丹沢縦走 セルフトレーニング
- GPS
- 53:00
- 距離
- 34.2km
- 登り
- 2,730m
- 下り
- 2,815m
天候 | 12日:快晴 13日:快晴 14日:雪 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
http://www2.plala.or.jp/kobato/sub/bus_is_oo.html 帰り:丹沢湖周辺から新松田駅行のバス http://www.fujikyu.co.jp/syonan/rosen_time/time01_h.html |
ファイル |
非公開
6391.xls
計画書
(更新時刻:2013/01/09 13:57) |
写真
感想
H氏と行ったロングトレイル。よいトレーニングとなりました。
一日目〈大山ケーブルカー駅〜烏尾山荘〉 先頭・私
二人とも荷物は20kgくらいからスタート。
明らかに他の登山客たちと荷物の量が異なり、どこにいてもかなり浮く。
バス停から大山ケーブルカー駅までは階段続きの商店街、荷の重さにすでに息が上がる・・・。
それでも、意地で男坂から挑むことに(私が無理矢理チョイス)
階段の連続、やっと登ったかと思えば、再び目の前には階段。
この時点ですでにM氏にだけ滝のような雨が降っていた。
髪には水滴、背中の服は変色している。
途中、野球少年の集団に取り囲まれる。
若さゆえのその足取りの軽さに、二人して思わず羨望のまなざしを送る。
やっとの思いで阿夫利神社に到着。
この時点で既に予定時刻から大幅に遅れが出ていた。まずい。
大山登頂は・・・早速、諦めた。
早々に神社からヤビツ峠を目指して下山開始。
塔ノ岳への入山口についたのは既に昼過ぎであった。
ここからひたすら登る。登る。
息が上がるためか、H氏の脚が少しづつ止まり始めた。
少し進んでは止まり、息を整えられるようにペースの調整。
「先頭は、後方にいるメンバーを気遣うことが大事」と知る。
大分進んでは来たが、大分日は傾いてきた。
今晩の目標は丹沢山にある「みやま山荘」。到底間に合いそうに無い。
登り切って少し開けたところに出て休憩。隣には三角形のおかしな小屋?がある。
既に時刻は15時過ぎ。地図を広げ、話し合う。
H氏はすぐ横にあるおかしな小屋で泊まるのがベターと判断。
初日であり、既にペースも落ちてきている。後のことを考え、今晩は無理せずここの小屋で泊まることに決定。
そのおかしな形をした小屋は、「烏尾山荘」いう名であった。
小屋に入ると小屋番(以下・Mさん)はかなり驚いた様子。
「一泊素泊まりでお願いできますか?」という問いに、「おどろいたー!泊まりだとは思わなかったよー」と言う答え。泊まり客は私たちだけのようだった。
どうも話を聞くと、大抵はMさん一人。たまーにお客さんが来るそうだ。(それでも隠れがリピーターのいるらしい)
早速荷物を置き、くつろぐ。
他の山小屋は暖房にオイルヒーターを使うところが多いそうだが、ここにはなんと薪ストーブがあった。
くつを脱ぎ、じんわりと温かいストーブのそばで乾かしつつ、Mさんと話す。
どうもジャズにこだわりがあるらしく、夜は明かりを落として音楽を楽しむとのこと。
「是非聴きたい」と言うと、喜んで音楽を掛けてくれた。
一つだけ緑のランプを残し、BOSEのプレーヤーにCDをセットする。
私は幼い頃から週一回ラジオのジャズ番組を楽しみに聞いていた。
曲名やプレーヤーの名前を多く知っている訳ではないが、「これ知ってます!」と言うと、Mさんは非常に喜んだ。
毎週末こうやって山でジャズを楽しんで一人過ごす、最高の贅沢知っていること。
お客や知人が来たときに温かく迎え入れるのが好きなこと。
この人は心が本当に豊かなのだなと思った。
簡単に食事を済ませた。
夜が更けてきたので、ふかふかの布団でゆっくり眠る。
二日目<烏尾山荘〜青ヶ岳山荘>
