道の駅和紙の里ひがしちちぶの駐車場からスタート。少し遅すぎました。
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3/9 10:40
道の駅和紙の里ひがしちちぶの駐車場からスタート。少し遅すぎました。
まずはあの峰を越えます。左が石舟山、右が花水山かな?
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3/9 10:46
まずはあの峰を越えます。左が石舟山、右が花水山かな?
こちらは笠山。山肌には結構雪がありそうです。
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3/9 10:55
こちらは笠山。山肌には結構雪がありそうです。
身形神社。初めて聞く社です。立ち寄ってみましょう。
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3/9 10:59
身形神社。初めて聞く社です。立ち寄ってみましょう。
石灰岩の手水鉢は天保五年(1834)。
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3/9 11:00
石灰岩の手水鉢は天保五年(1834)。
明治から社号が「身形」神社に。一説には祭神の三女神をしめす「三形」とも。江戸時代までは妙見社として祀られたそう。
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3/9 11:02
明治から社号が「身形」神社に。一説には祭神の三女神をしめす「三形」とも。江戸時代までは妙見社として祀られたそう。
扁額は「妙見宮」です。しかも秩父神社の妙見様の中姉ということです。偶然ですが参拝できてよかったです。
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3/9 11:04
扁額は「妙見宮」です。しかも秩父神社の妙見様の中姉ということです。偶然ですが参拝できてよかったです。
境内の一画には石棒も。
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境内の一画には石棒も。
鳥居の向こうに石造物群。その先に見えるのは石舟山?
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鳥居の向こうに石造物群。その先に見えるのは石舟山?
少し歩くと青石のカッコよい名号塔「<キリーク>南無阿弥陀仏」(文久三年、1863)
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少し歩くと青石のカッコよい名号塔「<キリーク>南無阿弥陀仏」(文久三年、1863)
山麓に何かお堂がありました。その石段の両脇に大きめの御地蔵様と百番供養塔(明和三丙戌年、1766)
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3/9 11:13
山麓に何かお堂がありました。その石段の両脇に大きめの御地蔵様と百番供養塔(明和三丙戌年、1766)
薬師堂でした。小さな薬師如来立像が安置されていました。お堂の下にあった山際の道は消失しているようです。
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3/9 11:15
薬師堂でした。小さな薬師如来立像が安置されていました。お堂の下にあった山際の道は消失しているようです。
槻川沿いの道に戻って歩いていると、青石の「男體山禅頂登山成就」「安政五戊午歳七月七日(1858) 信心主高野富五郎」。古峯原からの禅頂道、歩いてみたいですね。
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3/9 11:24
槻川沿いの道に戻って歩いていると、青石の「男體山禅頂登山成就」「安政五戊午歳七月七日(1858) 信心主高野富五郎」。古峯原からの禅頂道、歩いてみたいですね。
いつも仲良しな官の倉山と石尊山
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3/9 11:26
いつも仲良しな官の倉山と石尊山
造成地を通過(電気柵有)させていただくと、小さな橋がありました。その先は藪ですが、これくらいは何でもなくなりました(笑)
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3/9 11:29
造成地を通過(電気柵有)させていただくと、小さな橋がありました。その先は藪ですが、これくらいは何でもなくなりました(笑)
槻川に注ぐ沢を越えると尾根道がありました。
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3/9 11:40
槻川に注ぐ沢を越えると尾根道がありました。
主稜線に乗って右折すると、石舟山とうちゃこ。S社地図には“石舟信仰”と記載があります。
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3/9 11:50
主稜線に乗って右折すると、石舟山とうちゃこ。S社地図には“石舟信仰”と記載があります。
遠目で祠に見えた石(笑)
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3/9 11:58
遠目で祠に見えた石(笑)
大きな猫石(勝手に命名)
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3/9 12:02
大きな猫石(勝手に命名)
そしてお花もお水も見当たりませんが、花水山308mの山頂です。そして、
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3/9 12:05
そしてお花もお水も見当たりませんが、花水山308mの山頂です。そして、
主稜線から離れて南東の支尾根を降りていくと、ここに「花水山
」278.19 m四等三角点がありました。
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3/9 12:16
主稜線から離れて南東の支尾根を降りていくと、ここに「花水山
」278.19 m四等三角点がありました。
そのまま尾根を下ると、
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3/9 12:23
そのまま尾根を下ると、
民家の裏手に降り、左に山際を行くと
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3/9 12:31
民家の裏手に降り、左に山際を行くと
やっと目的地の神社のようです。なかなか雰囲気がありますね。目前の石碑らしきものが気になりますが、折角ですから鳥居から入りましょう。
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3/9 12:35
やっと目的地の神社のようです。なかなか雰囲気がありますね。目前の石碑らしきものが気になりますが、折角ですから鳥居から入りましょう。
腰越氷川神社です。yamaoyokoさんのレコを拝見してこちらに御嶽が祀られていると知り、訪ねてきました。
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3/9 12:37
腰越氷川神社です。yamaoyokoさんのレコを拝見してこちらに御嶽が祀られていると知り、訪ねてきました。
一瞬「御嶽山」に見えましたが、よく見ると「城嶽山入口」でした。城址があったのでしょうか?
