【多摩百・仙元峠】さらば相棒、今まで本当にありがとう。
- GPS
- 08:18
- 距離
- 14.1km
- 登り
- 1,467m
- 下り
- 1,288m
コースタイム
- 山行
- 7:35
- 休憩
- 0:39
- 合計
- 8:14
▼今山行では、巻いたので登っていない棒杭ノ頭は、コースタイムと登った山リストから削除した。また同じく滝入ノ峰も巻いて登っていない為、登った山リストから削除している。
▼今山行横篶尾根の下りで、落葉と膝痛に苦しめられ馬鹿みたいに時間を要した割には、歩くペースが対標準速度比1.1~1.2で仕上がったのは意外だった。
天候 | ▼2023年の山行も今回が最後かもしれない。もう一回くらい行きたいところだが、最後の可能性も十分ある中、何をやって締めくくるのが良いか?ここ2週間ばかり悩んでいた。奥武蔵のウノタワにでもふらりと訪れてみようかと一時大分傾いたのだが、やはり多摩百で締めくくるべしとなった。万六ノ頭か大寺山か仙元峠の3択。蕎麦粒山と三ッドッケ間の赤線が未連結である今の状態はあまり見栄えの良いものではないのと、もう一度鳥屋戸尾根を登っておきたかったこともあり、鳥屋戸尾根から蕎麦粒山→仙元峠→横篶尾根経由で東日原BSへ下る計画を立てた。時間や体調が許せば、三ッドッケに登っても良いとした。 ▼当日の天気は雨の心配は無用だったが、気温が前日比でぐっと(正確な数値は忘れたが5度以上は確実)下がることが気がかりだった。湿度は時間が経つとともにぐんぐん下がり、午後には30%程度になる予報。風は午後少しの間だけ風速5mとやや強い風が吹くとのことだった。この予報を鵜呑みにしてダウンを持っていくことを決めた。その代わりにウンドブレーカーは要らないという判断をしたが、当日天気図を確認しなかったのはチョンボだったと思う。 ▼いつものように午前四時に起床、前日に購入した総菜パンを朝食として頬張りながら準備をした。2番電車を捕まえるべく、まだ日の出は大分遠いと確信出来る漆黒の闇に包まれている5時前に家を出る。手袋を貫通してくる寒さは感じなかった。電車に乗るとマスクをしている人の割合が幾分か多くなったことに気が付く。インフルエンザとコロナがジワリジワリと版図を広げているらしい。中国でまたぞろ変な肺炎の症状が出ているとの報道もある。くしゃみを連発した乗客の隣に座っていた、全くそうは見えないが神経質な少年がすかさず電車の窓を大きく開けたのはそんな環境下だからであろう。窓から大量の寒気が侵入してくることを覚悟したが、ここでも寒気は感じなかった。まだ半分寝ている脳みそが、女房が前日に下の娘に、「午前中は比較的暖かいが午後から気温が下がる」と言っていたことを思い出す。只、乗換駅で電車を待っている間、私の隣に立っていた人は小刻みに動いていたのは間違いなく寒さに対応するためであり、決して暖かい朝ではなかったとも思う。 ▼少し眠いが、眠りこけることなく電車に揺られ続ける。拝島過ぎてもまだ暗い、青梅あたりでようやく夜明けの気配を感じる程度だ。冬至が近いことを今更ながらに痛感した。 ▼奥多摩駅着。もう日の出の時間は大分過ぎているはずだが、太陽はまだ山の向こう側にいて、陽射しは感じないが、雲がほとんどない晴天であることを把握するには十分明るかった。東日原行きのバス待ちの列はそれほど長くはなかった。前回訪問時に比べて奥多摩駅は明らかに空いていると感じた。バス待ちの誰かが、「紅葉が終わった奥多摩はこんなもの。」と話しているのが聞こえ、納得した。バス待ちの列の中にも、小刻みに体を揺すっている人がいたが、私は奥多摩でもやはりそれほどの寒さは感じなかった。 ▼やがてバスが来る。バスは全員座席を確保できたのではないか。川乗橋までの道すがら、車窓からは山のすぐ上空に漂う数編のちぎれ雲が漂っているのが見えた。おそらく短い命、数分で消えるくらいの儚い存在だった。やはり湿度は低そうだと、本日も眺望が期待できると確信した。 ▼川乗橋着。絶対に濡らしたくないダウンとバラクラバを脱ぐ。首には手拭いを巻いた。耳は少し冷たく感じたが、我慢が出来ないほどではなかった。 ▼急登を登り始める。すぐに体温があがり、もう間もなく汗が滲み出てくるのが確信出来たので、フリースも脱いだ。厚手のインナーと化繊の長袖Tシャツだけでも寒さを感じない。冷気が心地よいとまで思っていたら、風が吹き始める。