ポーターの経験がないとなれないガイドやコックに比べて、ポーターは明らかに貧弱な装備だ。それでいて仕事は完璧。どんな悪路を歩いていても、荷物を落とした現場は見たことがない。
で、チップをどうしたかというと、ガイドと相談した結果、1日あたり、ガイド30ドル、コック20ドル、ウェイター18ドル、ポーター10ドルで、今回アクシデントで予定が1日早まったが当初の予定通り、6日分を渡す事とした。この額が妥当なのかは分からない。ただ、彼らの仕事を見た上で決めた。
最後
持っていった荷物で最終的に必要なかったと判断したものとして、
チェーンスパイク;富士山の砂走相当の砂礫の道の登り(山頂アタック)を想定していたが、ガイドに聞くと「必要なし」との事だった。Baraf Campの先は、登りと下りで分かれていて、下りはいわゆる砂走りだが、登りは足下のしっかりした道だから。
カイロ:劇寒を期待して持っていったが、テントはダブルウォールの結構しっかりしたもので、寝袋もNangaのAurora600DXという高機能なのものだったので。
海苔の佃煮:おかゆが嫌いで、紛らわしのため持っていったが、出てきたポリッジは全く別のもので、必要性を感じなかった。ただ胃が悪くなったあとでは、ポリッジの甘い匂いを、下山した今でも受け付けない。
蚊取り線香・虫除けスプレー:このあと行ったアルーシャのサファリでも含めて、蚊に襲われることはなく、虫に纏わり付かれるという事も無かった。雨期になれば話は異なるのかも知れないがこの時期(10月初旬)については、少なくとも必要性を感じなかった。
備考
Machame CampやNew Shira Campの飲用水は結構黄色い(特にMachame)。気にする人は無理かも知れない。BritaのFilter Bottleを持っていったが、フィルタを通しても、色味が消えることはなかった。
各キャンプかなり敷地が広く、トイレも何カ所かあるが、テントが張られる場所によっては、かなりの試練となる可能性がある。大きなチームでは、トイレも運び込んで、テントの近くに設営される。
又キャンプ場設営のトイレはある意味当然ながら、標高が上がるに従いクオリティが落ちる。特にBarancoは酷かった。一番標高の低い、Machame Campのトイレで、日本の「テント場」のトイレの一般的なレベルと考えると良い。
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