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3/9 12:38
一瞬「御嶽山」に見えましたが、よく見ると「城嶽山入口」でした。城址があったのでしょうか?
これは今まで見た中で一番古い聖徳太子塔だと思います。「延享四丁卯天七月吉日(1747)比企郡腰越村大工拾六人」やはり“大工さん”による信仰ですね。
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3/9 12:44
これは今まで見た中で一番古い聖徳太子塔だと思います。「延享四丁卯天七月吉日(1747)比企郡腰越村大工拾六人」やはり“大工さん”による信仰ですね。
やけにあっさりですね。「火渡り」はありますが、御嶽については触れておりません
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3/9 12:47
やけにあっさりですね。「火渡り」はありますが、御嶽については触れておりません
氷川神社社殿、その裏手に大岩があります。
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3/9 12:47
氷川神社社殿、その裏手に大岩があります。
やけに笑顔の大黒天様。てっきり近年の物かと思ったら、台石に「元治元甲子歳三月吉日(1864)」
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3/9 12:52
やけに笑顔の大黒天様。てっきり近年の物かと思ったら、台石に「元治元甲子歳三月吉日(1864)」
「武州比企郡腰越村」とありました。
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3/9 12:53
「武州比企郡腰越村」とありました。
おそらく大岩からの落石で出来た岩陰が産泰神社でしょうか。
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3/9 12:54
おそらく大岩からの落石で出来た岩陰が産泰神社でしょうか。
石棒と中世板碑があります。
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3/9 12:55
石棒と中世板碑があります。
見上げると岩棚に石塔が見えました。
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3/9 12:56
見上げると岩棚に石塔が見えました。
板碑には「明應八(1499)」とあるようです。
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3/9 12:57
板碑には「明應八(1499)」とあるようです。
最初に気になった石碑は「御嶽山入(口)」とありました。
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3/9 12:58
最初に気になった石碑は「御嶽山入(口)」とありました。
寄附者の石碑の脇に参道の登り口があります。
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3/9 13:00
寄附者の石碑の脇に参道の登り口があります。
石段の途中に、三大講祖の霊神碑が点在しています。
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3/9 13:00
石段の途中に、三大講祖の霊神碑が点在しています。
まずは一心霊神碑、背面「為岡本林蔵 明治丗一年七月十八日(1898) 施主岡本国平」
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3/9 13:01
まずは一心霊神碑、背面「為岡本林蔵 明治丗一年七月十八日(1898) 施主岡本国平」
続いて、普寛霊神碑
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続いて、普寛霊神碑
そして覚明霊神碑
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3/9 13:03
そして覚明霊神碑
不動明王「長岡 澤田福太郎」
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3/9 13:05
不動明王「長岡 澤田福太郎」
またまた一心霊神碑がありました。
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3/9 13:05
またまた一心霊神碑がありました。
大岩からの眺望、眼下に神社境内、腰越の切通の向こうは古寺山かな?
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3/9 13:06
大岩からの眺望、眼下に神社境内、腰越の切通の向こうは古寺山かな?