予報より大分早くないか?とブツブツ文句をいいながらも登り続けるが、些か強い風に体温が奪われたのであろう、鼻水が出てくる。低体温で免疫能力が低下している可能性は否めない。変な風邪が流行っていることもあるので、濡らしたくなかったフリースを渋々羽織ると同時に、ウインドブレーカーを持ってこなかった不手際を呪った。そして何か羽織ったとたんに風が止むという、人知を超えた何かによるいつも通りの悪意を感じたが、本日の悪意は更に悪いことに、急勾配の核心部では強く吹き付けてくるという凶悪ぶりだった。結局フリースは、山行最後まで脱ぐことはなかった。 ▼バッテリーを節約する為に撮影は控えるはずだったが、尾根上の落葉樹が葉を落とし、思ったより遥かに眺望がある鳥屋戸尾根にシャッターを押す頻度がどうしても増えていった。どうしても間近で見たかった尾根が2つに分岐する地点も、この目でしっかり確認することが出来、満足だった。前回の鳥屋戸尾根登山の際には、見落としていたり踏めなかったマイナーピーク2座もしっかり確認できた。トヤド山の山頂標(存在しないかもしれないが)の確認だけしそびれたのが心残り。 ▼蕎麦粒山着。足が攣りそうなので山頂で少し長めの休憩を取る。休憩中は幸いなことに風が弱まったのか寒さは感じなかったが、動いていないと体はやはり冷えてくる。足の攣りが完全には治まっていないが見切り発車をした。都県境尾根の稜線は明るい陽だまりに包まれていたが、風が強いために暖かさは感じられない。外付けのペットボトルに入った水は、そんな強風に曝され冷却されたのだろう。凍結こそしなかったが、冷蔵庫に入れた様にキンキンに冷えおり、飲む度にきっと胃腸に悪いだろうという背徳感に近い感情が湧いた。 ▼水と言えば、一杯水についても触れておきたい。ほとんど雨らしい雨が降らない関東地方。この少雨もインフルエンザが勢力を増しつつある現状に一役買っているだろう。富士山の冠雪量も本当に少なく見える。この少雨で一杯水が枯れたということではなく、この時期は大概枯れているのだろうけど、伏流水すら枯れているのではないかと思うくらいの一杯水の沢の乾きぶりが、昨今の降水量の少なさをより実感させるなと感じた。 ▼一杯水避難小屋着。小休止を取る。まだ13時を少し回ったばかり、頑張れば14時台のバスを捕まえることが出来るかもしれない。只、無理に間に合わせる必要はない。普通に下れば、16時台のバスまで相当時間を持て余すがどうする?三ッドッケ登るか?いや、膝の状態が良くない。少しこのまま避難小屋でのんびり過ごすか?まあ、ゆっくり下ればよい。バスまで1時間以上待つことになったとしても、ゆっくり着替をしていればあっという間に時間が潰れるのだからというのが結論となり、13時ちょい過ぎに、水分補給のみの小休止で切り上げ、もう14時台のバスを捕まえようとという色気は一切持たずに1時間以上のバスを待ちぼうけする覚悟で一杯水避難小屋を出発した。この一見余裕を持ちすぎに見える計画が、最終的に私を窮地から救ったと思っている。 ▼横篶尾根下りは序盤は調子が良かった。前回踏み忘れた横篶山もしっかり踏めた。膝の違和感がより成長したので、先手を打ってサポーターも装着した。横篶尾根は1年ちょっと前に一度ピストンしたこともあり、下りの経験もある。歩きやすいイメージを持っていたが、やはり落ち葉が積もるこの時期は少し勝手が違ったみたいだ。やがて滝入ノ峰を大きく長く巻くトラバース部分に差し掛かる。落ち葉の堆積により、登山道が狭く見える。こんなに狭かったっけ?つい最近登山道が崩れて狭くなったのか?直前に幅員減少を注意喚起する表示を見たことも精神的に影響しているだろう。前回下った時には、狭いという印象やネガティブな記憶が全く残っていないだけにショックだった。左側の崖はかなりの勾配で切れ落ちていることから、失敗できないとのプレッシャーが掛かる。サポーターをしていたにも拘らず、膝の違和感は明らかな膝痛に成長したこともあり、落ち葉にビビりながら腰の引けたかなり不細工な格好でヨチヨチ歩きのトラバースをしていた事が、体幹の弱い私の体には負担だったのだろう、体の右側側面まで強張り痛みが走るようになり増々歩行速度が上がらない。いつまで経ってもカタツムリの木も現れない。下ばかり見ていたから見落としたか?奇形の木だからついに伐採されてしまったのかもしれない、だから今回の山行ではもう見ることはないだろうとの思いを強くしていたころに、このコースのシンボルは目の前に現れたのが15時少し前。