昨晩Mさんにも話を伺った結果、ルートを大幅に変更。
当初は鍋割山で鍋焼きうどんを食べる予定だった。
私は鍋焼きうどんが食べたかった。
とてもとても食べたかった。
しかし、今回はMさんお勧めの「景色の楽しめる尾根歩き」をすることにした。
初日に比べるとアップダウンは少なく、一方には富士山を望みながら歩く。
天候もよく、とても気持ちのよい山歩きであった。
H氏は昨日の晩よく眠れたせいかとても元気一杯で、昼ごろまでは歩きながらお喋りも楽しんだ。
また、コンパスをこまめに合わせ読図の復習も行った。
ほとんど忘れていたが、思い出しつつ教えあった。
写真を撮る余裕もあった。
蛭ヶ岳まではかなり多くの人たちとすれ違った。
そこから先に行くのに、たて看板があった。
「しばらく小屋はありません。余裕を持った行動計画を」
その時点で時刻は確か1時か2時。
一応、「この先鎖場とか、危険箇所もあるみたい。今この時間だけど、先に進む?」
と念のためにH氏に確認。
「よし行こう」との返事。
読図技術の未熟さもあるのだが、後にH氏は「こんな道だとは思わなかった〜」と言う事になるのをまだ知らない。
この時点ではわりと元気であった。
蛭ヶ岳〜檜洞丸を目指す道にはほとんど人気が無い。
少し行くとすぐに鎖場。道も少し荒れている。
しかも、アップダウンが多く、ひたすら登ってはまた下りの繰り返しだ。
周りは木が茂り、今までのような眺望は望めない。
そんなところで私はエンジンがかかってきた。
一方、前行くH氏はアップダウンの繰り返しで精神的にも肉体的にも疲労が溜まってきたようだ。
登りでは2・3歩進み、呼吸を整えるために休む、の繰り返し。
このままでは日が暮れる。
既にあたりは暗くなり始めている。
しかも、周囲は木に囲まれ標高も低いため、日没時間よりはより早く真っ暗になるだろう。
道ははっきりしているので迷うことは無いが、暮れるまでには小屋に到着したい。
脚を頻繁に止める様になったH氏。止まるたびに、私はさりげない行動で急かす。
疲れきった馬に鞭打つ様に。
そして、時には「がんば!もう少しのはずだから大丈夫!」と励ます。
私は飴と鞭の使い方を覚えた。
しかし、本当のところを言うと、不安であった。
計画時に「きついコースでもよいか」、道の途中でも「この先進むか」など、随所で本人の意思は確認したが・・・
帰ってから「もうひっどい目にあったよー大変だった」と、悪い思い出になってしまわないだろうか?
まるで70代のお年寄りのようになってしまったH氏を見て思ったのだ。
やがて道のアップダウンは少なくなってきた。
時刻は4時半ごろ、いよいよ日が沈む。
少し登って開けたかと思うと、目の前に青い小屋が。
やっと青ヶ岳山荘に到着できた。
ともに大喜び。
早速中に入り、泊めてもらうようお願いする。
小屋番はお母さんと娘さんの二人だそうだ。
食事を済ませ、コタツに入れさせてもらう。
夜はやはり冷えるのでありがたかった。
私たちのほかに常連さんが一人おり、いろいろ話を聞かせてもらった。
私が「少しづつ山の楽しみを知るようなった」と話すと、「これからもっといいこと一杯あるよ」と言っていた。
小屋番のお母さんもなかなか温かい方で、私たちが訪れたことを子供が遊びにでも来たかのように喜んでくれた。
小屋番をしつつ、周りのごみを拾うボランティアをしたり、木を保護する活動も行っているそうだ。
娘さんからその話を詳しく聞いた。
そんなお喋りで、夜は更けていった。
天候のことについて、前の晩もMさんから聞いたが、ここでも「明日は雪降るよ」言われた。
「丹沢に雪を多く降らせる南岸低気圧がちょうど来る」と教わった。
家を出る前に3日目は天候が崩れるのを天気予報では見たが、天気図を見たりあまり詳しく調べなかった。
これは今回一番の反省点だった。
しかし、雪道を歩けるのは来週に控えた雪山集中山行に向けて練習になる。