そして大岩の頂上部には鳥居と
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3/9 13:07
そして大岩の頂上部には鳥居と
一山霊神碑、これで四大講祖が揃い踏みです!
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3/9 13:07
一山霊神碑、これで四大講祖が揃い踏みです!
そして一番高い所に御嶽三座神。その前に『晴雲』と『帝松』小川の地酒がお供えされています!
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3/9 13:08
そして一番高い所に御嶽三座神。その前に『晴雲』と『帝松』小川の地酒がお供えされています!
「御嶽山大神 八海山大神 三笠山大神」
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3/9 13:09
「御嶽山大神 八海山大神 三笠山大神」
背面には「明治三十三年二月吉辰(1900)」その他先達、世話人、石工銘などがありました。
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3/9 13:11
背面には「明治三十三年二月吉辰(1900)」その他先達、世話人、石工銘などがありました。
反対側に降りました。
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3/9 13:14
反対側に降りました。
槻川に架かる橋と古寺山方面
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3/9 13:21
槻川に架かる橋と古寺山方面
笠山(右)と笹山でしょうか。
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3/9 13:31
笠山(右)と笹山でしょうか。
橋を渡ると墓地を経て山道になります。
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3/9 13:32
橋を渡ると墓地を経て山道になります。
お堂の裏手から士峰山289.8m山頂にとうちゃこ。三角点もあったみたいですが、見逃しました。
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3/9 13:55
お堂の裏手から士峰山289.8m山頂にとうちゃこ。三角点もあったみたいですが、見逃しました。
お堂は「秩父六郎荘司畠山重忠之墓」でした。
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3/9 13:56
お堂は「秩父六郎荘司畠山重忠之墓」でした。
ここは古くから元久二年(1205)重忠公の首を葬る所と言われ、五重之塔が建てられていたが、数百年雨露にさらされ文字も読めなくなったので、明治四十五年(1912)氏の流れをくむ小久保氏がこれを建てたみたいです。
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3/9 13:56
ここは古くから元久二年(1205)重忠公の首を葬る所と言われ、五重之塔が建てられていたが、数百年雨露にさらされ文字も読めなくなったので、明治四十五年(1912)氏の流れをくむ小久保氏がこれを建てたみたいです。
その「五重之塔」がこちらでしょうか。
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3/9 13:57
その「五重之塔」がこちらでしょうか。
地図にはありませんが、麓の寺に通じる道がありました。
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3/9 14:00
地図にはありませんが、麓の寺に通じる道がありました。
風の来ない所を探して、珍しく山中での昼食です。道の駅で調達した山菜おこわとみそポテトです。
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3/9 14:07
風の来ない所を探して、珍しく山中での昼食です。道の駅で調達した山菜おこわとみそポテトです。
お寺の軒下に白い龍のような残雪
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3/9 14:28
お寺の軒下に白い龍のような残雪
士峰山高福寺。あの大河ドラマの幟がありました。
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3/9 14:29
士峰山高福寺。あの大河ドラマの幟がありました。
高福寺の六地蔵は「幸福地蔵」と呼ばれるみたいです。左端は二十二夜塔(弘化二年、1845)です。
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3/9 14:32
高福寺の六地蔵は「幸福地蔵」と呼ばれるみたいです。左端は二十二夜塔(弘化二年、1845)です。
地蔵尊の台石に「善男女講中 上古寺村 下古寺村/天保五年甲午七月吉日(1834)」
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3/9 14:33
地蔵尊の台石に「善男女講中 上古寺村 下古寺村/天保五年甲午七月吉日(1834)」
落ちユズ
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3/9 14:34
落ちユズ
覆屋の主は大黒様でした。
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3/9 14:40
覆屋の主は大黒様でした。
気になるニャー!
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3/9 14:42
気になるニャー!