あれ?この調子だと16時のバスに間に合わないのではないかとの疑念が生まれた。焦りだしたのだと思う。 ▼膝は痛いままだが、幅員の狭いトラバース道は終わり、滑落のリスクが小さくなったことから、少しだけ巡行速度を上げることが出来たが、15時過ぎの冬至が近い時期の太陽は、山の背に隠れてしまった。決して真っ暗ということではないが、薄暗い。今の明るさはもう残照に過ぎないとの思いが過った記憶がある。結果、無意識下で更に焦燥感が募ったと思う。何しろ軽いトラウマになっている前回の御前山からの下山時同様の、膝痛を抱えながら薄暗い中の下山作業だ。ジワジワとネガティブな感情が蘇ってくる。写真68~69間で、巡航速度の速い2人組(多分夫婦かな?)に追い抜かれた。彼らはすぐに視界から消えてしまった。置いてけぼりを食った感じがして、焦燥感が加速したのではないかと思う。そんな中ふとスマホを見ると、バッテリー残量が1%となっている。ずっと予備の充電用バッテリーに繋いでいるが、充電が行われない。なんどもスマホと充電器を差しなおすが、1分もしないうちに充電が止まってしまうので、スマホのバッテリーの残量は全く回復しなかった。 ▼ただ、もう山行も最終盤、最後の九十九折れ部分は傾斜がきつかったかもしれないと心配していたが、道に迷うなんて露ほども思わなかった。だって一本道だったと記憶していたから。今でも一本道だと思っている。でも2回も道迷いした。2回とも登山道が少し大きく方角を変える部分で、そのまま尾根っぽい部分を直進してしまっている。登山道が大きく方角を変える箇所が不明瞭だったかと言うと、決してそんなことはない。2回とも、それが正規の登山道であるにも関わらず、なんか作業道っぽい道が分岐しているなと思いこんだ記憶がある。正常な判断が出来なくなっていたということだ。薄暗くなっていて先の方が見えにくくなっていたこと、足が痛くスマホのバッテリーも切れかかっているので早く下山したいと気が急いていたこと、最後に行動食を食べてから3時間ほど経っていて、脳のブドウ糖不足でボーッとしていたのかもしれないこと、これらの複合要因で引き起こされた帰結であろう。 ▼道迷いは2回とも、コースアウトしてから2~3分程度歩いて違和感を感じ、登山道への復帰行動を取り、幸いにも事なきを得ることが出来た。コースアウトしたと分かった瞬間アドレナリンが出たのだろう。膝痛などに構ってられるかという気持ちとともに、膝痛はどっかに吹き飛んで普通の速度で歩ける様になったことをはっきりと覚えている。そして今度は絶対にコースアウトしないぞと強い気持ちを持ち集中して下り続ける。水道施設建屋が見えてきた。ここまで来たら大丈夫と思ったら、気が抜けて再度足が痛くなってきた。 ▼横篶尾根の最下部に何軒かある民家の軒先をかすめる様に下っていく。路面には石がゴロゴロしていて歩きにくいが、もう大丈夫、バスには絶対に間に合うし道に迷うことも絶対ない。疲れた体を労わるようにゆっくりと東日原のバス停に辿りついた。スマホもバッテリー残量1%でよくぞバス停まで頑張ってくれた。本当は最後に芸術的ではあるが機能的ではない例の道標を撮影したかったが、電力不足でカメラは作動しなくなっていた。 ▼2回目のコースアウトの時にスマホがバッテリー切れを起こしていたら、少し深刻な事態になっていたかもしれないので、バスの中ではスマホを更新するしかないのかなとボンヤリ考えたり、ウインドブレーカを持っていなかったがゆえにフリースを汗で濡らし、奥多摩駅で着替える羽目となり、着替えの慌ただしさの中でスマホの画面を割ったりしたことは感想欄に書く。 ▼着替後の出で立ちは、山用ではない超厚手の下着と少し厚めのフリースの上にダウンを羽織る。バラクラバもネックウォーマー代わりに首に巻いた。奥多摩駅から青梅線の車内は、朝とは違いドアを開けっ放しだと冷気を感じるが、寒くてたまらないということは決してない。だが冬の朝方の布団の中にいる様なポカポカしている状態でもない。まあこれくらいが、ヒーターの効いた車内でも汗ばむこともなく丁度いいのだろうなどと考えているうち少しだけ微睡んだと思う。どっと疲れが出たのだろう。 ▼乗換駅で数分、何もすることもなく電車が来るのを待つ。前回の江戸小屋尾根ハイクの時と同様、暖かい汁粉を飲んでもいいかな?