これはチャンスだ。
しかも一緒に泊まった常連さんは同じ道を下る。
彼は何度もこのルートを経験してらっしゃるので、万が一迷いそうになっても教えてもらえる。
私は心の中で「降るなら、せっかくなので目一杯降ってくれ」と思った。
この日も分厚い布団でゆっくり眠ることができた。
三日目<青ヶ岳山荘〜丹沢湖・落合館> 先頭・私
朝起きたら、外は真っ白だった。
積雪量は5センチくらい。しかし降り続いているので、もっと積もるだろう。
急いで食事と支度を済ませ、小屋番の二人に別れを告げる。
常連さんよりも先に出発。すぐに追いつかれるだろうと思っていた。
昨晩勧められたツツジ新道を下る。
最初は木道が多く、道は迷う心配は無い。
前に行く人はおらず、最初に足跡をつけるのは自分。
楽しかった。
H氏はまたよく寝られたせいか、元気であり、降りたてのテンションが上がっていた。
始終つぼあしで歩いたが、やはり雪深くなっているところもあった。
段差ではよくこけた。
雪のせいでコースタイムよりは歩くのに時間がかかった。
2時間くらい経ったところで、小屋で会った常連さんに追いつかれる。
山慣れている人なので、歩くのが早い。
それからずっと一緒に歩いたわけではないが、鎖場などH氏を見守ったりもしていただいた。
下り下って沢に出る。
それから少し下って、車道に出た!さらに車道を下り、西丹沢自然教室へ。
常連さんはそこからバスに乗るとのことで、別れを告げた。いい人だった。
ここからバスに乗れば楽だったのだが、話し合い、当初の予定通りずーーっと車道を下り温泉のある「落合館」まで歩くことに。
雪はいつしか雨に変わり、体は濡れで冷えた。
空腹もピーク(私は一番これに弱い)だったが、あと少しの辛抱。
ひたすら歩くと丹沢湖が見えてきた!
エメラルドグリーンのきれいな湖。
やがて橋を渡ると、ようやく落合館に到着した。
私たちはアルプス縦走をしたわけでも、一・二週間の長い山行をしたわけでもない。
しかし、この時の感動はなかなかのものだった。
この後は無事温泉、食事もとれ、バスにて新松田まで帰ることができた。
自主的行うトレーニングとして体力・読図・雪道歩きなど、色々体験できたのでよかった。
それと、貴重だったのは色々な人と出会うことができ、話をできたことだった。
私は人と話すのが苦手だったときがあり、そういった大事な人とのやり取りをずっといい加減にしてきた節がある。
どれだけのことを、出会った人々とうまく交わすことができたのかはわからない。
きっとうまくはできていないのだけど・・・
それでも山で偶然にも出会って、会話したそれだけでも、何かきっと縁があり、意味のあることのような気がした。
私はいまだに、「どの山に行きたい?」と聞かれるとあまり思い浮かばない。
まだ山の経験が浅く、自分で調べることも足らないのも一番の原因だと思う。
けれど、今の時点で山に登ることで一番「得たいもの」は、どんなことを経験できて思い出に残ったか、どんな人と登って相手のどんなことを知ったか、いった先でどんな人と出会えたのかということだと、今回の山行で気づかされた。
私は山に登ることで、「旅の続き」をしているのかもしれない。
これからも、私は皆と登ることをとても楽しみにしています。
最後に、H氏は帰りの電車で「なかなかできない体験だった」と喜んでおり、私は内心ほっとしたのだった(笑)
一緒に登ってくれてありがとう。
ちょっとした短編小説を読んだ後みたいです。
みんなそれぞれ旅の途中でさまざまな経験をしながら、
新しい気づきや何かを得ていくのですね。
H氏の老いゆく姿も読んでいて目に浮かぶようでした。
これからも良い旅を!!
…ってことを知らなかったよ(笑)
今年夏の馬蹄形、きっとまた老いたH氏を見られるに違いない\(^-^)/
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する