てっきり目的の氷川社の参道かと思ったら、「阿夫利神社御神燈」とありました。その向こうは「不動明王」文字塔。
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3/9 14:53
てっきり目的の氷川社の参道かと思ったら、「阿夫利神社御神燈」とありました。その向こうは「不動明王」文字塔。
バギーのコース?になっているような林道から尾根道に乗り換えました。途中、もう一つ「不動明王」の文字塔がありました。
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3/9 15:00
バギーのコース?になっているような林道から尾根道に乗り換えました。途中、もう一つ「不動明王」の文字塔がありました。
山頂には石宮があるようです。
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3/9 15:05
山頂には石宮があるようです。
「大字上古寺 阿夫利神社/大正四年十一月(1915)御大典記念建之」
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3/9 15:07
「大字上古寺 阿夫利神社/大正四年十一月(1915)御大典記念建之」
下山は反対側の尾根へ。すぐに先程の林道に降りると思ったら、目論見がはずれ、
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3/9 15:13
下山は反対側の尾根へ。すぐに先程の林道に降りると思ったら、目論見がはずれ、
不明旅な斜面を下ると、墓地に出ました。こちらはポツンとあった江戸期、延宝三年(1675)と八年、ご夫婦の墓碑銘。
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3/9 15:18
不明旅な斜面を下ると、墓地に出ました。こちらはポツンとあった江戸期、延宝三年(1675)と八年、ご夫婦の墓碑銘。
墓地から畑に出る道は完全封鎖、それを巻いてここに到達。
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3/9 15:27
墓地から畑に出る道は完全封鎖、それを巻いてここに到達。
本日の核心部?向こうの橋まで金網に沿って擁壁上を歩きました。橋を渡ると、大黒さんの所に出て、もう一度同じ所を行きました。
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3/9 15:28
本日の核心部?向こうの橋まで金網に沿って擁壁上を歩きました。橋を渡ると、大黒さんの所に出て、もう一度同じ所を行きました。
阿夫利社参道入り口を過ぎて青石の馬頭尊「明治廿年亥年三月吉日(1887)上古寺村 施主大戸猪十郎」
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3/9 15:38
阿夫利社参道入り口を過ぎて青石の馬頭尊「明治廿年亥年三月吉日(1887)上古寺村 施主大戸猪十郎」
こちらが上古寺氷川神社の杜のようです。神社の入口が見えます。
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3/9 15:40
こちらが上古寺氷川神社の杜のようです。神社の入口が見えます。
「参宮記念 磴道建設碑」とその石段
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3/9 15:42
「参宮記念 磴道建設碑」とその石段
「エンエンワ」って何?
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3/9 15:44
「エンエンワ」って何?
石燈籠には「奉納氷川大明神/文化十二亥年九月吉日(1815)」右「施主 當所 松本與右衛門正重」左「施主當村氏子中」
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3/9 15:44
石燈籠には「奉納氷川大明神/文化十二亥年九月吉日(1815)」右「施主 當所 松本與右衛門正重」左「施主當村氏子中」
社殿と狛犬さん(大正十一年、1922)
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3/9 15:46
社殿と狛犬さん(大正十一年、1922)
オクンチ(秋祭り)に「中道廻り」という行事、先達が全国60余州の一之宮の神々を唱えると氏子たちが大声で「エンエンワ(因縁和)」と唱和しながら中道を一周する。だそうです。
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3/9 15:48
オクンチ(秋祭り)に「中道廻り」という行事、先達が全国60余州の一之宮の神々を唱えると氏子たちが大声で「エンエンワ(因縁和)」と唱和しながら中道を一周する。だそうです。
そして社殿の左方にお目当ての御嶽塚です。黒ボクらしい石の上に三座神碑
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3/9 15:49
そして社殿の左方にお目当ての御嶽塚です。黒ボクらしい石の上に三座神碑
「御嶽山大神 八海山大神 三笠山大神 槐洲穭拝書」背面には「明治十四年一月吉辰(1881) 講中 先達 大月清蔵 世話人 松本與エ門 横田重エ門」
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3/9 15:49
「御嶽山大神 八海山大神 三笠山大神 槐洲穭拝書」背面には「明治十四年一月吉辰(1881) 講中 先達 大月清蔵 世話人 松本與エ門 横田重エ門」
側、背面に祀られているのは一之宮の神々でしょうか。
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3/9 15:52
側、背面に祀られているのは一之宮の神々でしょうか。
ときがわ町から松郷峠を越えて小川町に抜ける車道にたたずむ如意輪様、通りすがりにいつも気になっていましたが、やっとまじまじとお会いできました。もしかしたらお顔は後から?