でも飲まなくても寒くてたまらないということもないな?なんて思ってふと見上げると、三日月が浮かんでいる。日没時刻の近辺で、三日月が浮かんでいるのはおかしなことではないが、前回山行で、同じ場所で同じような時間に見た満月に数日足りない月と、同じ方角に浮かんでいる様に見えるのはおかしなことなので、きっと方角が違うはずと言う仮説を立てたが、わざわざ方角を確かめる気力は私には残っていなかったみたいだ。 ▼帰宅後は肉体的な疲労よりも、なんでもない場所で2度の道迷いとスマホの画面を割ったことによる精神的ショックが大きく、ヤマレコ作成に取り掛かるのも億劫で、PCを始動させるエネルギーが非常に大きなものだった。これを書いている現在でも、まだ完全には気持ちの整理がついていないと思う。 |
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過去天気図(気象庁) | 2023年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
電車:最寄駅 → 奥多摩駅 バス:奥多摩駅BS → 川乗橋BS 【復路】 バス:東日原BS → 奥多摩駅BS 電車:奥多摩駅 → 最寄駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
<総括> 今回の山行で使用したコースは、難易度の高い箇所もなく大部分が整備が行き届いていると言えるが、やはり注意しなければならない場所は存在する。その点を中心に書いていければと思う。 <鳥屋戸尾根> ・取りついて10分程度の独標509m地点(隠れピーク?)を巻くようにトラバースする地点は地味に危険個所かもしれない。ロープが敷設してある場所(下記に前回鳥屋戸尾根登山レコリンクを張っておく。同レコの写真5参照、この時はあまり危険には感じていないみたいだが、今回は少し怖いなと思いロープの存在はありがたかった)もさることながら、その地点より少し手前にも、岩が張り出していたり路面にも露出している場所があり、ロープなどの手掛かりになるものがない分だけ、前述写真5地点より性質が悪いと感じた。滑落時は、大怪我は免れない地点と思う。今回は落ち葉が堆積していたこともあり、かなり慎重に通過した記憶あり。写真を撮影していないのは、同地点を通過時に少しだけ緊張し、通過後に緊張から解き放たれて気が緩み、ホッとしすぎて写真に記録すべしとまで気が回らなかったからだと思う。とにかく落ち葉の存在が心理的にもプレッシャーとなり、前回何とも感じていない部分も、難易度が高くなり、要注意ヶ所と印象が激変してしまうケースが目立った山行だったと思う。 ・鳥屋戸尾根の核心部(写真7~8地点)は、最初から最後までしっかりしたロープが敷設してあり大変心強いが、やはり結び目がないロープは力を入れ引っ張ると手が滑る。滑り止めのついた軍手をしていたが、それでも手は滑った。また、落ち葉が堆積し夏場に比べると足の滑りやすさも倍増している印象を受けた。やはり私は下りでは使いたくないと断言できる。 ・道迷いポイントは、写真4・5・32地点。写真32地点は前回は気が付かず今回新たに発見した道迷い地点。同地点を地形図で確認すると。尾根が広くなった場所で、誤った方角に小さい支尾根が派生していることから、引き込まれやすいと考える。写真4・32はロープで封鎖されているが、写真5地点は相変わらずロープの封鎖はない。登りで使用する際の鳥屋戸尾根鉄則である尾根筋を外すなを徹底することが肝要と考える。 ・【参考】前回の鳥屋戸尾根レコのリンクを張っておく。https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-4739098.html <都県境尾根稜線> ・特別危ないなと感じた個所はなかったがヤマレコアプリの口コミが、巻道は、仙元峠からの稜線コースと合流後に登山道が3m程度崩落していると告げてきたので、巻道を使用せずに尾根道を選択し、仙元峠の西隣にある無名峰に登ることになった。(写真47・48参照) <横篶尾根> ・おそらく前回トライ時(2022年6月)からなにも変わっていないと思う。変わったとすれば、季節(初夏→落葉の季節)とそれに影響された私の精神状態だろう。前回は登りでも下りでも、滝入ノ峰直下を大きく巻くトラバース部分で、格別何か緊張を強いられる危険やネガティブな感情を抱いた記憶がないのだが、今回は落葉や堆積物の影響で、登山道の幅員が非常に狭く感じ、また滑りやすくなっていることも手伝い常におっかなびっくりで通常の1.5~2倍近くの時間を掛けてなんとか通過したという感じだった。気持ちの持ち方でこうも巡航速度が変わるのだなと学んだ。 ・写真69以降の九十九折れ部分も、本来なら道迷いなど発生する場所ではない。ただ、今回の私の様に、悪条件が重なり正常な判断が下せない状態下では、道迷いが起こり得る箇所であり、実際未熟者の私は道迷いを連続して犯したのはまごうことなき事実であることを記しておきたいと思う。山ではどんな場所でも、くれぐれも油断召されるな。他山の石として頂きたい。 ・参考として前回の横篶尾根トライ時のレコのリンクを張り付けておく。 https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-4363455.html |
その他周辺情報 | ▼奥多摩駅に設置・登山者に解放されている更衣室は非常に清潔で、荷物も置くスペースもあり使いやすい。願わくばもっと数多く設置されていればと思ったが、それは登山者の身勝手でtoo muchな要求かな。 |
写真
感想
▼写真71に書いているショックな事は2つある。1つはもちろん、なんでもない場所で2度も道に迷ったこと。もう1つは今回の山行が、今までずっと一緒に山登りをしてきた相棒的な存在だったスマートホンとの最後の山行となってしまったことだ。先に後者から書く。
▼2015年10月以降、iphone6Sをずっと使ってきた。ヤマレコを書き始めて最初の3回分を除き、ずっと一緒に山に登って来た相棒です。流石にこんなに長く使用していると、バッテリーは馬鹿になってしまっているが、充電用のバッテリーを携帯してれば性能劣化を補うことは出来ると思っていたし、実際今まで出来ていた。
・ただ今回、充電用バッテリーとスマホを繋ぐアダプターも劣化していた。結果上手く充電が出来ない。山行の最終盤でバッテリーの残量は1%まで落ち込んだ。膝痛を抱え、そのせいで予定より1時間以上遅れてしまった為、山行の最終盤はかなり薄暗くなって来ており少し焦りもあっただろう。悪条件が重なった中での2度の道迷い、パニックにはなっていなかったと思うが、心が乱れたのは間違いない。何しろ過去に通ったこともある、まず迷うことはないと確信している場所でコースアウトし、更に正規ルート復帰に不可欠なスマホのバッテリーが切れかかっているのだから。
・幸い何事も無く無事下山出来たが、帰路奥多摩駅までバスに揺られながら、いよいよスマホを更新しないといけないのかなあ、とボンヤリ考えていた。
・少し汗を掻いたという認識があったので奥多摩駅で着替えることに。奥多摩駅に登山者向けに設置開放されている更衣室は清潔だったが、もし順番を待っている人がいたら、待たせてはいけないと気が急いていたのだろう。着替えも終わり、後はザックを背負うだけと、床からザックを拾い上げる為に上半身を屈めた瞬間に、ジッパーを開けっ放しにしたザックハーネスにつけたポーチに差し込んでいただけのスマホが地面へと落下してしまった。充電用バッテリーと繋がっていて重量も嵩増しされていたことという不幸も重なった。画面が割れた。スマホを使い始めてもう10年以上経つが、地面に落とすことなどほとんどなく、当然画面を割ったのは初めてだった。常に科学的で合理的であることをモットーに生活していることから、オカルトチックなことを信じやすい体質ではないと自負しているが、血の通った人間でもありたいとは思っている。機械に心があるとは思っていないが、8年以上ずっと2000Km以上の道のりを一緒に山に登って来た相棒には勿論強い愛着はある。まだ、iphoneを更新しようと完全に決断していたわけではなかったが、そんな私の心を見透かしていたかのように、相棒は身投げしたのではないか?まるで煮え切らない私に機種変する様肩を押し、自ら身を引くための行動に出た様に思えてならなかった。わかったよ、更新するよと呟いた。
・山行から三日後、新しい相棒を手に入れたが、6Sをリサイクルボックスに投棄することは出来なかった。勿論もう一緒に山には行けない。画面が割れて少し見づらいが、室内機として働いてもらうつもりでいる。山から無事帰ってきたら、山行の土産話でも聞いてもらえればと思っている。