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3/9 16:21
ときがわ町から松郷峠を越えて小川町に抜ける車道にたたずむ如意輪様、通りすがりにいつも気になっていましたが、やっとまじまじとお会いできました。もしかしたらお顔は後から?
台石には「二十二夜供養(塔)/武州比企郡下古寺村 講中善女二十四人/文化八年辛未四月吉日(1811)」
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3/9 16:22
台石には「二十二夜供養(塔)/武州比企郡下古寺村 講中善女二十四人/文化八年辛未四月吉日(1811)」
その隣に名号塔「<阿弥陀三尊種子>南無阿弥陀仏 元禄八亥歳(乙)五月吉日(1695)」
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3/9 16:24
その隣に名号塔「<阿弥陀三尊種子>南無阿弥陀仏 元禄八亥歳(乙)五月吉日(1695)」
道標銘があります。「右 小川 左 ちゝふ」
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3/9 16:25
道標銘があります。「右 小川 左 ちゝふ」
背面には別年代の銘があります。「慈光□寺…宝暦十三年癸未四月日(1763)下古寺村」
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3/9 16:27
背面には別年代の銘があります。「慈光□寺…宝暦十三年癸未四月日(1763)下古寺村」
そのちょい先に「埼玉県指定天然記念物 古寺鍾乳洞」(S35
建立)こちらが神社への入口でもあるようです。
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3/9 16:28
そのちょい先に「埼玉県指定天然記念物 古寺鍾乳洞」(S35
建立)こちらが神社への入口でもあるようです。
天満天神宮でした。
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3/9 16:31
天満天神宮でした。
天神様といったらやっぱり梅ですね。「文化十五年戊寅四月吉日(1818)」
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3/9 16:32
天神様といったらやっぱり梅ですね。「文化十五年戊寅四月吉日(1818)」
こちらも「梅林山」
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こちらも「梅林山」
境内社の八坂神社と
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3/9 16:34
境内社の八坂神社と
青石の道了大権現「明治三十三年九月吉日(1900)建之 下古寺講中」 この裏手から山の斜面に取り付き、
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3/9 16:35
青石の道了大権現「明治三十三年九月吉日(1900)建之 下古寺講中」 この裏手から山の斜面に取り付き、
尾根道にでました。
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3/9 16:41
尾根道にでました。
そして古寺山280.1mです。
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3/9 16:56
そして古寺山280.1mです。
「向山」280.15 m四等三角点
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3/9 16:56
「向山」280.15 m四等三角点
古寺山から下った鞍部の谷筋の道を下りました。少々荒れていましたが、特に問題はないようでした。
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3/9 17:10
古寺山から下った鞍部の谷筋の道を下りました。少々荒れていましたが、特に問題はないようでした。
車道に出ます。
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3/9 17:17
車道に出ます。
槻川と花水山方面の夕景
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3/9 17:27
槻川と花水山方面の夕景
図ここに来ての青標、本日最後のお務めにしたいと思います。「→小字矢岸□不動尊社□ ←小川 秩父道二通ズ」
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3/9 17:31
図ここに来ての青標、本日最後のお務めにしたいと思います。「→小字矢岸□不動尊社□ ←小川 秩父道二通ズ」
「←古寺 青山方面二至ル」「皇太子殿下御成婚記念 大正十三年一月二十六日(1924)/大河村青年団□中」
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3/9 17:34
「←古寺 青山方面二至ル」「皇太子殿下御成婚記念 大正十三年一月二十六日(1924)/大河村青年団□中」
矢岸歩道橋を渡って、県道へ。
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3/9 17:40
矢岸歩道橋を渡って、県道へ。
鉄橋越しの笠山と堂平山
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3/9 17:41
鉄橋越しの笠山と堂平山
『ラジュモハン』20数年前からある印度カレー屋さん。最近は営業が不規則な感じ。確認したら「現在ランチのみ営業」とありました。
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3/9 17:42
『ラジュモハン』20数年前からある印度カレー屋さん。最近は営業が不規則な感じ。確認したら「現在ランチのみ営業」とありました。
古寺山(左)から下った谷筋。士峰山も見えます・
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3/9 17:44
古寺山(左)から下った谷筋。士峰山も見えます・
県道をテクテク歩いて道の駅にゴールです。ご褒美コーラ・
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3/9 18:26
県道をテクテク歩いて道の駅にゴールです。ご褒美コーラ・
所変わって小鹿野町泉田の『元六』さんで夕飯。わらじ丼セット(1100円)わらじはロースカツとヒレカツ。冷たいお蕎麦にしました。
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3/9 19:30
所変わって小鹿野町泉田の『元六』さんで夕飯。わらじ丼セット(1100円)わらじはロースカツとヒレカツ。冷たいお蕎麦にしました。
おがニャッピーの缶バッチ(100円)、実は翌日の長尾根歩きのお供にこれをゲットしに来ました。
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3/9 19:56
おがニャッピーの缶バッチ(100円)、実は翌日の長尾根歩きのお供にこれをゲットしに来ました。
またまた、里山御嶽を巡る山旅お疲れ様でした!しかし、大変独特なルート取りですね😃
石舟山、花水山の尾根は以前タカハタ方面から歩いたことありますし、士峰山と古寺山の稜線は桃源郷の駐車場方面からから登ったことあります。
ですが、その二つの稜線を横断するなんてgodohanさんならではですね!大変素晴らしいと思います😄
切り通しバス停近くの氷川神社には立派な御嶽が祀られていたのですね!近々桃源郷から先の御嶽山にも行ってみようかと思っていますが、うまくルートが合えばそちらも行ってみようかと思います😄
情報ありがとうございました!
ではまた〜😊
今回の目的は二つの神社だったので、お山も絡めるとしたらこんなルートになっていまいました。普段車ではよく通る地域でしたが、歩いてみると知らない所がいっぱいあって楽しいですね。今回、「古寺鍾乳洞」という石標があったのですが、結局何処かわかりませんでした。ウクレレ変態のみならず、洞穴変態でもあるNimaさんは行ったことありましたっけ?
それから、奥武蔵の伝道師の世界デビューおめでとうございます。本当に完璧なツアーでため息がでました。「ここから見える山は登ったことがある!」は山ノボラーだったら絶対言いたくなるセリフですよね。
弓立山の件はそちらで! それでは。 godohan
男体山に登ったという碑もあるのですね。禅頂とか禅頂道とか知らなかったので、勉強になりました。古峯原から禅頂道、godohanさんが歩きそうな道ですね。以前拝見したレコ、桐生の光明寺(宮本御嶽山の)が起点となっている桐生日光古道を思い出しました。男体山まで繋がっていたら、これも禅頂道になるのかな。
石舟信仰、舟形石も、何だかすごく気になります。
猫石は、フサフサですね。「NYAN NYAN STUDIO」もなんなんでしょう。気になりますね。
氷川神社のエンエンワもいいですね。後について、唱和しながら回ってみたいです。神様が社殿の側面と背面に祀られているのもすごいですね。
宮本御嶽山からの桐生日光古道、挑戦してみたいですね。
今回はあまり下調べをしてなかったので、帰って来てからいろいろ見逃していたことがわかりました(笑)。下調べも全然しないと新しい発見はうれしいのですが、後悔先に立たずな事になってしまうし、し過ぎると確認旅行になってしまうし、頃合いが難しいですね。
「NYAN NYAN STUDIO」も猫ちゃんがいるのか、音楽系のスタジオがあるのか、謎です。見かけはよくある大きめの農家って感じなんですけどね。
神社のお祭りも知らないだけでその土地土地でいろいろな形式があっておもしろいですね。これらも何時廃絶してしまうかもしれない時代なので、今のうち見ておきたいですね。
鹿岳ルート、通行できない所があるんですね、私もちょっと調べてみます。岩場はテクニック的にはそれほど難しい所はなかったような気がします。それでは。 godohan
両方の氷川神社に行かれたのですね
この付近は探せばまだまだ木曽御嶽系統の山神が発見できるのではないかと思っております
教えていただいた氷川神社早速行って来ました。
この辺りは秩父との行き来でよく通るところなので地道に探してみます。また何か情報ありましたらよろしくお願いします。 それでは。 godohan
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