▼とまあ、感傷的な文章を書いてしまったが、そうでもしないとタイトルの意味が通じないからと思ったから。感傷に浸るのも良いが、今回は悪条件が重なったとはいえ、最終盤の道迷いについては大いに反省しておかないといけない。それは別途後日記として感想欄に加筆するつもりだし、その他天候欄やコース状況も書き足していくが、取り急ぎ写真キャプションが完成したので、いつもの通り未完ながらもアップしてしまう。
▼備忘録
・道迷い反省(済)
・蕎麦粒山山頂でお会いした人との会話(済)
・膝痛・足攣り(済)
・登山靴の更新(済)
・多摩百最深部攻略戦略見要見直しか? 横篶尾根トラバース部分は、こんなに幅員狭かったっけ?という誤算。(済)
【後日記】
■下山後2週間も経とうとしている今でも正直まだ気持ちの整理がついていないので、このレコの追記がどんどん遅れている訳ですが、道迷いの反省だけでも年が暮れる前に記載しておきたい。
・経緯については天候欄に書いた通り。原因についても同欄にて記載している通り、正しい登山道を見ているにも関わらず、作業道と思い込み誤った方向に進んでしまったこと。すなわち正しい判断を下せる状態になかったということになる。ではその様な状態に陥ったのは何故か?1.気が急いていたことと2.ブドウ糖切れで脳みそが働かなかった可能性の2点による複合要因と見る。
・1.気が急いた原因は何か?(1)薄暗くなっていたこと。(2)スマホのバッテリーが切れそうになっていたこと。
・1-(1)実際夏場らなら、まだまだ明るかっただろうから、16時のバスに間に合わなくてもいいという開き直り方があったと思う。16時のバスに間に合わせようと急いでいたのではなく、暗くなる前に下山したかったのである。勿論ヘッデンは持っていたが、かなり下山していたとはいえ、あの場所で1人でヘッデンを灯しながら冷静に下山できたかと言うと、かなり心もとないと思っていたから、気を急かせた原因は、薄暗さを原因とする。
・下山間際に、薄暗くなってしまったのは何故か?”痛と堆積した落ち葉に神経質になり、思ったより横篶尾根での下山に時間が掛かってしまった為。
・1-(1)-”痛に対しては、登りの時から出来るだけペースオーバーにならない様に気を付けていたつもりだが、無意識に前回の記録と競ってしまった可能性は否定できない。前回より荷物をかなり軽くしていることから、相当早く蕎麦粒山まで辿りつけることを期待していたし、今思うとそれを実現しようとしていた節があったと思うので、前回のタイムなど気にせず、もう少し抑え気味に登っても良かったのかもしれない。膝痛防止の観点から、水はしっかり飲んでいたつもりだが、冷たくなった水を飲んで胃腸にダメージを与えることを恐れ、少し控えめになっていた可能性はある。膝の違和感を感じた時に早めにサポーターを装着したことは良かったと思うが、装着時には違和感は直に痛みに変わる確信もあったので、ロキソニンも一緒に服用するべきだったと思うが、強い薬なので副作用や、痛みを抑えた結果、体に無理をさせてよりダメージを大きくしてしまうことを考えると、服用を躊躇してしまったことが今となっては悔やまれる。
・1-(1)-⇒遒鼠佞堆積した登山道に対して、出来もしないのに無理に早く進むことは自殺行為であり、技術的な上達も今後期待できないので対策とはしない。只、登山靴が少々くたびれてきており、大分滑りやすくなってきていることを自覚していた。登山靴のグリップ力に些か懐疑的になっていたことも、歩くペースが格段に遅くなった原因であると考えるので、早い時期の更新を検討する。また、リスクを0にするのなら、この時期の山行を出来るだけ避けるということになってしまうが、それではつまらない。次善の策としては、余裕を持ちすぎではないかと思われるくらいの計画にて山行を実行することで対応策としたい。そう、今回の様に。結局バスを1時間以上待つ覚悟で、早め早めに下山を開始した決断が、私を窮地から救ったと思うし、今回の山行での一番良かった点と考えている。
・1-(2)スマホのバッテリー切れも、間違いなく気が急いた原因であり、バッテリーが切れる前に安全な場所に下りたいと強く思っていた。安全な場所は、水道施設の建屋が設置されている周辺のこと。
・スマホのバッテリーが切れかかったのはなぜかというと、.好泪枡眤△離丱奪謄蝓爾領化と、⊇偲泥丱奪謄蝓爾肇好泪曚魴劼哀▲瀬廛拭爾領化である。1-(2)- ↓△箸癲⊃靴靴い發里帽洪刑僉また、序盤でスマホバッテリーの節約をするつもりが、思っていた以上に眺望が良かったことからついつい写真撮影をしすぎてバッテリーを消耗させてしまったことは少し反省したい。
・2.ブドウ糖切れで脳みそが働かなかった原因は、(1)最後に行動食を取ったのは蕎麦粒山山頂であり、そこから下山開始時点で2時間、道迷時には4時間近く食べ物を口にしていなかったから。何故長く行動食を口にしなかったのかは、〔姪櫃さがって、登りが終わったからもう行動食を取らなくても良いと油断したからである。
・2-(1)-,紡个靴討蓮∈2鵑瞭嗣造い鯑鹽戮筏こさない為にも、1時間おきのカロリー摂取の徹底を対策とする。
・2-(1)-△紡个靴討癲肉体的なスタミナだけではなく、脳の判断力維持という観点から、下山時にもエネルギーチャージを行う必要があるという貴重な経験を積んだことから、2-(1)-,汎瑛佑法登山時下山時を問わずに、1時間おきのカロリー摂取の徹底を対策とする。
●以上を纏める。
・1-(1)- ”痛対策 この頃膝痛にはあまり悩まされていなかったが、今回を入れて2回連続で膝痛を引き起こしたので、今後の山行でも終盤は膝痛が必ず出るという前提に立ち、登りのペースを抑えめにすることを心がけ、水分補給にも気を遣う。膝の違和感には早めにサポーター装着で対応し、違和感が痛みに変わる確信を持った瞬間に躊躇することなくロキソニンも服用する。
・1-(1)- 早急な登山靴の更新を行う。また、今後も早め早めの行動や計画を立てる。今まで同様、1時間以上のバス待ちを厭わない。
・1-(2)-´▲好泪曚肇▲瀬廛拭爾旅洪靴砲弔い討麓損楮
・2-(1)-´∈2鵑瞭嗣造いら、下山時もエネルギーが必要(特に脳)であることを教訓として学び、下山完了まで1時間おきのカロリー摂取を徹底すること。
・最後に、私の道迷いの癖が変化した気がすることを書いておく。かつての私は、林道などはっきりとした歩きやすい道があると、そっちに必ず誘引されてしまうという癖がありました。どうもその癖がなくなって、代わりに正規登山道が急に方向を変えると、林業の人が使う作業道だと思い込み、そのまま直進する癖が出来ているみたいです。赤指山の時もそのような癖が出た。https://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=5925468&pid=29878b6cd4ba901485f19755bd9e0ae2
今後自分にはこういった癖があることを自覚する為に、改めて記載しておく。
因みに、林道進みたがり病を持っていた頃のレコがこちら→ https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1135711.html
■私が多摩百完登を達成するに為には、 横篶尾根は奥多摩最奥からの脱出路として最重要なルートであった。^汰瓦法↓道迷いなく下山できるルートと評価していたからである。随分前からそう考えており、偵察も兼ねて初めて三ッドッケを登った際にも、この様に書いている。
・多摩百最深部を踏むために出入り口となり得るヨコスズ尾根を偵察したかった。出入口とは登り易く下り易いという意味。特に下り易さが重要。ヨコスズ尾根は合格。ヨコスズ尾根を軸に計画を立てれば、酉谷山までは日が長いうちなら何とか日
帰りで行けるのではないかしらと考えている。最悪は一杯水避難小屋で泊まることが出来そうだし。
↑ https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-4363455.html
・雲取山から三ッドッケまでの間に存在する4座に天祖山を加えた5座は、いずれも横篶尾根を下山ルートとして計画を練っていた。長沢背稜4座と天祖山は別々に挑戦、いずれも私の足では日帰りは無理なので、雲取山荘でのテン泊や、酉谷山避難小屋を活用する違いはあれど、最後は安全に下山できる横篶尾根で脱出することが肝となっていた。しかし今回の山行で、上述´△料按鵑崩れてしまったのは大誤算だった。道迷いは次回は克服できると思う。問題は滝入ノ峰を大きく巻いてトラバースする幅員の狭い登山道部分だ。ドン臭く技術も拙い私が、テント泊装備を背負って安全に通過できるのか?
・長沢背稜4座変更案1:横篶尾根を下りにではなく登りで使い、一杯水避難小屋か酉谷山避難小屋で1泊、更に雲取山荘でもう1泊して鴨沢に下る。
・長沢背稜4座変更案2:鴨沢から登り、雲取山荘ではテント泊せず小屋泊で荷物の軽量化を行い、そのうえで横篶尾根を下る。或いはその逆回りルート、ただしその場合途中で避難小屋泊を行う可能性が高く、寝袋やマットの分だけ荷物は重くなり山行日数も1泊多くなる。
・天祖山変更案:天祖山は酉谷山避難小屋で1泊、その後は横篶尾根を下るのではなく、蕎麦粒山、日向沢ノ峰を経由して踊平から林道に下り、川乗橋BSまで歩く。
・いずれも移動距離や山行日数増→荷物重量増などで、体力への負担が大き、横篶尾根を下るよりリスクが増大している気がする。鴨沢から登って雲取山荘で小屋迫→長沢背稜縦走後、横篶尾根を下山が一番リスクが少ない気がするな。天祖山攻略を考えると、やはり横篶尾根を脱出ルートに組み込むのが一番現実的だ。もう一度春に三ッドッケを偵察登山して、横篶尾根のトラバース部分を見極めようと思う。
■今の登山靴を使いだして早いもので、もう4年以上経っている。https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1915133.html
正直ソロソロ限界が来ていると言っても過言ではない。やはり靴底のグリップ力が格段に落ちているのを痛切に実感する。買ったばかりの時は、本当にグリップ力が高く、それを信頼して下山していたのであっという間だったというレコもある。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1953198.html
これまた長く一緒に山に登った相棒の一人だが、もうそろそろお別れの時が近いみたいです。しかし、今年テントを買った際、爪に火を灯す思いで小遣いを切り詰めて、かなり頑張ってお金を貯めた記憶があるが、あそこまでではないにしろ、また貯金を頑張んないと登山靴の更新ができないかもしれないとなると、ちょっとした良い山には中々いけなくなってしまうなあ。でもまあ、命に関わることだから、ケチらないで早めに更新しないといけないと切に思っている。
■膝痛は、早め早めに対処療法で対応するとして、足の攣りに対しては、芍薬甘草湯を携行していたが、それに加えて粉末の経口補水液も常に持ち歩くことにした。足の攣りの原因は、ゞ敍の痙攣によるものと、▲ぅンバランスが崩れたことによるもの2種類あるみたいで芍薬甘草湯は,砲靴効かないみたいだ。この2回の山行では、塩分補給(柿の種)と芍薬甘草湯の2つを実施してきたので、私の足の攣りの原因が,覆里▲織ぅ廚覆里はわからない。今度足が攣った時に、両方一気に服用せずに、片方だけで足の攣りがどう変化するのかを見てみたいと考えている。そして足が攣るような症状が出た時は、遅れて膝痛が出る確率が高いこともなんとなく学んだ気がする。
■蕎麦粒山山頂では、足が攣りそうだったので長めの休憩を取った。その際に、私が到着してから数分後に、三ッドッケ方面から山頂に到着された方がいたので、しばし会話をした。その方は、およそ登山者らしからぬ出で立ちで、町中を歩くような服装にショルダーバックを肩から下げていた。あまり良くは見ていなかったが靴も登山靴ぽいものではなかったように思う。写真家という芸術家というか、そんな雰囲気をお持ちだった。それでも、かなりの健脚の様で、おそらく私と同じバスにのり、東日原BSから三ッドッケを登り、蕎麦粒山に辿りついたとのこと。所要時間は3時間を切っているだろう。傾斜が急とはいえ最短距離で登って来た私とほぼ同じ時間に蕎麦粒山に到着するのだからかなりの体力と登山技術の腕前なんだろうと思った。服装だけで登山ができる訳ではないからなあ。当日、雲取山に行こうかと迷っていたみたいだし。「雲取は遠いですよ」と思わず言ってしまったが、この人ならこの季節でも苦も無く鴨沢からピストンできるだろうと思った。他愛のない会話が続く。蕎麦粒山の名前の由来について、お互いの説(彼:山頂に露出している岩が蕎麦粒を彷彿させるから。私:均整の取れた山容が、蕎麦の粒に似ているから)を披露しあったりした。蕎麦粒から川苔方面に下る県境尾根は、防火帯が設けられていることもあり、明るく眺望もあり良い雰囲気でお気に入りのコースらしく、山頂から同方向を見下ろしながら、指でレンズを模り構図を決めるような仕草をしていたから、やはり写真家なのかもしれない。足の痙攣が取れない私は、まだ山頂で様子見する必要があったので彼が先に山頂を発つ。これから川苔山方面に行き、鳩ノ巣に下りようかと考えていると言い残して、下山していった。蕎麦粒山から川苔方面へ進む際は、少し傾斜のきつい下り坂を下ることになるが、颯爽と下りていく彼を頂上から見送る私。身のこなしがやはり私とは段違いだ。あっという間に姿が小さくなり、視界から消えてしまった。そんな彼ですら、鳥屋戸尾根は、落ち葉で滑るだろうから下りでは使いたくないなと、だから川苔山から鳩ノ巣に下るのだと言っていたのが印象的だった。彼でもそういうのだから、私ごときが、落ち葉に影響され巡航速度が駄々落ちするのは当然なのだから、それをそんなに卑下しなくてもいいのかもしれないと考えると、少し気持ちが楽になった気がした。
■なんとか年が暮れるまでに書き終えた。来年もそんなには山行ペースは上がらないとは思うけど、怪我なく自分のスタイルで楽しめたら良いなと思います。来年も、世の中が少しでも平穏であります様に。
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